http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/925.html
Tweet |
(回答先: マイナーな作曲家が書いた名曲 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 27 日 23:33:40)
ヨーハン・フリードリヒ・エック(Johann Friedrich Eck, 1766-1810)
ヨーハン・フリードリヒ・エック(Johann Friedrich Eck, 1766-1810)はホルン奏者ゲオルク・エックの息子で、1778年(12歳のとき)にミュンヘンでヴァイオリンの見習いになったという。 1779年、エック父子はザルツブルクを訪れている。 また、『イドメネオ』上演のために、1780年にモーツァルトがミュンヘンを訪れたとき、そこでもエックと出会い、親しくしていたことがわかっている。
その後、エックは1788年にミュンヘンでコンサート・マスターになり、1790年までの間に5曲のヴァイオリン協奏曲を書いたという。
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 第6番 変ホ長調 K.268 (Anh.C14.04)
Allegro moderato 変ホ長調 2/2 ソナタ形式
Un poco adagio ト長調 3/4 変ロ長調
Allegretto 変ホ長調 2/4 ロンド形式
〔編成〕 vn, fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
自筆譜ない。
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 第6番の成立について、アインシュタインは
1780年末のザルツブルクとミュンヘンの時期に着想されたとみなすことができよう。
[アインシュタイン] p.383
と推定し、第3版で K.365b に置いた。 続けて
改作者たるミュンヘンの若いヴァイオリニスト、ヨーハン・フリードリヒ・エックに提供されていたのは、せいぜい第1楽章の草稿と、多分ロンドのはじめの数小節だけであった。 中間楽章はたしかに拙劣な偽造である。
と説明している。
エック(Johann Friedrich Eck, 1766-1810)はホルン奏者ゲオルク・エックの息子で、1778年(12歳のとき)にミュンヘンでヴァイオリンの見習いになったという。 1779年、エック父子はザルツブルクを訪れている。 また、『イドメネオ』上演のために、1780年にモーツァルトがミュンヘンを訪れたとき、そこでもエックと出会い、親しくしていたことがわかっている。 その後、エックは1788年にミュンヘンでコンサート・マスターになり、1790年までの間に5曲のヴァイオリン協奏曲を書いたという。
アンドレの初版(1799年)から偽作と思われていたこの作品は、モーツァルトらしからぬ書き方であることから、ケッヘル第6版では「偽作および疑義ある作品」に置かれ、新全集では収録していない。 エックが1790年から1798年の間に書いたとする説もある。
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/works/cv.html
- モーツァルト『ヴァイオリン協奏曲 第6番 変ホ長調 K.268』(偽作) 中川隆 2021/10/10 02:09:31
(0)
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。