胸の振子 霧島 昇 昭和22年 作詞:サトウハチロー 作曲:服部良一 映画「見たり聞いたりためしたり」主題歌 "知る人ぞ知る"名曲で、発表された当時より、永い時を経て、ミュージシャンや一部の音楽好きの人の間に広がってきた”隠れスタンダード”です。 よく“古い歌の割にモダンな感じ”などと評されますが、逆に僕はこの歌のノスタルジックな響きがたまらなく好きなのです。
サトウハチローさんの詩は、やや難解ながら、人を好きになった時の、せつない思いや、心のときめきを不思議な言葉の響きで表現しています。 言葉の意味はそれほどこだわることなく、人それぞれが解釈すればいいのです。
そもそも、タイトルの「胸の振子」とは、いったい何なのでしょう? 恋した時に胸が高鳴る、文字どおりの心臓の鼓動の事でしょうか?・・・・・・・・・もちろん、その意味もあるけど、僕は”恋心”そのものの事だというような気がしてます。 この歌の大ファンの元NHKアナウンサー、山川静夫さんは、その意味を”理想の人”だと解釈してたようで、”心の中の一番大切なもの”という意味だと自著(その名も「胸の振子」文芸春秋’91年刊)に書いておられたのを読んだことがあります。 10年ほど前「タモリの音楽は世界だ」というテレビ番組で、EPO(ヴォーカル)、金子飛鳥(バイオリン)、大谷幸(ピアノ)という3人で、この「胸の振り子」が演奏されたことがあります。(大谷幸さんは平成ガメラシリーズの音楽などを担当してる作曲家) この曲を好きな理由をタモリさんから聞かれて、EPOさんは「生まれる前の世界なのに懐かしさを感じる」と答え、金子飛鳥さんは「異国情緒があって色っぽい曲」、大谷さんは「洋楽の影響を受けながら日本的なところが残ってるところ」と語ってました。 EPOさんと飛鳥さんの意見は全然ちがうようで、実は同じものだという気がします。 EPOさんと僕は同世代(たぶん飛鳥さんも)なので、この感覚がなんとなくわかるんですが、生まれる前の日本って、ある意味で外国なんです。そして、異国情緒とノスタルジーは隣り合わせな感覚なんだと思います。 服部良一さんは、この曲をディック・ミネさんを想定して書いたそうだけど、レコード会社がちがったので実現できず、霧島昇さんが抜擢されました。 結果的には霧島さんで大正解だったと思います。 霧島さんの朗々とした歌い方が、たまらなくいいです。 もし、ミネさんが歌えばもっとモダンな感じにはなっただろうけど、果たしてここまで名曲になりえたかどうか・・・。 (ミネさんは服部良一さんの”2000曲記念ショー”などにも出演してるので、きっとステージではこの曲を歌ったと思われます。) また、この歌はサトウハチローさんのコラムをもとにした映画「見たり聞いたりためしたり」の主題歌として、灰田勝彦さんも劇中で歌いました。 灰田さんはこの歌を自分の“持ち歌”として日劇などのステージで歌ってたそうです。 残念なことに灰田さん、ミネさんの「胸の振り子」はレコードにならなかった(?)けど、少なくとも灰田さんの映画「見たり聴いたり・・・」のフィルムは現存してるらしい(未確認)ので、CS放送やDVD化されることを期待してます。 なお、、今の50代以上のおとうさんには石原裕次郎さんの歌として知ってる人も多いかと思います。 その“裕ちゃんバージョン”は、霧島さんのオリジナルバージョンにあるイントロのメロディーが間奏のところで出てくるところが、なんとも気が利いてて素敵です。 女性一人男性二人のアダルトなボーカルトリオ、ハイファイセットの1980年代のコンサートツアーで、1940年代に3人がタイムスリップした・・みたいな趣向のコンサートがあったのですが、そこで、コール・ポーターやデューク・エリントンなどの曲とともに、服部良一メドレー”として、この「胸の振子」も歌われたのでした。 「What‘s New」や「エニシング・ゴーズ」や「ムード・インディゴ」といったアメリカの名曲以上に、この「胸の振子」は心に残りました。 1993年に亡くなった服部さんの音楽葬では、まだ御存命だった淡谷のり子さんや藤山一郎さんが服部さんのヒット曲を歌う中、この「胸の振子」は若いEPOさんが霧島さんの代わりに歌いました。 ミュージシャンの間では「蘇州夜曲」を上回るほど人気があるこの曲も、世間一般では知名度が低いのですが、それには理由があります。 昭和44年の著作権改正前の曲は、昔の古い契約がいまだに残ってたり、特定のレコード会社が管理してて著作権使用料がやたら高額だったりで、この「胸の振り子」もそんなレコーデイングしにくい曲のひとつのようです。 同じ服部良一メロディーでも、「蘇州夜曲」は渡辺はま子さんの移籍にともない、曲の管理が複数のレコード会社に分散したという説があり、カヴァーをレコーデイングしやすい状況下にあるらしいのです(あくまで推測で詳しい事情はわからないのですが)。 その辺の事情は前述のタモリさんの番組でも語られてましが、EPOさんに限らず、いろんな歌手の「胸の振子」が聴けるよう、レコード会社さんは柔軟な考えを持ってほしいです。 なお、服部さんは、昭和25年の渡米時、この曲の譜面をビング・クロスビーに贈ったそうです(英語タイトル「アイル・カム・トゥー・ユー」)。 でも、クロスビーがこの曲を歌ったかどうか、勉強不足であきらかでありませんが、クロスビーが歌う「胸の振り子」の音源があったとしたら素敵でしょうね。 霧島昇さんの御子息である坂本紀男さん(声楽家で音楽大学教授)は、この「胸の振子」と「蘇州夜曲」を“父の最も愛した曲”と語ってました。 「蘇州夜曲」に比べてカヴァーヴァージョンが出しにくい状況とは言え、魅力的なカバーもいくつかあります。 先述の裕次郎さん以外にも、実力派コーラスグループのサーカス、「もののけ姫」の米良美一さんや、小堺クンと伊東ゆかりさんのデュエット、ジャズシンガーのアン・サリーさんによるもの、先述の霧島さんの御子息、坂本紀男さんも父親ゆずりの朗々とした美声でレコーディングしています。 なかでも個人的に気に入ってるのはボニージャックスによるもので、コーラス、ハーモニーが素晴らしいです(僕は「歌は生きているー服部良一の世界」というオムニバスCDに収録されたのを見つけることができましたが、もとは1977年に発売されたLP「ボニージャックス/服部メロディを歌う」からの収録と思われます)。 霧島昇さんのオリジナルに一番近い雰囲気のカバーバージョンとしては、昭和30年代に香港の女性歌手、葛蘭(ゲイラン)さんが吹き込んだものがお奨めです(タイトルを「尋夢曲(シンモンチュウ)」と名を変えた中国語バージョン)。 僕はその葛蘭バージョンを「上海歌謡倶楽部 第8集 香港香港」( TOCP8528 東芝EMI)で買いましたが、別のオムニバスにも収録されてるようなので、今でも手に入る可能性大です。 でもやっぱり、霧島昇さんの昭和22年のオリジナルに勝るものはありません。 すべての音楽好き、歌好きの人の”心の琴線”に触れる不思議な神通力を持った曲です。 懐かし歌謡劇場TOPへ戻る 追記:2013年4月、この「胸の振子」の英語版「アイル・カム・トュ・ユー」が収録された「服部良一・僕の音楽人生:完結編”銀座カンカン娘”」がビクターより発売されました。(※注) これは服部さんが昭和25年に渡米した祭に、”服部良一と彼の楽団”としてニューヨークで録音されたもので、ボーカルのアメリカ人歌手、ロバート・ジャレットさんのクルーナー唱法も素晴らしくて、霧島さんのバージョンと同じイントロの華麗なオーケストレーションとともに胸にしみます。 もう一曲の英語版「ダンシング・デキシーランド・スタイル(東京ブギウギ)」(ボーカルはベティ・アレンさん)とともに、アメリカのミュージカル・ナンバーのような仕上がりになってます。 服部良一ファンならずとも、すべての音楽ファン必聴!! (※注:「服部良一・僕の音楽人生完結編」は同時にコロムビアとテイチクからも発売されてますが、英語版「アイル・カム・トュ・ユー」が収録されてるのはビクター盤なので注意してください) http://genir.sakura.ne.jp/munenofuriko.html
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