★阿修羅♪ > 近代史6 > 774.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten) 1913 - 1976)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/774.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 04 日 09:57:08: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ニコライ・カプースチン 8つの演奏会用エチュード Op.40 投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 01 日 08:44:01)

ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten) 1913 - 1976)

主要曲はどの曲も独自の世界感をもった力作である。独特の音世界を持ちつつも、シリアスで深みがあり芸術性が高い。オペラが得意だったようだが、器楽曲作曲家としても20世紀を代表する大作曲家である。


歌劇
「ピーター・グライムズ」作品33 Peter Grimes(1944〜45)
3.5点
前半だけ聴いたが、なかなかファンタジックで現代的な曲。音だけでも強く主張があるのでそこそこ楽しめる。


合唱曲

キャロルの典礼 作品 28「A Ceremony of Carols」(1942)
3.0点
美しい合唱曲。独特のブリテンらしい音使いと感動的な合唱の編曲の融合は効果的。

春の交響曲 作品44 Spring Symphony(1949)
3.0点
12の歌曲からなる作品。オラトリオに近いが構成としてまとまりと展開があり交響曲という命名に違和感はない。やや晦渋であるが、スケールに巨大感があり、厳かで不思議な大いなる雰囲気を充満させて、独特の世界を強靭なイマジネーション力で展開しており、合唱曲作家としての力量をみせている。とはいえ、天才的な発想の妙というレベルには達していないと思う。

戦争レクイエム 作品66 War Requiem(1960〜61)
3.8点
声楽の大作曲家であるブリテンの全霊を傾けた作品だけあり、かなりの凄みをもった作品になっている。暗くて重いだけのレクイエムではなく、独特の音空間の美の中で、場面により鎮魂的な雰囲気に沈み、歴史性や社会性をみせることもある。大作であり、多くのインスピレーションを注ぎ込んだ多くの場面は、映画のような移り変わりを見せる。戦争の悲劇性を芸術家として芸術に昇華させつつも、生々しさももたせて強く訴えている。世界の闇と悲劇のモニュメントを作ろうという意思を感じる。


管弦楽曲、協奏曲

シンフォニエッタ 作品1(1932)
2.8点
18歳の作品とのことだが、すでに完全にブリテンらしい音の使い方が全体を支配している。まとまりを産む音楽のコントロール力とか表現の奥深さは欠けているように思われて、作曲者が何をしたいのか掴めない。最後まで理解できないまま曲が終わってしまった。だからあまり感動するものではないが、とにかく18歳でこの世界を産み出したことには驚かされる。

シンプル・シンフォニー 作品4 Simple Symphony(1933〜34)
3.3点
弦楽合奏か弦楽四重奏の曲。シンプルで明快で爽やかだが、単なる単純な曲ではない。分かりやすい捻りではなくブリテンらしい独特の新鮮な感覚が発露していることにより、未聴感を感じさせる。この曲の感性そのものを刺激するような新鮮な感覚は面白い。作曲者の感覚の鋭さが為せる技だろうか。とはいえ、若書きであり深みはないため物足りないところはあるし、全体的にみて感動するほどの名作ではない。

ソワレ・ミュージカル 作品9(1936)
3.0点
ロッシーニの曲を使って書いた軽妙で明るい娯楽的な音楽。ブリテンらしからぬ底抜けの明るさで爽やかで聞いていて気分は良いが、単にそれだけであり他の作曲家でも書けそうなレベルである。

フランク・ブリッジの主題による変奏曲 作品10 Variations on a Theme by Frank Bridge(1937)
3.3点
弦楽合奏。26分。10の変奏曲は工夫が凝らされてバラエティーに富んでおり、弦楽合奏によるブリテンの語法での曲として可能な限りの全力を注いでいるのが分かる。主題はあまり印象深くないが、この曲の場合は関係ない。音楽のバラエティーと複雑さに感心するとともに、シニカルな陰影を持っていて精神的深みもそれなりにあり聴いていて飽きない。弦楽合奏の自由さがよい方向の結果に繋がっている。

ピアノ協奏曲 作品13(1938/45)
3.9点
1楽章は色彩的で機動性の高いオーケストラと、軽快にパラパラとフレーズを弾く雰囲気がラヴェルを連想する。2楽章も明確な個性がある曲。3楽章は3番に似ている場面があり曲の雰囲気もプロコフィエフを連想した。4楽章は再びラヴェル風ブリテンという感じ。全体的な作品としての大きなレベルでのまとまりに欠けているので聴き終わるとがっかりするのだが、個別の部分においてはピアノも華やかだし、はっとするような耳を捉える部分は多い曲。

ヴァイオリン協奏曲 作品15(1939/58)
2.8点
あまり面白くない。運動性に難のあるブリテンの音楽性が明らかにマイナスに働いている。協奏曲らしい醍醐味がなく、ソロが有効に機能していない場面が多い。音楽性の観点でもブリテンにしてはあまり高くないと感じた。2楽章だけはそれなりに楽しめたが、他は残念に感じた。チェロ交響曲をさらに物足りなくしたイメージ。

シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20 Sinfonia da requiem(1940)
3.8点
全3楽章。声楽はなし20分。1楽章は沈鬱な鎮魂の雰囲気でまさにレクイエムのような曲。2楽章の怒りの日は、音の乱舞の仕方がなかなか秀逸である。激しくてもやりすぎにならず、落ち着いた間の取り方があるのがブリテン。3楽章は平和の祈りだが、地に足の着いた霊が天上に舞い上がっていくような音楽で、非現実的な理想ではなく妙な実在感のある世界平和が表現されていると思う。素晴らしい。オネゲルと比較したくなる20世紀的な交響曲であり内容充実の名作である。ただ、皇紀2600年奉祝曲として日本から委嘱された曲だが演奏されなかったそうだが、確かに全くそぐわないのは笑える。

左手のためのディヴァージョンズ(主題と変奏) 作品21 Diversions on a Theme for Piano (Left Hand) and Orchestra(1940/54)
3.5点
左手だけのピアノというのがブリテンによく合っている。片手ゆえに音が厚ぼったくならず、美的センスで聴かせる音楽性がよく出ている。軽快で心地よいピアノとバリエーション豊かで多彩な音楽は、次を聴きたい衝動を最後まで引っ張って続けることに成功している。ラヴェルのような旋律の美しさやエモーショナルさは無いのと変奏曲ゆえの軽さがあるが、楽しんで聴ける。

4つの海の間奏曲 作品33a 4 Sea Interludes(「ピーター・グライムズ」より 1944)
3.8点
4曲とも近代的な管弦楽らしい豊富な表現力を活用した音楽的なイメージ表出力が素晴らしい。SF的もしくはファンタジー的な超常的世界をイメージする。優れたインスピレーションが4曲とも発揮されており楽しめる。

パッサカリア 作品33b Passacaglia(「ピーター・グライムズ」より 1944)
3.0点
ブリテン流の不思議さとブライトな響きでパッサカリアを料理するとこうなる、という音楽。同じ低音の継続とその他の楽器の音の流れの違和感の落ち着かなさを愉しむ音楽だが、期待以上ではなく予想の範囲内である。

青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ) 作品34 The Young Person's Guide to the Orchestra - Variations and Fugue on a Theme of Henry Purcell(1946)
3.0点
パーセルによる主題は印象的なのだが、その後の変奏は、コミカルでファンタジックではあるが、幻想的で変幻自在すぎてついていくのが大変である。その点で、典型的な入門曲という感じより、ブリテン独特の世界の中の楽器入門になっている。決して分かりやすくないし、とり立てて音楽が優れている感じはしない。

チェロ交響曲 作品68 Symphony for Cello and Orchestra(1963)
3.0点
分厚い管弦楽で交響曲の名にふさわしい堂々たる大曲である。だが、全体を分厚い雲のように覆う陰鬱な気分には滅入りそうになる。最後の楽章で少し雲の隙間から光が差す瞬間があるだけである。チェロは活躍するが管弦楽は溶け込んで、ブラームスの協奏曲以上に一緒に音楽を作る。空間は壮大さはあるのだが、そのごく一部に存在する自分がテーマになっているようでもあり、その狭さと雰囲気の変化の少なさが物足りなさになっている。


室内楽曲

弦楽四重奏曲第1番ニ長調 作品25(1941年)
3.8点
室内楽というより弦楽合奏のような音の使い方である。だが、そんな細かい事はどうでもよいと思うくらい素晴らしい内容である。精神的な深み、瞑想的な雰囲気、ダイナミックな音の使い方と場面転換は、強い力で精神のドラマの世界に誘ってくれる。精神世界でたゆたう自分の魂が心地いい。しかし、美音的な良さもあり、鋭角的なバルトークやショスタコーヴィチとは別の切り口で同じくらい深い世界に到達している。素晴らしい。

弦楽四重奏曲第2番ハ長調 作品36(1945年)
3.5点
1番ほど分かりやすくない。何しろ3楽章は長大で静謐な世界で、自己疎外された魂の浮遊した遍歴を楽しめる。聴くのは少し大変だが、重すぎるわけでないのでウンザリしないため辛くはない。他の楽章もはじけるほどにはならず、曖昧な靄の中の音楽である。1楽章も2楽章も表面は全然違うが根底の精神性は3楽章と近いと思う。ある意味で一貫性がありすぎるように思われるのが欠点か。ブリテンらしい美しさは全開で、かなりの聞き応えはあるのだが。室内楽らしさが少ないのは1番と同じ。

弦楽四重奏曲第3番 作品94(1976年)
3.5点
老人の人生懐古の曲ということで良いのだろうか。老人になった自分、という存在を強く意識した孤独の独白の曲に聞こえる。もちろんブリテンらしさの中での表現である。もっとも亡くなる年の作品とはいえ63歳だから老人というほどではないか。おそらく評価の分かれる作品だろう。自分は最初は精気の無さがイマイチと思ったが、聞いているうちに強く惹かれるようになった。死の予感の虚無感と、絶対的な無に至る感覚が感じられて、感動してしまった。

チェロソナタ ハ長調 作品65 (1960年)
2.8点
一言でいうと少し変な曲だと思う。通俗的なサービス精神はない。やりたい音を好きに作った音楽である。モノクロームな色彩感の薄い音楽であり、地味だが渋くてかっこいいところがある。自由に精神的な彷徨をするような印象でありわなかなか趣味的である。たまたま気にいる人はいるだろうが、ツボにハマらない人にとってはあまり楽しめない音楽だろう。

ラクリメ―ダウランドの歌曲の投影 作品48 (1950年)
2.5点
ヴィオラとピアノのための作品。14分あり規模が割と大きい。複数の部分をつなげて書かれており、古い時代のものと思われる旋律が静かで不思議な雰囲気を醸し出している。しかしながら、音楽が心にすっと入り込まない。曲の長さに見合うものがない。


器楽曲

無伴奏チェロ組曲第1番 作品72(1964)
3.3点
詠唱のような場面が多いが、それ以外も様々な場面がある。神秘的であるとともに退廃的。孤独の精神的探索を楽しめる深さがある。チェロ1本であり短い曲ではないが充分に豊富さが取り入れられており、飽きずに楽しめる。リズミカルさが少ないのが難点と思う。全体に暗い陰があるが、そこにブリテンらしい美が添えられており、うんざりすることはない。

無伴奏チェロ組曲第2番 作品80(1967)
3.3点
1番ほど根暗ではない。代わりに無機質で疎外された違和感がコンセプトになっているように聴こえる。リズムがある程度ある曲が多いところが良い。心に染みる感じは少ないが、なんとなく日常のふとした瞬間に無意識に感じているであろう間隙と裏側の違和感が音楽化されているように思う。

無伴奏チェロ組曲第3番 作品87(1972)
2.8点
短い曲が連続で繋がっている構成。一つずつが断片的すぎて、内容が浅い。感動ポイントが少なく、イマイチだと感じたまま次の曲になり、それもイマイチというのが続く。他の2曲よりワンランク落ちると思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3

ブリテン男爵エドワード・ベンジャミン・ブリテン(Edward Benjamin Britten, Baron Britten OM CH, 1913年11月22日 - 1976年12月4日 )は、イギリスの作曲家・指揮者・ピアニスト。姓はブリトン、ブリトゥンと表記されることがあるが、実際の発音はブリトゥンの表記が原音に一番近い。

代表作としては オペラ『ピーター・グライムズ』や『シンプル・シンフォニー』、『戦争レクイエム』、バロック期の作曲家ヘンリー・パーセルの劇音楽『アブデラザール』(Abdelazar) からの主題を引用した 『青少年のための管弦楽入門』 が知られている。


生涯

出生と幼少期
1913年11月22日、イングランドのサフォーク州にある海港ローストフト(英語版)にて、歯科医の父ロバート・ビクター・ブリテン(Robert Victor Britten, 1878年 - 1934年)とアマチュアのソプラノ歌手の母イーディス・ローダ(Edith Rhoda, 1874年 - 1937年)との間に生まれる。

幼少期のブリテンは、2歳になる頃にピアノに対して興味を抱き、ピアノを7歳から習い始めている。また母の勧めでヴィオラも習っている。わずか5歳で歌曲、7歳でピアノ曲を作曲、そして9歳の時には最初の弦楽四重奏曲を完成させるなど、この時期から音楽の才能を示していた。彼が持っていた音楽的素質は母方から受け継いだものと言えるが、母は地元の合唱団の幹事も務めていたほどの音楽好きであったという。

1924年10月、ノーフォークとノリッジで開催されていた音楽祭において、当時10歳のブリテンはこの音楽祭で演奏されていたフランク・ブリッジの交響組曲『海』(1911年作)を聴いて感銘を受け、演奏後にブリッジ本人と初めて対面した。ブリッジは少年ブリテンの音楽的才能を認め、自ら本格的な指導を買って出たという。指導は数年後の1928年にロンドンにあるブリッジの自宅まで、時には休暇を利用しながら通い、彼の許で音楽の基礎となる理論や和声法・対位法を厳しく学んだ。この厳格な個人指導は本人にとって大きな影響を与えたといわれる。

後に1937年に作曲され、出世作となった『フランク・ブリッジの主題による変奏曲』で師に対する感謝の念を表している。

青年期と作曲家としての活動
1930年、奨学金を得てロンドンの王立音楽大学(RCM)に入学し、大学ではジョン・アイアランド(作曲法)とアーサー・ベンジャミン(ピアノ)にそれぞれ師事した。なおブリテンはアイアランドに対してほとんど顧みなかったという。在学中は数多くの習作を書いていたが、『シンフォニエッタ』(作品1、1932年)、『幻想四重奏曲』(作品2、1932年)、『シンプル・シンフォニー』(作品4、1933年-1934年)などを生み出している。この『シンプル・シンフォニー』は以前の習作を素材に改作した作品である。またモーツァルトやシューベルトとともにマーラーやシェーンベルク、ベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチらの作曲家に興味を示し、同時に影響を受けている。とくに後者のベルクに関しては、当時台頭しつつあった前衛的な作風にその志向を持ち、彼に師事することを考え、弟子入りを志願していたという。しかし師のブリッジや両親らに反対され、その上1935年にベルクの急死もあって結果的に実現はしなかった(自身でも「私はアルバン・ベルクに弟子入りしたいと願っていた。でもベルクの急死で果たせなかった」とコメントを残している)。

1934年に音楽大学を卒業すると、前年(1933年)に父ロバートが没したこともあり自活のため1935年にGPOフィルム・ユニット社(イギリス郵政局映画部)に入社し、翌1936年まで勤務した。ここでは主にドキュメンタリー映画や記録映画のための伴奏音楽を作曲する仕事が主であった(1935年の1年間に担当した映画音楽は13作で、36年は8作という多さで、好評を博した作品もある)。スタジオでは多くの友人と親交したが、その中の一人に台本を担当していた詩人のウィスタン・ヒュー・オーデンと知り合っている。オーデンとは映画『石炭の表情』と『夜の郵便』を共同で取り組んだり、『私たちの狩りをする先祖たち』(作品8、1936年)や『英雄のバラード』(作品14、1939年)など彼の詩による作品を作曲している。

1937年に『フランク・ブリッジの主題による変奏曲』を作曲し、同年の8月25日にザルツブルク音楽祭でボイド・ニール合奏団によって初演され、国際的な名声を得るとともに出世作となった。同年にテノール歌手ピーター・ピアーズと知り合い、ピアーズとは生涯にわたり盟友として関係を築く。また母イーディスが死去。

この時期の作品には『ピアノ協奏曲』(作品13、1938年)などが挙げられる。

中期の活動と戦後
1939年、4月のドイツのポーランド不可侵条約の破棄や第二次世界大戦の勃発に伴うイギリスの参戦など当時の世界情勢に危機感を抱いたブリテンは、これを避けるため(兵役拒否の意味合いとして)6月にピアーズと共にアメリカへ向かった(オーデンは彼より先にアメリカへ行って移住している)。アメリカでは1942年3月まで2年半にわたって滞在し、主にニューヨークに住みながら創作活動を継続した。この1939年の有名な作品として、『ヴァイオリン協奏曲』(作品15、1950年改訂)やアルチュール・ランボーの詩による歌曲『イリュミナシオン』(作品18)などが挙げられる。

1940年に日本政府の企画する皇紀2600年奉祝曲としてイギリス文化振興会から作品委嘱を受け、『シンフォニア・ダ・レクイエム』(作品20)を作曲する。しかし曲の内容が祝典に相応しくないとして政府側が拒否し、演奏されることはなかった。作品は翌1941年の3月29日にニューヨーク・フィルハーモニックの定期演奏会でジョン・バルビローリの指揮によって行われている。

イギリスに帰国した1942年の春、ブリテンは良心的な理由から兵役を拒否することを公的に認められ、サフォーク州のオールドバラに住んで、創作に専念する。この専念していた頃にテノール、ホルンと弦楽のための『セレナード』(作品31、1943年)やオペラ『ピーター・グライムズ』(作品33、1944年-1945年)などが作曲され、後者の『ピーター・グライムズ』はセルゲイ・クーセヴィツキーの勧めで着手され、1945年の初演では大きな反響を呼び、パーセル以来の本格的なイギリス・オペラの再興とまで謳われた。

1945年の『ピーター・グライムズ』の成功により、戦後のブリテンは創作力に恵まれ、かつ最も充実した時期でもあった。ヘンリー・パーセルの『アブデラザール』の音楽を主題に用いた『青少年のための管弦楽入門』(作品34、1946年)やオペラ『アルバート・ヘリング』(作品39、1946年-1947年)、『春の交響曲』(作品44、1949年)など一連の作品が作曲されたのもこの時期にあたる。

3作目のオペラとなる『ルクレティアの凌辱』(作品37、1945年-1946年)は前作とは異なった小編成の室内オペラで、1946年にグラインドボーン音楽祭で初演されたが、この経験に基づいて彼は室内オペラのジャンルに志向し、後の1947年に「イギリス・オペラ・グループ」の結成へと繋がった。1948年にはオールドバラ音楽祭を創設。音楽祭では自作の初演のみならず歌曲のリサイタルも行い、演奏活動に力を注いだ。

1956年2月、日本を訪れ、NHK交響楽団を指揮して自作を演奏した。また2週間滞在中に伝統芸能の能楽「隅田川」を鑑賞、深い感銘を受けて教会上演用の寓話『カーリュー・リヴァー』を生み出すことになる。

1960年から1961年にかけて作曲された『戦争レクイエム』(作品66)は、空襲で破壊されたコヴェントリー大聖堂の再建の献堂式のために書かれたもので、1962年に初演された。

1960年9月、チェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチと初めて出会う。親交を結び、彼のために『チェロソナタ』(作品65、1961年)と『チェロ交響曲』(作品68、1963年)を作曲する。この2作はいずれもロストロポーヴィチが初演時にチェロを担当した。

晩年
晩年の1970年代には、創作の筆を落とすことなく最後のオペラ『ヴェニスに死す』(作品88、1973年)や弦楽四重奏曲第3番(作品94、1975年)などこの時期を代表する作品を生み出す一方で、健康の悪化にも悩まされていた。心臓を悪くしていた彼は1973年に手術をしており、以降は車椅子を使いながら生活を送るようになる。1976年には終身上院議員(貴族)に叙せられ、「ロード」の称号を授与された。なお音楽家としてこの栄誉を受けたのはブリテンが初である。

1976年12月4日、オールドバラにある棲家レッド・ハウスにてうっ血性心不全のため死去。63歳没。3日後の12月7日に葬儀が行われ、オールドバラの聖ペテロ聖パウロ教会の墓地に埋葬された。後にブリテンの墓の隣には公私のパートナーであったピーター・ピアーズ、後ろにはグスターヴ・ホルストの娘であるイモージェン・ホルストの墓も建てられている。

2003年に、彫刻家マギ・ハンブリング(英語版)によってオールドバラの海岸にブリテンを記念した彫刻"The Scallop"が作られた。女王エリザベス2世によって叙爵された時の称号も、この地に因んで Lord (Baron) Britten of Auldeburgh となっている。

人物
テノール歌手のピーター・ピアーズは盟友として知られ、『ピーター・グライムズ』や『戦争レクイエム』等ほとんどの歌劇・声楽曲は彼の演奏を前提に書かれており、彼が初演を担当した。ブリテンはピアニストでもあり、ピアーズの歌曲演奏では伴奏を担当することが多かった。またピアーズは演奏のみならず、作曲の段階においても関わった。しかし両者の死後、彼らが仕事の面のみならず私生活においても同性愛のパートナーであったことが公然と論じられるようになり、大きなスキャンダルとなったが、同世代の他の音楽家と比べて遅れて爵位を得た背景にはこのことも関係している、ともされる。

小惑星 (4079) のブリテンは、彼にちなんで命名された[1]。

作風
1910年代生まれの音楽家は、ジョン・ケージのような例外を除いて前衛の時代に馴染めず、また同世代が戦禍の犠牲になるなど不遇の者が多い。そのような状況下でブリテンは、イギリスの保守性を上手く活用し、機能和声語法を突き詰めることに成功した。ブリテンのせいでイギリスの音楽事情は世界から後退したというのは事実であるが、同時にイギリス人の音楽観をこれほど世界中に広めた人物も皆無である。

また先述のように彼本人はベルクへの弟子入りを計画するなど当時の前衛音楽にも関心を示し、自身の作品の中で無調的であったり、機能和声とは逸脱したパッセージを時折覗かせるなど当時の流行にも無関心ではなかった。そういった意味ではブリテンは新古典主義の潮流に近い作曲家と言えるであろう。

演奏家としてのブリテン
ブリテンは指揮者としても有能であった。比較的早いときから指揮者活動をしており、のちにイギリス室内管弦楽団を手兵として指揮活動を続けた。レパートリーも自作自演(ほとんどの作品について良好な音質・オーケストラで自作自演の録音を残した点ではレナード・バーンスタインと双璧)のほかにはハイドンやモーツァルト、バッハ、そしてイギリス作品などを得意にしていた。また、クリフォード・カーゾンやジュリアス・カッチェンといった名ピアニストとも共演を重ねている。早い時期から指揮活動をしていたせいであろうか、若い頃のある時、ブリテンはエイドリアン・ボールトの指揮ぶりを軽い乗りで批判したことがあった。これにボールトは激怒し、以後ブリテンの作品を完全に無視してしまった。

またピアニストとしても、ピアーズやロストロポーヴィチの伴奏やモーツァルトのピアノ協奏曲の指揮兼独奏などの録音がある。

2006年には日本で、デッカ(ユニバーサルミュージック)から没後30年を記念して、ブリテンの主要な録音がリリースされた。その中には、日本初お目見えのものも数点含まれていた。また2013年に生誕100年を迎えている。

日本との関係
1940年の皇紀2600年奉祝曲の企画に際してブリテンにも委嘱がなされ、『シンフォニア・ダ・レクイエム』を作曲したが、キリスト教的で「皇紀」に相応しくない、「レクイエム」は「奉祝」に相応しくない、などの議論がおき、結局演奏されなかった。その後1956年に2週間来日し、NHK交響楽団を指揮して同曲の日本初演を行っている。また、2月9日にピアーズとともにNHKホール(内幸町)で行った演奏は映像が残されている。また、1964年に発表された『カーリュー・リヴァー』は滞在時に鑑賞した隅田川(能楽)の印象を基にしている。

日本では、2006年11月22日に『日本ブリテン協会』が発足した。

主な作品

歌劇
「ポール・バニヤン」作品17 Paul Bunyan(1941)
「ピーター・グライムズ」作品33 Peter Grimes(1944〜45)
「ルクレティアの凌辱(英語版)」作品37 The Rape of Lucretia(1945〜46)
「アルバート・ヘリング(英語版)」作品39 Albert Herring(1947)
「乞食オペラ」作品43 The Beggar's Opera(1948)
「オペラを作ろう(小さな煙突掃除)」作品45 Let's Make an Opera(The Little Sweep)(1949)
「ビリー・バッド(英語版)」作品50 Billy Budd(1951/60)
「グロリアーナ(英語版)」作品53 Gloriana(1953)
「ねじの回転(英語版)」作品54 The Turn of the Screw(1954)
「ノアの洪水」作品59 Noye's Fludde(1957)
「夏の夜の夢」作品64 A Midsummer Night's Dream(1960)
「カーリュー・リヴァー」作品71 Curlew River(1964)
「燃える炉」作品77 The Burning Fiery Furnace 神秘劇(1966)
「放蕩息子(英語版)」作品81 The Prodigal Son(1968)
「オーウェン・ウィングレイヴ(英語版)」作品85 Owen Wingrave(1970)
「ヴェニスに死す(英語版)」作品88 Death in Venice(1973)

バレエ
「プリマスの町」 Plymouth town(1931)
「パゴダの王子」作品57 The Prince of the Pagodas(1956)

合唱曲
みどり児はお生まれになった 作品3 A Boy Was Born(1932-33/55)
聖母讃歌 A Hymn to the Virgin(1930/34)
大いなる神の栄光に Ad majorem Dei gloriam(1939)
キャロルの祭典 作品28 A Ceremony of Carols(1942)
婚礼のアンセム A Wedding Anthem(1949)
春の交響曲 作品44 Spring Symphony(1949)
戦争レクイエム 作品66 War Requiem(1960〜61)
聖コロンバ讃歌 A Hymn of St. Colomba(1962)
ウィールデン・トリオ A Wealden Trio(1929/67)

管弦楽曲
シンフォニエッタ 作品1(1932)
シンプル・シンフォニー 作品4 Simple Symphony(1933〜34)
ソワレ・ミュージカル 作品9(1936)
フランク・ブリッジの主題による変奏曲 作品10 Variations on a Theme by Frank Bridge(1937)
マチネ・ミュージカル作品24 (1941)
前奏曲とフーガ(18声の弦楽オーケストラのための)作品29 Prelude and Fugue(1943)
ピアノ協奏曲 作品13(1938/45)
ヴァイオリン協奏曲 作品15(1939/58)
シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20 Sinfonia da requiem(1940、元々は皇紀2600年奉祝曲として、日本政府から委嘱を受けたものだが、内容がふさわしくないという理由で演奏されなかった)
左手のためのディヴァージョンズ(主題と変奏) 作品21 Diversions on a Theme for Piano (Left Hand) and Orchestra(1940/54)
4つの海の間奏曲 作品33a 4 Sea Interludes(「ピーター・グライムズ」より 1944)
パッサカリア 作品33b Passacaglia(「ピーター・グライムズ」より 1944)
青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ) 作品34 The Young Person's Guide to the Orchestra - Variations and Fugue on a Theme of Henry Purcell(1946)
チェロ交響曲 作品68 Symphony for Cello and Orchestra(1963)

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ニ長調 作品25(1941年)
弦楽四重奏曲第2番ハ長調 作品36(1945年)
弦楽四重奏曲第3番 作品94(1976年)
チェロソナタ ハ長調 作品65 (1960)

器楽曲
無伴奏チェロ組曲第1番 作品72(1964)
無伴奏チェロ組曲第2番 作品80(1967)
無伴奏チェロ組曲第3番 作品87(1972)
チェロ交響曲を含む一連のチェロ作品はチェロの名手ロストロポーヴィチとの出会いに触発されたものである。
ラクリメ―ダウランドの歌曲の投影 作品48 Lachrymae - Reflections on a Song of John Dowland(1950)
ヴィオラとピアノのための作品で、作曲者自身による弦楽合奏伴奏の編曲が存在する。

ピアノ曲
12の変奏曲(1931)
組曲「休日の日記」 作品5(1934)
ソナティナ・ロマンティカ(1940)
ノットゥルノ(1963)

歌曲
この島国で 作品11 On This Island(1937)
ソプラノまたはテナーと弦楽のための「イリュミナシオン」作品18 Les Illuminations(1939)
ミケランジェロの7つのソネット 作品22 7 Sonnets of Michelangelo(1940)
テノール、ホルンと弦楽のためのセレナード 作品31 Serenade(1943)
テノール、ホルンとピアノのための「深紅の花弁は眠りにつき」 Now sleeps crimson petal (1943) テニスンの詩による。元々はセレナード作品31の中の1曲として作曲されたもので、1986年に発見された。

声楽曲
カンティクル 第1番《愛する人は私のもの》作品40 Canticle I: My Beloved Is Mine(1947)
カンティクル 第2番《アブラハムとイサク》作品51 Canticle II: Abraham and Isaac(1952)
カンティクル 第3番《なおも雨は降る》作品55 Canticle III: Still Falls the Rain(1954)
カンティクル 第4番《東方の博士の旅》作品86 Canticle IV: The Journey of the Magi(1971)
カンティクル 第5番《聖ナルキッソスの死》作品89 Canticle V: The Death of St. Narcissus(1975)
他多数

劇付随音楽
アテネのタイモン Timon of Athens
復活祭1916 Easter 1916
アガメムノン Agamemnon
F6登攀 The Ascent of F. 6
暗い谷 The Dark Valley
双頭の鷲 The Eagle Has Two Heads
アーサー王 King Arthur
支配者 The Dynasts
任命 Appointment
Out of the picture

映画音楽
王の切手 The King's Stamps(1935)
電報 Telegrams(1935)
トッカー(1935)
正餐の時間 Dinner Hour

編曲
「鱒」(原曲:フランツ・シューベルト。管弦楽伴奏)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史6掲示板 次へ  前へ

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史6掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史6掲示板  
次へ