川端康成が藤圭子にセクハラをしていたことをどう考えますか 川端の自殺は私へのセクハラに関係があると言っていたそうですが・・・ https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10112817570 川端康成が藤圭子さんのファンであったことを、NHKラジオ深夜便で『川端康成と女たち』という生誕100年記念座談会である文芸評論家が言及していました。 『天授の子』(川端康成:新潮文庫)の年譜より引用: 「昭和四年(1929年)三十歳、日本最初のレビュー劇場として旗あげしたカジノ・フォーリーの文芸部員島村龍三(黒田義三郎)を訪ね、踊り子たちと知るようになる。 多量の取材ノートを取って、十二月から第二作目の新聞小説「浅草紅団」を連載したが、(後略)」 この「浅草紅団」に登場する女性が川端氏の創作した女性でしたが、デビュー当時の藤圭子さんに非常に似ていたため、川端氏が彼女の熱烈なファンになり、ゴシップになっていたそうです) https://marugametorao.wordpress.com/2005/05/18/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E7%94%B0%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%EF%BC%9A%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E5%BA%A6%E5%88%A4%E5%AE%9A/ 藤圭子の「母」と「川端康成」を書いた By 牧 太郎2013年9月2日旧_編集長ヘッドライン日記 きょう(9月2日)東京地区発売のサンダー毎日で「僕が封印した藤圭子の『母』と『川端康成』」を書いた。 藤圭子が投身自殺して以来、「あの事」を墓場まで持って行くべきか?悩んだ。 「高度成長と全共闘」の時代を「藤圭子の存在」を通じて描こうとした時期(1996年ごろ)、突っ込んだインタビューをして、彼女が抱えていた「意外な出来事」を知った。 当時、これを書くには「勇気」が必要だった。 封印しよう!と思い、当時の主筆(編集最高責任者)と相談して、連載そのものを断念した。取材をして、一定の「新事実」を掴んで「字」にしないケースは、それまでほとんどなかった。 「藤圭子物語」は僕には荷が重かった。 彼女が自殺して……もう一度、考えてみた。 あの日、「連載するなら、これは書いて欲しい」と藤圭子は言っていた。 このままにして良いのか? 考え考え、ギリギリの表現で「あの事」を記録しておくことにした。 読んでくれ! どこかで、藤圭子が「心の病」に追い込まれる原因の一つに、「母」と「川端康成」との出来事があるように思うのだ。 http://www.maki-taro.net/archives/2107 藤圭子資料館 「ノーベル賞作家が自室に異例の招待 川端康成氏の熱愛に感激 藤圭子が『先生、お肩を…』」 - 週刊明星 1971/7/25 - 藤圭子の熱烈なファンというノーベル賞作家川端康成氏に請われて滞在先のホテルオークラを訪ねた時の記事。
この時彼女は氏の肩を叩き、持参した全集にサインをもらうなどして川端氏の鎌倉の自宅訪問を約束したが、翌年突然の死により、その約束は果たせぬまま終わった。 http://www008.upp.so-net.ne.jp/library/keiko_book1.htm 藤圭子について語るスレ
499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 01:59:57.25 ID:T06wKoxS 別のスレで見た投稿でふと思ったことを書き留めておく。 ご存知の川端康成『伊豆の踊子』は、大正時代の旅芸人の話。
繊細で、かつ感応しやすい川端にとって、自分が描いた 「もはや滅びる(忘れられる)日本人」の形態として、旅芸人たちの習俗を著した。 その思いがあったからか、生い立ちがまさにそれと思わせる阿部純子の存在は 川端には、自己の奥にある郷愁(サウダージ)にも感応して、どうにかして 純子(すでに藤圭子)に会ってみたいと思うようになった。 正史では、藤圭子と会う(予定)日の2日前に川端は自死したとなっている。 だが、身近で事情を知る人たちの証言によると(TVで紹介された) じつは純子は何度かもうすでに川端に会っていて おじいちゃん孝行みたいな奉仕をして(させられて?)いた、という。 ノーベル文学賞の人、その候補と言われた三島由紀夫をはじめ 五木寛之、筒井康隆、平岡正明、楳図かずお、松田政男、野沢あぐむ などなど・・・ ほんとうに多様なジャンルの有識者・文化人に、藤圭子は鮮烈な印象を与えていたのだとわかる。 カルメンマキ、浅川マキ、山口百恵、山崎ハコ、・・・・・椎名林檎、などなどよりずっと藤圭子は、深沢七郎のように、中上健次のように、インテリには衝撃的な存在だったのだと思う。 500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 11:40:37.08 ID:jLlW6i+W >>499 これほど人の心に衝撃を与え眠りかけていた精神を覚醒させた歌姫は 藤圭子しかいないと思います。 ノーベル賞歌手といっても過言ではない。藤圭子を知る時代に生まれてきたことの 優越感、重厚な存在感を忘れることはありません。 501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 14:16:27.61 ID:xHmspCIb
川端とは対談してる雑誌あるよ。肩叩いてる写真がある。 死ぬ前にまた会いたくなったと思う。 514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 00:10:54.92 ID:WwcQAebD >>499 別のブログでは、川端康成が自死する1年前に川端康成の要望により藤圭子とホテルで会っており、藤圭子は川端康成の全集を持参しサインしてもらい、川端康成からは鳥の剥製を贈られた。1年後にまた会う約束をしていたが1年後の前日に自死したとなっている。 恐らく藤圭子は川端康成の大ファンだった筈だが、気にかかるのは川端康成と会っているのにその事は口にする事は無かった様に思う。また藤圭子は川端康成を嫌っていたともいう。 しかし、後に川端康成の自死について、藤圭子は「私に対してのセクハラも関係してると思う」と言っている。 とするとやはり、1年前から何度となく会っており、 おじいちゃん孝行みたいな奉仕をさせられていたと思う。石坂まさをに指示されていたのだろうか? セクハラの関係で自死だとしたら強姦かその未遂だろうか? 川端康成は加賀まりこに対してもセクハラの話があり、女性とのスキャンダルで雑誌の発行停止を求めるの訴訟も川端側近からあった事もあると言う。少女に対するスケベ爺だったのだろうか? 515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 00:30:27.11 ID:awWpS4p9 自殺後サンデー毎日で実は川端にセクハラのよなことをされた、て書かれいたと思う。牧記者のコーナー 川端に初めて会ったのはデビュー後1、2年だと思う。 517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 00:54:15.15 ID:awWpS4p9
川端は自分の欲しい骨董は金に糸目をつけず必ず手に入れる、てのを読んだ記憶がある。国宝級の物を持っていた? 社会常識など無視して生きてきた男。唯美主義男だな。 519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 00:45:02.10 ID:KLUdMMz/ >>514 当時はまだ男尊女卑の風習が残っていたのでセクハラ等の言葉はなかったと思う。 何かで読んだが川端の方から林家三平の奥さんに藤圭子会わせてほしいと申しこまれ そのあと自殺したと聞いていた。 今だったらノーベル作家の思いあがりと大騒ぎになってたと思う。 520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 13:22:38.36 ID:eIyTv7SC >>519 確かに、川端の方から林家三平の奥さんに藤圭子に会わせてほしいと申しこまれ そのあと自殺したと言うのもある。 しかし、川端が林家三平の奥さんに藤圭子に合わせてほしいと頼んだと言うのはわからないですね。 確かに、藤圭子は何回か林家三平の家には行っている様だけど。そして、1年間、林家三平の家に住んでいたと言うのもあるけど、「流星ひとつ」「きずな 藤圭子と私」にも住んでいたとは書いてないし住んでいた事はないと思います。カムフラージュの様な気もします 521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 13:49:29.38 ID:pf60CHIT >>520 519ではないですが。 昨年雑誌で、藤圭子さんの追悼として、海老名さんの書かれている文章を 読みました。
それにも、1年間、林家三平の家に住んでいたと言うのが書いてありました。 住んで居ないのに何故そんなこと言うんだろう? 522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 14:00:57.47 ID:CTS+zS7t
海老名は東京の母みたいなものでは? 海老名と関係が続いていたら自殺は無かったと思う。 523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 15:45:24.13 ID:Nhn2cuUl
西日暮里なのか林家なのかどっちなん? 海老名さんがわざわざ嘘つく意味ないしアパートの話の方が嘘っぽい。 何の切欠もなしには進まんだろうし。 524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 15:59:37.19 ID:eIyTv7SC >>521 520です。石坂まさをが東芝専属だった時、担当の新コーラスグループの名前を林家三平に付けてもらった。 三平の家紋から花菱エコーズ。この時の縁でデビュー直前、石坂まさをが藤圭子を三平の家に連れて行き、 家の改築中だったが三平、妻、弟子、大工数名がいる中で藤圭子が「カスバの女」と「新宿の女」を歌った。藤圭子の宣伝も林家三平に頼んだ。 と言う事がきずなに書かれている。 どうも、川端康成の藤圭子に対するセクハラを否定するため側近が林家三平の妻に、藤圭子が1年間住んでいた事、川端康成が藤圭子に逢わせて欲しいと言う事にして欲しいと頼んだのではないか? 525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 19:16:39.46 ID:CTS+zS7t 藤圭子が三平の家にいたのは川端に会うはるか前では? 圭子は三郎と浅草で流しをしてたはず。 浅草のおでん屋に三郎とよく行ってたはず。 526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 19:31:33.48 ID:CTS+zS7t 川端はテレビで圭子(デビュー頃)を見て対談をしたいと出版社に頼んだはず。 そして雑誌で対談が実現。圭子の肩叩きの写真あり。 川端は死ぬ前に海老名にもう一度圭子に会いたいと頼んだと思う。 圭子は川端ファンてのは嘘だと思う。 これは雑誌社で作ったと思う。 圭子は中学から旭川の繁華街で流し、成積は優秀なら本を読んでいる暇ない。 東京に出てきてからも流し、レッスンと忙しく、すぐデビューだから。 527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 21:57:13.41 ID:eIyTv7S >>525 >>526は、川端康成の側近の方では? 528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 22:36:25.89 ID:CTS+zS7t ↑ 本、サイトをまとめただけ。 圭子と川端はそんなに会っていないと思う。 雑誌対談1回だけかも。 529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/03(木) 00:25:15.75 ID:EjtmwYv5 「ノーベル賞作家が自室に異例の招待 川端康成氏の熱愛に感激 藤圭子が『先生、お肩を…』・・週刊明星1971年 ファンサイトで発見 530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/03(木) 00:28:01.12 ID:EjtmwYv5 「『わたしは歌手になりたかったわ。でも、スターを望んだことは一度もありません。…いまこうして売れていますけど、これが本当の芸人の道とは思いたくありません』 彼女にとって、有名になることと歌手として生きることは、まったく別問題のようだ」 …藤圭子自身と両親など関係者のインタビューを交えた6ページの記事 ポケットパンチ1970年 ファンサイトより http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/cafe50/1386873978/ ▲△▽▼ 藤圭子 夢は夜ひらく - YouTube 動画 https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90+%E5%A4%A2%E3%81%AF%E5%A4%9C%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F
次の動画のデビュー当時の藤圭子が川端康成が生涯追い求めていた女性の姿そのものなのですね
圭子の夢は夜ひらく/藤圭子 - ニコニコ動画GINZA http://www.nicovideo.jp/watch/sm1811038?ref=search_key_video&ss_pos=1&ss_id=710a4dab-8c3e-42e9-b055-2ae6b9790c9f
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