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小池知事“二階派乗っ取り”で自民総裁就任か。盆明け政局の有力シナリオ
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2021.08.12 冷泉彰彦『冷泉彰彦のプリンストン通信』 まぐまぐニュース
先日掲載の「菅首相を待つのは地獄のみ。支持率30%切りで始まる自民“菅おろし”」でもお伝えしたとおり、崩壊寸前とも囁かれる菅政権。この秋に行われる総選挙に関しては、自民党内から「菅首相では戦えない」という声が多く上がっているとも聞かれますが、識者はどう見るのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、菅政権の求心力崩壊の理由を考察するとともに、盆休み明けの政治シナリオを予測。日本初の女性宰相誕生の可能性についても言及しています。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2021年8月10日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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日本の政局の重苦しさを考える
これからの政治課題としては、五輪の後始末とパラ開催問題というのが直近の問題になるわけですが、同時にコロナ対策についても、ワクチン接種の加速とコロナ病床確保、在宅診療ケアを含めた要員(医師、看護師)確保といった問題が待ったなしとなっています。何とも重苦しい政局です。
さて、そんな中で懸念されるのが菅政権の求心力崩壊です。私は、菅義偉という人は、安倍政権の官房長官を長く経験したことから、行政の全分野に関して過去の経緯と現状の問題点を把握し、また官僚組織の可能性と限界も理解した上でスタートしたと思っていました。
その上で、安倍政権の森友・加計・桜の3大疑惑に関する関与は気になるけれども、関与はパッシブ(受け身)であり、少なくとも菅という人は安倍晋三とは違って、右派イデオロギーを政権求心力に使うという「綱渡り」はやらないことで、前政権よりは安定度を見せるのではと期待もしていました。
ですが、ここへ来て政策と世論との調整という総理に求められるタスクが、どうにも処理できない局面が多くなっています。密室の調整と、世論とのオープンな調整というのはタスクとして全く質が異なるにしても、前任者のすぐ脇でサポートしていた中で、どうするべきかを学ぶチャンスはいくらでもあったわけです。
にも関わらず、結果が出ないのは人材の種類ということなのでしょう。大きな政策に対して孤独な決定を行い、世論に対して孤独な対話を行うには、そのベースとなる世界観、国家観のようなものが必要になります。大局観といっても良いでしょう。勿論、全ての政策において総理個人の大局観が貫き通せるわけではありませんが、何らかのベースとなる「観」があって、その上で妥協したり現実に合わせて修正したりするのと、ベースのないまま力の落ちている官僚機構との調整で確信の持てないまま結論を決めるのでは、やはり大きな違いが出ると思います。
これは、学力とか教養というような話ではなく、政治を行う上でのベースになる基礎力とでもいったものですが、では歴代総理が相当なものを持っていたのかというと、大したものでもありませんでした。
中曽根康弘はやたらに大局観と言っていましたが、事態の展開に追いつくのがやっとで流されるだけでしたし、小渕恵三は善意をベースに、これまた結局は流されるだけでした。小泉純一郎にしても、改革好きというのは良いにしても、改革の本意が日本の衰退を食い止める、とりわけ多国籍企業の海外業績を抜いた真水のGDPを守り抜く迫力はなかったように思います。その他の1年やっては投げ出した多くの政治家には見るべきものはありません。
私個人としては宮沢喜一という政治家には関心がありますが、この人は大きなベースを持っていた一方で、実行力としては訓練がされておらず、参謀以上の仕事は無理があったように思います。広い意味での野心がやや足りなかったのも悲劇でした。
そう考えると、菅義偉という人は、及第点には行くのではと思っていたのですが、このままですとご本人も心身が限界に来そうで見ていられません。
今後のシナリオですが、9月に総裁選があるとして、五輪の片付けとパラを乗り切ったら巷間噂されているように小池が志帥会(二階派、物騒な名前ですが)を乗っ取って総裁になって総選挙で政権を固めるか、小池が断念した場合には岸田でしょうか。岸田政権の場合は、福田康夫政権程度で終わる感じもしますが、さてどうでしょうか?
一部には小池以外の女性宰相への期待がありますが、高市早苗はここでいうところのベースがなさすぎてダメ、野田聖子は関係者にスキャンダルがあり難しいようです。稲田朋美はイデオロギーを少し右に寄せたのは評価できますが、やはりベースとなる「観」となると怪しさ満点です。
では、野党勢力はどうかというと、仮の話ですが共産党が私有財産を認め、自由経済を認め、党内民主主義を認めて改名して、大きな政府と相当強めの平和主義、相当強めの環境政策、相当強めの再分配をやることで、立憲から自民の党内左派などを糾合すれば、衰退国家に相応しい一つの軸にはなると思います。それすらもできないのであれば、政権担当の意思を認めることはできません。
そんなわけで、日本の政治のことを考えると暗澹たる思いがします。勿論、アメリカの場合もバカバカしい「分断」があり、現在では「バイデンの民主党とトランプの共和党」の戦いだけでなく、民主党内における左右両派のバトルも激しくなってきました。
ここへ来てNY州のアンドリュー・クオモ知事の「セクハラ疑惑」の風圧が激しくなっていますが、背景にあるのは民主党内の中道派であるクオモへの「追い落とし」です。
ですが、アメリカの対立構図には日本とは大きな違いがあります。まず、どのグループも政権担当能力があるということです。また、政権を担ったら何をするかという政策プログラムも持っています。その上で、大ゲンカはしても妥協点を探ることはできるわけです。また有権者も(多くの場合は浅い考えであるにしても)支持政党があり、政策に対する賛否は一応に持っているということがあります。
アメリカには確かにひどい対立があるわけですが、少なくとも大統領制とか、上下両院の制度への不信というのはありません。上院議員100名の権力は、依然として大きいし、トランプ時代を経たと言え大統領の権限も不変です。その意味で、アメリカの政治システムが崩壊するということは考えにくいわけです。
ですが、日本の場合の危機というのは、非常に難しいところへ来ているように思います。これは総理大臣に人を得ないから起きている危機というよりも、国全体に危機が進行していることから、政治家や総理大臣に人材が集まらなくなっているということだと思います。
危機というのは、国のかたちの変化です。
明治以来の日本というのは、それこそ三酔人経綸問答で中江兆民が戯画化したように、「洋楽紳士=理想主義の改革派」と「豪傑君=国粋主義から中国進出を主張」が対立する中で、最終的には「南海先生=是々非々主義のバランス派」が描く基本線に収まるという構図がありました。
勿論、その対立というのは健全に機能していたとは言えません。大正デモクラシーと普通選挙というのは、治安維持法と裏返しでしたし、政友会と民進党の対立構図も後半になると「右派ポピュリズム」の煽りを競うようになって半端な軍事政権の到来を許すようになりました。その軍事政権にしても、明治の先人が攘夷の不可能を見るや開国に転じたほどの愛国心はなく、利己心から国を破滅させるという愚を犯すに至っています。
戦後の左右対立も、対米従属派が枢軸の名誉回復を狙ったり、格差是正がどういうわけかスターリンの全体主義国家を認めたり、ひどい迷走となっていました。ですが、どんなに迷走的な対立であっても、対立は大真面目であり、何らかの大義なり、中長期の夢なりを持っていたのでした。
それに比べると、現在の日本社会には一種の虚無を感じます。
それは、政治的な対立は調整不可能だという一種の絶望的な諦念です。対立の原動力が自己実現の意思であるうちは良いのです。そうではなくて、一種の動物的な直感、あるいは本能のようなものに根ざしている時、そのレベルがある一線を超えてしまうと、人は相手を説得するのが非常に難しいと感じるようになります。
現在の日本で起きているのは、そうした現象であると思います。そして、その結果として合意形成とか、国民の統合ということが難しくなっているのを感じます。
様々な例を挙げることができます。
例えばですが、オンラインの会議で自分は密室に一人という場合でも、組織の風土によってはマスク着用がデフォルトになっていたりします。医学とかサイエンスとは無関係の行動ですが、既に「公の席では鼻と口は晒さない」という戒律が行き渡っているからです。
問題は、戒律の是非ではありません。また、マスク姿に慣れてしまったために着用していないとタブーを犯しているような感覚を持つことでもありません。そうではなくて、「サイエンスとは無縁の直感としてノーマスクにはドン引き」という種類の人とは、論争は不能だから自分を捨てて同調しておかないと、リスクになるという判断がデフォルトになっていることです。
これは、同調の底に根深い分断を抱え、また分断を固定化することです。マスクによって素顔の表情を見て話すことができなくなったことも含めて、こうした風潮が続くことによって社会の合意形成力は大きく損なわれると思います。
コロナ自体への対応もそうです。例えば、緊急事態宣言における努力要請と、その遵守ということでは、日本社会の特質であった同調や秩序形成という行動がされなくなってきています。若い人の間ではコロナが重症化しないとか、会社ごとの仕事の進め方が自己流でなので、出社して対面でコミュニケーションを取らないと、ノウハウが学べないとか、色々な事情があると思います。
そうではあるのですが、ここまで規範が機能しなくなる、規範の核は機能していて周辺に例外があるという構図ではなく、規範がボヤけてしまうというのは、やはり危機であると思います。
そんな中で、揺らぐはずのない権威が崩壊する、そんな現象も起きています。これまでの日本人は少なくともオリンピックと、ノーベル賞と皇室の権威には尊敬を払ってきました。ですが、今回、このような形でオリンピックの権威が崩壊し、また皇室でも秋篠宮家の権威が危機に瀕しています。
このままでは、日本が避けて通れない3大改革を実現するための合意形成というのは非常に難しくなります。
ちなみに3大改革というのは、「公教育における能力別指導による全体の底上げと才能の発見」「経済規模を縮小するまでの暫定期間は原発を稼働させることによる排出ガス削減と製造業の維持」「枢軸の名誉の最終放棄と引き換えに、自主軍備を経て東アジアの安定のための集団安保実現」の3つですが、痛みも含めた多くの変更を伴うこうした国家の大計に関しての合意形成は非常に難しいというわけです。
漠然とではありますが、社会が崩壊して一種のアパシー(無感動、無刺激)のような現象が広まっているとも思えます。その背景にあるのはネットです。ネットが社会の深層にある「行儀の良くない本音」を瞬時に拡散させることで、既存の価値や、規範といったものがどんどん崩されているのだと言えます。
現実論ではなく、思想として考えると、この現象は悪ではありません。例えば、20世紀までは、社会に対して意見を言うというのは、名の通った評論家や財界人、あるいは政治家だけであり、それ以外の無名の民が「異議申し立て」をするにはデモや暴力などの実力行使を行うしかありませんでした。
ですが、ネットというインフラが整備されたことで、人々の意見が、本音も建前も含めて大量に飛び交うことになったわけです。現在の底の知れない分断というのは、多くの人の民意が史上初めて水面の上に出てきたということになります。思想的にはそのような理解が可能であり、その上では少なくともトランプ現象よりは「まし」かもしれません。
しかしながら、それで満足していては評論のための評論で終わります。
具体的には、盆休み明けの政治というのは、五輪の後始末をつけ、パラを成功させ、同時にワクチン接種を加速させる中で、フランスなどのように国境をオープンさせて行くステップに入っていきます。困難だといっても何とか民意をまとめて政策を前へ進めなくてはなりません。
そこで総選挙のタイミングが割り込んできますが、選挙がより空白を生むのは避けねばなりません。まずは、少なくともベースとなる「観」という足場を持った政治家を選び、官僚機構と良い関係を築いて、最善手を模索しながら必死で前へ進むようにしなくてはなりません。
そのためには、この社会はどうしたらいいのか。盂蘭盆の季節に考えなくてはならない課題は非常に重たいと思うのです。
(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)
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冷泉彰彦 この著者の記事一覧
東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1〜第4火曜日配信。
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