2014年6月27日 「『八つ墓村(77年)』の祟りに流れている、日本人の原罪」 およそ、人類文化が生み出し育んだ「本格推理」というジャンルは、まず事件があり謎があり、そこへ推理と知的類推をもってして伏線を回収し謎を解き、人間や社会の深遠さを浮かび上がらせる文学手法のはずである。 が、しかし。 この映画『八つ墓村(77年)』は、そうは問屋がおろさない。 なんてったって、監督は「あの」野村芳太郎氏だ。 『震える舌(80年)』では三木卓氏の、破傷風に見舞われた家族を描く文芸小説を、『鬼畜(78年)』では、あの松本清張原作の社会派サスペンスを、次から次へと「謎のホラー映画」に塗り替えてしまう、野村監督である。 『鬼畜』では、緒形拳演じる中年男性に子どもを殺そうとするシーンで、神社の境内でその少年の口に毒入りパンをねじ込んで「食えっ! 食えぇえええっ!」と絶叫させた野村監督。 『震える舌』では、破傷風という病気がもたらす恐怖に警鐘を鳴らそうとフルパワーで演出したら、警鐘ではなくフルオーケストラを鳴り響かせてしまった野村監督。 嘘偽り無く『震える舌』は、70年代邦画のオカルトホラー映画ベストだと思うが、そこで第二位を選べと言われれば、そっと選ばざるを得ないのが本作『八つ墓村』なのである。 『八つ墓村』はもちろん、日本推理文壇の巨匠・横溝正史最大の名作であり(優劣はつけられないが、目安として「15回のメディアミックス化」は意義が大きい)「津山三十人殺し」をベースに(横溝作品は大衆娯楽として、冒頭に、日本の犯罪史で起きた怪事件を枕にすることもある。『悪魔が来たりて笛を吹く』の帝銀事件など)その、さらに数百年前に起きた、村全体の落ち武者狩り事件の怨霊が、村全体に祟っているではないか、が本作を包み込む怨念として、上手く機能している。 「怨念や音量の仕業にしか見えない、怪奇な連続殺人が、実は『生きている人間』が抱く狂気や欲が正体であり、そちらの方が恐ろしいのだ」というロジックは、この手の推理ジャンルの王道で、この時期角川映画が石坂浩二主演・市川崑監督の『犬神家の一族77年)』で先陣を付けた「横溝原作・金田一耕助ジャンル」においても、その文学性方程式は、不文律として機能していた。 この時期東映も、西田敏行氏を金田一役に据えて、斎藤光正監督で『悪魔が来たりて笛を吹く(79年)』を製作したが、それらはあくまで「角川・石坂金田一の亜流」であり「追従」という認識を拭えず、二番煎じの感を逃れられないレベルの評価に落ち着いていた。 ところが。この「松竹・野村監督版『八つ墓村』」は、その主演・金田一耕助役に、松竹では既に『男はつらいよ』シリーズ一本に絞り込み始めていた喜劇役者を卒業した巨匠役者・渥美清を迎え本気を出した。 どの程度の本気かといえば、まさに完全犯罪を目指す犯罪者が、法律の盲点を突くような形で(本当か?)横溝作品の(というか『本格推理小説ジャンル』の)「意味の無さ」を、暴き描いたのである! 物語クライマックス。
この映画の事実上の主人公である寺田辰弥(萩原健一)が、延々と、出口もない鍾乳洞の中で、小川真由美演じる「刃物を振りかざした女般若」にただただ追いかけられるのである。 女般若とは、比喩でも例えでもない。 明確に(その寸前までは普通の大人しい淑女だった)小川真由美が、事件の犯人であることがショーケンにばれたとたん、『不良少女とよばれて(84年)』の伊藤麻衣子か『狼男アメリカン(81年 原題:An American Werewolf in London)』のデヴィッド・ノートンのように、血の涙を流しながら「女般若に変身」するのだ。 そりゃショーケンは驚く。 っていうか、当時まだ小学生だった筆者も驚いたし、周囲の観客も息を呑んだ。 普通はそこで、警察か名探偵が現れ「さて皆さん」とか言い出し犯人を押さえるか、推理で追い詰め自白させるか、それが王道だし、実はこの作品も、原作ではちゃんと「それ」をやっているのだが、そこはそれ。「破傷風の恐ろしさ」を懇親で描こうとした結果、子どもを病人主人公にした闘病ジャンルのはずの『震える舌』が、『エクソシスト(74年 原題:The Exorcist)』を余裕で凌駕するレベルのオカルトホラー映画に仕立て上げた野村監督である。 かくしてこの映画のクライマックスにおいては、一方で「刃物をブン回す小川真由美の女般若に全速力で追い掛け回され、いろんな意味で死に掛けながら、鍾乳洞の中を絶叫しながら逃げ回るショーケン」と「鍾乳洞の入り口で、村人を集めながら淡々と、のんびり謎解きをする金田一」という、世にも奇妙な「サスペンス本格推理のクライマックス」が出来上がってしまうのだ。
確かに「実は推理小説の名探偵は、事件を未然に防ぐことが出来ず、後から解釈を付け加えるだけの存在でしかない」は、メタ的テーマとして意義があるし、ショーケンと小川真由美が入り込んだ鍾乳洞は、中が複雑なので、おいそれと二人を探しに入っていくのは逆に危険だというロジックも分かる。
ただ、さらにこの映画(原作ではない)が凄いのは、そもそも「何百年も昔に、村人達に殺された落ち武者達の怨霊の祟り」に見せかけた、遺産相続目当ての連続殺人だったはずの骨子プロットが、いざ、名探偵の推理によって蓋を開けてみれば「怨霊の仕業に見せかけた連続殺人のように見えて、実はこれはやっぱり本当に怨霊の祟りだったんじゃないかとしか、思えないんですねぇ」で締めくくっているところ。 「怨霊の仕業に見せかけた、連続殺人に見せかけた、祟り」野村監督が描きたかったのは「そこ」なのだ。
角川や東映が「おどろおどろしい怨念に見せかけた、人間の恐ろしさ」を描こうとしたのに対して、野村監督はまたしても「一歩踏み込み過ぎ」てしまったのだ(笑) 確かに、似たような題材を扱って、他社の二番煎じをやってもそこそこの数字は稼げるかもしれないが、それは負けを意味する。他者が手がけた表現を、被せで自分がやっても意味は無く、誰がやったって同じ結果しか呼ばないのも自明の理だ。 だからなのだろうか。 この映画は「やめておけばよかったのに」レベルで「他の映画会社の横溝金田一映画には無い独自性」に溢れている。 「津山三十人殺し」を題材にした小説は他にもたくさんあって、映画になった例では、故・古尾谷雅人主演の『丑三つの村(83年)』などあるが、この映画は、その「津山三十人殺し」そのものが「何百年も昔に、村人達に殺された落ち武者達の怨霊の祟り」そのものであり、本作のメインストリームを占める連続殺人も、その祟りだという解釈で終わる。 エンディング間近。
落ち武者達を殺した村長の子孫の豪邸が、滅び炎上していく炎を見下ろしながら、落ち武者達の亡霊(演ずるは、この人なくして70年代映画は語れない夏八木勲、そして田中邦衛、佐藤蛾次郎)が、高笑いしながら終焉を告げる。 「何を撮っても究極のオカルトホラーにしてしまう巨匠・野村芳太郎」の狂気人生は、『拝啓天皇陛下様シリーズ(63年〜64年)』辺りから既にはじまっていたのかもしれない。 面白いのは「一見、怪奇現象やオカルティックな怨霊の仕業に見せかけた科学犯罪を、科学捜査の力で解決する」をテーマに製作された、この映画より一昔前の子ども向けテレビドラマシリーズ『怪奇大作戦(68年)』の『霧の童話(脚本・上原正三 監督・飯島敏宏)』でも、全く同じテーマ、骨子が描かれていることだろう。 こちらはもっと明確に、津山三十人殺しとは全くの無関係のまま、「何百年も昔に、村人達に殺された落ち武者達の怨霊の祟り」を、村を観光地開発しようとした業者を脅すために、村の老人達が利用したという筋書きだが、こちらの村もまた「理屈や科学では解明できない」レベルでラスト、村が滅んでいる。 野村監督が『八つ墓村』を撮る時に『霧の童話』を見ていたかどうかは定かではないが、日本は、日本人は皆均等に一人として逃れることなく、その「原罪」の下に生まれ生きているからこそ、こういうテーマが同時多発で産み落とされるのかもしれない。 かつて縄文時代に無数に存在していた現住民族は、大陸から侵略してきた騎馬民族に全て抹殺され、その騎馬民族はやがて自らを大和民族と名乗り、まるで、最初からこの土地に生れ落ちて派遣を握っていたかのように神話や伝承を偽造して、口裏を合わせ国を栄えさせたという。 「祟りじゃ……八つ墓村の、祟りじゃああ!」 https://www.facebook.com/tigerichikawa/posts/%E5%85%AB%E3%81%A4%E5%A2%93%E6%9D%9177%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%A5%9F%E3%82%8A%E3%81%AB%E6%B5%81%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%BD%AA-%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%9D%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%BF%E5%87%BA%E3%81%97%E8%82%B2%E3%82%93%E3%81%A0%E6%9C%AC%E6%A0%BC%E6%8E%A8%E7%90%86%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%81%AF%E3%81%BE%E3%81%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E8%AC%8E%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%B8%E6%8E%A8%E7%90%86%E3%81%A8%E7%9F%A5%E7%9A%84%E9%A1%9E%E6%8E%A8%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%A6%E4%BC%8F%E7%B7%9A%E3%82%92/780646155289274/ ▲△▽▼ 1977年の『八つ墓村』(監督・野村芳太郎)って、一体なんだったんですか? https://blog.goo.ne.jp/remade-berokron2/e/9b43dbb9e63edaafed42ad76ee35527e 映画『八つ墓村』(1977年10月公開 松竹 151分)
監督 …… 野村 芳太郎(58歳 2005年没) 脚本 …… 橋本 忍(59歳 今もご健在!) 音楽 …… 芥川 也寸志(52歳 1989年没) おもなキャスティング 寺田辰弥 …… 萩原 健一(27歳) 森美也子 …… 小川 真由美(37歳) 多治見春代 …… 山本 陽子(35歳) 多治見小竹 …… 市原 悦子(41歳 バアちゃん若っ!) 多治見久弥・要蔵(2役) …… 山崎 努(40歳) 久野恒三郎医師(原作の恒実) …… 藤岡 琢也(47歳 2006年没) 工藤校長(原作の慶勝院梅幸尼にあたる)…… 下條 正巳(62歳 2004年没) 美也子の義父・森荘吉(原作の野村荘吉)…… 浜村 純(71歳 1995年没) 井川勘治(原作の兼吉) …… 井川 比佐志(40歳) 濃茶の尼・妙蓮 …… 任田 順好(とうだ じゅんこう ?歳) 村人・片岡吉蔵 …… 山谷 初男(43歳) 16代目・金田一耕助 …… 渥美 清(49歳 1996年没) 9代目・磯川常次郎警部 …… 花沢 徳衛(66歳 2001年没) 磯川警部の部下・矢島刑事 …… 綿引 勝彦(31歳) 村の交番の新井巡査 …… 下條 アトム(30歳 言うまでもなく下條正巳の息子) 諏訪啓弁護士 …… 大滝 秀治(52歳 2012年没……) 井川丑松 …… 加藤 嘉(64歳 1988年没) 井川鶴子 …… 中野 良子(27歳) 武将・尼子義孝 …… 夏八木 勲(37歳) ※日本ミステリー界の巨星・横溝正史による金田一耕助ものの第4長編『八つ墓村』(1949年3月〜51年1月連載)の4度目の映像化
※本作は、金田一耕助が登場する映画の中では歴代最高の「配給収入19億9千万円」を記録している(「配給収入」は、現在メディアでよく使われている「興行収入」のうちの「映画会社の取り分60% ほど」ということになるので、『八つ墓村』の「興行収入」はだいたい「32億円」ということになる) ※本作における「監督・野村&脚本・橋本&音楽・也寸志」という松竹黄金トリオは、『ゼロの焦点』(1961年3月公開 原作・松本清張)から組まれていたが、現在では『八つ墓村』の前作にあたる『砂の器』(1974年10月公開 原作・松本清張)が特に有名 ※監督・野村と音楽・也寸志のタッグはそれ以降も松本清張作品で組まれていたが、脚本・橋本の参加はこの『八つ墓村』が最後になった ※時代設定が原作の「1948年」ではなく「1977年現代(当時)」に修正されている ※原作での重要登場人物である「里村兄妹」「麻呂尾寺・蓮光寺・慶勝院の僧たち」「新居医師」らが本作ではカットされている ※原作では八つ墓村の有力者一族は「田治見」なのだが、本作ではなぜか「多治見」表記になっている ※『八つ墓村』は2012年11月時点では最新作となる2004年10月放送の TVスペシャルドラマ版(主演・稲垣吾郎)まで「9回」映像化されており、この回数は金田一耕助ものの映像化された原作の中でも最多となる(次に多いのは映像化「8回」の『犬神家の一族』) ※当時、同じ時期に公開されていた市川崑監督による東宝の「石坂金田一シリーズ」では、2ヶ月前の1977年8月に第3作『獄門島』が公開されており、TV ドラマでも1977年4〜10月に「古谷金田一」による連続ドラマシリーズ(第1シーズン)が放送されているという盛況ぶりだった ※公式資料によると、原作で「八つ墓村」事件の捜査にあたった時点(1948年5月)での金田一耕助の年齢は「35歳」だった ※映画にはその他、田中邦衛、吉岡秀隆(子役)、島田陽子、風間杜夫らがチョイ役で出演している いや〜、出ましたね、山崎努の『八つ墓村』、「たたりじゃ〜っ!」の『八つ墓村』、被害者1人1人の死にざまがいちいちハデで気持ち悪い『八つ墓村』が!! 我が『長岡京エイリアン』でも再三再四くっちゃべっているように、この『八つ墓村』という大長編小説は多くの横溝正史作品の中でも最多の回数で映像化されている超メジャータイトルであり、そのいっぽうで、あまりにも質・量ともに「頭からしっぽの先まで」内容のぎっちり詰まったミステリー作品であるがゆえに、「原作に忠実な映像化」がそうとう難しいものであるという点でも有名です。 要するに、これまでに映像化された9作品のすべてがそれぞれの持ち味のあるものになっており、同時にビミョ〜に原作小説とは距離のある出来上がりになっているのです。 もしも、これまでに『八つ墓村』を1度も観たことがない、もしくは1〜2作くらいしか観たことがないという方がいらっしゃるのだとしたら、私としてはこう言わせていただきたいです。 「人生は長い。『八つ墓村』は原作と9ヴァージョンの映像化作品しかない。コンプリートしたっていいじゃないか!!」 ほんとよ。なにはなくとも、「ミステリー」としても「冒険小説」としても「幻想小説」としても完成された大傑作である原作小説の『八つ墓村』を堪能していただくのは大前提だとして、『八つ墓村』の場合は、それを読んで自分の脳内に構築された「おらが八つ墓村」と映像化作品の中での八つ墓村とを比較してみて、その意外な情景・展開の違いに驚くという素晴らしい楽しみ方ができるわけなのです。 これはやっぱり、何度も映像化されている作品であるからこその愉悦ですね……しかも昨今は、だいたいの金田一作品が映像ソフト化されている幸せな状況ですので、入手できるうちに「あぁ〜、そうそう、こういう話だったわ!」とか、「そうか、これが伝説となったヴァージョンなのか……」とか味わいつくさない手はないんじゃないでしょうか。迷ってるヒマはありませんよ!? 個人的な意見を言わせていただきますと、これは前にも触れたかと思うのですが、原作に最も忠実な映像化作品は、私が生まれて初めて『八つ墓村』に出会うこととなった1991年7月放送の古谷一行による TVスペシャル版の『八つ墓村』なんじゃなかろうか、と思っています。登場人物も里村兄妹以外はだいたい出そろっていたし、「寺田辰弥の実の父」のエピソードとかをちゃんと後半に扱っていたのが良かったですね。あれ、当時の私、小学生!? これもちゃんと観なおさないといけませんかねぇ。夏木マリ、こわいよ〜。 とまぁ、そんな中での、1977年映画版の『八つ墓村』であります。
これはもうなんと言っても、「山崎努の演じた『多治見32人殺し』シーンがとんでもなく怖い!」というビジュアルイメージが一人歩きしまくっている作品ということがまず最初にきますし、「映像化された金田一作品」の映画の中でも最大級のヒットを記録したタイトルだということでも知られています。 「金田一耕助の出てくる映画」とくると、おそらくほとんどの方が思い出すのは、市川崑監督による東宝の「石坂金田一シリーズ」ということになるでしょうし、まずはそっちのシリーズの第1作で、この『八つ墓村』の丸1年前に公開された大ヒット作品『犬神家の一族』(1976年10月公開)が頭に浮かぶかとは思います。実際に、今回私が購入した DVDの特典映像としておさめられていた予告編の中には、インタヴュアーが街の人々に「金田一耕助といえば?」と聞いて、「石坂浩二でしょ!」「えぇ〜、渥美清がやるの?」という反応を受けるというひとこまもありました。 でも、『犬神家の一族』の配給収入は「13億円」だったので、結局いちばんの大成功をかっさらっていったのは、シリーズ化されることもなかったこの「渥美金田一」による『八つ墓村』だったんですね。 ところがこの1977年の『八つ墓村』は、他のヴァージョンと比較してももっとも「金田一・横溝テイストの希薄な作品」だと言い切ってもおかしくはない大幅なアレンジが加えられているのです。いや、完全に別作品になっているとまではいかないんですけど、「え! そこ広げるの!?」という脱線のぐあいがトンデモないと言いますか、話の大筋は同じなのに、映画のジャンルが思いっきり変わっちゃってるんですよね……ミステリーじゃなくて、丸っきりの「ホラー映画」になっちゃってんの! 「金田一・横溝テイスト」が薄まっているのならば、そのぶん何が作品の主成分になっているのかといいますと、これはやはり「野村・橋本・也寸志トリオ」による松竹大作映画テイストなんじゃないでしょうか。しかも、どこに大作の比重を置いているのかといえば、原作ではそれほど中心に入ってこなかったはずの「戦国時代の尼子家の落ち武者のたたり!」という部分だったのですからさぁ大変。 1977年版の『八つ墓村』は、その「たたりじゃ〜!」のイメージを頭に置いて観始めるとちょっと肩透かしをくらってしまうほどに、いくつかの決めどころでの「也寸志オーケストラの入った超ハイテンションシーン」をのぞけば、いたって物静かな画面が淡々と続いていく作品になっています。その点からしてまず、きわめてアクの強い登場人物が連続して顔を出してくる横溝正史ワールドとはちょっと違う空気感があり、それこそ、松竹大作映画の『砂の器』を思わせるような松本清張的社会派ミステリー演出を押し出しているような印象もあります。だいたい、中盤であんなにものすごい感じになる山崎努さんでさえ、序盤は病弱な設定の別の役で登場しているので、全体的におかしいくらいのテンションの低さになっているわけなのです。そういえば、このヴァージョンの『八つ墓村』での「不気味な双子の老婆」も、それほど不気味ではなく単に陰険なバアちゃん2人組になっていますね。 ただし、この『八つ墓村』に淡々としたまま静かな社会派ミステリー映画として終わっていくつもりが毛頭ないことがわかる伏線はのっけから提示されており、なにはなくともタイトルロール前、物語は現代ではなく戦国時代! 1566年の中国地方の山奥を命からがら落ちのびる尼子家の武将一行というところから始まっていくのです。え、金田一耕助の出てくる映画じゃないの、これ!? ……と、ですね。ここまでつづってきて思ったのですが、この1977年版の『八つ墓村』は、監督と脚本と音楽、特に完成された本編の中でのインパクトの割合を考えれば、音楽をうまく利用した「なにか大変なことが起こるような予感のある静けさ」と「ほんとに大変なことになっちゃった!」の2パターンの相互作用で2時間半という長丁場をのりきっている作品だといえるのではないのでしょうか。ほんとにそれだけ! 他の映画とかでは、あとは「テーマの重さ」とか「泣ける感動の展開」とかが必要になってくるかもしれないのですが、そのへんはこの作品は完全にかなぐり捨てているいさぎよさがあります。もしかしたら、「テーマとか感動とかは『砂の器』でやりきったしな……」という思いが製作陣にはあったのかも?
最初っから最後まで、じめじめ系のドキドキワクワクしかない! 全施設、木造築200年の建物しかならんでいないディズニーランド級の遊園地みたいなものですね。さぁ、キミは帰って来られるかな!? ということなので、少々長くなってしまうのですが、やっぱりここは、この記事を読んでいるみなさとご一緒に『八つ墓村』を観るということができない以上、我が『長岡京エイリアン』恒例の流れで、 「ドキッ☆ 1977年の『八つ墓村』 たたりだらけの本編タイムスケジュール」 をまとめてみるのがいちばんわかりやすいかと思われます。 この作品は「本編時間151分」というてんこ盛りなボリュームになっているわけなのですが、これは、これまで世に出てきた金田一耕助もの横溝小説の映像化作品の中でも、ぶっ通しで観る1本の作品の中でいえば「歴代最長」となっています。やたら大作な印象のある市川崑の「石坂金田一シリーズ」でも、この2時間半をこえるものはなかったんですね。ただしその例外として、1949年に「前後篇2部作」というかたちで公開された映画『獄門島(ごくもんじま)』(監督・松田定次、主演・片岡千恵蔵)はトータルで169分。1977〜78年に2シーズン放送されて TVの世界から当時の横溝ブームを牽引することとなった古谷金田一による『横溝正史シリーズT、U』は1回1時間分の連続ドラマだったため、こっちのヴァージョンでの『八つ墓村』も含めて、全回分あわせれば3時間をゆうにこえる長編作品が7作あります。最長は『悪魔の手毬唄』(1977年)の「284分(4時間44分)」!! そりゃあ DVDも2巻組になるわ! 余談ですが、1978年に放送された古谷金田一のほうの『八つ墓村』は「犯人の設定」が原作から大幅にアレンジされているため、こっちもこっちで原作からは距離を置いた映像化作品になっています。 ま、とにかく2時間半という長さの1977年の『八つ墓村』であるわけなんですが、これがまぁ、観れば観るほど興味深いタイムスケジュールになっとるんですわ! はいっ、そんな感じで、なつかしい昭和の風景をとらえた紀行番組みたいな空気感から、なんの遠慮もなく一瞬にしてテンションMAX のホラー映画へとカットインしてしまう、「ふつうのおそばと真っ赤なハバネロ練りこみ麺とが、か〜りぺったか〜りぺったでお椀にとびこんでくる」古今無双のムチャクチャ映画『八つ墓村1977』についてのあれこれの続きは、また次回のココロだ〜。 2012年、こんな殺伐とした現在だからこそ、みんなでもう一度、能天気に元気よくあの言葉を叫んでみようじゃありませんか。 たたりじゃ〜っ☆ コメント
いや、見直してみると良かったですよ。 (Sahara)2016-11-21 15:19:02 八つ墓村はよくできた因縁話とでもいう物語で、推理やサスペンスというよりもどちらかといえば怪談に近い。野村芳太郎監督はこれをキチンと怪談話として映像化していると思います。 物語中盤の津山事件を怪演する山崎努が圧巻、これとラストの小川真由美が演じる洞窟内での鬼ごっこの2つのシーンが双璧を成す物語のヤマ場になっています。この2つのシーンだけでも観る価値はあります。 渥美清が演じる金田一耕助は、もはや探偵とはいえず郷土史家のような趣で物語の因縁を解き明かすだけの役割しかありません。 物語のラストは『騙し討ちに遭った尼子の落武者たちの恨みが、不思議な縁(えにし)によって晴らされた』という一種の爽快感さえある終わり方になっています。 そう、もちろん良いのです! (そうだい)2016-11-22 01:15:38
Sahara さま、わたくしめの長々とした駄文をたったの4行で要約してしまう素晴らしいコメント、まことにありがとうございます!! そうでございます、私もこの1977年版を「最低の駄作」と言いたいのでは決してなく、「時を超えて観る人を愕然とさせるどぎつさを持った劇物」として歴史的なひどさと言わせていただいたのです。だから、たま〜に無性に観たくなるというか。 論理的推理の魅力に満ちた原作小説からかけ離れていることは言わずもがななのですが、確かに原作に匹敵するおもしろさを持った作品であることは間違いがないんですよね。これはもう、キューブリック版『シャイニング』かこの1977年版『八つ墓村』かっていう稀有な確率だと思います。 あの野村芳太郎監督が堂々と大作規模で怪談映画を撮っちゃった……やっぱり、70年代はもんのすごいですね! https://blog.goo.ne.jp/remade-berokron2/e/9b43dbb9e63edaafed42ad76ee35527e
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