http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/448.html
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「“虎の尾を踏んだ”ことで退陣する菅首相:国家の根幹を蝕む「主権侵害」・「主権放棄」を知りながら行われている自民党総裁選」
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/367.html
の続きともいえる投稿です。
長文になりそうなので、いくつかに分けて投稿したいと思っています。
1回目は、日本が置かれている国政的ポジションや日本支配層の政治観について説明します。
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9月26日に自民党総裁選挙の投開票が行われた。
(その2)で詳しく説明するつもりだが、菅首相の再任を拒否した米国の意向も理解している自民党長老は、総裁選というイベントを近づく総選挙に向けた宣伝道具として利用しつつ、岸田文雄氏という御しやすい政治家を総理に据えた。
この御しやすい政治家というのが、表題に書いた「日本版バイデン」の意である。
反トランプの米国人として昨年の大統領選絡みでけっこうTVに出演していたパックンもデーブ・スペクターも揃って、「バイデンのいいところは、嫌う人が少ないお人よしで、理念や政策がないので、トランプと違って専門家の政策を素直に受け容れるところ」と語っていた。
二人は、日本のTV番組とは言え、平然と、自国の大統領が自分の政策も理念もなく、国防総省を含む官僚機構やシンクタンクの言いなりであることが“好ましい”・“望ましい”と言ったのである。
岸田文雄氏は、森首相に反旗を翻した2000年の「加藤の乱」で、血判状に加わって加藤紘一氏側についたが、乱の収束後は、古賀誠氏の側近だった関係もあり元の鞘に収まり、ついには宏池会の会長にまで上り詰めた。
岸田氏が宏池会の会長になったのも、メディアがこぞって評価する「聞く力」のおかげだろう。「聞く力」が評価されるのは、その裏返しとして、「語る力」が貧弱だからである。
政治家の資質としては、「語る力」をベースに、「聞く力」もあることが好ましい。
岸田氏のように、理念や政策をはっきり主張せず敵を作らないことで有力な地位が得た政治家に何ができるかはなはだ疑問である。
岸田氏が、今回の総裁選挙で発信力を見せようとしてきたことも含め、総裁選の裏側は次回以降で説明したい。
4人(他の誰でもだが)のうち誰が総理総裁になっても、日本政治の大局的動向に影響はないと考えていたし考えている。
それは、国際的テーマに関しては欧米支配層のタガががっちりはまり、国内政策についても、欧米支配層の意を受けた官僚機構の抵抗や説得が政治家に対し行われているからである。
ただ、統治というのは、政策の微妙な差が、普通の人々に、気持ちや生活実感(ベースが低いから)にけっこうな違いをもたらすことを忘れてはならない。
高い政策判断力と権謀術数能力を有する政治家が、国際的差配が敗戦国であり非核兵器保有国である日本にとっては抜きがたい桎梏であることを踏まえた上で統治を行えば、そのような能力に欠けた政治家よりも、若干だろうが、国家の行く末と国民の健康と生活がよくなる可能性はあると思っている。(その若干が、多くの国民にはけっこうな恩恵をもたらすことになる)
アジア太平洋(大東亜)戦争で米国に徹底的に打ち負かされた日本は、占領政策を通じて形成された国際的国内的政治&メディア構造を“神聖不可侵”のものとして、独立後も現在に至るまで統治の基礎としてきた。
戦前も、一定数の支配層構成員は、職業軍人(幕僚)を含め、欧米的価値観世界観に心酔し、欧米支配層と内通していたが、戦後は、キャリア官僚がこぞって入省後しばらくして米国留学することでもわかるように、大手を振って、米国支配層(その裏には欧州支配層)と“内通”するようになった。
55年(昭和30年)体制として生まれた自民党も、米国CIAが提供した資金で生まれ育った政治組織だから、面と向かって米国に逆らう政治家はいなかった。
ただ、日本は、たんに強権的に抑え込まれていたから米国の差配を受け続けていたというわけではなかった。
朝鮮戦争特需を端緒に1970年まで続く特筆されるべき経済成長は、国際決済資金融資・技術売却・輸入受け容れなどの米国の支援なくしてはありえなかった。(米国の経済的支配層もその過程で大きな利益を得た)
このような経済的利益なくして、「対米従属」が現在に至るまで続くことはなかったと思う。
国家主権を“制限”されても、それで経済成長が実現できるのならそれでもいいじゃないかという意識・気分が、政界・財界・国民各層のあいだに広く蔓延したのである。
(「日米同盟」などといって誤解させているが、日米安保条約の目的は、第一義が日本の軍事的政治的自立を抑え込むことであり、第二義が米国のアジアにおける軍事行動をスムーズに展開できる基地と兵站を確保することである。首都を包囲するように国の強力な空海の基地が存在する日本が、米国に本気で逆らえないことは火を見るよりも明らかである)
このような日本では、せいぜい、米国に対し面従腹背で、少しでも自分が抱いている理念や政策をなんとか実現しようとした政治家がいたくらいだった。
そのような政治家の代表が、岸信介氏であり、田中角栄氏だと思っている。
しかし、岸信介氏は「1960年に安保改定を強権的に行った元A級戦犯の危険な政治家」、田中角栄氏は「汚い手口で集めたカネの力で配下の政治家を増やし国費(公共投資)で有権者を買収する金権政治家」というありがたくない烙印が押されている。
(なぜか左翼や平和主義者は理解できていないが、岸信介氏が旧安保条約を改定したことで、1970年以降は日本の意志で日米安保条約を廃棄することができるようになったのである。サンフランシスコで講和条約締結の後に、吉田茂氏が一人で署名した旧安保条約は、条約の期限や修了条件さえ条文にないとんでもない代物だった。それでも、日本側の意志だけで日米安保条約を廃棄することは難しい。トランプ時代はチャンスだったが(笑))
80年代以降続いている国鉄・電電公社・日本専売公社・郵政などの「民営化」指令も、政府の株式保有や規制を通じて、できるだけ“骨抜き”にしようとしてきた。
(これが、国民民主党や立憲民主党で一定勢力になっている(自民党内にもけっこういる)「国有・国営を敵視する理念的民営主義(自由主義経済信奉)者」であれば、近代日本が国家権力の力で150年かけて育成してきた基幹事業を、外国人を含む民間人に丸のまま投げ与えていたかもしれない。官僚機構は、そのような事態を避けるため、なにやかやと抵抗(サボタージュ)したはずだが)
このような岸田総理誕生に直接関係のない話を書いたのは、爆弾も投下されず砲弾も飛ばない奇妙なWW3ともいえる過酷で困難な世界(新型コロナ供覧パーティ)のなかで日本のかじ取りを行うためには、欧米支配層の意向にほいほい乗っかる“軽いええ恰好し”でも、がちがちの国家主義者(自民党にはいないが)でもなく、有力政治家と上級官僚が合議で生み出した政策(対応策)を実行する「日本版バイデン」とも言える岸田氏を総理に選択することになった背景をまず感じ取って欲しかったからである。
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