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(回答先: 秋篠宮文仁 僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 05 日 02:27:56)
皇籍復帰の最筆頭「賀陽家」とは? 有識者会議で示された「皇位継承順位系図」の中身とは
2022/02/04 05:57デイリー新潮
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-822357.html
皇籍復帰の最筆頭「賀陽家」とは? 有識者会議で示された「皇位継承順位系図」の中身とは
次代をお支えするには……
(デイリー新潮)
皇室のあり方を検討する「有識者会議」がまとめた報告書では、先々の皇族数確保の策として、戦後に皇籍離脱した旧皇族の男子を養子に迎える案が示された。本格的な議論はこれから始まるわけだが、現在、にわかに注目を集めている「名門」がある。その家とは……。
***
明治時代に創設され、戦後に「臣籍降下」しながらも、現在の当主は天皇陛下のご学友で、かつては紀宮さまの“お相手”にも擬せられていた――。そんな唯一無二の名門「賀陽(かや)家」が目下、関係者の間でがぜんクローズアップされている。
有識者会議は昨年末、最終報告を政府に提出したばかりである。
「報告は“女性皇族が結婚後も皇室にとどまる”“旧皇族の男系男子を養子に迎える”の2案を軸にまとめられました。女性・女系天皇の是非など、本来の議題である皇位継承策については先送りし、ひとまず皇族数の確保を優先した格好です」(皇室ジャーナリスト)
ここで言う「旧皇族」とは、1947年10月、GHQの意向を受けて皇籍離脱した11宮家51人を指す。以来75年、一般人として生活してきたその末裔には、2700年にわたって受け継がれてきた皇統の「Y染色体」を有する未婚の男性が少なからずいる。彼らを養子として迎え入れ、次代以降の皇族数を増やすとともに、皇位の安定的継承にも備えようというのが、案の趣旨である。
「先日のNHK世論調査では『旧皇族の男系男子を養子に迎える』案について賛成41%、反対37%と二分されました。旧皇族といっても、離脱された方々は現在の皇室とは男系で約600年の隔たりがある。子孫らは普通の暮らしを営み、文字通り世俗にまみれてきました。世間の実感としては“いきなり皇族を名乗られてもピンとこない”との思いもあるでしょう」(同)
GHQの意向で失われた仕組み
それでも、皇室制度に詳しい国士舘大学の百地章特任教授は、
「室町時代以降、皇統は4家の『世襲親王家』によって支えられてきました。天皇家に男系の血筋が途絶えた時はその家から天皇を出すという“血のリレー”を続けてきたのです。4家のうち伏見宮の家系だけが続き、それが離脱した11宮家の方々へと連なりました。GHQの意向で失われたこの仕組みが今回、再び日の目を見たのは画期的なことだと思います」
肝心の皇位継承権者は秋篠宮さまと悠仁さま、常陸宮さまのお三方しかおらず、
「将来、悠仁さまのご家庭に男子がお生まれになれば望ましいですが、万が一の際は、お支えする宮家がなくなってしまうおそれもある。すみやかに旧宮家の男系男子を皇室にお迎えし、その体制を整えていくことが重要だと思います」(同)
独身の若い男系男子がいる4家
もっとも現行の皇室典範では、皇室が養子を迎えることは禁じられている。
「明治に入って永世皇族制度が採用され、皇族が増えていく中、国の財政的見地から皇族数の増加を抑える必要が生じ、養子が禁止されてしまったという経緯があります。反対に現在は皇族数の減少が懸念されているのですから、例えば皇室典範と一体をなす『養子特例法』を作って迎え入れ、独立する際に新しい宮家を創設してもよいのではないでしょうか」(同)
実際に、離脱した旧宮家の中には「その時」に備えるかのように男系の血脈を受け継いでいる家庭も少なくない。冒頭の賀陽家は、まさにその筆頭なのである。先のジャーナリストが言う。
「11宮家のうち、現時点で独身の若い男系男子がいるのは賀陽家、久邇家、東久邇家、竹田家の4家。あわせて10人は下らないといいます」
なかでも6人の男系男子を擁する東久邇家は、2019年に亡くなった当主・信彦氏(掲載図の25番目)のご母堂が上皇さまの姉にあたるなど令和の皇室とも極めて近しく、皇籍復帰の“最有力候補”とも目されてきたのだが、
「実はこの4家のうち、現在の皇室に最も近い男系男子を擁するのは、賀陽家なのです」(同)
というのだ。
皇位継承順位系図
現に、昨年末まで開かれていた有識者会議において、事務局である内閣官房の皇室典範改正準備室が作成した資料には、離脱した11宮家もあわせた47年当時の「皇位継承順位系図」が示されている(掲載の図)。図では、賀陽宮家の当主だった賀陽恆憲氏(78年に77歳で死去)から連なる男子に、4家の中で最上位の順位がつけられているのだ。
今回の有識者会議でもヒアリングを受けた、皇室に詳しい麗澤大学の八木秀次教授は、
「特に意義があるのは、この図が現行の憲法および皇室典範のもとで定められた順位だという点です」
そう指摘する。日本国憲法は1946年11月、現・皇室典範は47年1月にそれぞれ公布されており、
「旧皇族は決して“過去の人たち”ではないということです。その上で図を見ると、皇籍離脱の時点で賀陽宮恆憲王の皇位継承順位は8番目。筆頭は明仁親王(上皇さま)で、6番目が寛仁親王でした。7番目は山階宮武彦王となっていますが、男子が生まれなかったため、賀陽宮に生まれた6人の男子が、長兄から順に9〜14番目まで皇位継承権を有していました。この順位は引き継がれるため、世代が移っても賀陽家の男子の皇位継承順は、他の旧宮家の男子よりも高いと考えられます」(同)
愛子さまのお婿さんになるようなことがあっても……
恆憲氏の6人の男子はいずれも物故者だが、注目すべきは三男の章憲氏(94年に65歳で没)の家系である。長男の正憲氏は現在62歳。学習院初等科から天皇陛下のご学友で、87年に陛下と雅子皇后が東宮御所(当時)でお会いになった時には「取り持ち役」も務めているのだ。前出のジャーナリストによれば正憲氏は、
「学習院大学法学部卒業後はメーカー勤務を経て英国に留学。帰国後は大手信託銀行に職を得たのち、宮内庁に転職しました。そのまま外務省に出向し、在デンマーク大使館1等書記官などを経て、現在も同省の儀典官室に職員として勤務しています」
とのことで、
「かつて正憲氏は紀宮さま(黒田清子さん)のお相手として名が挙がったこともありましたが、当時、写真週刊誌『FOCUS』の取材に“私には交際女性がいる”と、完全否定。現在は26歳と24歳になるご子息がおり、上のお子さんは学習院高等科から早大政経学部へ進みました。お家の格付け、また年齢的にも、こちらのお二人に期待が寄せられるのは自然なことだと思います」(同)
この兄弟と対面したことのある賀陽家の縁戚も、
「きちんとして見栄えもする坊ちゃんたちです。二人とも、もし皇室に入って愛子さまのお婿さんになるようなことがあっても、決して恥ずかしくない振る舞いが身に付いています」
などと、気の早いことを口にする。むろん今回の案は、あくまで既存の宮家への養子入りを基本としており、独身の内親王や女王方との縁組を想定しているわけではない。とはいえ、父に続いて息子たちも「プリンセスのお相手」に擬せられるとは、やはり名門の面目躍如といったところか。
「2番目の兄の孫に小学生の男の子が」
「皇籍離脱した当時の伏見宮さま(伏見博明氏)が最近、ご自身にまつわるオーラルヒストリーを出版されました。そこでは『天皇陛下に復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけない』と語っている。旧宮家の中には、やはりそうした想いを持つ方もいるのではないでしょうか」
とは、前出の百地氏。実際に、久邇宮家の血を引き、掲載の図で18番目に位置付けられている久邇朝宏氏に尋ねたところ、
「私は昭和19年の生まれで皇籍復帰にはご縁がないでしょうが、久邇家を見渡すと、2番目の兄の孫に小学生の男の子がいて、学習院に通っているはずです」
そう明かしながら、
「男系が後を継ぐというのは大いに結構で、それしかないと思っています。天皇家というのは、有力者が王様になってきたような欧州の王室とは異なり、大昔から続いている家系。その点からも、男系によって統制していくべきでしょう」
あらためて、前出の八木教授が言う。
「旧宮家のご当主の方にお聞きしたところ、現在4人ほど“必要があれば皇籍に復帰する”という覚悟を持っている若い男性がいるとのことです。そうした意思を自ら示すことはありませんが、ひとたび話があれば、引き受ける気持ちでいることでしょう。また年齢からして、賀陽家の男子お二方が愛子さまのお相手候補に入っているのも、間違いないところだと思います」
将来のお世継ぎたる悠仁さまはまだ15歳。とはいえ“備えあれば憂いなし”は金言に違いない。
「週刊新潮」2022年2月3日号 掲載
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-822357.html
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