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宮川 泰(1931年3月18日 - 2006年3月21日)
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 09 日 11:49:01: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本のミュージシャン 投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 06 日 16:40:09)

宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)


「逢いたくて逢いたくて」 リリース 1966年1月 作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰 編曲:森岡賢一郎

逢いたくて逢いたくて 園まり - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%80%A2%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%A6%E9%80%A2%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%A6++++%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%82%8A

何も云わないで 作詞:安井かずみ 作曲編曲:宮川泰

何も云わないで 園まり - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BD%95%E3%82%82%E4%BA%91%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7++++%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%82%8A


愛は惜しみなく 川内康範作詞 宮川泰作曲 森岡賢一郎編曲

愛は惜しみなく 園まり - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%84%9B%E3%81%AF%E6%83%9C%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%8F++++%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%82%8A  

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コメント
1. 2021年12月10日 01:34:55 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[58] 報告
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、タレントである。

和製ポップスの開拓者の一人であり、1960年代のスター、ザ・ピーナッツの育ての親として数々のヒット曲を生み出し、他の歌手にも楽曲を提供するなど、日本ポップス界に大きな足跡を残した。

また『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』、『宇宙戦艦ヤマト』、『ズームイン!!朝!』、『午後は○○おもいッきりテレビ』、『ズームイン!!SUPER』などテレビ音楽にも多数の作品を提供。

ジャズの感覚を生かした軽妙ながらインパクトのある「宮川節」と称される音楽は、時間の短いTV番組のオープニングに重用された。

「マツケンサンバII」の作曲などで広く知られる作曲家・編曲家の宮川彬良(本名:晶)は長男。

活動
作曲した作品も多いが、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」など、ザ・ピーナッツ関連の楽曲をはじめ、編曲(アレンジ)のみ手がけた作品も洋楽を中心に多数存在する。

日本ポップス界の重鎮的存在ながらも、目立ちたがり屋で笑いが大好きな性格から、自らも積極的にTV番組に出演。ピアノを伴奏しながらも、タレントに負けず劣らずの積極性で笑いをとっていた。

『シャボン玉ホリデー』の音楽担当時、ハナ肇からクレージーキャッツに誘われ、本人もその気になったが、渡辺プロダクション社長の渡辺晋と妻の美佐に反対されて挫折したエピソードを持つ。

1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』、1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』では教え子のザ・ピーナッツとの共演で派手なパフォーマンスの指揮で出演したが、一部の歌手からは「自分達より目立ちすぎ」と嫌な顔をされたこともあった。

藤山一郎の後を継いで1993年の第44回から2005年の第56回まで、『NHK紅白歌合戦』の大エンディングである「蛍の光」の二代目指揮者を担当した。その際も派手なスタイルは変わらなかった。1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』では吉田拓郎のバックバンドにキーボードで参加した。また本人も自覚していたが、歌を唄うのは得意ではなかった。

2006年3月21日、虚血性心不全のため東京都世田谷区の自宅にて急逝した。75歳没。誕生日3日後の死去だった。通夜では「ウナ・セラ・ディ東京」が、告別式では『宇宙戦艦ヤマト』の曲が演奏された。

略歴
土木技術者の父親の赴任先である北海道留萌市で出生。

その影響で現在でも留萌市の吹奏楽では「宇宙戦艦ヤマト」など宮川音楽の合奏が盛んに行われている。

出生後、父親の異動に伴い幼いころより北海道紋別市鴻之舞・北海道北見市・和歌山県和歌山市・大分県日田市など全国を転校してきた。

大阪府立富田林高等学校を卒業。京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)を経て大阪学芸大学(現:大阪教育大学)音楽科を中退。

「渡辺晋とシックス・ジョーズ」でピアニスト兼アレンジャーとして活躍。その後、独立して作曲家、編曲家となる。

1963年に「恋のバカンス」で第5回日本レコード大賞編曲賞受賞。

1964年に「ウナ・セラ・ディ東京」で第6回日本レコード大賞作曲賞受賞。1969年に「青空のゆくえ」で合歓ポピュラーフェスティバル'69作曲グランプリ受賞。

1971年に「君をのせて」で合歓ポピュラーフェスティバル'71川上賞受賞。

自身が率いる「名匠宮川組」のメンバーらと共に全国で演奏会を行っており、大阪芸術大学音楽学科の教授も務めていた。

作曲
ふりむかないで(ザ・ピーナッツ、井上晴美、Wink、松雪泰子)
恋のバカンス(ザ・ピーナッツ、W)
禁じられた恋のボレロ(水原弘)
ジューン・ブライド(ザ・ピーナッツ)
ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ、坂本スミ子、西田佐知子、和田弘とマヒナスターズ、矢野顕子&大貫妙子)
イヤーかなわんわ(トリオこいざんす)
ひとつぶの真珠(弘田三枝子)
淋しいから(中尾ミエ)
明日になれば(ザ・ピーナッツ)
若いってすばらしい(槇みちる、スクールメイツ、ミッツ・マングローブ)
誰もいないとき(江利チエミ)
逢いたくて逢いたくて(園まり)
何も云わないで(園まり)
愛は惜しみなく(園まり)
銀色の道(ザ・ピーナッツ、ダークダックス)
シビレ節(植木等)
お嫁さん(梓みちよ)
涙のかわくまで(西田佐知子)
信じていたい(西田佐知子)
あの人に逢ったら(西田佐知子)
恋のオフェリア(ザ・ピーナッツ)
愛のフィナーレ(ザ・ピーナッツ、菅原洋一)
青空のゆくえ(伊東ゆかり)
ウンジャラゲ(ハナ肇とクレージーキャッツ、志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー)
アッと驚く為五郎(ハナ肇とクレージーキャッツ)
大発見やァ!(笑福亭仁鶴)
花と涙(森進一)
君をのせて(沢田研二)
何故にお前は(北大路欣也)
宇宙戦艦ヤマト(ささきいさお)
真赤なスカーフ(ささきいさお)
浮気なあいつ(ザ・ピーナッツ)
JRA関西地区ファンファーレ(阪神競馬場(宝塚記念を除く)・京都競馬場・中京競馬場(中京はGI競走のみ))
好敵手(ささきいさお)
テレサよ永遠に(ささきいさお)
星のペンダント(ささきいさお)
銀河伝説(岩崎宏美)
おもかげ星(堀江美都子)
右向け右(石川ひとみ)
古代(おれ)とヤマト(ささきいさお)
宇宙戦艦ヤマト'83(ささきいさお)
『午後は○○おもいッきりテレビ』テーマ曲(-2007年)
加納さんのいいんじゃないっスか(加納さん〔南原清隆〕)
ハローキティ(ハローキティ〈林原めぐみ〉)
あの子はキティ(ハローキティ〈林原めぐみ〉)
交響組曲 宇宙戦艦ヤマト(32C35-7529, Nippon Columbia)(※初出は1977年)
カリキュラマシーンのテーマ(『カリキュラマシーン』『チコちゃんに叱られる! 』[1]オープニング曲)
『ズームイン!!朝!』テーマ曲(1979年 - 2001年)
『ズームイン!!SUPER』テーマ曲(2001年 - 2011年)
天気予報の歌(徳光和夫)
ブルースカイ・ブルー(連続テレビ小説『てるてる家族』挿入歌)
ミュージカル『ビリーブ・イン・ミー』全曲
名古屋市立北一社小学校 校歌「北極星よりまぶしくて」・集いの歌「心に地球を抱きしめて」

編曲
恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)
夜へ急ぐ人(ちあきなおみ)
ヤマトより愛をこめて(沢田研二)
めぐり逢い紡いで(布施明)
愛よその日まで(布施明)
LOVE IS GONE(大塚博堂)
二つの愛(桑江知子)
ラブ・シュープリーム-至上の愛-(八神純子)
心を込めて花束を(サザンオールスターズ)
あなた(小坂明子)
スーダラ伝説(植木等)
鉄道唱歌(歌唱:ボニージャックス)[2]


作・編曲
宇宙よりのパンツマン(辻佳紀)
終り無きわが歌の道(三波春夫)


著書
若いってすばらしい―夢は両手にいっぱい宮川泰の音楽物語(2007年、産経新聞出版)
サウンド解剖学(1981年 中央公論社)

『宇宙戦艦ヤマト』のエピソード
宮川は『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー・西崎義展から「主題歌は『鉄』をイメージする曲を書いてくれ」という依頼を受け、困惑したと語る。また、西崎からの注文は「バラード調で」ということであったが、宮川はこの曲にふさわしいのは雄壮なイントロであると考えていた。テレビシリーズでは第3話までバラード調の歌い出しが使用され、第4話以降は一般的にも認知されている雄壮なイントロが使用された。
「宇宙戦艦ヤマト」は宮川本人による仮歌バージョンが存在し、松本零士がそのテープのひとつを所有している。宮川本人はそのテープをすべて回収したい意向だった。
『YAMATO2520』製作にあたってのインタビューで主題歌について語っており、1.「さらば地球よ」で始まるAメロは、ヤマトに改装する前の戦艦大和が海底に沈んでいたイメージでキーを低くした。2.「宇宙の彼方イスカンダルへ」のBメロは、乗組員が隊列を組んで行進しながらヤマトへ乗り込むイメージで軍歌調にした。3.サビから終わりにかけては、ヤマトが地上から宇宙へ飛び立つイメージから次第にキーを高くした。と解説している。
ヒットしてから後、数々の「ヤマト」シリーズが続々製作され、その度に主題歌を新しくアレンジするのがもっと苦痛だった。最後の「ヤマト」完結編となると何度も書き直しをくらい、満身創痍でなんとか完成したという。
「ヤマト!! 新たなる旅立ち」(『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』主題歌)作曲のため歌詞を渡された宮川はその歌詞に「REMEMBER YAMATO」という部分があるのを見て、「今までヤマトの歌はこういう英語が入ることがなかった。作りづらいのでこの部分は直して欲しい」とプロデューサー・西崎義展に要求。ところがいざ作曲を始めてしまうとその「REMEMBER YAMATO」の部分の旋律が先に、しかも自分としては気に入ったものが出来てしまった。あわてて西崎に連絡を取ると、宮川がそう言うと思って作詞家(阿久悠)にはまだ何も話してなかったという(昭和50年代・『ズームイン!!朝!』内「朝のポエム」にて宮川自身の口よりこの曲の想い出として語られた)。
宮川の葬儀において、出棺の際に50人からなる吹奏楽バンドが盛大にヤマトのテーマを奏で故人を送った。これは生前からの本人の希望であった。知人の葬儀に参列した帰りのタクシーで「俺の時は(俺が死んだら)、『ヤマト』な」と息子(宮川彬良)に託していたと、音楽番組『どれみふぁワンダーランド』などで宮川彬良本人により語られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E6%B3%B0

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