中森明菜は今、どうしているのか 2022/06/25 17:00デイリー新潮 https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/entertainment/dailyshincho-871572.html 音楽番組の視聴率がさえない。6月17日放送の「ミュージックステーション」(テレビ朝日)は世帯4.5%(個人2.9%)。だが、もしも出演したら視聴率の大幅アップが確実視されるアーチストがいる。2017年12月のディナーショーを最後に活動休止中の中森明菜(56)だ。明菜は今、どうしているのだろう。
明菜は2017年12月にクリスマスのディナーショーを全国14都市で行った後、公の場に姿を見せていない。どうして消えたのか。 「帯状疱疹のためです。まだ治りきっていません」(音楽関係者) 最近は予防ワクチンの接種を呼び掛けるCMも流れている帯状疱疹は、水ぼうそうと同じウイルスで起こる皮膚の病気。症状には個人差があるが、水ぶくれを伴う赤い発疹が帯状に現れ、徐々に痛みが強くなる。80歳までに約3人に1人が発症すると言われるから、珍しい病気ではないものの、治るまでに時間がかかる人もいる。 明菜も最初に発症したのは12年前の2010年。そのまま活動を休止した。症状が治まった2014年に1度は活動を再開し、この年のNHK紅白歌合戦にサプライズゲストとして出演したものの、3年後に再発した。 「完全に治ったら活動を再開しますよ。ほかに歌わない理由はありませんから」(同・音楽関係者) 「完全に治ったら」というのが明菜らしさ。関係者たちは明菜の気質について「完璧主義者」と口を揃える。例えばバックバンドの音が少しでも狂うことを嫌う。もちろん自分の歌声もベストの状態を目指す。 意欲は十分、の年賀状 プライドも高い。安田成美(55)と共演したフジテレビのドラマ「素顔のままで」(1992年)の番手(台本の順番)の件は今もドラマ関係者の間で語り草だ。 放送開始前には安田が主演、明菜が準主演という線で進めるはずだったが、明菜の要望でW主演となった。単なるわがままではなかった。放送が始まると、明菜はプロの俳優たちに負けぬ演技を見せた。 完璧を目指す明菜イズムを考えると、中途半端な状態での復帰は考えられない。明菜の個人事務所は現存し、過去の楽曲やコンサート映像の管理などをしている。復帰を阻んでいるのは体調面のみなのだ。 仕事をする意欲は十分。2019年1月には活動休止中にもかかわらずファンクラブ会員に年賀状も出している。こんな年賀状だった。 「明けまして、おめでとうございます!」「今年もまた新しいドラマが始まります!」「どんなシーンも、いつでもかがやきつづけて!!」 2020年以降は年賀状が途絶えているが、これはコロナ禍に襲われたからだろう。 今、どこにいるのか?結婚した? さて、明菜は今、どこにいるのか。人目を避けて海外で療養している? 「国内です。芸能人が近くで暮らしていたって、意外と分からないものです」(別のレコード業界関係者) セキュリティーもプライバシー保護も万全のマンションに住んでいるという。 活動休止中、秘かに結婚していたなんてことはないのだろうか。 「ありません。予定もない。以前、『結婚は考えてないのですか?』と尋ねたところ、『幸せな明菜ちゃんはファンが望んでいないでしょ』と答えられて、思わず笑ってしまいました。自虐的なジョークが好きなんです」(同・別のレコード業界関係者) 活動休止直前の2017年12月のディナーショーでも自虐的ジョークで観客を笑わせた。 「帽子を脱ぎたいけど、帽子の跡が付いてるの。だから脱げない。50を超えると大変なの。はたちの時とは違うの」(明菜) こういったところもファンが明菜を愛する理由である。 高まる明菜熱 明菜には「コンサートやディナーショーには必ず行く」というコアなファンが多い。だが、ここにきて広く人気が高まり、カムバックを望む声が強くなっている。 NHKは「中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版」を7月9日午後4時半から放送する。この放送にも歓迎ムードが高まっている。当初は6月19日に放送する予定だったものの、石川・能登地方を震源地とする地震の発生により延期された。 明菜熱の高まりについて前出のレコード業界関係者は、「再評価は全く不思議ではないし、懐古趣味でもない」と言い切る。 「シンガーとしての1980年代ナンバーワンアイドルは文句なしに明菜さんですから」(同・レコード業界関係者) 確かに、1982年5月にデビューした明菜は3年後の1985年には「ミ・アモーレ〔Meu amor é…〕」で日本レコード大賞を受賞した。翌1986年も「DESIRE -情熱-」で同賞を受賞した。 2年連続の栄冠。こんなアイドル、ほかにいない。一方、なにかとライバル視される松田聖子(60)はレコ大を獲ったことがない。 「音楽業界では『聖子さんはうらやましいのではないか』と言われたものです」(同・レコード業界関係者) TBS「ザ・ベストテン」(1978年〜1989年)での第1位獲得も明菜は計69回で歴代トップ。なるほど実績はナンバーワンに違いない。 「そもそも歌がうまいうえ、表現力が並外れています。声もいい」(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二氏) 作品にも恵まれた。デビュー曲は来生えつこさん(74)、来生たかお(71)の姉弟が作詞・作曲した「スローモーション」。オリコン最高位は週間30位にとどまったものの、明菜がトップアイドルになった後に再評価される。 えつこさんは2012年、筆者の取材に対し、こう語っていた。 「『ただのカワイコちゃんアイドルじゃなくて、歌もうまい子だから、メロディラインは難しくても全然かまいません』と依頼されました」(えつこさん) アイドルの作品の場合、音域を狭くしたりすることが、よくある。明菜にはそんな配慮が不要だった。やっぱり、うまかったのだ。 来生姉弟は1982年11月発売の3枚目「セカンド・ラブ」もつくった。明菜にとって初のオリコン1位作品となった。 1982年7月発売の2枚目のシングルは売野雅勇(71)が作詞し、芹澤廣明氏(74)が作曲した「少女A」。不良少女の強さと脆さを表現したロック歌謡で、当時のヤンキーブームにも合った。オリコンで5位となり、明菜はトップアイドルの仲間入りを果たした。 1984年4月の8枚目「サザン・ウインド」以降は1作ごとに作曲が変わった。この曲は玉置浩二(63)がつくった。 同7月の「十戒(1984)」は高中正義(69)。同11月の「飾りじゃないのよ涙は」は井上陽水(73)。ほとんど歌謡界に作品を提供しない一流ミュージシャンが担当したので、質が高く個性的なものに仕上がった。 14年ぶり紅白で漏らした言葉 明菜というと、「トラブルメーカー」「わがまま」というイメージがある。「明菜のコンサートはやらない」というプロモーターもいる。だが、前出の音楽関係者は「わがままなところがあったのは若い時の話」と解説する。 「20歳そこそこなのにレコードが飛ぶように売れ、賞も獲ったのですから、少しくらい居丈高になっても仕方がない。その後、1989年に近藤真彦宅で自殺未遂をして非難されたり、1995年に最愛の母をなくしたりで変わりましたよ」(同・音楽関係者) 2002年、「飾りじゃないのよ涙は」で14年ぶりに紅白歌合戦に出場した際、明菜は周囲にこう漏らした。 「昔の紅白はステージ裏でみんながおしゃべりして、お互いの衣装を誉めたりしていた。『これ、いいね』って。今は違う。みんなほかの出演者に関心がないみたい。なんだか淋しい」(明菜) ツッパリと言われた1980年代から1990年代前半の明菜だったら、ほかの出演者との親睦など求めなかっただろう。もはや昔の明菜ではない。 明菜の健康状態が好転したら、各局で争奪戦が起こるのは間違いない。 https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/entertainment/dailyshincho-871572.html
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