MISIA(ミーシャ、1978年7月7日 - )は、日本の女性歌手。長崎県出身[3][4]。本名非公開。所属事務所はリズメディア。所属レーベルはSME傘下のアリオラジャパン。血液型はO型。 「MISIA」というアーティスト名の由来は、「ASIAの方々にも音楽を届けたい」という想いから[5]。
5オクターヴの音域を持つ、日本のみならずアジアを代表する歌手[3][6][7][8]。日本における女性R&Bブームの火つけ役的存在で、本格派R&Bのメイン・ストリーム化に大いに貢献した[9]。またJ-POPの枠にとらわれることなく、日本にクラブカルチャーを根付かせると同時に、世界基準のサウンド・クオリティとポピュラリティの両立を果たした[3]。ライヴにおいてもコンピュータを駆使した大規模なツアーでは斬新な演出の中心となり、楽器の生演奏のみのコンサートではエンターテイナーに徹し、最新のグルーヴを探究するライヴでは超一流ミュージシャンとのセッションを楽しむなど、常にトップ・アーティストであり続けている[3]。 1999年から始まった「THE TOUR OF MISIA」とタイトルされたライブシリーズは、デビュー当時に考えていた"アンダーグラウンドのカルチャーをメジャーに"というコンセプトを形にしたものだった[2][10]。音楽バンドにDJを交えて構築されたサウンドとダンサーやドラァグクイーンが登場するステージというスタイルでR&BもソウルもJ-POPも表現するライブは、当時のメジャーシーンでは誰もやっていなかった画期的なものであった[2][10]。しかしデビュー20周年となる2018年を目前に、すでに当初の目標は達成されたとしてその看板を下ろし、「THE SUPER TOUR OF MISIA」というタイトルで新たなコンセプトのツアーをスタートさせた[2][10]。 セクシャルマイノリティへの差別・偏見を少しでも減らす社会を目指したい、という考えを持っており、前述のステージにドラァグクイーン等を起用する姿勢もその表れである。2019年の第70回NHK紅白歌合戦では多数のLGBTアーティストをバックにレインボーフラッグを掲げてパフォーマンスを行った(後述)[11][12]。 社会貢献活動や慈善活動にも積極的で、特に子供の教育支援に尽力している[3][13]。2008年からアフリカ・ケニアの子供たちをサポートすべく教育支援活動を開始[13]。また世界中の子どもの教育支援を目的とした非営利団体・Child AFRICAを立ち上げる[13]。2010年には国際連合から生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)名誉大使、2012年にはJICA国際協力機構からTICAD V(第5回アフリカ開発会議)のオフィシャルサポーター、2013年には日本の外務省から第5回アフリカ開発会議の名誉大使に任命された[13]。それらの功績が認められ、2018年には「環境保護」「社会貢献」「非戦・平和関連」など、市民目線で豊かな未来へとつながる活動に取り組んだ個人や団体に贈られる「第3回 澄和Futurist賞」を受賞した[13]。 来歴 幼少期を長崎県の対馬で過ごす。家族全員が医者という家系[注釈 1]で、医者である父の「離島に新しい医療を届けたいという」という思いを受けて家族で移住し、自然豊かな環境でのびのびと育てられた[14][15]。そこで教会のゴスペルに触れ、幼い頃から音楽に親しんでいた[14][16]。福岡県立香住丘高等学校に進学後、黒人のボイストレーナーに師事。歌手になるため、いろいろなオーディションに応募したりレコード会社に書類を送ったりしていた[14][15]。 1998年、シングル『つつみ込むように…』でBMG JAPAN[注釈 2]よりデビュー。全国のクラブ・シーンを中心に草の根的に盛り上がっていった[9]。先行発売されたアナログ盤5000枚は即完売し、間もなくアナログ市場で高値で取引された。デビューアルバム『Mother Father Brother Sister』は250万枚を超えるメガ・セールスを記録[9]。 1999年、初のホール&アリーナ・ツアー「THE TOUR OF MISIA」を開催。 2000年、テレビドラマ『やまとなでしこ』(フジテレビ系)主題歌の「Everything」が出荷ベースで200万枚を突破した。 2001年、初のセルフプロデュース・アルバム『MARVELOUS』をリリース。 2002年、レコード会社をアリスタジャパン[注釈 3]から所属事務所が設立した新レーベルRhythmedia Tribe[注釈 4]に移籍。 2004年、女性ソロ・アーティストとして日本初の5大ドームツアー完全制覇を達成[6]。 2005年3月31日、『愛・地球博』にアメリカの歌手エリカ・バドゥと出演[6]。同年、ほっとけない 世界のまずしさキャンペーンに参加。 2007年、レコード会社をBMG JAPANへ移籍(事実上の復帰)する事が発表された。4月にケニアのナイロビ最大の貧民街キベラ・スラムを訪問。同年9月29日、台湾の台北県立新荘体育館で初となる海外ライヴ「MISIA ASIA LIVE 2007“以心伝心”In Taipei」を開催、約7,000人の観客を動員する[17]。 2008年5月26・27日に、ミレニアム開発目標について紹介するライブイベント「Africa Benefit Live Yokohama」に参加。10月に、世界中の子どもの教育支援を目的の非営利団体‘Child AFRICA’(チャイルド・アフリカ)を立ち上げた。11月に、マラウイのデッザの農村、ナミテテのNGO、ミトゥンドゥの一村一品運動(JICA支援)の現場などの他、再びケニアのキベラ・スラムを訪問。同年、日本をはじめ、台湾、上海、シンガポール、ソウル、香港の5都市の海外5都市を含む全13都市/24公演のアジアでのアリーナツアー「THE TOUR OF MISIA DISCOTHIQUE ASIA」を開催、約25万人を動員した[6][18]。メジャーリーガーであるイチロー選手が、2008年シーズンの打席に入る際の登場曲として、石川さゆりの「天城越え」とともに、MISIAの「以心伝心」と「Royal Chocolate Flush」を選んだ。 2009年から2010年にかけてロングツアー「星空のライヴV Just Ballade」を開催。デビューからの累計で250万人以上の観客動員を記録する[6]。 2010年3月2日、国際連合より生物多様性条約第10回締約国会議名誉大使に任命される。同年5月21日、音楽とアートが持つメッセージパワーを活かし、世界をよりよくデザインするため、この年に設立された一般財団法人mudef理事に就任。同年5月31日に2010年南アフリカ大会の開催を記念して全世界(36か国)にてリリースされたFIFAワールドカップ公式アルバム『Listen Up! The Official 2010 FIFA World Cup Album』にアジアを代表してMISIAの楽曲「MAWARE MAWARE」(MISIA featuring M2J + Francis Jocky名義)が収録された[18]。 2012年3月25日、アメリカ・ワシントンD.C.にて行われた全米桜祭りの開会式に出演し、「Everything」、「明日へ」などを歌唱した。東日本大震災に際し、アメリカから寄せられた多くの援助に対するお礼のメッセージをおくった[19]。12月、JICAよりJICA-TICADオフィシャルサポーターに任命される。12月31日、第63回NHK紅白歌合戦に紅組特別出演歌手として初出場を果たす。また、WOWOWのライブ中継や情報番組のインタビュー出演を除けば、歌番組を含むテレビ番組への初めての出演でもあった[20]。 2013年1月23日、外務省より第5回アフリカ開発会議(TICAD V)名誉大使に任命される。また、視察で訪れたセネガルで再レコーディングした「MAWARE MAWARE (feat. Doudou N'Diaye Rose)」がTICAD Vテーマソングに決定した。同年2月20日にリリースしたベストアルバム『MISIA SUPER BEST RECORDS -15th Celebration-』がオリコンウィークリーランキングで1位を獲得する。同年8月、初の夏フェスとなる「SUMMER SONIC 2013」と「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2013 in EZO」に出演。 2015年の第66回NHK紅白歌合戦では紅組の戦後70周年特別企画の一環で3年ぶり2回目の出演が決定。長崎県の平和公園・平和祈念像前から中継で「オルフェンズの涙」を披露した[21]。 2016年7月、宮城・石巻港雲雀野埠頭で行われたイベント「Reborn-Art Festival × ap bank fes 2016」に参加。同年9月、ニューヨーク在住のジャズトランペット奏者・黒田卓也のバンドとともに「Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN」に参加。同年12月から翌2017年2月にかけて、1999年から始まった「THE TOUR OF MISIA」シリーズの最終章となる全国ツアー「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP all roads lead to you」を開催。 2017年7月、自身初の"SOUL JAZZ"をテーマとしたミニアルバム『MISIA SOUL JAZZ SESSION』をリリース。それにあわせてアルバムに共同プロデュース/アレンジ/演奏で参加した黒田卓也とそのバンドメンバーと東名阪を回るライヴツアー「MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2017」を開催[22]。 2018年にデビュー20周年を迎え、4月より20周年祝祭ライブ「20th Anniversary THE SUPER TOUR OF MISIA -Girls just wanna have fun-」、6月より全国ホールツアー「20th Anniversary MISIA 星空のライヴ X Life is going on and on」を開催。同年7月、黒田卓也のバンドを迎え、初のブルーノート東京での単独ライブとなる「MISIA SUMMER SOUL JAZZ PREMIUM 2018」を開催。7月29日、夏フェス「FUJI ROCK FESTIVAL'18」に出演。 2019年の第70回NHK紅白歌合戦では紅組トリを務め、「アイノカタチ」「INTO THE LIGHT」「Everything」をメドレーで披露した。バックダンサーやコーラス、DJに多数のLGBTアーティストを迎え歌唱すると共に、3曲目の「Everything」では背景に大きくレインボーフラッグが映し出され、他の出場者たちも手渡された小さなレインボーフラッグを振って応援した。このパフォーマンスには「画期的」「素晴らしい」との称賛が上がる一方で、LGBT当事者の中からは「違和感を覚える」といった否定的な声も聞かれた[23][24][25][26]。 2020年2月、これまでは出演するTV番組を厳選してきたが、自身の目指す方向性と同じであったことから、中国の人気音楽番組「歌手・当打之年(歌手2020)」に出演することを決めた(中国語での人名表記は「米希亚」)。番組は13週をワンシーズンとして展開し、毎週国内外からの実力歌手7人+挑戦者1〜2人が500人の視聴者投票により、上位7名に入ることを競うもので、予選の第1週〜第10週(第10週が上位5名に入ったため、第11週の敗者復活戦は免除)は1位2回、3位3回、4位2回、5位3回を獲得した。決勝第1ラウンドの第12週で敗退し順位はなかった(6〜7位相当)が、現地でその判定に対し疑惑の声も上がった[27][28]。 2020年、第71回NHK紅白歌合戦への出場を決めたが、同年11月15日、『news23』(TBSテレビ)のロケ中に落馬し、胸椎を骨折して全治6週間のけがを負った[29]。12月19日、東京国際フォーラムで開いたクリスマス公演でステージ復帰[30]。 2021年7月23日、東京オリンピックの開会式にて、日本国歌「君が代」を独唱[31]。 エピソード デビュー当時からテレビにはほとんど出演しないが、CS放送には出演したことがある。近年はラジオ番組の出演が多い。「太陽の地図」が『めざましテレビ』(フジテレビ系)のテーマソングに起用された際、同番組(2008年10月30日放送)にて地上波で初めてロングインタビューを受け、2008年10月25日の上海公演の模様も紹介された。また、2013年2月にデビュー15周年を迎えた際、2013年2月27日放送の同番組で再びインタビュー出演した。 メロンパンが大好物で、メロンパンダというメロンパンとパンダを組み合わせたキャラクターをデザインしたことがある。また、メロンパンダのテーマ曲「甘い恋人」も発表した。 女優の松嶋菜々子と親交があり、彼女の出演するドラマやCM等と数多くタイアップしている。 ディスコグラフィ スタジオ・アルバム Mother Father Brother Sister(1998年) LOVE IS THE MESSAGE(2000年) MARVELOUS(2001年) KISS IN THE SKY(2002年) MARS & ROSES(2004年) SINGER FOR SINGER(2004年) ASCENSION(2007年) EIGHTH WORLD(2008年) JUST BALLADE(2009年) SOUL QUEST(2011年) NEW MORNING(2014年) LOVE BEBOP(2016年) Life is going on and on(2018年) HELLO LOVE(2021年) NHK紅白歌合戦出場歴 年度 放送回 回 曲目 備考 2012年 第63回 初 Everything〜明日へ アフリカのナミブ砂漠からの中継、紅組の特別出演歌手 2015年 第66回 2[† 1] オルフェンズの涙 長崎からの中継、戦後70年企画 2018年 第69回 3 アイノカタチ 2018[† 2] トリ前、NHKホールで初歌唱 2019年 第70回 4 アイノカタチメドレー[† 3] 紅組トリ 2020年 第71回 5 アイノカタチ 大トリ 2021年 第72回 6 明日へ 2021 大トリ ^ 当初は特別出演とされていたが、番組内では紅組の歌手として紹介され、対戦枠に組み入れられていた。特設ウェブサイト「NHK紅白歌合戦ヒストリー」では紅組で2回目の出場と記載されている[39]。 ^ 「アイノカタチ」「つつみ込むように…」を順に歌唱。 ^ 「アイノカタチ」「INTO THE LIGHT」「Everything」を順に歌唱。
https://ja.wikipedia.org/wiki/MISIA
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