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元検事・郷原信郎氏が広島を愚弄し続ける自民党を決して許さぬ理由
https://www.mag2.com/p/news/494292
2021.04.17 『権力と戦う弁護士・郷原信郎の“長いものには巻かれない生き方”』 まぐまぐニュース
現役の法務大臣が関与し、異例の逮捕、起訴となった河井夫妻による参院選不正選挙の一件。1億5千万円という、破格の選挙資金が広島の河井案里氏らのために自民党本部から送られた同事件は、このまま有耶無耶のまま終わって良いのでしょうか? 元検事で弁護士の郷原信郎さんは自身のメルマガ『権力と戦う弁護士・郷原信郎の“長いものには巻かれない生き方”』の中で、広島で過ごした幼少期の思い出を紹介ながら、なぜ広島を愚弄し続ける自民党が許せないのか、その理由を明かしています。
プロフィール:郷原信郎(ごうはら・のぶお)
1955年島根県松江市生まれ。1977年東京大学理学部卒業。鉱山会社に地質技術者として就職後、1年半で退職、独学で司法試験受験、25歳で合格。1983年検事任官。2005年桐蔭横浜大学に派遣され法科大学院教授、この頃から、組織のコンプライアンス論、企業不祥事の研究に取り組む。2006年検事退官。2008年郷原総合法律事務所開設。2009年総務省顧問・コンプライアンス室長。2012年 関西大学特任教授。2017年横浜市コンプライアンス顧問。コンプライアンス関係、検察関係の著書多数。
私が「参議院広島再選挙」にこだわり続ける理由
前法務大臣の逮捕・起訴という前代未聞の事件となった河井克行・案里氏の公選法違反事件で、1億5000万円の選挙資金を河井夫妻側に提供した自民党本部が、案里氏の一審有罪判決を不控訴で確定して当選無効にして、参議院広島選挙区の再選挙に持ち込み、4月25日の一連の補選・再選挙での「1勝」を目論んでいると、今年2月頃報じられていた。
その時点で、私は、Yahoo!ニュース【参院広島選挙区再選挙、自民党は、広島県民を舐めてはならない】、日刊ゲンダイのコラム【案里氏が議員辞職で再選挙に 自民党は広島県民をなめるな】などで、徹底批判してきた。
自民党は、2019年参議院選挙で、「公認候補による多額の現金買収」という重大な選挙不祥事を起こし、その買収原資が、党本部からの巨額選挙資金である疑いがあるのに、何の検証も総括もしない。
しかも、その背景となった「広島県の地元政治家の体質や構造」を改めることなく、単に、過去の広島選挙区での与野党の圧倒的な票差からして、今回の再選挙でも勝てると見越して、公認候補者擁立に動き、自民党は、経産省の現職課長補佐の西田英範氏を、参院広島選挙区の再選挙の公認候補として擁立した。
このような自民党の動きに激しい憤りを覚えた私は、その自民党公認候補者の対立候補として立候補することも真剣に検討した。
結局、再選挙が、このままでは、公選法のルールに基づく「公正な選挙」となることが全く期待できないこと(【「ポスト河井案里」巡る参院広島再選挙は大混迷 「公正期待できぬ」郷原信郎元検事が不出馬!】)などを理由に、立候補しないこととしたが、その後、元フリーアナウンサーの宮口はる子氏が野党統一候補として立候補を表明。
これを受け、4月最初の週末(再選挙告示前の最後の週末)には、広島入りして、宮口氏を支援する市民団体の集会で応援演説をしたり、河井夫妻から現金を受け取った被買収者の刑事告発などを行っている「河井疑惑をただす会」の勉強会で講師を務めるなどしてきた。
私が、なぜ、ここまで広島にこだわるのか、それは、広島を、そして、広島県民を愚弄するような自民党のやり方が絶対に許せない、個人的な思い入れがあるからだ。
広島は、亡き父母が後半生を過ごした地であり、私も、小学生から中学生の時代、「カープファン少年」として広島市の西隣の五日市町(現在の佐伯区五日市町)で育った。(【「カープとは反権力。巨人という権力との戦いは続く!」郷原信郎弁護士が語るカープ愛】)
当時住んでいた中国電力の社宅の近所に、後に「ミスター赤ヘル」として活躍する山本浩二氏の実家があった。
五日市小学校の8年先輩の浩二氏が、廿日市高校のエース・四番打者として甲子園をめざす県大会に出場、浩二氏の母上は、道端で会う度に「また勝ったんですよ。明日も応援じゃ。」と嬉しそうに話していたと、母から聞いた。
五日市中学といえば、為末大氏とは、10年程前、「G1サミット」でお会いして、広島県出身者同士として話したことがある。
その為末氏が、五日市中学校の私の24年後輩に当たることは、最近、広島県関係者の経歴を見て知った。
為末氏とは、名刺交換し、お互いにメルマガを送信している。
アスリートとしてだけではなく、人間的に素晴らしい人だと思い、毎回、メルマガを読ませて頂いている。
高校は松江、大学は東京だったが、大学卒業後に就職した鉱山会社を1年半で退職したあと、2年間、両親のもとで独学で司法試験の受験勉強に取り組んだのは、両親が暮らしていた南区元宇品にある、広島港を見下ろすマンションの一室だった。
合格後の2年間、司法修習生として実務修習を送ったのも広島だ。
1990年代末には、広島地検特別刑事部の創設直後に部長を務め、広島県政界をめぐる不正事件の解明に取り組んだ。
そして、検事を退官し、弁護士登録した直後の2006年秋に表面化した中国電力の「土用ダムデータ改ざん問題」を契機に設置された、同社のアドバイザリーボードの委員長を務め、同社のコンプライアンスによる「企業再生プロジェクト」の中心を担った。
その頃から2017年まで、広島の企業関係者や弁護士を集めた、コンプライアンスに関する「みなとコンプライアンスフォーラム」と題するセミナーを、元宇品で行ってきた。
私にとって、広島は、出生地で高校時代を過ごした島根県の松江市以上に、思い入れの深い地だ。
それだけでなく、検事としての広島県政界をめぐる不正の捜査、そして、弁護士としてのコンプライアンスに関する活動に関して、私なりに足跡を残した地であるだけに、その広島での参議院再選挙に向けての自民党の対応には、特別の感情を持たざるを得ない。
1995年、東京地検から広島地検に異動になり、久々に広島で暮らすことなった私を迎え、両親が喜んだのもつかの間、母が末期の大腸がんとわかり、1年余り私と父が懸命に看病したが、亡くなった。
母は、広島市内の病院で大腸のポリープの切除を受けた後、極度の貧血となり、6回も大腸内視鏡検査を行っていたのに、癌が発見されなかったのである。
私が広島に転勤となって数か月後、母は激しい腹痛に襲われた。
手術を受けると、癌は腹膜にまで広がっており、末期だった。
内視鏡検査での見落としの医療過誤によるものであることは明らかだったが、癌が見落とされたたまま進行していた頃、私は、東京地検特捜部に所属していて休みは全くなく、広島の母を見舞うこともできなかった。
内視鏡検査をしていた医師は医師免許を取得したばかりの研修医だったが、「大腸内視鏡検査での癌発見には技術が必要で、研修医等にできることではない」というベテラン医師の話を聞いた時には、既に手遅れだった。
1997年1月に母が亡くなった直後、私は、当時発足して間もない広島地検特別刑事部の所属となった。
同部で私が取り組んだ中で最大の事件が、「海砂事件」だった。
当時、瀬戸内海でも、公共土木工事等に使用される海砂採取が行われていたが、広島県は、「閉鎖水域での海砂採取は、海洋汚染・環境破壊につながる」との指摘を受け、90年代初頭に、10年後に県内の海砂採取を全面禁止する方針を打ち出し、その採取期限が迫っていた。
期限延長を求める海砂船主会から複数の県議会議員にまとまった額の金品が渡っている事実をつかみ、政治資金規正法の事件としての立件をめざして捜査を行った。
しかし、当時、政治資金規正法違反の罰則適用に消極的だった法務省の方針もあって、強制捜査着手への地検幹部の了承が得られなかった。
当時の特別刑事部の陣容は、部長の下に検事1名、副検事1名。
広島地検内の他部や他地検からの応援検事を動員しなれば、地検独自で本格的な捜査に着手することは不可能だった。
捜査の発端は広島県警捜査2課が着手した海砂船主会長から海区調整委員会委員への「贈賄申込事件」だった。
広島地検と県警の合同捜査だったが、県警は、県議会議員の事件には消極的で全く動こうとしない。
結局、海砂船主会と広島県政界をめぐる事件の捜査の続行は断念せざるを得なかった。
こうした中で、中国新聞・RCC中国放送などの広島の地元マスコミは、瀬戸内海の環境を汚染させる海砂の違法採取問題と、海砂採取業者と県政界の癒着の問題を、連日大きく取り上げ、独自の調査報道を積極的に行っていた。
そもそもの問題は、海砂採取業者側が採取期限の延長をめざす活動を行ったことにあった。
捜査の中で、採取業者が、採取許可を大幅に超える違法採取を恒常的に行っていた事実をつかんだ。
当時、巡視艇の現認による違法採取事件の摘発を散発的に行っていたのが海上保安部だった。
私は、違法採取の情報を、広島海上保安部に提供し、会計書類を提出させて、海砂の採取量を確認し、県の採取許可量と照合する方法の「地上戦」で、砂利採取法違反の犯罪を摘発することを提案した。
違法採取の情報は、第7管区海上保安本部を通じて、呉・尾道・今治の各海上部に提供され、海上保安官が、「会計帳簿捜査」を行い、海砂採取業者が採取許可を大幅に上回る違法採取を恒常的に行っていたことが明らかになった。
海上保安部にとって巡視艇の現認によらない違法採取事件の摘発は初の事例だった。
「海の警察官」達は、慣れない会計帳簿の捜査を徹底して行い、広島県内の海砂採取業者が次々と摘発され、すべて砂利採取法違反で起訴されて採取許可を取り消され、全滅した。
これを受け、藤田雄山知事が、採取期限を前倒しして、県内の海砂採取全面禁止を宣言した。
そして、海砂採取禁止の動きは、その後、愛媛県・岡山県・山口県と瀬戸内海全域に拡大し、瀬戸内海での海砂採取はすべて禁止されることになった。
母が亡くなった後も、父は、元宇品のマンションで暮らしていた。
私は東京に異動になった後も、時折、広島に帰省し、父とともに、車でドライブに出かけることもあった。
開通した「しまなみ海道」を父と共に初めて車で通った時、
「この辺りの海は、昔は、海砂採取船が排出する泥水で汚れていたんだ」
と説明しながら、眼下に拡がる美しい瀬戸内海を眺めた。
若い頃、結核で片肺の大部分を失い、C型肝炎でもあった父は、殊の外、健康維持を心がけ、毎朝タオルで乾布摩擦をする「元気な老人」として、地元RCCのラジオ番組に出演したこともあった。
しかし、その父も、2001年春、私が長崎地検次席検事として赴任した際に、長崎で私の引っ越しの手伝いをして広島に帰った直後に、脳出血で急死した。
広島地検で最初に取り組んだ政治資金規正法等を活用した私の独自の検察捜査の取組みは、長崎地検での「自民党長崎県連事件」で結実することとなった。
自民党の公共工事からの政治資金収奪システムが解明され、国会での「政治とカネ」の議論の契機ともなった、長崎での戦いは、私にとって「父の弔い合戦」でもあった。
兄弟もいない私にとって、広島に残ったのは、父母が暮らした元宇品のマンションの一室と、広島市東区戸坂の禅昌寺にある両親の墓だけだった。
90年代末、創設直後の広島地検特別刑事部での私の仕事では、「県政界の浄化」は果たせなかった。
しかし、海砂事件捜査の結末は「瀬戸内海の浄化」につながった。
それから約20年が経ち、広島地検特別刑事部の後輩たちが取り組んだのが、2019年参院選広島選挙区での河井夫妻の公職選挙法違反事件だ。(『権力と戦う弁護士・郷原信郎の“長いものには巻かれない生き方”』2021年4月15日号より一部抜粋。続きは、2021年4月中にお試し購読スタートすると、4月分の全コンテンツを無料(0円)でお読みいただけます)
image by:河井克行公式Facebook
郷原信郎 この著者の記事一覧
1955年島根県松江市生まれ。1977年東京大学理学部卒業。鉱山会社に地質技術者として就職後、1年半で退職、独学で司法試験受験、25歳で合格。1983年検事任官。公正取引委員会事務局審査部付検事として独禁法運用強化の枠組み作りに取り組む。東京地検特捜部、長崎地検次席検事等を通して、独自の手法による政治、経済犯罪の検察捜査に取組む、法務省法務総合研究所研究官として企業犯罪の研究。2005年桐蔭横浜大学に派遣され法科大学院教授、この頃から、組織のコンプライアンス論、企業不祥事の研究に取り組む。同大学コンプライアンス研究センターを創設。2006年検事退官。2008年郷原総合法律事務所開設。2009年総務省顧問・コンプライアンス室長。2012年 関西大学特任教授。2017年横浜市コンプライアンス顧問。コンプライアンス関係、検察関係の著書多数。
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