キタキツネの観察と撮影を行っていた、獣医師の竹田津実が企画・動物監督。 素材映像の撮影に4年、その後、竹田津が飼育していたキタキツネの映像が撮影されて、製作された。2013年、公開35周年記念と銘打ってリニューアル版が上映された。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D%E7%89%A9%E8%AA%9E ▲△▽▼ キタキツネ物語 35周年リニューアル版 劇場公開日 2013年10月19日 厳しい自然の中を生き抜くキタキツネ一家の姿を描き、観客動員230万人の大ヒットとなったドキュメンタリードラマ「キタキツネ物語」(1978)を、製作・公開から35周年を記念してリニューアル。 北海道オホーツクの地に流氷に乗ってやってきたキタキツネのフリップは、愛する妻レイラと出会い、5匹の子どもに恵まれる。フラップは家族を守るため、襲い来る大自然の猛威や人間の脅威にも立ち向かっていく。 未公開部分を含めた約100時間におよぶフィルムを再編集し、最新の技術で高画質化。 声優陣も一新し、父フラップの声を佐藤隆太、妻レイラを平野綾、一家を見守る柏の木のナレーションを西田敏行が担当する。 http://eiga.com/movie/78512/ ▲△▽▼
キタキツネ物語 35周年リニューアル版に関するみんなの感想 赤羽 弘明 Akahane@1koto 8月26日
『キタキツネ物語 35周年リニューアル版』 小学校の頃、初めて観た映画。 音楽と共に懐かしさに浸れると思ったのがいけなかった。 再編集されて音楽も変わるとこんなに不快に感じることがあるのか。 懐かしさを期待して観ては絶対にいけない一本 神代TOUCH ME@BED_TIME_EYES 2013年11月4日
『キタキツネ物語 35周年リニューアル版音楽が最悪!町田義人のあの大名曲を外すのは大愚行。apricotの歌も不快。映画自体もボンヤリした出来。蔵原監督は後身を育てられずか。やっぱりアスミック配給は信用できねぇな。 僕等がいなかった@sa9237a 2013年10月23日
『キタキツネ物語 35周年リニューアル版』当時あんなに大ヒットしたのに、時代が変わるこれほどとつまらなくなってしまうものなのか。今となっては、キタキツネなんぞ珍しくもなく編集に騙されている感が。 祐吉@Yu_Luck 2013年10月13日
『キタキツネ物語 35周年リニューアル版』。映像を残したリメイク作品(と言っていい)。 もともとドキュメンタリーとして疑わしい作品けど、観客のイマジネーションを削ぐナレーション・台詞・歌にげんなり。自然の厳しさや残酷さは薄まった印象。 http://coco.to/movie/35129 ▲△▽▼ キタキツネ物語 (1978) 監督蔵原惟繕 2013年版は最悪、1978年版は素晴らしい mvz***** さん 2013年10月22日 20時27分 2013年版観たあと、再度、見ましたが
音声、音楽、ストーリー構成、 説得力ありました。 野生種と人間、家畜、 野生動物の生存競争を 柏の木、唄や音楽で表現しています。 2013年版はバラエティー番組ですよね。 監督がソフトバンクのCMで白い犬が喋るんだから、 キタキツネを喋らせようと煩くて、酷すぎなセリフ。 全てのシーンは1978年版オリジナルが勝ります。 2013年版で満足している方々、 1978年版観れば、2013年版の改悪がわかります。 http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D%E7%89%A9%E8%AA%9E/146374/review/2013%E5%B9%B4%E7%89%88%E3%81%AF%E6%9C%80%E6%82%AA%E3%80%811978%E5%B9%B4%E7%89%88%E3%81%AF%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84/8/?c=2&sort=lrf ▲△▽▼
小宮郁生@yamicoke 2013.10.14 18:47 「キタキツネ物語 リニューアル版」 残酷なシーンをごっそりカットしてすっかりマイルド化。 5匹の子宝に恵まれたのに、長男を遺して全滅…という凄絶さがキモだったはず。 子別れの儀式からラストシーンまでほぼ直結。 ここまで変えて「動物に危害は加えていません」なんて欺瞞以外の何者でもないよ! http://matome.naver.jp/odai/2138175073489073401 ▲△▽▼ ▲△▽▼ 竹田津 実(獣医師・写真家・エッセイスト) 『キタキツネとの半世紀』 https://www.youtube.com/watch?v=pNwRKuaxHkQ
竹田津 実 大分に育った「虫が大好き」少年は、動物園の園長になろうと決めて岐阜の大学で 獣医学を学びます。実際に進んだ道は、牛や馬など「産業動物」を扱う獣医師。 「まだ観ていない動物がいちばん多い」北海道へ赴任し、以来その地で半世紀を すごしてきました。家畜診療所勤務のかたわら、傷ついた野生動物のめんどうをみ、自然の再生・創成をめざす運動に参加し、傷んだ土壌の回復に力をつくし......と、行動するナチュラリストとして歩んできた年月の中で、一貫して続けたのがキタキツネの観察でした。多くの個体を自然の中で観察し、自宅で入院治療をほどこし、出産・育児を間近で補助し記録するなど、長期にわたるキツネとの関わりはじつに多面的です。 トーハチ、セン、メンコ、ヘレン......と名前のついたキツネたちの個性もいろいろ。その長いつきあいを振り返って、竹田津さんは言います―― 「キツネを観ればヒトが見える!」と。 さて、そのこころは!? 「キツネについてのわたしの卒論」=『キタキツネの十二か月』を刊行した竹田津さんの、興味のつきない"キツネ話"を聞きましょう! 【講師紹介】
竹田津 実(たけたづ・みのる) 1937年、大分県生まれ。獣医師。 1963年より北海道東部の小清水町農業共済組合家畜診療所勤務。 1965年以来、小清水町においてキタキツネの生態調査を続ける。 1972年、傷ついた野生動物の保護・治療・リハビリ作業を始め、 1979年からはナショナル・トラスト「オホーツクの村」建設運動に参加。 2008年、北海道文化賞を受賞。 映画『キタキツネ物語』企画・動物監督。 著書『子ぎつねヘレンがのこしたもの』(偕成社)が『子ぎつねヘレン』として映画化される。 『えぞ王国 写真北海道動物記』(新潮社)、『オホーツクの十二か月』(福音館書店/第54回産経児童出版文化賞JR賞および第2回福田清人賞受賞)、『野生からの伝言』(集英社)、『どうぶつさいばん ライオンのしごと』(文/偕成社)、「シリーズ・北国からの動物記」(アリス館)ほか、写真集・エッセイ・絵本のテキストに多数の仕事がある。 2004年より、北海道中央部の東川町に在住。 https://www.youtube.com/watch?v=pNwRKuaxHkQ ▲△▽▼
キタキツネ飼育日記 (ちくま文庫) 竹田津実 http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/448002638X/ref=tmm_pap_used_olp_sr?ie=UTF8&condition=used&qid=&sr=
竹田津先生・・・キタキツネ好きの間では、有名な方なのではないでしょうか!
あの!映画「キタキツネ物語」の企画、動物監督さんとして、あまりに有名なのですが、実は獣医さんなんですね。しかも、写真家でエッセイストという、何足のわらじを履いてらっしゃるのか^^;(笑)。 この本の表紙の可愛い女の子は、竹田津先生の1番下の娘さんのこるりちゃんです♪ そして抱いているのは、オスギツネの「フロク」ちゃんです。 養狐場(毛皮にするためにキツネを飼っているところT_T;)から、母親が興奮して他の兄弟たちを噛み殺してしまい、たった1匹生き残った「フロク」ちゃんだけが、先生のお宅にやってきました。 その飼育係りを言い出したのが、娘さんのこるりちゃんだったわけです。 シーズンを通しての、1人と1匹の微笑ましい交流の模様が、写真集の中にあふれています♪ ああ、家の中を子ギツネが数匹、ウロウロウロ・・・考えただけで、かっ可愛い〜〜♪♪ (大変でしょうけど^^;) そして、何を隠そうこの「フロク」ちゃんこそ、映画「キタキツネ物語」にて、野生のキツネの身替わりで出演していたキタキツネなのです!! 立派なスタント、いえいえ主演キツネくんなのです!! 6才で亡くなるまで、竹田津先生宅で幸せに暮らした「フロク」ちゃんの一生が描かれています。 この本は、続編があるのですが、まだゲットしていませんT_T;!いつの日か、きっと!! http://home.catv.ne.jp/kk/gen/book14.htm ▲△▽▼
北海道新聞 (夕刊) 1999年(平成11年)9月24日(金曜日) 今日も狐日和 − 竹田津 実 −
このシーズンも又、自分が自由にできる時間のほとんどをキツネに使ってしまった。キツネを追い始めて35年がとっくに過ぎようとするのに、なんという体たらくと、相手のいいなりになる我身に、ほんの少し腹を立てている。いつの頃(ころ)からか私はキツネにうまく使われていると思うようになっていた。 観察を始めてからの数年間、キツネはひたすら私の視界の中には登場するもんかという意志を示し続けた。 やっと見つけた観察には最良の場所に住む家族は今日から本格的にと考えたその朝、さっさと引越しをしてしまったし、冬から時々餌(えさ)をあたえてきげんをとっていた雌個体は子供を生んだ直後に交通事故であっさりあの世とやらに行ってしまった。 そこでとうとうある年、もう今年はキツネを観察(み)るのはやめようと決めた。その直後、「先生、よくなれたキツネがいますよ」とお百姓さんのSさんから電話。 出かけてみると、この雌個体はなんと玄関だけではなく奥座敷までみてくれと言ったのである。私はわずか半年でキツネのほとんどをみせてもらったと思った程である。でもそれで終わり。それから数年、キツネたちは・・・ハイ、ここまでヨ−、とばかりそれ以上の世界はみせてくれなかった。 そうなると全てに飽きっぽい私は、「これまでだナ−、そろそろ別な種をのぞくか」と思ってしまう。 ところが敵はその時を待ってましたとばかり「こんな生き方のキツネもいます」と、一夫多妻の一家を目の前に登場させたのである。 「へえ−、こりゃ面白い」などと喜んで数年たつと、それも見慣れた風景となり、ついつい隣の芝生が気になり始める。 するとまた、また待ってましたとばかり、今度はヘルパー軍団を登場させるという作戦をキツネ達はとったのであった。 かくしていつの間にかというより、とうとう35年も付き合わされているのである。 ・・・で君はここ数年何をやっている、と聞かれると、「死をみつめている」と答えることにしている。 数年前、東京で「キツネを追って30年」という写真展をやった。友人達が集まって小さな・・・というより私にとってはとても大きなパーティーをやってもらった。そしてこれもよくある話だが、いろんな人々から「ごくろうさん」といった意味の挨拶(あいさつ)をいただいた。その中に、 「まさか次は40年・・・というのをやるつもりじゃあないだろうな・・・」 といったものがあった。むろん、私自身もう十分という気持ちであったし、何度かの浮気でキツネたちにもその都度登場させる駒(こま)が不足気味だということを感じていたので「・・・もう終わりです。次はカラスをやります」と宣言した程だった。 ところがそれを聞きつけた敵が最初の切り札ともいうべきものを用意したのである。 昔からよく使われる「死んでやる」というのをキツネたちが演じ始めたのだった。それも誰か代表を送り込んでみせるのではない。全員が出演者になろうとしているように見えるのである。 普通、交通事故は別にして、私たちは野生動物の死をみる機会は少ない。なのにここ数年、多くの地で「キツネが死んでいます」という報告、それも道路ではなく多くが倉庫や牛舎、豚舎の中で発見されている。 ほとんどの個体が体毛はボロボロとなり、皮膚は厚いカサブタでおおわれ、顔は変形し、「お化けみたい」な姿で死んでいる。 疥癬(かいせん)病。ヒゼンダニの一種が原因の寄生虫病だ。ダニが皮膚の中を食い進み、トンネルを全身に造るという、キツネにとってはすさまじい症状を呈する重い疾患なのである。 トンネル状になった皮膚は当然のことながら毛がぬけ、細菌の感染を受けて衰弱・・・やがて死へとつながってゆく。死体が牛舎や豚舎で発見されることが多いのは脱毛したために暖かい場所を求めてたどりついた所なのだ。 原因が人間のほんの小さな行動、それもやさしさからだと分かって私たちは息をのんでいる。 キツネが道端に出てくる。「やあ、かわいい」と誰かがつぶやき、車を止める。相手はじっとこちらを見つめている。何かないかなとポケットをさぐる。バッグの中には・・・。 「あった、あった。これをあげよう」といって窓からパッとなげた。キツネが近づき、うまそうではないが食べる。車の中の人は「うん、今日はいいことをした」と幸せな気持ちになってアクセルをふかせる。唯(ただ)それだけの話。 だが彼等の死の多くの原因がここにあった。 与えたものが多くはスナック菓子であったことである。キツネは肉食動物。肉食動物にとってスナック菓子の甘さは適度な下剤となる。毎日下剤を与えられた動物がいかなる運命をたどるか。答えは明白であった。 自己の免疫が低下し、結果として体は寄生した虫たちの天下となるのである。まず観光地のキツネたちが消えた。そしてそれはジワジワと周辺に広がっている。 食べられる。だが食べ物ではない・・・物を与えられた生命の行く末を「お前はちゃんと見ろ!!」と彼等は私にいっている。「それはやがてお前さんたちもたどる道ではないのかね」と言いたげでもある。 35年間みつづけた私のフィールドのキツネの数は今年四分の一になってしまった。 (たけたづ・みのる = 獣医師、網走管内小清水町在住) http://www.sip.or.jp/~tohro/kitune.htm
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森の診療所の獣医・竹田津実さん 「限りなく犯罪に近い、言われなくなってほっとしている」 2013/03/06 http://bigissue-online.jp/2013/03/06/taketazu-san/ 野生の患者は、野生からの伝言者。選ばれて、自然の今を伝えに来る
“北海道東川町に森の診療所を開く竹田津実さん。 30年間、傷ついた野生動物の保護、治療、リハビリに無償で取り組んできた。そんな竹田津さんが綴る、野生動物と巡り合う日々。 野生動物は無主物。その診療は犯罪行為! 野生たちの診療を始めて30年が過ぎた。バカなことである。やっとここ7〜8年は犯罪者扱いされなくなったが、それ以前は立派な法律違反者としてお上ににらまれていた。 野生動物は無主物。誰のものでもありませんと法は定めている。ところが「……ならば私が」とカスミ網やワナなどを仕掛けとらえて焼き鳥なんぞにされたらたまらんと、国家は数種の法をかぶせた。捕ってはなりません。当然飼うこともいけませんと明記した。 そこで道端で苦しむ野生を見て助けなくてはと思わず手を出した人……多くは子供か老人と呼ばれる人たちである……がいたらどうなるか。立派な法律違反者となったのである。 「あの先生のところへ……」と考えて走る。すると当然あの先生も犯罪者の仲間入り。 かくして心優しき子供やお年寄りは咎人となり、心ならずも受けた獣医師もその仲間入りを果す。 そのうえ……これを特に言いたい……獣医師は貧乏となる。 無主物である野生の生き物はお金を持って来ない。かわいそうだと思わず手を出した人たちには診療費、入院費の支払いの義務がない。当たり前である。もしお金を支払うとその患者はあなたのものですかと問われる。そうですとは言えない。言えば、私は立派な犯罪者であると自白しているようなもの。誰ひとりお金は支払わないのである。 ついでに言うと、傷つき病んで苦しんでいる生き物たちを見ても、見て見ぬふりをし、知らん顔を決め込む者たちをこの国では良しとしている。正常と言っている。なんだか気味が悪い。 先生、それって殺すことではないですか?
以上が、野生動物の診療所を取り巻く現状であった。
これが7〜8年前から少しずつ変わった。なぜか知らない。なにはともあれ現場を見て「限りなく犯罪に近い」と言われなくなってほっとしている。 30年前、二人の少年がやって来た。抱えたダンボールの中にはトビがいた。「飛べません。かわいそうです。治してやってください」と言った。 「家畜以外は診ませんよ」と言ってみたが、半分泣き顔になっている兄弟……二人は兄弟であった……には帰ってくれとは言えない。そこで理由探しをした。幸い(?)当のトビは検査の結果、翼の骨の一部が欠損していることがわかった。これなら十分な理由になった。 そこでレントゲン写真を見せて説明をする。すると「どうしましょう」とつぶやく。そこで技術者としていかにもまっとうな理由(安楽死)を口にした。これがまずかった。「安楽死とはなんですか」と聞くので説明するに、兄弟は少し考えて「先生、それって殺すことではないですか」ときた。 これは少し困った。獣医師は生き物を助けるためにあるもの……といった世間の常識に背を向けるわけにはいくまいと身構えて見せたが、うまい答えが登場しない。ぶつぶつ言った挙句、「まあそんなことだな」と予定外の台詞が飛び出してしまったのである。一瞬間があって「ワー」という兄弟の泣き声に、私はただただ立ちすくんだのである。 ともかく帰ってもらおうという作戦。「なんとかしよう。ともかく今日は帰りなさい」と説得する。「ナントカシマショウ」を連発。帰ってしまえばこっちのもの。「安楽死を選択しよう」と決めていたのである。 ところが敵(?)もさる者。当方の魂胆を見抜く。そして言ったセリフ。「明日も来てみます」ときた。来られたらアウト。ともかくトビの命は1日伸びることになった。 次の日、兄弟はやって来た。肉片を持ってきて「ピーコ、ほれ、おいしいよ」と言いながら餌を食べさせ帰っていった。「明日も来てみます」という言葉を残して。 それが1週間も続くと私ももう技術者としての一つの作業をあきらめていた。 トビと兄弟と獣医師の妙な関係は、その後半年間も続く。結局トビの死という現実が登場するまで。 兄弟は別れを納得し、獣医師は兄弟の気持ちに寄り添うことを学ぶ。そんな技術屋が一人くらいいてもいいのかなとつぶやきながら。 どうして診療所に来た?今日も探す野生の企み
それから数年たった年の5月。 我が家の玄関は大騒ぎとなっていた。次々と患者がやって来た。本来であれば喜ばしいことだが、野生動物の診療所としては逆である。 お金を払わないものたちが押し寄せると、当然のことながら貧乏になり、やがて倒産の憂き目にあう。 そのときもこれは間違いなく夜逃げを考えなくては……といった繁盛ぶりとなった。 患者は小型の渡り鳥、コムクドリである。次々とやって来た。2羽、5羽、はては7羽も一つのダンボールで運ばれて来る軍団もあった。病状は中毒病、明らかに農薬の集団中毒であった。散布された農薬に苦しむ虫たちを腹いっぱい食べた鳥たちが二次被害にかかったということだろう。ともかくにも大騒動を強いて、あげく9割が死んで終わった。 おびただしい死骸を目の当たりにして、彼らがなぜ我が家の玄関の戸をたたいたのかを考えてみることにした。豊かだ豊かだといわれる北の大地が予想以上に農薬に汚染されている現実にたどり着く。 それに対するささやかではあるが多くのお百姓さんの参加する作業がこのことをきっかけに始まったのである。 以来、私は私の診療台の上に横たわる野生の患者が「どうしてここに来たのか」という理由を聞くことにしている。しつこく、詳細に。
いつの間にか、患者たちは自然の今を伝えるためにやって来たに違いないと思うようになっている。しかも選ばれて来るような気がする。草原の草のかげや森の奥深くで彼らはときどき会議を開き、今度はこの問題について誰を送り出そうかなんて企らんでいるように思えるのである。野生からの伝言者として。 馬鹿みたいな作業が続いている。そのバカみたいな作業の中に隠された野性の企みを私は今日も探そうとしている。 http://bigissue-online.jp/2013/03/06/taketazu-san/ ▲△▽▼
映画原作 『子ぎつねヘレンがのこしたもの』 著者:竹田津 実 発行:偕成社 価格:735円(税込) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4035509507/qid=1136942763/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl 道路わきで保護され、獣医の竹田津先生のところへつれてこられたキタキツネの子ヘレンは、目が見えず、耳も聞こえないようだ。 しかし、先生夫妻の懸命な介護で、ヘレンは初めて母ぎつねを呼ぶ声を発し……。 小さいけれどかけがえのない命の重さをつづる感動のノンフィクション。
初めてつれてこられた子ぎつね 初めてつれてこられた子ぎつねは体重1020グラム、生後30日くらいの雌。呼吸数、体温、脈拍数いずれも異常はなかったが、視覚、聴覚、そして嗅覚までもが失われていた。三重苦の偉人ヘレン・ケラーにちなみ、子ぎつねはヘレンと名づけられた。 入院のための全身シャンプー ゴシゴシ、ジャブジャブ洗われても、ヘレンはあまりいやがらなかった。 シャンプー後はドライヤーで体を乾かす。このときもヘレンはじっとしたまま。 入院患者のキツネのメンコ、先生夫妻と一緒にピクニックにきたヘレン 海岸にはエゾエンゴサクが咲き始めていた。 ピクニック先で、竹田津先生に抱かれる子ぎつねヘレン。気持ちよさそうに眠っている。
▲△▽▼ 「ばかなことだけどいいな」と思えることが、実は子どもには大切 ……映画『子ぎつねヘレン』原作者 竹田津実さん https://www.manabinoba.com/index.cfm/6,7023,12,html
獣医として長年、野生動物の保護、治療に取り組んできた竹田津実さん。 野生動物との付き合いを通して人間の子どもを見ることで、人間世界の教育のおかしさが浮かび上がってくる。
獣医として長年、野生動物の保護、治療に取り組んできた竹田津実さん。野生動物との付き合いを通して人間の子どもを見ることで、人間世界の教育のおかしさが浮かび上がってくる。人間的になるとは、動物として不自然になることなのか? 親も教師も、人間は動物である、という前提に立ち返って考え直す必要があるのかもしれない。 インタビュアー 高篠栄子 (学びの場.com編集長)
野生動物のための診療所を始めるまで
----まず、竹田津さんの子ども時代のことからお聞かせ願いますか? 僕が育ったところはとにかく田舎で、いつも親から「家の外で遊ぶように」といわれました。たぶん私の世代は、「勉強しろ」と言われなかった最後の世代だと思います。それに今のようにパソコンやインターネットもなく、情報量が少なかったのも幸せだった。 高校を卒業して就職しましたが、体をこわして辞めなければなりませんでした。そして、大学に入ろうと思ったわけです。それで専攻を選ぶ際に、小さいとき動物園の園長になりたかったことを思い出して獣医学科を選びました。情報がなかったので、獣医になれば動物園の園長になれると思っていたわけです。でも、大学に入ってすぐに、獣医になるだけでは園長になれないことがわかりました。せっかく入学したのにいきなり夢が敗れてしまった。 大学時代は、カナダのアルバータ州へ行って獣医をしたかったんですが、その話がダメになって、北海道でウシとウマを診る診療所に就職しました。その診療所で、結局28年働きました。
当時はウシ一頭一頭すべてに愛称が付いていました。それが1960年代になると、ウシに愛称を付けなくなりました。そのころからウシを生き物として見るのではなく、ミルクを出す機械として見るようになったのだと思います。 そういう流れが空しくなって、ならばとその対極に位置する野生動物のための診療所を始め、今に至ります。 野生動物を診る、ということは、飼い主がいないわけですから、診療費がもらえない。だから『アニマ』などの雑誌に原稿を書き、写真を載せてもらって収入を得ていました。 うっとうしいもの、きたないものを閉じこめている
----最近、学校でも凶悪な事件が起き、子どもたちが「命」を軽んじている、とよく言われます。 それは当然だと思います。昔は、人が家で死ぬのはあたりまえだった。でも、最近では家庭で「死」を見ることはほとんどありません。だから今は、「命」というのは単なる言葉でしかない。 「死」というものは決して美しいものではありません。現代は、だれでもが「うっとうしいもの」、「きたないもの」から目を背け、どこかに閉じ込めたがっています。こういう時代にあっては、命について論議をするのは空しくなってきます。 たとえば学校で動物を飼おう、という場合、育てるのがなるべく簡単な動物を選ぶ傾向があります。つまり、その時点ですでにある種の「選択」がなされているわけです。
「命」や「生命」について本当に論議しようと思うなら、都市にどれだけ「うっとうしいもの」「きたないもの」「不合理なもの」を取り込んでいくか、そういう哲学が必要だと思います。 ----野生動物とずっと付き合ってこられて、どんなことが見えてきましたか? 僕もよく「人間と同じように対等に動物とも付き合う」とも言いますが、僕なんかもやはり動物を上から見ていることが多いと思います。「……してやっている」という態度が出てしまうから、動物もなかなか気を許しません。 うちの4人目の子どもは、幼稚園に行かせませんでした。それで、娘は友達がいないのでうちで入院している動物を友だととして、まったく対等に付き合って育ちました。そうすると、本当に動物と対等になれるんですね。 たとえば僕なんか酔っぱらってキツネのしっぽを踏んでしまうことがあります。するとキツネは怒って噛みついてきます。そんなとき、僕は「あっ、悪かった、悪かった」とキツネに謝ってしまいます。
娘がどうするか見ていると、キツネに噛みつき返しています(笑)。 そうすると、すごくキツネは喜ぶ。嫌なことは嫌、嬉しいことは嬉しい、とお互い意思表示をして、兄弟のような関係になるからです。でも、それは子どもだからできることであって、大人になると、動物と対等に付き合うのは難しいかもしれません。
発せられた「信号」に応えれば十分 ----竹田津さんご自身は、どのようにお子さんたちを育てられましたか? 僕がどんなふうに子どもを育ててきたか考えてみると、動物に対するのと同じだったと思います。つまり、子どもからある信号が発せられると、それを受け取って応える、ということです。それを延々とやってきただけだと思います。「助けて」という信号を受け取ったら、助けてやる。僕はそれで十分だと思います。それを通じて、子どもはどんな信号を発したら親がどんなことをしてくれるか理解していきます。 信号、といっても言葉ではありません。口で言ってうまくいくなら口で言いますよ。
人間というのはおかしなもので、口で言えばうまくいくと誤解している。 「話せばわかる」なんて完全な誤解です。 「話せばわかったような振りをする」が本当です。 言葉だけでお互いにわかり合うことはできません。 たとえば、「助けて」という信号は、誰でも受け取ることができます。 でも、実際に「助けて」という信号を発している動物を私のところに連れてくるのは、小学校4年生までの子どもと、60歳以上のご老人です。小学校5年生以上になると、「助けて」という信号を受け取っても、「見て見ぬ振り」ができるようになるからです。
小学校4年生までは「見て見ぬ振り」ができない。「見て見ぬ振り」ができるようになったのは、大人になった、人間的になった、ということでしょうか? そうやって考えてみると、「見て見ぬ振りができる」大人たちがつくる社会が、「優しい社会」「豊かな社会」であるはずかない。 子どもたちは、本当に自由になったことがない ----最近の子どもたちを見て、特に感じられることはどんなことですか? 僕のところで子どもたちを預かることがあるんですが、最初に
「ここでは親がやってはいけないということ、先生がやってはいけないということをなんでもやっていい。ただ、死ぬことだけはダメ」 といいます。そういうと、だいたいの子どもは30分か1時間ぐらい立ちすくみます。 だから「指示されることがなにひとつない自由」は恐怖以外のなにものでもないんです。こんな子どもたちが増えて、本当の教育が成り立っているとは、僕には思えません。 ----今の子どもは小さい時から受験勉強をさせられたり、毎日習い事で忙しかったり、自分で自由に考えて行動することが少なくなっているからなのでしょうか。
そういうことが好きなのは大人であって、子どもはそうではありません。子どもの時代は子どもらしく過ごしてもらいたいと思います。小さい頃から、「そんなこと必要ないじゃないか」というものがたくさんあります。 そんなことより、猫を一匹愛して、猫の死に立ち会ったほうがずっといいですよ。
今まで生きていたものが息をしなくなって、だんだん体温が落ちていくのを実際に立ち会うと、100人の子ども100人がかならず大泣きします。あの大泣きはいいですね。 そういう、自分の心の底から大泣きするような経験が少なくなっているのでしょうか。そうではなくて、こういう泣き方をすればお母さんが何かしてくれるんじゃないか、と予定しながら泣く泣き方がどんどん増えてきているんじゃないでしょうか。 「ばかなことだけど、いいな」と思ってもらえたら インタビューを終えた高篠編集長と竹田津先生 たくさんの命を見守ってきた竹田津先生の瞳は、眼鏡の奥でとても優しく微笑んでいました。 ----これから映画をご覧になる方に、何かメッセージがありますか?
映画の脚本は本とは違いますし、俳優が演じると我々とはまた違うわけですけれど、どうしてあんなばかなことやっているんだろう、と思っていただければありがたいですね。
ばかなこと、というのは、子どもたちにとっても必要なことなんです。 僕の書いた本が売れたということは、「ばかなことだけどいいな」と思ってくれた人がいたんだと思います。 いつも起承転結があって、正しいことをすると正しい結果が出る、そうではない世界ってたくさんあるじゃないですか。そういう世界についてみんなが共感を持ってくれたらいいと思います。 (聞き手:高篠栄子/構成・文:堀内一秀/PHOTO:言美 歩) https://www.manabinoba.com/index.cfm/6,7023,12,html ▲△▽▼ 子ぎつねヘレン 動画 http://www.dailymotion.com/video/xqi7gg_helen-the-baby-fox-2006-part-1_fun http://www.dailymotion.com/video/xqi7hs_helen-the-baby-fox-2006-part-2_fun http://www.dailymotion.com/video/xqi7i9_helen-the-baby-fox-2006-part-3_fun http://www.dailymotion.com/video/xqi7jn_helen-the-baby-fox-2006-part-4_fun http://www.dailymotion.com/video/xqi7lw_helen-the-baby-fox-2006-part-5_fun
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