日本経済が成長しなくなった、あまりにも「残念」な理由 財政政策の「古い見解」vs「新しい見解」 中野剛志:評論家 2021.12.4 https://diamond.jp/articles/-/289179 「積極財政は単なるバラマキ」「財政出動はカンフル剤に過ぎない」などの言説が、日本では主流だ。しかし、2010年代のアメリカでは経済政策の考え方に大転換が起き、これらの言説は「古い見解」と見なされるようになり、「積極財政こそが経済成長を生み出す」という「新しい見解」が主流となった。そして、バイデン政権による画期的な大規模財政出動が現実のものとなったのだ。なぜ、そのような大転換が起きたのか? なぜ、「新しい見解が正しい」と言えるのか? 最新刊『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)で、アメリカの経済政策の最前線を分析した中野剛志氏が解説する。 日本経済が成長しなくなった、あまりにも「残念」な理由 アメリカで起きた経済政策論の「大転換」 『変異する資本主義』の第一章でも論じたように、アメリカにおける主流派経済学の政策論は、2010年代中に、大きく変わった。 オバマ政権下で大統領諮問委員会委員長を務めたジェイソン・ファーマンによれば、かつて主流派経済学者は、積極財政について「短期的な景気刺激策としては有効かもしれないが、長期的な経済成長には効果がない」と主張していた。 積極財政は金利を上昇させて民間投資を抑制する(クラウディングアウト)だろうというのが、その理由の一つである。ほかならぬファーマン自身も、かつてはそう考えて、積極財政に否定的であった。 日本でも、経済学者や評論家が「財政出動は、単なるカンフル剤に過ぎない。経済成長のためには、構造改革などによって生産性を向上させる成長戦略が必要だ」という主張をするのを、よく耳にしたことがあるだろう。 ところが、2016年、ファーマンは、それはもはや「古い見解」だと断じたのである。 では、主流派経済学の「新しい見解」とは、どういうものか。 低金利の状況下では、財政刺激策は非常に有効であり、民間投資を抑制するどころか、逆に呼び込む(クラウディング・イン)ことすらある。その結果、金利は上昇するかもしれないが、それは好ましいことである。さらに、財政支出先が適正なものであるならば、財政拡張は継続してもよい。これが主流派経済学の「新しい見解」だというのである。 同じ年、連邦準備制度理事会(FRB)の議長を務め、現在は財務長官である経済学者ジャネット・イエレンもまた、「危機後のマクロ経済研究」(注1)という注目すべき講演を行っている。ここで言う「危機」とは、2008年の世界金融危機のことである。 この講演でイエレンは、ファーマンの言う「古い見解」は間違いだったと主張したのである。何が間違いだったのか。 2008年の世界金融危機は、積極的な財政金融政策によって、とりあえず克服され、景気は回復した。ところが、危機後の経済成長率は、危機前の水準に戻ることはなく、低位で推移したのである。それは、なぜか。 イエレンは、世界金融危機による需要の急減が、供給側にもダメージを与え、しかも後遺症(経済学では「履歴効果」と言う)として残った結果、潜在的な経済成長力が低下したのではないかと考えた。 そこで彼女は、1970年代にアーサー・オークンが論じた「高圧経済(high pressure economy)」なる概念を持ち出した。「高圧経済」とは、需要が十分にあって、労働市場がタイトな状態の経済を指す。言わば、デマンドプル・インフレの傾向にある経済である。 この高圧経済の下では、大きな需要が存在することから、企業は積極的な投資を行って、生産能力を拡大する。また、技術開発投資や起業も活発に行われる。雇用機会が十分にあり、労働市場がタイトであるため、労働力はより生産的な仕事へと移動する。 したがって、政府が公共投資によって、需要を拡大し、高圧経済の状態を作り出すことができれば、民間投資が誘発され、供給力が高まり、経済成長が可能になる。しかも、高圧経済を維持するためには、政府は財政支出を一時的に拡大するだけではなく、長期間、継続する必要があるかもしれない。 端的に言えば、積極的な財政金融政策は、もはや単なるカンフル剤ではなく、長期の成長戦略でもあるということだ。これは、ファーマンの言う「新しい見解」である。 この「新しい見解」を表明したイエレンが、バイデン政権下で財務長官に就任したのである。 積極財政が経済成長をもたらす では、財政政策が経済成長をもたらすという「新しい見解」は正しいのであろうか。 ここに、クレディセゾン主任研究員の島倉原氏が作成した図がある。OECD33ヵ国と中国について、1997年から2015年の間の財政支出の伸び率と名目GDP成長率の相関をとったものである。 https://diamond.jp/articles/-/289179?page=2 日本経済が成長しなくなった、あまりにも「残念」な理由
見て明らかな通り、極めて高い相関がある。そして、財政支出の伸び率が最も低く、GDP成長率も最低水準にあるのが、日本である。
過去20年の間、どの国よりも財政支出を抑制し続け、そしてどの国よりも成長しなかった国、それが日本なのだ。 「古い見解」に固執する健全財政論者は、この不都合な図を見せられると狼狽え、苦し紛れに「これは、相関関係であって、因果関係ではない」と言い放つのが常である。 要するに、「財政支出の拡大が経済成長をもたらしたのではなく、経済が成長したから財政支出が増えたのかもしれないではないか」と言いたいわけだ。 もちろん、この図だけでは、因果関係は説明できない。 しかし、積極財政が経済成長をもたらすという因果関係については、すでにイエレンが説明した通りである。 他方、「経済が成長したから財政支出が伸びた」という因果関係を想定するのは、相当に無理がある。 なぜなら、もし、財政支出を拡大しても経済成長はできないという「古い見解」が正しいならば、経済が成長したからといって、それに合わせて財政支出を増やさなければならない理由はないだろう。むしろ、財政支出を積極的に抑制することで、経済を成長させた国があってもいいはずだ。 ところが、先ほどの図には、「経済成長率は高いが、財政支出の伸び率は低い」という国はないのである。 また、積極財政は、インフレ圧力をもたらす。「古い見解」を信じる日本の健全財政論者に至っては、積極財政は制御不能なインフレを引き起こすと主張し、デフレ不況下での財政出動にすら反対してきたはずだ。だとすると、経済が成長したら財政支出を増やすなどという財政運営をしたら、極端なインフレになるはずであろう。 ところが、先ほどの図にある通り、日本以外の国は、すべて日本よりも財政支出の伸び率が高いにもかからず、この中に過剰なインフレで苦しんだ国など一つとしてないのである。 ということは、この図は、やはり積極財政が経済を成長させるという「新しい見解」を裏付けるものと解釈すべきなのだ。 すでにバイデン政権は、イエレン財務長官の下で「新しい見解」を採用し、積極財政路線へと転換した(なお、現在、アメリカではインフレが進んでいるが、これは原油高や物流の混乱など供給側に起因するコストプッシュ・インフレであって、財政政策によるものではない。参照資料1 参考資料2)。 ところが、日本は、依然として「古い見解」が幅を利かせている。 それどころか、矢野康治・財務次官が「財務次官、モノ申す「このままでは国家財政は破綻する」(『文藝春秋』(11月号))という論文を大真面目に発表し、それを経済学者やマスメディアあるいは財界人がこぞって賞賛するという有様である。日本経済が成長しなくなったのも当然であろう。間違った「古い見解」を改められないのだから。 なお、この財政政策の「古い見解」vs「新しい見解」を巡っては、12月10日発売の『文藝春秋』(1月号)において、健全財政論者の小林慶一郎氏と対談を行っているので、併せて参照されたい。 (注1)Janet L. Yellen, ‘Macroeconomic Research After the Crisis,’ 60th Annual Economic Conference, Boston, Massachusetts, October 14, 2016 中野剛志(なかの・たけし) 1971年神奈川県生まれ。評論家。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。
主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)、『小林秀雄の政治学』(文春新書)、『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)など。
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