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※2021年6月21日 日刊ゲンダイ26面 紙面クリック拡大
登山家・野口健氏が警鐘「今の五輪強行ムードは登山なら完全に遭難するパターン」 私が東京五輪に断固反対する理由
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/290879
2021/06/27 日刊ゲンダイ
登山家、環境活動家の野口健氏(提供写真)
野口健(登山家/環境活動家) |
この状況でなぜ五輪を開催するのか、それが全く伝わってこない。どうしても五輪をやりたいなら、国民には想定されるリスクを正直に伝えるべき。リスクと開催意義を天秤にかけたうえで、「これくらいのリスクを背負ってでもやる意義がある」ということを明確にすればいい。僕が政治家なら、まず開催のメリットとデメリットを洗い出してそれをはっきり伝えます。
1964年の東京五輪は戦後復興のシンボルという意味が強かった。新幹線ができたり、いろいろな施設ができたり、突貫工事で事故や過労死で亡くなった方もたくさんいた。それでも当時は、ある程度の犠牲なら五輪をやるんだと、ブレがなかった。今回の東京五輪も、コロナによってかなり忘れられているけど、元を辿れば震災復興がテーマだった。今やすっかりそのイメージは吹き飛び、政府は「人類がコロナに打ち勝った証として(五輪を)実現する」と繰り返すようになりました。
何度も「コロナに打ち勝った証」と言うが、打ち勝てなければ五輪を中止するという意味なのか。政治家の発言には意図がなければいけない。あれだけ連呼して強調するからには、コロナが収束せず、打ち勝てなかった場合は中止や延期を決断するんだと思っていました。ところが、そこには何も意図がなかった、何も考えていなかった。それなのに(ある自民党議員が)「五輪が始まれば日本国民は盛り上がる」とか、それは確かにそうかもしれないけど、あなた達が言っちゃダメだよと。国民はそこまでバカじゃない。
日本は他国に比べ、のまれやすい国。それを逆手にとって「リスクを負ってでもやる意義が五輪にはこれだけある」と演説して盛り上げれば、流れは変わったかもしれません。
それをせず、何度も壊れたテープレコーダーのように「安全安心」と聞かされていると、僕の頭が悪くなってきたのかなと悩む。すごくバカにされている気がするし、不誠実。単に五輪に反対というより、五輪を押し進めようとする人への不信感なんですよね。
今のムードとして、「なんかヤバイ事になりそう、でも引くに引けない。もうやるしかないのか、じゃあやるか!」という状態。これは登山なら遭難する典型的なパターンです。冒険するとき、僕ら山屋≠ヘ最悪の事態を想定する。万全の備えをするのと同時に、根拠がなくても「流れが悪いぞ」「ピンとこない」という時は一回引くんです。登山家はそれができるかできないか。自分の感覚で引けない人は大体、亡くなられています。
引いたら負けという日本人の考え方 |
僕が20代前半の頃、登山家の大先輩が集会でこっそり指を差して「野口、アイツが次に遭難するぞ。その次はアイツ」と言うんです。それがほとんど当たる。要は遭難しやすいタイプとしにくいタイプがいるということ。難しい山を登る人は勇敢で恐怖に強いイメージを抱いていたけど、そういう人は命を落としやすい傾向にあります。
(登山家の)植村直己さんは「私は人一倍臆病者です」と公言してきた。しかし、スポンサーが降りたり支援が減って追い詰められている背景がある中、マッキンリーという山に悪天候にも関わらず突っ込んで亡くなられました。遭難前日、彼が日記に書いた最後の一文が「何が何でもマッキンレー、登るぞ」。
だから、五輪に「何が何でも」突っ込んでいくのが本当にいいのか。なぜ突き進むのか考えたとき、日本人は引くのが苦手なのかと思いました。来年の冬季五輪は北京。日本がやめて中国が成功したら「日本は負け。中国は勝ち」、そう考えているのかと。しかし、引いたら負けという考え方自体がまずい。無謀に突っ込む方が負けですよ。
政治家も追い詰められているのかなと思うときがあります。例えば、分科会の尾身(茂)会長の「パンデミック禍での開催は普通ではない」という提言に対して、「自主的な研究の成果の発表」と言った田村(憲久)厚生労働大臣。僕は戦没者の遺骨収集をやっていて、管轄が厚労省なので、大臣が変わるたびに挨拶に行っていた。田村さんは過去に会ってきた厚労大臣の中で一番時間を割いてくれたし、熱心に話を聞いてくれた方だったので、誠実な方だと思っていた。その田村さんがああいう言い方をしていたのを見て、相当余裕がないのかなとさえ感じましたね。
取ってつけた「復興」だったのか
僕自身、オリンピックそのものには反対ではありません。以前、石原慎太郎さんが都知事の時代に招致運動に参加して、「東京オリンピック招致大使」も務めた。参加した理由は、慎太郎さんの目的が「東京を自然豊かな街にしたい」というものだったから。街路樹を100万本に増やす、都内の公立学校の校庭を全部芝生にする、夢の島に明治神宮のような森を作るなど、コンクリートジャングルのイメージが強い東京を、環境に配慮した街にするというのがテーマだった。それは面白いなと思ったんです。
しかし、今回のテーマは震災からの復興と言いながら、開催の中心は東北ではなく東京。スタートラインから何のための五輪なのか、正直ピンときていなかった。「復興」というワードを持ってくることで、選考が通りやすいと考えたのかなと思いました。海外に認めてもらうための、取ってつけた「復興」だったのかなと。その後、コロナ禍になって明確に疑問を感じるようになりました。
僕は親父からの洗脳教育で「世の中にはA面とB面がある。見るべきは(努力しなければ見えてこない)B面」と言われてきましたが、今回、多くの人が五輪のB面を見た。IOCがいかに高飛車で、「菅首相が中止を求めても個人的な意見に過ぎない。大会は開催される」と言う姿勢です。
今後、今回の東京五輪以上に問題が大きいのは、来年開催予定の冬季北京五輪。あれこそ無条件で開催しちゃまずいと思っています。2008年の夏季五輪は、チベット問題で暴動も起きたのに、IOCから何も制約も与えられずに開催された。あれはある意味、IOCが「お墨付き」を与えてしまった大会です。その後のウイグル自治区や香港の人権問題に繋がってくるわけで、もはや五輪は「アスリートファースト」ではない、「IOCファースト」。IOCのビジネスとして五輪が行われているのが現状です。今回、コロナを通して五輪やIOCの体質が見えたことで、日本国民はもちろん、世界の国々で五輪に対する気持ちがすごく冷めたと思う。その反面、このB面はこれから手を挙げる国々にとっては良い発見だったと思います。
▽のぐち・けん 1973年8月21日生まれ。米ボストン出身。日本人の父とエジプト人の母を持つ。英で高校を停学処分となり日本へ帰国。登山を始める。亜細亜大時代、25歳でエベレスト登頂に成功。2000年に富士山の清掃活動を始め、環境保護活動に従事。戦没者の遺骨収集にも携わる。
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