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(回答先: 名曲喫茶に行こう 投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 08 日 04:02:20)
上野の森のメジューエワ GRFのある部屋 2017年 09月 01日
http://tannoy.exblog.jp/28108262/
前日の金曜日は久し振りに深酒して、ワインは三人でシャンペンを含めて三本、そしてウィスキーも気がついたら封を開けていました。そんなわけで、演奏会当日の午前中は寝ていたので、家を出たのが開演一時間前、何時もならそれでも余裕で付くのですが、二日酔い気味なので日和って、駅までタクシーを待っていたら、土曜日の所為かなかなか来ません。そんなときに限って、電車は事故の影響で遅れているし、上野駅のホームに滑り込んだときは、開演5分前。上野の文化会館の小ホールの坂を上っているときには、待っている係員の方も心配されるほど。私の入場を待ってドアが閉まりました。
なんだか、何時もぎりぎりに到着している記事ばかり書いていますが、何時もはそんなことはなく、だいたい15分前には到着しています。会場前の30分以前だと外で待たされるので、開場した後ぐらいを目標ですね。川崎だと、阿佐ヶ谷から一時間以上掛かっていますから、開演前に気付け薬の白を一杯所望します。スパークリングやビールだとトイレが心配ですし・・・
そこだけ空いた自分の席に座って周りを見渡すと、回りは初老の男性陣でほぼ満席です。それでも、すぐに開演と言うことはなく、10分ぐらい経ってからメジューエワの登場です。所作が日本人的で、京都の深窓の令嬢という感じが何時もします。東京のという感じはしないのがわれながら不思議ですが。
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早速、一曲目のベートーヴェンピアノソナタ27番が始まりました。目の前の1925年生のNYスタインウェイCD135が少し古めかしい音を出し始めました。今日は特に古めかしい響きで驚きました。明るい音で、和音も深いのですが、音の質が揃っていない感じがして、27番を聴いている最中は、少し心が落ち着きませんでした。
旧いNYスタインウェイでは1887年製をよく江口玲さんの演奏会で聴きます。
フィリアホールで 川久保賜紀さん GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/25156440/
モーツァルト以前には良いのですが、ベートーヴェン以降のダイナミクスが重要な曲には、現代のピアノの方がマッチすると思っています。今日のNo.135は現代と19世紀のピアノの中間ですね。ちなみに、このピアノは神戸の会社が所有してきて、東京まで輸送してきます。費用も掛かるのですが、メジュエーワの意向もあるのでしょう。
「クラシック・ニュース」ピアノイリーナ・メジューエワ 演奏生活20周年をむかえて! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1S1Hfsnudik
この動画の最後の方で、次回以降の東京文化会館もこの楽器を演奏すると言っています。彼女の日本語は完璧ですね。
27番は、後期のベートーヴェンのソナタの入り口です。彼女も、晩年の世界への序書のつもりで弾いていると言っています。つぎの28番は、違う世界観ですから、27番の方が合っています。続いて、30番の規律正しい音、正しいだけではなく倫理的にも清々しさを感じさせる演奏は多くはありません。彼女の楽譜を読みながら演奏するスタイルにも、常にスコアと対面して、確認している演奏を感じます。スコアを見ながら弾けると言うことは、実は眼をつぶっていても弾ける技量を必要とします。彼女は、スコアと左手の間を確認にしてるようです。右手を見ることはほとんどありません。時として右手だけで弾くときは左手は指揮をするようにタイミングを示しているのです。
ピアニストほど暗譜を求められる楽器はありません。その他には、ヴァイオリンがソロを弾くときぐらいです。ピアノももちろん、他の楽器と協奏するときは、必ず譜面を見ながら弾かざるを得ないのですが、ソロの場合は、暗譜の演奏を求められるのです。譜面を見ながら演奏していた大家はもちろんリヒテルです。しかし、リヒテルの譜面の読み方は、時として感情を爆発させたときのブレーキ役として譜面を使っているように見えるのです。
メジューエワの譜面は、楽譜に音楽に誠実に、譜面による規矩を作り、それを守ることによりあの高貴な倫理性を出しているのだと思います。譜面を読みながら弾くという行為は、当たり前のように見えていて実は大変難しい演奏スタイルなのです。彼女はそれを貫き通して音楽に誠実に仕えているのでしょう。
30番の二楽章を聴くとショパンのピアノソナタの第二番の旋律を思い出します。28番が新しい時代の幕開けを感じるのは、シューベルトのピアノソナタと同じです。モーツァルトもそうですね。突き詰めていくと時代性をも越える世界に入っていくのでしょう。
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休憩時間に、エビネンコさんとお会いしました。先日のミューザ以来です。三月のヤマハホールでのメジューエワでもお会いしましたね。
ヤマハホールのメジューエワ GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/27648506/
そういえば、その時の公演のCDが先日でました。何時もの若林工房の録音ですが、CDで聴いてもヤマハのピアノの音がします。そしてろくおんはワンポイントに近い方法なので、ホールの音の影響を凄く受けます。このホールでは、音がこもり気味ですが、その感じは良く出ていますが、ピアノの音をとるには良い環境とはいえませんね。それに、リヒテルのヤマハの音とは違うのは、チューニングの差でしょうか?チューニングと言えば、席に戻るとステージ上では、調律師がチューニングをやり直していました。やはり湿気で微妙に音がずれていたようです。音はだいぶ合ってきました。
後半の一曲目は、31番からです。最後の三曲のソナタの中では一番聴いているかもしれません。ピアニストに依って、全く違う曲のようにも聞こえます。バックハウス、ケンプ、リヒテル、ギレリス、ブレンデル、アシュケナージ、バレンボイム等々の巨匠たちの演奏を聴くたびにそう思うのです。第一楽章の出だしの優しさから、一転してベートーヴェンの世界が展開します。短いけど印象的な第二楽章のスケルツォを経て、第三楽章は複雑な構成の深いテーマから始まり、忘れられない変イ短調の『嘆きの歌』から変イ長調のフーガに移り、少しずつ盛り上がっていくところを、淡々と丁寧に、しかし、力強くメジューエワは弾いていきます。そしてあの和音の連続、そして無限の広がりをか感じさせる最後のフーガの上昇旋律。引き寄せられるように譜面の動きを追っている自分がいました。
メジューエワの譜面の読みは、イザベル・ファーストのときのようなバッハ自身の自筆の譜面を使って、ながれやダイナミクスを見ているのではなく、建築の設計図みたく音楽の構造を示しているのであり、その骨組みの中で最大限自分を爆発していくときの枠組みとして使っているのだと感じました。その意味ではリヒテルと同じですね。
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そしてベートーヴェン特有のハ短調で書かれた最後のピアノソナタ32番が始まりました。どこから聴いてもベートーヴェンとわかる調整と構成です。ワルトシュタインやテンペストも、悲壮もすべての要素がこの最後のソナタの第一楽章を聴いているとよみがえってきます。協奏曲の皇帝のように、ピアノのフレームが軋むようにも鳴り響くのです。きわめてベートーヴェン的ですね。その意味で、1925年製のこのピアノが、メジューエワの音のサイズと合っているのではと思いました。休憩時間に調整した後の和音は破綻なく鳴り響いています。
第一楽章のきわめてベートーヴェン的な響きを終えて、第二楽章もある意味きわめてベートーヴェン的な旋律です。そして静かに変奏していくいくつものヴァリエーション、ベートーヴェンの最後のピアノソナタは、ハ長調で静かに締めくくられるのでした。その小さな日だまりのような、陽光が差してくる光がメジューエワの演奏にも感じられて幸せな気分で曲は終わりました。素晴らしい演奏でした。
イリーナ・メジューエワの日本デビュー20周年記念リサイタル Vol.1
2017年8月26日(土) 東京文化会館小ホール
オール・ベートーヴェン・プログラム
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
【休 憩】
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
ベートーヴェン|ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
【アンコール】
ベートーヴェン|6つのバガテル〜第5曲 Op.126-5
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58. 中川隆[-6526] koaQ7Jey 2017年9月03日 11:55:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
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ヤマハホールのメジューエワ GRFのある部屋 2017年 03月 19日
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ヤマハホールに行くには新橋駅の方が近いだろうと赤坂見附で銀座線に乗ったのが大間違い、溜池山王のホームの人多さに仰天して、なおかつ、虎ノ門と新橋のあいだは、久しぶりに超満員でつぶされました。全く身動きとれぬまま乗ったのはどのくらいぶりでしょう。新橋駅で排水溝にあふれる水のようにはき出されるまで、呼吸も困難な混み具合でした。夕方六時過ぎの官庁のかえりのラッシュアワーなのでしょうか。
杉並の家から来る場合、銀座は時間は掛かりますが、地下鉄一本でこれますから便利なところなのですが、赤坂見附で乗り換えてすこしだけでも近い方と選んだのが間違いだったようです。気を取り直して地上に出ると、暗くなった街には冷たい東の風が吹いていました。幸いにも花粉はあまり飛んでいないようです。この時期の演奏会では花粉症が最大の懸念事項ですから。
銀座のヤマハホールは、定員333名の小さなホールです。幅も比較的狭く、先日の白寿ホールよりも小さく、やはりピアノを専門に聞くホールですね。エレベータしかないホールへのアクセスが悪く、また下ろされる七階から、ホールの入り口である八階と称される二階分は優にある階段を歩かされるのが大変です。
脚の悪い方は、右側の汎用エレベーターで八階まで行けるのでしょうが、チケットはどうなるのでしょう。そしてお手洗いはその七階にしかありません。このアクセスの悪さは、四人に一人は高齢者の日本のホールとは思えない配慮のなさです。
前回の河村さんの時も、ホールの構造に驚きましたが、今回はますます嫌いなホールになりました。いざというときの避難誘導は出来るのでしょうか?
前置きが長くなりましたが、地下鉄の混雑やホールの使いにくさもちろん、演奏には関係ないのですが、次回の文化会館の方に期待しましょう。ヤマハホールですから、今日のピアノはヤマハです。
前回、名古屋で聞いたときはスタインウェイでしたが、どこかヤマハ的な響きがしたのを覚えてきます。最も彼女が尊敬するリヒテルは、ヤマハのピアノを弾いていたのですから、ロシアン・ピアニズムには合っているのかもしれません。二年ほど前のレオンスカヤもヤマハを使っていました。
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今日の席も、名古屋の時と同じようにまえから4番目、右側の席です。ピアノの響きが良く、演奏者の表情がよく見られます。演奏中譜面をみつめる彼女の端正なお顔を見ていられる特等席です。前回のショパンの時の表情は忘れられません。
「ところが、その柔らかでしとやかな印象とはうらはらに椅子に座った瞬間、目つきがまったく違い、真剣勝負の気迫がみなぎります。そして、打ち落ろされた音には、度肝を抜かれました。ショパンのボロネーズ第一番です。嬰ハ短調のショパン特有の響きが、予想を上回る音量できこえてきたからです。
久しぶりに、調音がしっかり出来て、コンサートグランドピアノ特有の腰がしっかりした音を聴いたような気がします。スタインウェイの楽器ですが、中音の厚みはヤマハのピアノの響きさえ感じます。通常の硬質で、高音がきれいなスタインウェイではありません。ペダルワークの的確さから来るのか、音の重なりと余韻のコントロールが見事で、和音がとても解りやすく聞こえます。
驚いたまま、疾風のようにボロネーズが駆け抜けていきます。二曲目のノクターンは、一転して、柔らかな響きの中に、粒立ちの良い高音の鍵がきらめいていました。そして、ワルツから、バラードの第四番です。この曲ほど、彼女の二面性を良く表している曲は無いと感じました。
静かにはじまる導入部。悲しみに満ちたショパン特有の旋律を一音一音響きを確かめながら静かに弾いていくゆったりとした時間。段々盛り上がっていくにつけ徐々に見えてくるショパンの狂気。
一瞬の全休止。
雪崩打つようにすべてが崩壊していく最後のコーダ。両手が交差しても、目だけは眼光鋭く譜面の中に没頭していく彼女の顔は、すさまじい力で、狂乱のコーダを進行してきます。驚きました。全力で弾いている彼女の背中は首から肩に掛けて、アスリートのように盛り上がり、尋常ではない力がみなぎり、格闘技のように音を切り開き、重ね合わせていきます。
眼光背紙を徹するという言葉を思い出させる気迫に溢れた鋭い、真剣で立ち向かう剣士のような殺気さえ感じる演奏でした。
驚き、感動しました。」
と、前回書いたとおりです。ところが、今回のシューベルトは表情が違います。真剣ですが、穏やかな表情で楽譜を見ているのです。もちろん、全音譜面を見ながら弾いていますから、視線は楽譜を追って左上から右下へ移っていきます。結果として音楽の設計図が正確に再現されていきます。空白の時間が過不足無く表現されるのです。それが安心感となって誠実に音楽が進んでいきます。
何よりも音が穏やかで柔らかい。シューベルトは音階が穏やかに繋がります。そして、時々輝いていた景色に雲がかかるように音階が微妙に動き、日が陰り悲しみが姿を現します。D.946の二曲目に現れていました。シューベルトの悲しみは、水車小屋のほとりを流れるきらきら日を浴びて輝く水の流れにも現れます。透徹した空の青さのようなモーツァルトの悲しみとは違い、幸せが移ろいで行くのです。
休憩時間は、先日の白寿ホールに引き続いてエビネンコさんと、感想を延べ合いました。彼は初めて聞くメジューエワの誠実さとエレガンスさに感銘を受けたようです。実際に彼女の真摯な演奏を聴けば誰もがそう思うことでしょう。
後半は最後のピアノソナタD.960です。若い頃リヒテルの演奏を聴き驚き感銘しました。それから、どれだけこの演奏を聴いたことでしょう。リヒテル特有の沈潜した響きでは無く、メジューエワは、むしろ大きめな音で淡々と進んでいきますが、次第に情熱が燃えてきて、裂帛の気合いに満ちてきます。一方、譜面の空間を感じているのでしょうか、音の無い時が止まり、再び動き出す休止符がとても的確だし、大空間を感じさせてくれました。長い第一楽章だけで、感情があふれてきて胸が一杯になりました。
長いソナタを、充実した時間として過ごすことが出来ました。アンコールは、アレグレットと前半の三つのピアノ曲D946の第一番の省略された部分から冒頭の繰り返しを演奏してくれました。アンコールまで統一感のとれた演奏だったと思います。メジューエワさんの礼をする姿が優雅ですね。心に残る演奏会になりました。
2017年3月17日(金) 19:00開演
ヤマハホール(東京 銀座)
シューベルト:
2つのスケルツォ D593
3つのピアノ曲(即興曲)D946
ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
アンコール
アレグレット ハ短調 D915
3つのピアノ曲 D946 第一番から
Comments(4)
Commented by S.Y at 2017-03-21 11:04
GRFさま
銀座のヤマハ・ホール、満員だったのですね。
退出時のエレベーターも大混雑だったのではありませんか?
非常階段も開放されたのかなあ?
でも、あの階段も暗くて下までおりるのは大変ですね。
ヤマハホールはクラシックの生音(?)に特化していて、残響音が異常に長いと思うのですが、いかがでしたか?
僕はジャズ、ポピュラー系しか聞いていませんが、残響音が長すぎる、響きすぎると感じています。
S.Y
Commented by TANNOY-GRF at 2017-03-21 20:24
あのホールは、行きも帰りも大変です。非常ドアも少ないし、階段がとても歩きにくいです。333名でもホールを7階に作るのは反対ですね。昔のヤマハホールは良かったです。レコードコンサートにもよく行きました。おとはクラシック用で、Jazz
やポピュラーもやるのですか?
Commented by S.Y at 2017-03-22 11:34 x
GRFさま
僕が銀座のヤマハ・ホールで聞いたのはアマチュアのお稽古事の発表会ですね。
ちょいとした義理があるでおつきあいさせていただいたのでした。(笑)
ジャズやらポピュラーの演奏を想定していないような残響なので、それを知らずに雇われたPAさんが通常のライブハウス風のセッティングをしたので、大変なことになってしまいました。
音は割れてバンバン響いて、うるさいこと、うるさいこと。
まいりました。
ましてシロウトの演奏ですから・・・・。(涙)
旧ヤマハ・ホールには、隣のガス・ホールともども、映画の試写会などで何度も通いました。懐かしいですね。
本日あたりから脱亜入欧したオーディオ三点セットで交差法による位置合わせです。(フフ)
フランスのCDプレーヤー、スウェーデンのプリメインアンプ、オーストリアのスピーカー。なんちゃってEUですね。(爆)
S.Y
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2018年 12月 07日
週末は上野にメジューエワのドビュッシーを GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/30205596/
先週末の土曜日はもう12月に入っていました。相変わらず暖かく、昼過ぎに出かける時に、夜になったら寒くなるかもと、薄いセーターを上着の下に着てきましたが、電車の中では暑くなって困りました。三日前の北海道も、異常なぐらいな暑さでしたから、いよいよ地球温暖化の影響が出ててきたようです。
今日は待望のメジューエワのドビュッシーです。椀方さんがメジューエワを一回も聴かれていないと言うことなので、関西地方の琵琶湖の演奏会をお薦めしていたのですが、その時の演奏曲目が、没後100年記念のオールドビュッシーのプログラムでした。メジューエワの最初のCDがドビュッシーだったこともあり、私もドビュッシーを実際に聴いてみたいので、今日の公演を探し出し随分も前に購入しました。
その後、椀方さんが急用で行けなくなったという連絡を受けて、思い出してこの演奏会のチケットを確認したところ、発券用のメールが見つからず、焦りました。メールで購入する場合、手続きの途中で、手続きを中断するときもあるからです。しかし、メジューエワの演奏会をやめることはないので、焦ってまた申し込んだのが10月頃でした。
先週の出張前に家人から、今週末はチケットが郵便で送られている上野の演奏会だから、忘れないようにといわれました。
えっ!郵便で送られている?
それでコンビニ発券用のメールがなかったのだとようやく納得しました。老人力もますます磨きが掛かってきています(苦笑)。折角だから家人も誘ってみると、その日は、上野で展覧会を見てそのあと六義園のナイトショーで紅葉を観に行く予定だそうです。無理言って、フェルメールと夜の紅葉鑑賞の間にメジューエワの演奏会をいれてもらいました。食事付きです。家人は随分と豪華な週末になったようです(笑)。
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そんなわけで、別々の席で聴いたわけですが、前から七番目のJ列は同じでした。しかし、メジューエワ来日20周年記念の三回の公演は、前から二列目と三列目でしたから、四列下がるだけでピアノの音が随分と違うと演奏が始まって気がつきました。音が来ないのです。
ドビュッシーの曲にはピアノの選定も大切な要素です。琵琶湖の時は、1927年製のエラールを選んだようです。今回は1922年製のNYスタインウェイです。どちらも時代背景は合っていますので、期待してきたのですが、音が小さい、冴えがない、和音の響きが薄い!冒頭の曲はそういう曲でもあるので、まだ彼女の調子が出ていない所為なのかと、しばらく聴いていましたが、どうもぱっとしません。期待の「沈める寺」まで来て、今日の演奏は今までの中で一番つまらないと感じました。彼女らしい気迫が表れないのです。
めずらしいこともあります。今日で彼女の演奏会は6回目ですが、ここまではっきりしない演奏も初めてです。前回がリストとラフマニノフ、その前がショパンでした。三回連続の上野での公演でも、最初のベートーヴェンの前半も少し音がずれていた記憶があります。彼女の演奏には正確な音のチューニングが必要です。それはわかっているのでしょうが、毎回、第一部での音が少しズレ気味なのも気になります。
古楽器の所為だからでしょうか?それならば管理している側でしっかりと音を合わせて貰いたいと思うのです。もっとも、ドビュッシーの前奏曲集の第一巻は、第二巻の濃密な構成とは違って、風が吹くような曲でもありますから、ショパンやラフマニノフのような力は入っていません。それでも、第一部だけ聴いていると、彼女の調子が上がらない所為かとも思いました。また、このところの一年間で四回も聴いてきたため彼女の演奏スタイルに飽きてきたのかとさえ思っていたのです。印象は、皆同じで、家人もヤマハホールの時の演奏とは随分と違うと印象を語っていました。
ところが、第二部の「映像」の第一集が始まるとその印象が変わり始めました。「映像」の第二集になると、ようやく彼女本来の響きが出てきました。左手の弾き方が、音があってきたのか柔らかく、奥行きのある音を出し始めたのです。二部最後の「喜びの島」になると、ドビュッシーの音の整合性というか、響きの調和というのか、音の純度が上がってきました。
二回目の休み時間でも、そうとう調律を追い込んでいました。それだけ、ずれるのなら、もっと弾き込んで音の安定性が出てから演奏会を始めて欲しいと思います。これは、ピアノを貸し出している会社の責任です。
第三部の前奏曲集第二巻は最初の「霧」の音からして違います。やわらかく散らばる分散音が霧の柔らかさを現し始めました。次の「枯葉」の和音も、ヴィーノと妖精のいきいきとした旋律も浮かび上がってきました。そうで、これがメジューエワのドビュッシーですね。
そのままどんどんと加速して、ふかみとダイナミックさも増し、最終局の「花火」は見事な演奏でした。演奏に乗ったときの彼女は、まったく超人的な境地に入るのです。この一曲を聴けただけでも、今日も来て良かったと思いました。
アンコールの二曲目は、「月の光」でした。花火で燃え上がった内部の炎をみずから沈めていくような滋味深い響きが出ていました。良かったです。
会場の外に出てもまだ暖かく、和風洋食屋さんで夕食をとった後、六義園に行く家人と別れて、大江戸線でのんびりと新宿まで戻り、今日は暖かいので、手前の新高円寺で降りて、近所からどんどん姿を消してしまった本屋さんに寄り、新刊書を探そうとしましたが、阿佐ヶ谷にあった大型店ほどの品揃えはないので少しがっかりしました。阿佐ヶ谷でも四軒あった新刊書をおいてある本屋さんは一軒だけになりました。
淋しいですね。
日時:2018年12月1日
場所:東京文化会館小ホール
ピアノ:イリーナ・メジューエワ
第1部: 前奏曲集 第1巻
第1曲 デルフィの舞姫たち
第2曲
第3曲 野を渡る風
第4曲 音と香りは夕暮れの大気に漂う
第5曲 アナカプリの丘
第6曲 雪の上の足跡
第7曲 西風の見たもの
第8曲 亜麻色の髪の乙女
第9曲 とだえたセレナード
第10曲 沈める寺
第11曲 パックの踊り
第12曲 ミンストレル
《休憩》
第2部: 映像 第1集
水に反映
ラモーを賛えて
運動
映像 第2集
葉ずえを渡る鐘の音
そして月は廃寺に落ちる
金色の魚
喜びの島
《休憩》
第3部: 前奏曲集 第2巻
第1曲 霧
第2曲 枯葉
第3曲 ヴィーノの門
第4曲 妖精は良い踊り子
第5曲 ヒースの茂る荒れ地
第6曲 風変わりなラヴィーヌ将軍
第7曲 月の光がふりそそぐテラス
第8曲 オンディーヌ(水の精)
第9曲 ピックウィック卿を讃えて
第10曲 カノープ
第11曲 交代する3度
第12曲 花火
《アンコール》
ピアノのための12の練習曲 から 第11番 変イ長調
ベルガマスク組曲から 第3曲 月の光変ニ長調
使用楽器:1922年製 NY STEINWAY "Art-Vintage"
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