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(回答先: ギヨーム・ルクー ヴァイオリンソナタ ト長調 投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 07 日 14:32:29)
アレクサンドル・ボロディン(Alexander Porfir'evich Borodin, 1833 - 1887)
管弦楽曲
交響曲第1番 変ホ長調
2.5点
作曲技術は十分に成熟している感じがあり、未熟な習作という感じではない。しかしながら、どの楽章もインスピレーションに乏しくて地味。印象に残る場面がないまま型にはまった音楽が流れて、時間が過ぎていく。ボロディンの個性も感じられなかった。
交響曲第2番 ロ短調
3.8点
1楽章はとにかくイントロのエキゾチックな強烈な主題のインパクトが大。一度聴いたら忘れられない。その主題を有効活用しながらチャイコフスキーに匹敵するほどダイナミックに展開する楽しめる楽章。2楽章は佳曲だが、1楽章のようなインパクトは無い。3楽章は漆黒を感じさせる雰囲気のなかで、うねるように表情を変える情景描写が素敵。4楽章は軽く感じられて、この曲の弱点に思われた。
交響曲第3番 イ短調(未完)
3.3点
1楽章の孤独感のようにも感じられる陰りが印象的。しかし、2楽章はそのようなものはなく、活発で密度の高い曲である。2つの楽章はともにロマン派の交響曲として十分な完成度と魅力がある。したがって、未完成のまま亡くなってしまったのが残念だ。まとまりがある状態で終わっておらず、完全に中途半端であり、非常にもの足りない。
交響詩 中央アジアの草原にて
3.5点
ボロディンらしいエキゾチックな旋律を活用した佳曲。広々とした草原、草や生き物の匂い、風の吹く草原と人々をよく表現しており、本当にコーカサスに旅行したような気分になれる。
小組曲
3.5点
オリジナルはピアノ曲。クラズノフ編曲の管弦楽版で聴いた。チャイコフスキーのような愛らしさと躍動感にあふれた良作。強い印象にこそのこらないが、かなり楽しめる作品。小曲7曲。これは掘り出し物だと思った。
イゴーリ公からの組曲
3.8点
有名な韃靼人の踊りを含む3曲を組曲風にした作品。オリジナリティと強い創意を感じる説得力の強い音楽である。舞台音楽らしい華やかさを基本に据えながら、メロディーの面白さ、アジア風味の楽しさ、ダイナミックさのあるオーケストラの使い方などの要素も入れており、ボロディンの才能の豊さに感心する作品となっている。
室内楽曲
スペイン風セレナード
弦楽四重奏曲第1番 イ長調
弦楽四重奏曲第2番 ニ長調
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(Alexander Porfiryevich Borodin, Алекса́ндр Порфи́рьевич Бороди́н RU-Alexander Porfiryevich Borodin, 1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) - 1887年2月15日/2月27日)は、帝政ロシアの作曲家、化学者、医師。ロシア音楽の作曲に打込んだロシア5人組の一人である。
生涯
サンクトペテルブルクにて、グルジアのイメレティ州タヴァディのルカ・ステパノヴィチ・ゲデヴァニシヴィリ(ロシア名ゲディアノフ、62歳)と既婚のロシア女性エヴドキヤ・コンスタンティノヴナ・アントノヴァ(25歳)の非嫡出子として生まれる。
タヴァディは、日本では王子、公爵と訳されることがあるが、正確ではない。大領主というニュアンスが最も近い。グルジアの貴族制度タヴァディ・アズナウリ制度に、貴族つまり領主一般を意味するアズナウリ、大領主を意味するタヴァディがある。グルジア王国が複数の王国と複数の公国に分裂した15世紀以降も各国の君主家は引き続きバクラチオニ家であり、19世紀初頭まで存在したイメレティ王国も同様である。また、イメレティ王国はグルジア王国から分裂直後から、長らくオスマン帝国の侵略をたびたび受け、ロシア帝国に1810年に占領・併合された頃は実質的にオスマン帝国の支配下にあった。ちなみに、タヴァディの権限の強さは各王国・時代により異なる。
ゲデヴァニシヴィリはボロディンを実子として戸籍登録せず、農奴の一人ポルフィリ・ボロディンの息子として登録した。しかしボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻した。転じて、サンクトペテルブルク大学の医学部に入る。最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張した。この頃、ムソルグスキーと知り合い、シューマンの曲を紹介され、興味を持つ。ピサ大学では臭化ナトリウムを用いた有機窒素の定量法を発見した。
初めて会った時の印象について、「まさに嘴の黄色い青二才ではあったが、極めて優雅で全く非の打ち所のない青年士官であった。…彼はピアノの前に座ると、態とらしく両手を上げて演奏を始めた。優雅に、しかも繊細に…。」と語ったと言われる(DEAGOSTINI刊‘The Classic Collection’第99号)
26歳の時、ハイデルベルク大学(化学)入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合う。卒業後はサンクトペテルブルク大学医学部生化学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。
作曲は1863年にミリイ・バラキレフと出会うまで正式に学んだことがなかった。1869年にバラキレフの指揮によって交響曲第1番が公開初演され、同年ボロディンは交響曲第2番に着手する。この新作交響曲は、初演時には失敗したが、1880年にフランツ・リストがヴァイマルでドイツ初演の手筈を整え、ボロディンの名をロシアの外に広めた。
やはり1869年には、オペラ『イーゴリ公』に着手、これはボロディンの最も重要な作品とみなされている。しばしば単独で演奏され、おそらく最も有名なボロディン作品となっている「ポロヴェツ人の踊り(だったん人の踊り)」と「ポロヴェツ人の行進(だったん人の行進)」は、『イーゴリ公』からの曲である。ボロディンは本職や公務に忙殺されて、生前この作品を完成できなかったため、没後にニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフにより補筆と改訂が進められた。
1887年に急死した。謝肉祭の週間に、数人の友人を呼んで上機嫌に歌って踊って楽しんでいたが、突然ひどく青ざめて卒倒したのである(動脈瘤の破裂だった)。サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に葬られている。
化学者としては、ボロディン反応(ハロゲン化アルキルの合成法、ハンスディーカー反応の別名)に名を残している。また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見したとされる。
作風と影響
ボロディンは、作曲家としてその道に秀でていたにもかかわらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては、とりわけアルデヒドに関する研究によって、非常に尊敬されていた。結果的に「日曜作曲家」を自称することになり、同時代人ほど多作家ではなかったものの、2つの交響曲や音画『中央アジアにて』(通称;交響詩『中央アジアの草原にて』)、抒情美をたたえて人気の高い「夜想曲」で有名な弦楽四重奏曲第2番はますます盛んに演奏されている。一握りの歌曲とピアノ曲も残され、なかでもピアノ曲『スケルツォ 変イ長調』は、ラフマニノフが演奏を録音に残している。ボロディンは交響曲第3番にも着手したが、完成できずに世を去り、後にグラズノフによって「完成」された。ただし、どの部分がオリジナルでどの部分が補筆か不明確な部分が多いため、この作品はボロディンの真作として扱われない傾向にある。近年では、未完成のチェロ・ソナタなど、初期の室内楽曲も見直されつつある。
ボロディンの作品は、力強い叙事詩的性格と豊かな和声が特色である。名高い「ロシア五人組」の同人として、ロシア的な要素は否定すべくもない。情熱的な音楽表現や比類のない和声法は、ドビュッシーやラヴェルといったフランスの作曲家にも影響を与えた。また、同世代のロシア人作曲家の中では、自然にポリフォニーを扱う能力でも際立っている。交響曲や弦楽四重奏曲のスケルツォ楽章は、ボロディンがメンデルスゾーンの作風を熟知していたことをうかがわせる。また、第1主題と第2主題との間に明確な対照性を与えず、それらに関連した要素を配置していく手法は、後の時代のシベリウスを予感させ、西欧的な二元性とは異なった思想基盤が表れている。
ボロディン弦楽四重奏団は、ボロディンの功労にちなんでいる。1954年にはトニー賞を授与された。これは、ボロディンの数々の作品を改作して創られたミュージカル『キスメット』の成功を評しての受賞であった。
主要作品
オペラ
勇者たち
イーゴリ公(未完)
管弦楽曲
交響曲第1番 変ホ長調
交響曲第2番 ロ短調
交響曲第3番 イ短調(未完)
交響詩 中央アジアの草原にて
室内楽曲
スペイン風セレナード
弦楽四重奏曲第1番 イ長調
弦楽四重奏曲第2番 ニ長調
ピアノ曲
小組曲(全7曲)
変化のない主題によるパラフレーズ
合唱曲
キリルに栄光あれ、メソディウスに栄あれ(未完)
歌曲
慈悲深い神
間違った音符
- アレクサンドル・ボロディン 交響曲 第2番 ロ短調 作品5 中川隆 2021/10/08 13:01:46
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