Date: 8月 2nd, 2016 岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その15) http://audiosharing.com/blog/?p=20166グッドマンAXIOM 80からJBLへ。 岩崎先生も瀬川先生も、この途をたどられている。 岩崎先生はAXIOM 80からD130へ、 瀬川先生は175DLHへ。 そう思っていた。 瀬川先生がD130を鳴らされていたことを想像できなかったことが、 そう思わせた、ともいえる。 けれど瀬川先生もD130を鳴らされていた時期があった。 その話を、元サンスイのNさんから聞いたのは何年前になるだろうか。 とても意外な気がした。あまりにも意外だったので「ほんとうですか?」といってしまった。 冷静になって瀬川先生が書かれたものをふりかえってみれば、 D130を鳴らされていても不思議ではないことにも気づく。 たとえばステレオサウンド 9号ではこう書かれている。 * LE15Aに変えたとき、それまで間に合わせに使っていた国産15インチにくらべて、大口径とは思えないそのあまりにも軽やかな中音域にすっかり感心したものだったが、そこがマニアの業の悲しさ、すでに製造中止になった150−4型ウーファーの方が、375ともっとよく音色が合うのではないかと、つい思いはじめる。しかも150−4を最もよく生かすエンクロージュアは、これも製造中止になったハーツフィールド≠フはずだ……。 * 瀬川先生のハーツフィールドへの憧れは、 ハーツフィールドの当て字のペンネーム、芳津翻人(よしづはると)を使われていたことでもわかる。 ステレオサウンド 9号には、こんなことも続けて書かれている。 * 何年かかるか知らないが、なんとか手段を労して、いつかわがものにしてみたいと企んでいるが、はたせるかどうか。現用の箱をいま無理してオリムパスあたりに代えてしまうと、ハーツフィールド%手の努力も鈍るだろうから、その意味では、今の箱でもうしはらく我慢している方がいい。ものは考えようというわけだ。 * 結局、ハーツフィールドは瀬川先生にとって求める音でないことを悟られる。 とはいえ、ここまでハーツフィールドに憧れていた人で、 150-4についても上記のように書かれているのだから、D130に関心を持たないわけがない。 そのことに気づく。 http://audiosharing.com/blog/?p=20166 Date: 12月 12th, 2021 岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その16) http://audiosharing.com/blog/?p=36207
(その15)は、もう五年前。 その冒頭に、 グッドマンAXIOM 80からJBLへ。 岩崎先生も瀬川先生も、この途をたどられている、と書いた。 岩崎先生とAXIOM 80が結びつかない──、という人はいてもおかしくない。 でも、岩崎先生はJBLのパラゴンを鳴らされていた同時期に、 QUADのESLも鳴らされていた。 そのことを知っていれば、それほど意外なことではないはずだ。 とにかく瀬川先生もAXIOM 80だった。 そしてJBLへの途である。 岩崎先生も瀬川先生も、 最初のころは、JBLのユニットを使っての自作スピーカーである。 瀬川先生は、JBLの完成品スピーカーシステムとして4341を選択されている。 岩崎先生はパラゴンである。 その前にハークネスがあるが、これはエンクロージュアの購入である。 そしてパラゴンのあとにハーツフィールドも手に入れられている。 ハーツフィールドは、瀬川先生にとって、憧れのスピーカーである。 そしてパラゴンに対しては、ステレオサウンド 59号で、 《まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。》とまで書かれている。 岩崎先生は、(その1)で引用したスイングジャーナルでの4341の試聴記である。 正しくは4341の試聴記ではなく、スタックスのパワーアンプの試聴記なのだが、 その冒頭を読んでいると、4341の試聴記なのかと思ってしまう。 4341の音を、 《いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ》 とまで高く評価されている。 それだけではない、岩崎先生の4341の音の表現は、 瀬川先生の音の表現に通ずるものが、はっきりと感じられる。 http://audiosharing.com/blog/?p=36207
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