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“裏街道一筋”だった森喜朗氏 誰が国際舞台に押し出したか 中村敦夫 末世を生きる辻説法
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/285427
2021/02/19 日刊ゲンダイ
辞任を表明した森喜朗氏(C)共同通信社
森喜朗内閣は2000年4月に誕生し、1年そこそこの短命で終わった。そもそも、内閣誕生のいきさつが怪しかった。
4月1日の夜、小渕首相(当時)が官邸で倒れたという噂が飛んだ。その後の首相関連の情報には、疑惑がつきまとう。
首相は救急車で入院したのに、青木官房長官は普通車で運ばれ、会話もできると発表した。医者の口も封じたので、断定できないが、4月2日には、脳梗塞による昏睡状態だったようだ。全体像が見えてきたのは4月3日になってからである。倒れてから30時間もの権力の空白があった。
この間、当時の自民党実力者5人(青木、野中広務、村上正邦、亀井静香、森喜朗)は、何をやっていたか? 次の首相や大臣をだれにするか、派閥の利権をどうするか等々、アフター小渕の利害調整に没頭していたのである。ドサクサ紛れに、党内選挙など形式上の手続きは省略できる。まさに、密室政治、談合政治の条件が充実していた。
この手法は今回の五輪組織委会長交代劇にも十分に発揮された。森は、不適切発言で在位が危うくなるや、自分の権力を守ってくれそうなサッカー界のドン・川淵に、極秘裏に後継を託した。
ところが、よほどうれしかったのか、川淵が自ら談合を公開し、この陰謀は一巻の終わりとなった。
日本の各界の実力者には、表通りを歩くボスもいれば、裏街道一筋でのし上がるタイプもいる。どちらかといえば、後者の方が多い。理念や計画を明確にして進むよりは裏取引、談合の人脈を利用する方がたやすい。昔の記事などで、森の人生を振り返る時、その流れがよくわかる。
森は、小学校を越境入学でクリアするが、早大進学はラグビー関係のコネを利用して強引に突破した。その後、人情と利権と脅しで人脈を広げ、裏口から首相官邸に入ってしまった。
お勉強は不得意だから、理念も思想もヘッタクレもない。
首相就任早々、「日本は天皇を中心とした神の国だ」と宣言して、世界中をびっくりさせた。一国の首相が、現行憲法の主権在民や政教分離を知らないとは!
大学のスポーツ部が、婦女暴行事件を起こした時、「若者は元気な方が良い」とコメントし、大ひんしゅくを買った。今回の女性蔑視発言の根源だ。追及すべきは、こんな男を誰が国際舞台に押し出したかということだ。
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