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(回答先: エドヴァルド・ムンクの画を部屋に飾ろう 投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 05 日 21:40:51)
絶世の美女 ダグニー・ユールを描いたエドヴァルド・ムンク『マドンナ』
マドンナ(1894年-1895年、91×70.5cm、ムンク美術館所蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%8A_(%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edvard_Munch_-_Madonna_(1894-1895).jpg
『マドンナ』1895年。油彩、キャンバス、90 × 71 cm。ハンブルク美術館。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edvard_Munch_-_Madonna_(1895)_-_Hamburger_Kunsthalle.jpg
『マドンナ』1895-1902年。リトグラフ、60.5 × 44.4 cm。大原美術館。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edvard_Munch_-_Madonna_-_Google_Art_Project_(495100).jpg
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ムンクは 1892年、ノルウェーに帰国してから、「生命のフリーズ」という、テーマを持った連作の構想を固め始めた。この年、ベルリン芸術家協会の招きにより個展を開いたが、これが新聞に激しく攻撃され、1週間で打ち切りとなるというスキャンダルになってしまった。その後もベルリンに住み、北欧の芸術家らと親交を深めながら『叫び』、『マドンナ』、『思春期』といった代表作を次々生み出していき、これが「生命のフリーズ」を構成する作品となった。
1892年12月からムンクはベルリンに落ち着くことにし、カフェ「黒仔豚亭」に集まるスウェーデン人作家のヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、ポーランド人学生スタニスワフ・プシビシェフスキなど、北欧の芸術家らと親交を深めた。彼らはショーペンハウエルやニーチェについて熱く論じ合った。
ここにはノルウェーの女性ダグニー・ユールも加わり、彼女はプシビシェフスキと結婚した。ムンクとは愛人関係にあったとも言われており、ムンクの作品『嫉妬』の中ではムンクとダグニーが恋人同士として描かれ、プシビシェフスキが嫉妬に苦しんでいる。
Dagny Juel - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Dagny_Juel
ムンクはベルリン市内外の安宿を転々としながら『吸血鬼(愛と痛み)』『マドンナ』シリーズ、『星月夜(英語版)』『死んだ母親』『病室での死』シリーズといった多くの代表作を制作していった。『叫び』や『不安(英語版)』を制作したのもこの時期である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF#%E4%B8%BB%E3%81%AA%E4%BD%9C%E5%93%81
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マドンナ (Madonna) は、ノルウェーの表現主義画家、エドヴァルド・ムンクによって描かれた油彩画である。ムンクは1894年から1895年にかけて、5つのヴァージョンの『マドンナ』を制作しており、その内の1点のサイズは91×70.5cmである。また1点は現在オスロのムンク美術館が所蔵しており、別の1点はビジネスマンネルソン・ブリッツの個人蔵となっている。
作品の題名は、この絵がイエスの母マリアを描いたものであることを示しているが、マリアの表現としては非常に変わったものである。というのも、20世紀に至るまでマリアの肖像は品のよい熟年の女性を描いた高踏的な芸術であることが常だったためである。
本作に描かれた人物は十代にも見えるほど若く官能的で、好色的とまではいえぬにせよ、身をよじらせて表情豊かなポーズをとっている。彼女は後ろに手を伸ばして背をそらし、自分の肉体に鑑賞者の意識を惹き付ける。
ただし、この変わったポーズにおいても、聖母マリアの表現法の規範となる重要な要素のいくらかは体現している。まず、彼女は静謐さと穏やかな自信を湛えている。またその目を閉ざして慎ましさを表しながら、同時に上方からの光によって照らされている。より多く光を身に受けられるよう体をよじらせることで、目を向けることのないまま自分の体を見つめている。
これらの要素は、受胎告知の場面を描いた従来の表現法の特徴でもある( Madonna (art) および『マドンナ』の写真を参照)。
Madonna (art)
https://en.wikipedia.org/wiki/Madonna_(art)
File:Edvard Munch - Madonna (1894-1895).jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Edvard_Munch_-_Madonna_(1894-1895).jpg
盗難
2004年8月22日日曜日、銃を携えて覆面を被った男たちによって、『マドンナ』と『叫び』がムンク美術館から盗難されるという事件が起きた。犯人達は美術館の警備員に対して床に伏せるよう脅し、壁に張られた防護用の綱を引きちぎり、黒い車に乗って逃走した。逃走に使用されたアウディ・A6ステーションワゴンは、後に乗り捨てられているところを警察によって発見された。
返還と現在の状態
盗まれた絵画は2点とも、2006年8月31日にオスロ警察によって回収された。翌日ムンク美術館館長Ingebjoerg Ydstieは、絵の状態は予想されたより酷いものではなく、『マドンナ』に開いた直径2.5cmの穴も修復可能であると述べた[1]。 実際には『叫び』は液体による損傷を受けており、完全な修復は不可能である。対して『マドンナ』は完全に修復され、共に2008年5月23日からオスロのムンク美術館で展示が再開されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%8A_(%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF)
生命のフリーズ
The Frieze of Life (Edvard Munch) - Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/The_Frieze_of_Life_(Edvard_Munch)?uselang=ja
ムンクは主に1890年代に制作した『叫び』『接吻』『吸血鬼』『マドンナ』『灰』などの一連の作品を「生命のフリーズ」と称し連作と位置付けている。「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、ここでは「シリーズ」に近い意味で使われている。これらの作品に共通するテーマは「愛」と「死」、そして愛と死がもたらす「不安」である。
1902年の第5回ベルリン分離派展では、22点の作品が「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」という4つのセクションに分けられていた。「愛の芽生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』など、「愛の開花と移ろい」には『吸血鬼』『生命の踊り』など、「生の不安」には『不安』『叫び』など、「死」には『病室での死』『新陳代謝(メタボリズム)』などの作品が展示された[213]。一つの部屋の四方の壁がそれぞれのセクションに割り当てられ、絵が部屋を囲むように高いところにぐるりと展示されていた。ムンクはこの時「フリーズ」という言葉を用いて、装飾的意図があることを明らかにしている。
その時の展示状況は写真に残されていないが、翌1903年3月、ライプツィヒで開催した展覧会の展示状況は、その写真が現存している。それによると展示室の壁の高い位置に白い水平の帯状の区画が設けられ、その区画内に作品が連続して展示されている。
1904年にはクリスチャニア、1905年にはプラハで連作展示が行われた。1909年にはラスムス・メイエルが『メランコリー』や『嫉妬』などをまとめて購入した際、次のように書き送っている。
実際のところ、これらの作品は、一つの壁画装飾のためのモデルにするつもりで描かれました。長年心に抱いていたある考えについてたまたま考えていたのですが、これらの作品をフリーズとして飾った芸術の礼拝堂を造ろうとしてスケッチを描いています。
ムンクは1918年にブロムクヴィスト画廊で「生命のフリーズ」の展示会を開くに際し、その成立について次のように振り返っている。この文章によって初めて「生命のフリーズ」という名称が与えられた。
僕はこのフリーズと、かなり途切れ途切れではあるが、約30年にわたって取り組んできた。最初のスケッチ風の構想は、1888年から1889年にかけてできている。『接吻』、『黄色いボート』、『謎』、『男と女』、そして『不安』は1890年から1891年に描かれ、1892年の初め、この町のトーストルップハウスで、更に同年ベルリンでの僕の最初の個展でも展示された。翌年、このシリーズに『吸血鬼』、『叫び』、『マドンナ』を含む新しい作品が付け加えられ、その後独立したフリーズとして、ベルリンのウンター・デン・リンデン画廊に展示された。1902年のベルリン分離派展では、その一部が「現代人の精神生活から」のタイトルで大ホールの壁にぐるりと並んだのが見られた。そのフリーズは一連の装飾的な絵と考えられ、集められているが、むしろ『生命の絵』とするべきであろう。〔……〕そのフリーズは、生命、愛、死についての一つの詩なのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF#%E5%B8%B0%E5%9B%BD%E3%80%81%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%EF%BC%881892%E5%B9%B43%E6%9C%88-1896%E5%B9%B42%E6%9C%88%EF%BC%89
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