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※サンデー毎日 2021年9月26日号 紙面クリック拡大
※サンデー毎日、紙面文字起こし
「トップにできぬ」 不信のアベに忖度 異端児 河野太郎
「異端児」の気骨は、どこに行ったのだろうか。菅義偉首相が不出馬を表明した自民党総裁選で、立候補を正式表明した河野太郎行政改革担当相である。9月17日の告示が近づくにつれ、鋭かったはずの舌鋒が鈍るのは、やはり「あの人」への忖度≠ネのか…。
「安全が確認された原発を再稼働していくのはある程度必要だ」「男系で続いているのが日本の天皇の一つのあり方だ」
河野氏がこう述べたのは9月8日だ。脱原発の姿勢は曖昧となり、皇位継承問題について女系天皇を容認する持論は封印。さらに10日の出馬表明の記者会見でも、「産業界も安心できるエネルギー政策を」と脱原発に踏み込まなかった。
河野氏の魅力は「発信力」や「突破力」。一方、その言動は永田町の自民党というコップの中では、「好き放題言い過ぎ」「協調性がない」と変わり者扱いされてきた。ただ、世論からは支持を受け、「ポスト菅」の中で人気は石破茂元幹事長と並んで高い。
その河野氏は、菅氏が不出馬を表明した3日午後、直ちに財務省に向かい、いの一番に所属する麻生派会長の麻生太郎副総理兼財務相に出馬を検討していることを伝えた。河野氏は2年ほど前から今年の総裁選を目指して政権構想を練り上げてきていた。河野氏を支持する若手議員は、麻生氏がたとえ止めても「それを振り切り、場合によっては派閥を飛び出すぐらいの覚悟で、麻生氏に出馬を伝えに行ったのではないかと思っていた」と語る。
ところが、河野氏は煮え切らない。麻生氏と決別するどころか、出馬表明前日の9日までに4回も訪ねた。さらには、麻生氏と盟友関係で今回の総裁選では連携している安倍晋三前首相のところにも行った。
安倍氏は周辺に「河野さんがトップになってもいいのだろうか」と漏らしていると党内の一部では伝えられている。「麻生氏が『安倍氏の了解を取れなきゃダメだ』と河野氏に言ったのだろう」(麻生派議員)との見方もある。
河野氏は安倍氏との席上、エネルギー政策について説明し「ご懸念には及びません、と話した」(安倍氏周辺)という。そして、記者団には冒頭のような後退した発言をしたのだ。
河野氏を支援する麻生派中堅議員は、河野氏の連日の動きをこう見た。
「出るなら勝たなければならない。原発にしろ、女系天皇にしろ、尖(とが)れば反発も大きく、麻生派内は『あんな奴(やつ)支持しない』という人が増え、安倍氏周辺は潰しにくるだろう。ここはソフトに、丁寧に麻生会長や安倍氏に会って頭を下げ、脱原発にしろ『すぐにやろう』という話ではないと説明し、出馬や一部支持を容認してもらう現実路線の戦略ではないか」
ただ、それはキングメーカーらに妥協する姿にも映る。前出若手議員は「世論の河野人気が下がるリスクはある。となると『選挙の顔に』と思っていた議員票にも影響する」と懸念する。
私が河野氏を取材し始めたのは、もう20年前になる。自民党の当時の山本一太参院議員(現群馬県知事)ら若手グループの一人で、党改革やインターネットを取り入れた政治活動など先進的な取り組みをしていた。
河野氏の父は衆院議長を務めた洋平氏、祖父は元衆院議員の一郎元副総理、大叔父は謙三元参院議長という輝かしい家系だ。ただ、洋平氏はかつて自民党政治に不満を抱いて飛び出し、新自由クラブに移った。その後、自民党へ戻り、総裁になったが、当時は細川護熙連立政権。総裁でありながら首相にはなれなかった。
持論の「封印」で党員票が流出も
閣僚経験者の自民党ベテランは河野氏をこう評す。
「自民党の中では主流になれなかったが、我が道を行った洋平氏のDNAを引き継いでいるのか。河野氏は若い頃から党の政策には一線を引き、『一匹狼』と相手にされなかった」
たとえば原発。河野氏は15年以上前から核燃料サイクルの限界を訴え、党の方向性に反旗を翻してきた。
05年には「電力を思い切って自由化する時代にしなければならない。40年計画でフェードアウトさせ、再生エネルギーと天然ガスの時代を考える必要がある」と、河野氏は語っていた。12年には超党派の国会議員グループ「原発ゼロの会」の共同代表にも就いた。
06年総裁選では出馬の意欲を示した。この時は小泉純一郎元首相の後継を決めるもの。河野氏が訴えたのは少子高齢化対策や年金改革だった。当時は河野氏を応援し、現在は6回生の自民党議員が振り返る。
「これから先、日本の少子化は私や河野さんら次の世代からすれば、破綻が目に見えていたから年金の抜本改革を打ち出した。だが、党内のベテランや厚生労働省は無視。結局、河野さんの主張は消され、反原発ということも加わり、推薦人(20人)も集まらなかった」
河野氏はネットも早くから政治活動に取り入れ、「ごまめの歯ぎしり」というブログを始めたのは1998年だった。のちに河野氏は「河野がまた、ミーハーなことを始めた」などと、当時の党幹部から批判されたことを明かしている。
そんな河野氏が、今回のように突如発言を控えたことがあった。2015年に第2次安倍政権で入閣した時だ。「日和(ひよ)った」と言われたが、理由があった。
「河野氏の支援者は、洋平氏の支援者たちが小選挙区にシフトした。彼らにしてみれば、洋平氏が新自由クラブに行って苦労したことで、自分たちも苦労した。だから『頼むからお前は自民党を出るな』『このまま異端児で大臣にもならないまま終わるのか』と。安倍政権で入閣要請を受け、しばらく過激な発言をしなかったのも支援者への恩返し。自身も『一旦、本音は封印する』と周囲に語っていた」(自民党神奈川県議)
諦めではなく、支援者への恩返しだったのだ。
「支援者には義理をもう十分果たしたと。これからは独自の主張を発信し、トップを目指すと。今回の総裁選へ向けて練った政権構想は、分野ごとにブレーンも付けて徹底して議論し、まとめ上げた」(同)
今回の派閥への気遣いや根回しを想起させる発言の迷走は、若手議員や党員票に影響しかねない。徹底した反骨こそ、河野氏のスタイルではなかったか。
ジャーナリスト・鈴木哲夫
すずき・てつお
1958年生まれ。ジャーナリスト。テレビ西日本、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経てフリー。豊富な政治家人脈で永田町の舞台裏を描く。テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活躍。近著『戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉』『石破茂の「頭の中」』
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