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学校のいう名の収容所
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2021年8月30日 植草一秀の『知られざる真実』
敗戦後の日本民主化政策に二つの陥穽(落とし穴)があった。 大きなやり残しがあった。 ひとつは官僚機構に実権を持たせ続けたこと。 戦前の官僚機構は天皇の官僚であり、支配者の一翼を担う存在だった。 戦後はこの基本が否定された。 日本国憲法は公務員について次のように定めた。 第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。 公務員の選定、罷免の権利を国民に付与した。 同時に公務員は「全体の奉仕者」と位置付けられた。 public servant である。 ところが、実体上、官僚機構の行政全般、立法全般に対する支配的地位が維持されてしまった。 上級国家公務員制度を残したことがその原因であると判断できる。 大卒公務員の採用を上級と中級、あるいは第一種と第二種に区分せず一括採用とし、省庁別採用ではなく国家公務員、地方公務員として採用し、人事でローテーションさせる仕組みを導入するべきだった。 もうひとつのやり残しは学校制度の改革。 敗戦後日本では戦前の教育が否定され、抜本的な教育改革が行われたが、重要な部分で戦前を残してしまった。 日本の学校を支配しているのはいまも上下の権力関係である。 学校が何よりも重視しているのは 「従う子ども」 の育成だ。 上の言うことに従う。 従順、素直、服従、寡黙が目指される。 そして、戦前の軍事教練が敗戦後にもそのまま引き継がれてしまった。 GHQのこの見落としは極めて重大だ。 ひとことでGHQといっても内実は極めて重大な曲折を含む。 戦後史の最重要点だ。 当初のGHQで主導的役割を担ったのはGS=民政局。 民政局が戦後日本民主主義を創設したと言って過言でない。 ところが、1947年のトルーマン大統領による米国外交基本路線の転換(トルーマン・ドクトリン発表)を契機に、GHQの主導権がGSからG2=参謀2部に移行した。 この移行が急激でなかった理由は、マッカーサー最高司令官とトルーマン大統領が犬猿の仲であったことによる。 しかし、GHQの実権はG2に移行し、日本民主化は停止され、日本の非民主化、反共化、戦前への回帰が推進された。 敗戦後日本での体育授業では 「前に倣え」、「右向け右」などがそのまま引き継がれた。 日本の学校制度は明治時代に森有礼が軍隊に倣ってつくったもの。 そのために、とりわけ体育の授業では軍隊の軍事教練がそのまま学校に導入された。 その方式が敗戦後も引き継がれている。 前川喜平氏に教えていただいたが、運動会の入場行進の「全たい進め」や「全たい止まれ」という号令の「全たい」は「全体」ではなく「全隊」なのだそうだ。 隊列を組んでいるので、「全体」の「たい」ではなく「全隊」の「たい」ということ。 教師と生徒・児童の間に命令の発令者と命令への服従者という明確な上下関係が敷かれている。 2006年に安倍晋三氏が実行した教育基本法改悪で 「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」「国民の育成を期し」て教育が「行われなければならない」ことが第1条の教育の目的に明記され、 「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛すること」が教育の目標として明記された。 国家の命令に従順に服従する国家の手駒になる人間の生産が目指されていると言ってよいだろう。 「招待所という名の収容所」と題する著書があるが、日本の学校は「学校という名の収容所」、「学校という名の監獄」の側面が非常に強い。 学校制度の改革は個人の救済、そして日本の未来にとって最重要かつ喫緊の課題だ。 |
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