http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/954.html
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(回答先: 原子力発電は本当に危険なのか? 投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 24 日 10:20:50)
核爆発の工業利用という幻想
2021年10月21日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1654.html
原爆による核実験を工業的に利用できないかという試しみは1950年代から頻繁にあった。当時、すでに広島長崎の惨禍が世界的に知られていたにもかかわらず、米軍が被害を軍事機密に指定し、隠蔽したことで、「残置放射能の影響は取るに足らない」と勘違いした人々がたくさん現れた。
【1958年、日本住宅公団初代総裁である加納久朗は、原爆を使った東京湾の埋め立てによる新首都建設構想を発表した。
これは房総丘陵の山々を崩して埋め立て用の土を確保、それを使い東京湾の東半分をすべて埋め立て、ここに皇居を含めた首都機能を移転、新首都「ヤマト」を建設するという壮大な構想だった。
崩す山々のうち、堆積岩から成る鋸山については、核爆発によって山全体をゆるませて岩石を掘りとるというプランを提示していた】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%9A%84%E6%A0%B8%E7%88%86%E7%99%BA
https://tanken.com/tokyobay.html
哀れ、房総半島の名山、鋸山と鹿野山は、海の藻屑に消える運命だった。八犬伝と里見甫を生んだ里見郷も消え去る寸前だった。
しかし、1954年に行われたブラボー水爆による第五福竜丸事件を契機に、国内で原水禁運動が大規模に盛り上がったことにより、東京近郊で核爆発を起こす計画は、トンデモとして消え去った。
だが、1950〜70年代にかけて、米ソが、軍事用大気圏核実験を正当化する目的で、民生利用としての核爆発を相当数、実行した。
そのなかの、ソ連イワノボ州で行った核使用土木工事が何をもたらしたのか、東京新聞が特集した。
双頭の牛が生まれ、住民はガンに…50年前の「ヒロシマ事故」で滅んだソ連の村の真相とは 2021年10月20日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/137831?rct=world
核エネルギー利用の危険性は、核兵器や原発事故を前提に語られてきた。だが原爆で国土開発する実験に失敗し、住民が被ばく、村が滅んだ特異な例もある。ソ連でちょうど50年前に起きた「ヒロシマ事故」の真相を探った。(ロシア西部イワノボ州で、小柳悠志、写真も)
ボルガ川と紅葉した対岸の森の対比が美しい。この森の奥、工業用核実験場グロブス1で1971年9月、「イワノボのヒロシマ」と呼ばれる事故が起きた。
当時の惨事を、現地メディア「ロシア・ビヨンド」はこう伝える。
ソ連は65年以降、人工貯水池を造ったり、地下資源を探査したりするために原爆を「人民経済のための核爆発」として、工業利用してきた。
ツルハシで土を掘ったり、ダイナマイトで発破を掛けたりするよりも、核爆発の方が手っ取り早いと考えたからだ。
71年9月、グロブス1では、広島の原爆の6分の1の威力の核爆弾を地下610メートルで爆発させた。ところが想定外にも、放射性物質で汚染された地下水や土砂が地表に20日間にわたって噴出。最大1万平方メートルの土地が汚染された。
当局は実験場に「立ち入り禁止」の看板を立て、技術者たちは安全な場所に撤退した。
ロシア・ビヨンドによれば、好奇心から事故現場の穴に立ち入った少年2人は「みるみる弱って死んだ」と伝える。奇形の家畜も生まれた。
核事故の情報は隠され、自家用にと実験場の資材を取りに行った住民も死んだとされる。
核政策に詳しい元プラウダ紙科学部長、ウラジーミル・グバレフ氏(83)によると、ソ連は鉱物掘削などに絡む「平和的な産業利用」の核爆発を124回も実施。「300年の作業が数年で終わった」と評価している。
85年に就任したゴルバチョフ書記長は、米国と核軍縮に動き、ソ連の核の工業利用は封印されることになった。
◆生存者が証言「ようやく話題にできた」
「グロブス1」跡地近くのレシュマ村で、ニーナ・ルィービナさん(57)から「ヒロシマ事故」の証言を得た。一問一答は次の通り。
―事故の影響は。
「当時、私は7歳で爆心地から12キロの村に住んでいた。翌年から大きなキノコが生えてきた。事故について政府の説明はなかったが、森への立ち入りやキノコ狩りは禁じられた。年2回、医者が学校に来るようになり、ヨウ素入りの薬が処方された」
―奇形の動物が生まれたとの説がある。
「2年後、双頭の子牛が生まれた。母が勤めていた農場で私も見たので事実だ。事故後はがんで死ぬ人が増えた。若くして死んだ人もいる。私の2人目の子どもは皮膚が黄色くなり、モスクワの特別な病院に連れて行かれた。そこには(核関連施設がある)中部チェリャビンスクの子どもたちも治療に来ていた」
―実験場での爆発時は。
「地震があった。窓が割れるほどではなく、家がゆらゆらする感じ。母によれば、赤いトラックが来て土壌を交換していった。こうした出来事は口外できず、ペレストロイカ(1980年代後半の改革期)が来て、ようやく話題にできるようになった」
―原発など核エネルギーの利用に賛成か。
「太陽光はこの地で十分ではない。石炭も(埋蔵量が)いずれ尽きる。核エネルギーは神様が造ったものだから利用しなければ」
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引用以上
最後のオチは残酷なものだった。村人は科学技術への信仰を捨て去れないのだ。数百年、数千年もの伝統のある村落では、必ず「自分たちの里を守る」という一見保守的な信念が村人たちに根付いているもので、得体の知れない核爆発工事など絶対に許さないだろう。
だが、広大な未開地を抱え、侵略に次ぐ侵略で領土を拡張してきたロシア人・アメリカ人にとって、土地や文化に対する執着は、日本人と比較すれば薄いように思える。
核エネルギーのような科学技術=未知の救世主に期待を寄せる風土というのは、自分たちの生活に伝統と愛着が存在しないことを示している。
また、こんな暴力的事業をやりたがるのは、共産党のような新興勢力の特徴=習性でもある。「科学という御旗」を掲げれば、何でも正当化できると思いたがるのだ。
ソ連では、1957年、チェリャビンスクで「ウラルの核惨事」と呼ばれる巨大放射能事故が起きた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%AB%E6%A0%B8%E6%83%A8%E4%BA%8B
このときも、ソ連共産党は、ほとんど核汚染による被害を認めていないが、少なくとも数十万人が致死的線量を被曝していて、現在までに、おそらく数百万人が被曝によって心筋梗塞や発癌などで死亡したと思われる。また恐ろしい奇形児や遺伝障害が数え切れないほど登場したことだろう。
ソ連共産党は、「共産主義の宣伝」という大義名分のためなら、被害の隠蔽、矮小化が許されると思い込んでいて、党(官僚の利権)のためなら、どんな情報操作を許されると信じているようだ。
だから反省がないことで、1986年、チェルノブイリ原発、巨大放射能事故を起こした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85
このときもソ連当局は、直接の死亡被害者が、わずか33名と公表しただけだが、専門家のなかには、周産期前死産や数十年後の発癌死者を含めれば、地球上で億の単位の死者が出たと推定する者がいる。私も賛成だ。
なお、グリーンピースは直接の事故被曝死者数を約10万人と評価している。
放射能汚染による死亡は、とにかく潜伏期間が長い。もっとも短い白血病や小児甲状腺癌でも数年後からで、心筋梗塞など循環器系疾患のピークは5年後だ。発癌に至っては、最短潜伏期間が10年、プルトニウム誘発癌は40年と評価されていて、遺伝障害の伝播は、7世代200年以上とも評価されている。
だから、フクイチ事故の場合も、おそらく、全世界で周産期前死亡や数十年後の発癌死を含めれば、億単位の死者が出ると理解される可能性は十分にある。
ただ、あまりの潜伏期間の長さが、統計上の因果関係の確定を困難なものにしていて、正確な数字を出せる状況ではない。
アメリカにおける核爆発の工業利用でも、ほぼロシアと同等の被曝事例が発生している。
チャリオット作戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E4%BD%9C%E6%88%A6
米ソ、英仏、中印のような大国は、自らの権威を誇示する目的で核開発を行う場合が多く、日本も例外ではない。
日本の場合も平和利用を隠れ蓑にして、原子力発電を通じた核開発を行っているが、1966年開業の東海原発は、すでに軽水炉が主流だったのに、わざわざ時代遅れの黒鉛冷却炉を導入した。その理由は、兵器用プルトニウムの生成のために効率的だったからで、逆に民生用、発電炉としては、巨大地震が懸念される茨城太平洋岸の地は不適格だった。
したがって、平和利用を隠れ蓑にした核爆弾開発だったといえよう。
核兵器放射能の恐ろしさは、広島長崎の経験が報告されていながら、その威力に対する魅力の前に、正しく評価されないことが多い。
1978年、夏目雅子主演の「西遊記」が、中国核実験場ロブノールでロケを行い、その後、夏目雅子は、急性骨髄性白血病で死亡した。
だが、この番組を視聴した日本人30万人が、核汚染の恐怖も理解できずに楼欄などに憧れ、観光旅行に出かけて被曝させられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93
https://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/c7d9ab691b7f457cb726db9a4672a7d7
東京電力フクイチ事故現場も、外国人留学生や地元高校生を被曝防御もなしに安全だと決めつけ、見学させているが、被曝しても、すぐに症状が出ないで、10年も経てから致死的発癌がはじまる放射能被曝の性質から、本当の恐ろしさを実感できるのは、これからのことだ。だが、ほとんどの場合、気づいてからでは遅い。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1654.html
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