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【1954年】1155人が船と共に海の底へ...台風の中船長はなぜ出航を決定したのか?「洞爺丸沈没事故」【ゆっくり解説】
今回紹介するのは、以前から多数のリクエストを頂いておりました「青函連絡船洞爺丸沈没」です。
1954年当時、本州と北海道を結ぶ主要交通手段は、この青函連絡船しかありませんでした。
そのため、この洞爺丸も非常に重要な船の一つであり、大東亜戦争直後に大急ぎで建造された連絡船の一つでした。
この日、台風15号が九州から日本に上陸しており、勢力を増して北上していきました。
気象台の予報では、15時過ぎには津軽海峡付近を直撃するという情報がはいっており、昼頃には天候が荒れてきていたため、洞爺丸は函館青森間の往復を一時中止し、停泊していました。
しかし、この時の函館には、「台風の目」が通過したと思われる、穏やかな天気が差し掛かったため、洞爺丸船長も「これならばもうすぐ台風も晴れるだろう。」と考えました。
彼は非常に気象に詳しく、仲間内から「天気図」というあだ名で呼ばれるほどの方だったそうです。
そのため、船長は気象台からの情報、実際の天気、そして身近らの経験から、出航を決意。
洞爺丸は海に乗り出していきますが、その直後海は大荒れ。
洞爺丸は、「仮泊法」という、錨を下ろして微速前進するという手法をとりますが...
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