ハチャトゥリアン:「仮面舞踏会」よりワルツ,○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(VISTA VERA)1953/2/11live・CD,,奏者には苛烈なことを強いるハチャトゥリアンだがこの曲はまずもって旋律が素晴らしく聴く側はただその愉悦感に身をゆだねることができる。サモスードらしい「崩れ」が出てしまっているところもあるが(メカニカルなハチャが乱れないほうがいいのは言うまでも無い)、ライヴで会場も盛り上がってきたらこんなものだろう。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,-------- ハチャトゥリアン:ヴァイオリンとピアノのためのソング・ポエム(Ashugsを称えて),コーガン(Vn)ナウム・ワルター(P)(RUSSIAN DISC)1964/(Arlecchino)1963?録音時間がほぼ一致、恐らく同じ録音。録音年は前者が正しいと思われる。Ashugsはコーカサス地方の吟遊詩人や歌手たちをさすとのこと。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,○コーガン(Vn)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(Arlecchino)1951・CDちょっとウォルトンみたいな面白さがある曲だ。ハチャらしくエキゾチックな雰囲気もある(それほど新味はないが)。ハチャというとコンチェルト・ラプソディ、あちらは(ヴァイオリン版は)ちょっとわかりにくいところもあり、私も譜面を持っているのだが、弾いててもナニを弾いているのかわけがわからないところがある。こちらは何よりとにかく親しみやすい旋律だらけなのでとても聴き易い。アマチュアでこれにチャレンジする人がいるが、難しいとはいえ旋律の分かり易さが弾く上でもかなり助けになることは確か。ハチャの旋律を楽しみたい人はぜひ聞いて下さい。たぶん20世紀ロマン派好きにもかなりアピールする曲と思います。最後はベートーヴェン以上にしつこい終止音の連打で民族性を感じる。コーガンはけっこう余裕があるがテンションは高い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)クーベリック指揮プラハ放送交響楽団(PRAGA)1947/5/15・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1965/8/3LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,ジョドリー(Vn)ミュンシュ指揮ORTF(ina)1954/6/19ストラスブール音楽祭live放送,,ムラヴィンスキーの代役で振ったものでヘンデルの合奏協奏曲のあとに新古典主義ということで插入された演目だろう。メインはシューベルト7番(一番力が入っていたことはミュンシュの芸風柄言うまでもない)。ina配信ではPHD89036415というナンバーになる。ジョドリーのアンコールにバッハの無伴奏から1曲入るがとてもメロメロで重音が無音になったりする。まあヘンデルのソリスト、技巧的なハチャトゥリアンのソロのあとなので仕方ない。曲はこの作曲家らしく外しはしないが今ひとつ焦点の定まらない長ったらしさを感じさせ、やはりメカニカルな技術の披露が中心で、いかにも20世紀中盤的な尖鋭さとロマンチシズムの折衷性が民族的な要素の消化吸収によって示されているものの、個性的なものは感じない。スポーティな三楽章が聞きものか。ソリストはあまり強くないがこれを弾きこなす位には力量がある。ミュンシュはオシゴト的な感じがするが、オケがよく反応しハチャトゥリアンの仕掛けを上手にこなして、結果大ブラヴォの終演となる。急な代役としてはミュンシュというかオケが素晴らしい。面白いことに放送ナレーションは演奏後に説明を繰り広げていくスタイル。演奏日はAmazonデジタル配信を参照したが正確性には注意。,-----,,,,,,,,,,,,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,ジョドリー(Vn)ミュンシュ指揮ORTF(ina他)1954/6/19ストラスブール祭live,,Amazonデジタル配信とina.frは記載曲名が違うがまったく同じもの。ムラヴィンスキーのコンサートの代わりとして決まった割にはさすがミュンシュといった完成度で、ハチャトゥリアンがじつにやりやすく書いていて、ソリストも相当の腕前であることを念頭に置いても、聴き応えは満点だ。ミュンシュ向きの曲だし、ソリストも強靭に、荒々しくすべきところは音を掠らせて、冒頭から最後まで弾きっぱなし、単線的な細かい音符の数珠つなぎでオケを引っ張っていく。大ブラヴォが出てしかるべし、ハチャトゥリアンがソヴィエトにありながら個性をどう保ちアルメニア民謡をコダーイでもバルトークでもない古来ロシアのやり方でもない形で一般人に届く音楽に仕立てたのか、よくわかる。バッハの無伴奏がアンコール。こちらは何も届いてこない。ミスもひどい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:エレヴァンの春,○作曲家(歌・P)(supraphon)1950/4/27プラハ・CD,,なかなかいい声でピアノはちょっと心もとないが楽しめる。おそらく新発見音源か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ガヤネーより剣の舞,オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(MSC)1958/5/30・CD,,どうも推進力がなくまぬけな感じがする。発音がぼてっとしているせいか?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:コンチェルト・ラプソディ(チェロと管弦楽のための),○ロストロポーヴィチ(Vc)作曲家指揮ソヴィエト国立管弦楽団(IVC)1963LIVE・DVD,,まさに演奏技術と現代ふうの民族書法だけで出来上がっているハチャのハードなほうの作風によるもので、アルメニア人以外にはだいたいみんなおんなじに聞こえるたぐいの作品だろう。ショスタコがダメでハチャのこういう作品が○というのはまったくソヴィエトという怪奇現象の象徴そのものである。大学で初めて買った譜面がヴァイオリンのためのコンチェルト・ラプソディだったが、技巧以前にまったく理解できない、機械のような譜面に、奇妙にわかりやすい民謡ふうフレーズの織り込まれた、子供にとっては奇怪きわまりないものですぐに脇に置きかわりにストラヴィンスキーの火の鳥の王女のテーマ編曲(作曲家が金のために編曲しつづけた中の一つで、しかしなかなか一筋縄じゃいかない独特の特殊技術の盛り込みかたはさすが)を買ったものだ。今はアマチュアでもヴィニャエフスキに挑戦するいわゆるセミプロのたぐいはこれもやったりするが、技巧をひけらかすだけの曲では聴く側は堪らない。至極理知的であり、読み解いて理解しないと良さが出ない難解を内在させているのに、やはりロストロ先生もひたすら純音楽的に弾きこなし(やはり努力家カサルスを退け前世紀最大の天才チェリストなのだ)、けたたましい平板な曲想の輪から抜けていない。しかしこの激しいジプシー音楽(差別意識はありません)ふうラプソディの中に旋律の流れをとらえ歌えるところは完璧なボウイングでろうろうと歌う、まるでヴァイオリンのように軽がると指弓を運び流れるように繋げていくその「現代チェロ奏法の確立者」たる見事な演奏ぶりは見ていて引き込まれざるをえない。ライヴだし冒頭やや甘い発音から始めるしロストロ先生のけして一級の記録とは言えないが、本人も自分のためにこのソヴィエトのカリスマが書いてくれたことを喜びたちまち弾きこなした姿をまた作曲家が喜び、演奏会後目に涙をためていたというのはいいエピソードだ。ハチャはバレエもそうだがビジュアルがあるとないとじゃ違う。無いときつい。これはある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:チェロと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ,ロストロポーヴィチ(Vc)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1973/10/15LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」抜粋,○ドラティ指揮ロンドン交響楽団(MERCURY)1960/6・CD,,じつに職人的な演奏。アルメニアらしさは余り無いがスペクタクルな良録音を楽しめる。剣の舞から始まる。わりとはっちゃけないなあとも思うが録音がいいので許せる。体臭が無いほうが好きなご婦人も多いだろう。二度目の再現で音場を拡げスペクタクルな盛り上がりをみせる。アイシェも音楽の体臭のみを忠実に再現し、オケの体臭を混ぜないようにしている。ロンドン響だからもともと楽団としての体臭は無いけれど。パーカッションで気を煽られる部分は大きいが音表現自体ではそれほど舞踏性を煽られない。ローゼンメイデン(違う?)ではひときわ体臭の無さが気になる。まるでクリスマスの映画音楽だ。リズムが切れていて、重さに失われがちな舞踏性を補っている。派手さと両刃の重さと、鋭いリズムという点はこの後のダンスも同様の印象。曲のせいかもしれないが、テンポが単調なため飽きるところもある。ララバイあたりはイギリスの職人楽団らしい臨機応変さが光る。やはり木管が素晴らしい。弦は巧いが凡庸か。 ボロディン的なかっこいいレズギンカではリズムのキレのよさがメリットになっている。パーカス任せの感もなきにしもあらずだが(録音操作だろうなあ)引き締まった表現。弦と対位的に重なるホルンの旋律はもっと崩して派手にやってほしい気もした。まあ、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜アイシェの踊り,シャラバラ指揮チェコ・フィル(supraphon)ハチャトゥリアンは踊り大好き人間だなあ。ちょっとボロディンを思わせる曲想だ。ガヤネーは「剣の舞」ばかり有名だけど、こういう曲もある。ワルツ好きは聞きましょう。陰鬱な演奏で無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜アイシェの踊り、アダージオ、剣の舞(ハイフェッツ編(アダージオを除く)),○コーガン(Vn)ミトニク(P)(Arlecchino)1960 剣の舞は50年録音と称するものと同じ可能性あり(録音時間はほぼ一致。録音年はどちらのレーベルも信用できないがしいて言えばライナーがしっかり書いてあるrussian discのほうが正しいか。russian disc併録のソング・ポエムもこちらにも収録されているが、記載録音年は違うものの録音時間がほぼ一致するため同じと思われる)。そのためこちらの項では剣の舞を除く2曲について書いておく。アイシェの踊りはなかなかの情緒だ。元からこの編成で書かれていたかのように感じられる。憂愁の旋律は極めて民族舞踊的に展開していくが、コーガンは正確な重音表現と力強いボウイングでその情緒を倍加する。リキの篭りかたがいかにもコーガンで、好き嫌いはあると思うが、この曲は荒々しくまた緩急激しく演奏するのが正解。つづくアダージオはヴァイオリン独奏曲。個人的にあまりパっとしない曲の印象が有る(有名な第二(副?)主題、独特の民謡音階に基づく抒情旋律がさらっと出てくるところは鳥肌ものだが)。それはこの編成で聞いても同じ。コーガンの力感はあるがあまり個性的ではない音では晦渋な旋律はあまり耳を惹かない。後半音域が高くなる箇所では際立って美しい音が聞けるし、無伴奏の曲だからかもしれないがバッハを彷彿とさせるところもある。聞き込めばお気に入りになる可能性は否定しない。ついでに剣の舞はコーガンらしい技巧が駆使され、やっぱりこの3曲の中では印象的だ。慣れてくるとこのとんでもない編成でもそれなりに聞きごたえは感じる。激しい音量や音色の起伏がつけられ、とくに最弱音と最強音の交錯する自在な流れの作り方は特筆もの。ソリスティックな表現で原曲の雰囲気とは若干違うが見せどころではある。まあ巧いです。総じて○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜レズキンカ,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立(放送?)交響楽団(LUCKY BALL:CD-R)1983/10/20LIVE オケ表記が放送響となっているが怪しい。ショスタコの「革命」のアンコール一曲目。派手です。録音が浅いので太鼓ばかり耳につきますが、やたら早く煽情的でこの人らしい。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜レズギンカ、剣の舞い,○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA/GRAND SLAM)1944・CD音は悪いが雑音レベルが高いぶん本来の音自体もクリアに聞こえてくる。ゴロワノフの腕の見せ所といった激しい楽曲だが、意外と仕掛けてこない。短い曲ということもあるが、テンポ的な揺れはほとんど無く、もっぱら解釈の中心は音量変化と楽器の響かせかたになる。厚ぼったく重量感があるがテンポは後ろ向きにならずしっかりノって刻んでいる。迫力の有る開放的な音響を指向していながらひとつひとつの音の輪郭をびっしり整えており、ゴロワノフのオケに対する絶対的な権力というものが行き渡ったさまを聴き取ることができる。民族的な舞曲のリズムに肩を揺らし、あっという間を楽しもう。サックスのヴィブラートに感涙。案外マトモです。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜剣の舞(作曲家によるヴァイオリンとピアノのための編曲版),○コーガン(Vn)ミトニク(P)(RUSSIAN DISC)1950き、きしょい。尾藤イサオの「剣の舞」とどっこいどっこいだ。乱暴なピチカートの挿入はハチャらしくてまだいいが、こんなにも恥ずかしい旋律だったのか、と思わせる剥き出しの主題の表現がこれまたなまめかしすぎる。ピアノとヴァイオリンのアンサンブルというところがまた無理がある。なんとなく不自然だ。ここではコーガンの技巧が惜しげも無く晒されるが、ポルタメントが色っぽすぎ。まあ奇盤のたぐいだろう。怖いもの聴きたさで。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜組曲,◎作曲家指揮ウィーン・フィル(DECCA) 1962/3 ソヴィエトの冷え冷えとした荒涼の中でボロディンの夢に引き戻してくれるかのような華麗な民族舞踊音楽、南アルメニアの綿花畠をバックに壮大な叙事詩を見る思いだ。3曲めなどボロディンのイーゴリ公を思い出さずにおれないが、自ずと知れた1曲め「剣の舞」をはじめとして打楽器の鋭い響きが魅力的な光彩を放つ。無論ボロディンの簡素な曲に比べて拍子の複雑さをはじめとする現代要素がふんだんにつぎ込まれている。和声の新しさは皆無だが(これも有名な4曲め「ガヤネーのアダージオ」ではバーバー風の晦渋な音響も織り交ざるが)、時代性や背景を抜きにして無心で聞くならば、決して「時代遅れ」などという言葉で蔑まれるほどヤワな音楽ではないことがわかる。名曲である。私は「ガイーヌ」全曲に触れたことはないが、一曲一曲が引き締まっており、他曲に時折見られる難解さも極力抑えられている。演奏はウィーンで交響曲とともに録音されたが、ハチャトゥリアン自身の指揮は巧いものだ。熱くなりすぎず集中力の高い演奏というのは指揮者の理想とするところだろう。リズム処理の巧さは血のなせるわざか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜組曲,作曲家指揮ロンドン交響楽団(MELODIYA/EMI)1976 この盤、EMIからは発売されていたのだろうか?メロディヤとEMIの共同製作盤とのことである。かなり野蛮な演奏というか、土俗的な雰囲気満点に仕上がっており(メロディヤのリマスタリングのせいかもしれない)、ロンドンのスタジオ録音とは思えないほど熱気がある。ただ雑味が多いことも事実で、ウィーン・フィル盤に比べれば録音や演奏技術的な面も含め完成度は低いと言わざるを得ないが、そういうものとわかって聞けば楽しめる。それにしても本当にこれがロンドン響の演奏?ロシアオケの響きがする。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜抜粋,○ハイキン指揮レニングラード国立歌劇場管弦楽団(MELODIYA他)やはりこの曲はハチャトゥリアンの代表作だ。どこにもスキのない民族的音詩、現代的なひびきも盛り込まれ、その調合具合が絶妙なのだ。あきらかにボロディンの延長上ではあるものの、旋律にはより肉感的な魅力があり、楽器の使い方もより複雑で構築的である。ここではハイキンの素晴らしく統制された音楽に耳を奪われる。オケ、とくに弦には若干不安があるがソヴィエト国立交響楽団くらいのレベルにはいっている(あくまで技術的な話し。パワーの優劣は別)。鮮やかな色彩感は民族的雰囲気を盛り立てるほうではなく、純音楽的に・・・フランス音楽のように・・・曲を盛り上げるほうに働いていて、聴き易い。鋭いリズム感というものはないし、圧倒的な迫力もないが、非常に適切なレベルでそれらを調合しているふうであり、総体的に不足は感じない。「剣の舞い」も迫力満点というわけではないが、単に音楽的に楽しい。管楽器群の味のある音色に心奪われる。後半はかなりブラスと打楽器の鋭い攻撃が派手に盛り上がるが、あっさり終わるのが潔い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜抜粋,作曲家指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/BMG)1975LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー」,ハイキン指揮キエフ歌劇場管弦楽団(CONCERT HALL SOCIETY)LP,,ガイーヌ全曲?4幕まであり、剣の舞で終わっている。CHSもそうだがロシア原盤西側焼きのLPの音は、やや遠くぼけていてロシア的な覇気漲る演奏がやや腑抜ける傾向がある。しかしこれは録音のせいだけではなく、演奏陣もロシアのトップオケに比べるとアンサンブルがバラけていてちょっと落ちる感じがする。迫力も足りず緊張感が薄い。ピットならこれでいいのかもしれないが、バレエの絵が無くて音だけだと何か締まらない。剣の舞を始めとする聞かせどころもそれほど際立った特徴はなく全曲の中に埋没している。平坦な演奏。ハイキンの引っ張っていこうという力は感じられるが。ハチャトゥリアンらしいパセージもカバレフスキーやプロコやストラヴィンスキーの二番煎じに聞こえてしまう。匂い立つ民族性が余り感じられない。無印。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」,○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(放送)1955/9/24live,,この日のプログラムのハイライトだろう、ハチャトゥリアンのわかりやすい世界がガウクにはあっているようだ。速い音楽での畳み掛け方はスヴェトラを彷彿とさせ拍手も飛び出る。抒情的な色もあっていい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」〜3つの抜粋,作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1973/8/15・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」〜抜粋,ガウク指揮モスクワ放送交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ組曲「ガヤネー(ガイーヌ)」,○作曲家指揮カルロヴィ・ヴァリ交響楽団(supraphon)1955/9/15live・CD,,オケは若干甘い。曲間にいちいち拍手が入るのも興をそぐ。おそらく新発見の音源だが通俗的にまで知られたガイーヌに求められるレベルを達成できているかどうか・・・ライヴなので仕方ないか。バラの乙女の踊り、子守唄、アイシェの踊り、ゴパーク、剣の舞、レズギンカ。興奮度が低いのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:バレエ組曲「ガヤネー」,○スヴェトラーノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団(brilliant他)2000/1/3-6・CD,,ガイーヌといったらこの今や1000円しない盤を買っておけばいいというものだ。但し晩年のスヴェトラーノフに近年のボリショイということで音の個性や豪放磊落さというのは抜けていて、派手ではあるが万人受けするような節度がある。ソリストもとりわけ個性を発揮しはしないが全体の響きの中では調和してひびく。このロシアの巨人も西欧志向が強かったのではないかと思わせるニュートラルな響きが印象的だった。壮麗さは変わりは無い。弾けているわけではないが、むろん最近なされるたぐいの録音よりは気を煽る。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ピアノと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ,ペトロフ(P)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1973/10/15LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,○イェメリーク(P)クリマ指揮チェコ・フィル(supraphon)1960/11/7-9・CD,,演奏はやや地味目か。というか、曲が余りに古風で特徴に欠ける。すでに以前この曲について書いたとおりで、重ったるいロマンチシズムすら感じる。○にはしておく。ステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,カペル(P)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(SLS)1943/10/30live,,これは異常なノイズをまじえた録音状態をさしおいても、まずどこがいいのかわからない曲。バルトークから創意と魅力を抜いたような印象でとりたてて難曲でもなくカペルがやる意味も無い。そもそも解釈が悪いのかもしれないが通常のピアノ協奏曲に期待される形式的なものが伝わらず、え、この尻すぼみでお終い?という結部に拍手が始まると腰が砕けた。お好きならどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,フリエール(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(BMG/MELODIYA)1963・CDプロコ的だが民族的要素が気恥ずかしいほど露骨に盛り込まれており、管弦楽法も単純で、野暮ったさ満天。1楽章や3楽章の終わりの方がちょっと晩年のシマノフスキぽくて洒落ているし、2楽章真ん中のヒュ〜ドロドロも気持ち悪いけど新奇で面白い。初めて聞くとびっくりするだろう。その後は旋律的でプロコ的だが、奇妙な音色効果を狙った挿句が面白い。3楽章は軽快な出だしがいい。ソリストはバリバリ鳴らしていくウ゛ィルツオーソタイプなのでこういうバリバリな曲にはうってつけ。やがて大時代がかったハリウッド的ロマンチシズムが歌われるが、どこかヘン。やがて独特のカデンツァが長々と鳴らされるが、民族やらジャズやらやりたい放題。あまり面白いフレーズはないがごっちゃな感じがハチャらしさだろう。せわしない主題が戻りわけのわからないうちに頂点へ。やや録音が悪く、オケの没入度も足りない感があるが、コンドラシンのきっぱりした解釈によりしっかり終わる。もう少し盛り上げてもいい感じがするので無印。同じ調子が続き、ただ冗長感が残った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,ペトロフ(P)作曲家指揮ソヴィエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC)1977/2/15LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,ペルティカローリ(P)作曲家指揮イタリア・トリノ放送交響楽団(FONIT CETRA)1963/4/12LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:レーニン追悼のオード,○作曲家指揮ボリショイ劇場管弦楽団(RUSSIAN DISC)1957これ、プラハのと違うけどまあいいや。派手なオードですな。ロシアのボントロはやっぱ馬力があります。繰り返される泣き節の音形がわざとらしい曲だが、木管の使い方がちょっとマーラーっぽくていい。ミャスコフスキーぽくもある。暗いけれど、この派手な音響で聞くとそれなりに聞ける。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:レーニン追悼のオード,作曲家指揮プラハ放送交響楽団(supraphon)暗い曲想だと元来和声的に新味のないハチャトゥリアンの作品はとたんに輝きを失ってしまう。レーニン追悼当時としてもいささか古い。記憶に残りにくい曲。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:映画音楽「スターリングラードの戦い」,○作曲家指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団(CLASSIC EDITIONS)ほんとにこの曲なのかな。あまりにショスタコっぽい。最初はかなり陳腐でうんざりしたが、戦闘的なリズムの交錯など結構かっこいいし、最後、冒頭旋律が帰ってきたときなど感動ものだ。ハチャトゥリアンは当たり外れが多い作曲家だが、これはしっかりした叙事詩になっていていい。最初は「やっぱ映画音楽だな」という感じだが、最後はそういう音楽だということを忘れてしまう。いいもの聞かせて貰いました。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:仮面舞踏会組曲,ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(CALA/COLUMBIA,SONY)1947/11/3,17・CD,,イケイケの派手さがあるものの浮き立つリズム感はなく、また穏やかな曲については今一つ深みが無く感じる。もちろん短く伸び縮みする解釈は健在で、曲の起伏を強調するやり方には一理あるが、ストコの起伏の付け方はどこか醒めていて、これもまた一種の表現主義と思わせるところがある。その証拠というか、オケの音が一様に明るく金属質で耳にきつい。このNYPでもフィラデルフィアの録音同様のことが言える。速い舞曲の勢いは買えるがどうにも曲自体の包蔵する魅力以上のものを提供できているかといえば疑問。それ以上の解釈を加えているのに、むしろマイナスしているような感触。無印。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ハチャトゥリアン:歌劇「ガヤネー」〜レズキンカ,○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCC:CD-R)1965/6/21live,,ハチャトゥリアンの舞曲のかもす「しつこさ」はまお氏の仮面舞踏会で周知のことと思うが、このボロディン的なアンコールピースは対位法的な書法が素晴らしくかっこよく、ストコ向きである。とはいえもっと引き締まったオケがやるともっとかっこいいが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトウリアン:歌劇「ガヤネー」より剣の舞(ピアノ編曲),○作曲家(P)(supraphon)1950/4/27プラハ・CD,,おそらく新発見音源だと思う。民謡民謡したリズム取りはなく直線的で、プロピアニストではない作曲家らしいテンポ取りリズム切れの甘さがなんとなく感じられる。面白い!というものではないが、資料的価値はあるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:喜びのオード,作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団、合唱団他、オブラツオーワ(Msp)(RUSSIAN DISC)1973/10/15LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇音楽「仮面舞踏会」組曲,ストコフスキ指揮NYP(artone他)1947・CD,,圧倒的迫力とキレキレのリズム、オケがニューヨーク・フィルでセッション録音だとここまでやれるのか、というストコフスキー全盛期を聴ける録音。むろんゆっくりめの曲よりイケイケの曲のほうがストコフスキの芸を味わうによろしいわけで、フィギュアスケートに使われたことで圧倒的人気を得たワルツなどシニカルな響きを伴うメロディを、オケをドライヴしまくって分厚く聴かせてくる。ハチャトゥリアンでもガイーヌよりも使えるメロディが多く、カバレフスキー的というかプロコフィエフとは違った親近感を感じさせる、ライトクラシックスレスレのところを狙ってきて、しかしそれはスレスレなんであって、ライトクラシックまんまではない。モノラルの古い音だがストコフスキーの力量を確かめられる集中力高い演奏。この曲はコンサートピースとして五曲からの組曲でしか演奏されない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(Arlecchino)1953・CDやっぱりいい曲です。録音が悪くしかも怪しいが(曲によって録音状態が違う)、旋律がとにかくいい。ハチャの憂愁をたっぷり味わえる。サモスードの演奏は出だしがやや雑。大味なところがあるが、聴き進むにつれ肩を揺らしている自分に気付く。曲の良さをわかっている人の演奏だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,◎作曲家指揮プラハ放送交響楽団(supraphon)いい曲、いい演奏だ。時代錯誤なところがいい。ラフマニノフの舞踏曲にショスタコーヴィチのジャズ風作品をかけあわせたような音楽。とても聞きやすいし、何より疾走する楽章〜冒頭のワルツ(かっこいいっ!凄くいい曲!)やマズルカ(懐かしい感じの曲、舞踏の時代を懐古するような曲)、最後のギャロップ(すさまじい律動の応酬、運動会にピッタリ!ガイーヌの剣の舞にちょっと似ている)〜の垢抜けたあっけらかんとしたところがいい。わかりやすくて何が悪い、体制迎合の何が悪い!そんな感じに聞こえるところがまた泣かせる。にしてもチェコの音楽水準って高かったんですね。。何この弦!何この管!アンサンブルの粋を見せる分厚いオケがすばらしいのだ。統率する作曲家の腕もあるかもしれないが、聞いて損はしませんのでお勧め(この盤がなければ新しい演奏で聞いてください)。但し、ここに新味を求めてはいけません!和声は何十年も前のものです(ラフマニノフのシンフォニックダンス参照)。楽器の用法もてんで新奇ではありません。でも、聞いてみてください!古きよき時代を思いながら。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,○作曲家指揮モスクワ放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1969ハデハデ。どハデな演奏だ。オケも豪放磊落で、弦は気合に満ちた走句の数々を繰り出してくる。しっとり聞かせるところは感情込めてオーバーに弾くし、舞踏音楽(この曲のメインですね)ではケレン味たっぷりにうらぶれた旋律を聞かせる。前にも書いたがこの曲の舞踏音楽にはショスタコのジャズ組曲のような趣がふんだんにあり、意外と都会派なのだな、と思わせる。他の自演記録と比べてそんなに良くはないのだが、まあ、面白いです。かなり旋律的な曲の集合体なので、聴きすぎると完全に飽きてしまいます。ご注意を。ハチャ棒巧い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,コンドラシン指揮RCAビクター交響楽団(RCA)1958/10/30古風だが愉快で楽しい楽曲である。ワルツ、夜想曲、マズルカ、ロマンス、ギャロップの5曲からなるが、この演奏で聞くと偶数曲番の緩徐楽章はあまり魅力的でない。こういうしっとりと「歌わせる」曲にかんしては余り得意でなかったコンドラシン。比較的若い頃の録音であり、ひときわ感情を排した演奏スタイルを持っていたせいもあろう。奇数曲番も感情的にならず、まるでラフマニノフのシンフォニック・ダンスを録音したときのスタイルと同様、懐かしい響きのする楽曲なのに、敢えてそんな感傷性を出さないようにして音楽自体に語らせようとする志向が顕著である。はつらつとした運動性は認めるが、もう少し遊びが欲しい。オケも少し技術的にきつい様子。そういった演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「道化師」組曲,コンドラシン指揮RCAビクター交響楽団(RCA)1958/10/30運動会に貢献した作曲家ハチャトゥリアン。とりわけ「道化師のギャロップ」はガヤネーの「剣の舞」と並んでポピュラーな楽曲だ。社会主義リアリズムの優等生と言われたハチャトゥリアン。この至極わかりやすい組曲を聴いていると、そうだろうなあ、という感じを強く持つ。プロコフィエフやショスタコーヴィチといったあたりの作曲家と共通する部分もあるが、表面的な部分だけであり、前者はウラに何かしらの考えがあることを感じさせるのに対して、ハチャトゥリアンは純粋にこの路線こそ自分の道と思い込んで作っている感じがする。この録音もオケがやや弱い。楽曲の魅力は十分に伝わってくる演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第1番,ガウク指揮モスクワ放送交響楽団(RUSSIAN DISC/MELODIYA他)1959・CD やっとこの曲がわかった!ガウクの解釈がわかりやすいせいだろう。1楽章の叙情的な旋律の感傷性だけでもうこの曲許す。フレンニコフ以上ショスタコ未満、といったところか。基本的に民族楽派の主題を用いながらもハーモニーやリズム、打楽器の用法に創意が組み込まれ、かなり洗練された音楽に聞こえるものとなっている。ショスタコほどの個性は無いが(とくにこの曲はハチャの中では個性がわりあい薄いと思う)晩年のラフマニノフくらいの才能は感じる。とにかく42分は長いのだが・・・とくに1楽章冒頭の「ツカミ」の部分があまりに晦渋なため長らくこの曲を聞く気が起きなかったのだが・・・ガウクの技で救われているか。録音はガウクにしては良い。ただ、ガウク独特のしまらなさのようなものが感じられる部分も無いわけではないが。1楽章18分がいちばんききどころ。2楽章12分3楽章11分とあきらかに尻すぼみ(内容的にもそう)。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第2番,○作曲家指揮ソヴィエト国立交響楽団(russian disc)1977live・CDそれほど特徴的な旋律も個性的なハーモニーも無い曲なのだが、打楽器金管大爆発の派手な音響と民族情緒溢れる抒情的なパッセージには一部の人を熱狂させるものが確かにある。だが、なんでこの曲をウィーン・フィルとやったのだろう・・・。録音もハスキーだし派手さも中途半端で曲の魅力を正しく引き出したものとは言えない。弦楽器の艶な音色も不要な野蛮音楽だし、そもそも響きにちっともウィーンらしさがない。録音のせいだろうか。高い機能性は感じるが音楽としてのプラスアルファが無い。どうにも腑に落ちない気分で次にソヴィエト録音を聴いてはたと膝を打った。まるでぴったりしっくりくるのである。この曲はロシアオケを想定して書かれているのだ、あきらかに。派手な音響はロシアオケの豪放磊落なひびきを念頭にかかれたのだ。しかもここではスヴェトラーノフの育てた最もロシアロシアしたオケが使われているからさらに聴き易い。金管のひびき、木管の音色、弦楽器のポジティブな表現、全てが国民楽派の音楽を奏でるために必要なものを備えている。だからといってハチャがショスタコに並ぶソヴィエトの偉大な作曲家であると言うことは個人的好みから口が裂けても言えないが、アルメニアの国民性をクラシカル・ミュージックの語法の中で昇華させてみた、といったかんじの音楽、独特の旋律や面白いリズムに遊ぶことはできる、後者なら。ライヴならではの熱気は終楽章ではじける。この終楽章はちょっと面白い音楽で、比喩するならヴォーン・ウィリアムズ、独特の半音階的な動きを伴うスペクタクルな音楽に、後期シベリウス的な楽器法を施している。弦楽器のガシガシ刻む特徴的なリズムの上に朗々とブラスが歌うあたりはシベ5あたりの終楽章を思わせる。パワフルなソビ響の本領発揮である。15年をへて地につき円熟した作曲家の棒が冴え渡る。4楽章は最後に1楽章冒頭の暗い音楽を回想し、冒頭同様に印象的な鐘の音が鳴り響く。いささか骨張った音楽だが、スキモノはぴんとくるだろう。後者のみ○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第2番,○作曲家指揮ナショナル・フィル(COLOSSEUM)1953初版・LP,,,カッコいいなあー。でもロシアオケには違いないんだが正体不明だ。録音のクリアさのせいもあるが美しい透明感ある音で、ホルンあたりはイギリスオケみたいに聞こえる。アクが際立ってこないのですっきり聞き通せる。最初のドゥワージャージャージャージャーンから好悪をわかつロシアンバーバリズムだが所々に繊細な響きがあらわれ様々な同時代作品・・・ショスタコだけではなくプロコをもっとあく抜きしたような平明な表現からRVWの交響曲やホルストを彷彿とさせる清澄な響きの連続、20世紀交響曲好きにはわくわくさせられるような感じがある。いろいろな表情が万華鏡のように現れ人好きするものばかりではないが(随分とわかりやすいほうだが)三楽章の怒りの日の変容あたりからシベリウスをモダナイズしたような才気溢れるフィナーレの壮麗な盛り上がりにいたるまでの見事な大作ぶりったらない。指揮がまた引き締まって上手いのである。むろん弛緩はなくもないがオケの気合いはそうとうなもの。盤面が死んでいるので最高評価はやめておくがまずもって飽きない見事な大作なので、ミャスコフスキーに手を伸ばすならまずこちらから聞きましょう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ハチャトゥリアン:交響曲第2番,作曲家指揮ウィーン・フィル(DECCA)1962/3・CD ソヴィエト国立盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル、M.グロードベルグ(Org)他(MELODIYA他)1965,,一回CD化している。LPでは音揺れや突如モノラルになったりなど(曲の規模からしてチャンネルの切替がうまくいかないのは仕方無いが)少し聞きづらい。ステレオであるがゆえにかなり派手に聞こえるが、ブラス陣はおしなべて巧く耳が変になることはない(痛くなることはある)。ひたすら高らかに凱歌をかなでるブラス陣に対して非常に抒情的な(しかも古臭くない)旋律で魅了するのが弦楽セクション。弦にかんしてはモスクワ・フィルの実力が発揮されている、と言うに留めておく。だがムラヴィンスキーの初演盤に聞かれるような箱にきっちり収まった音楽にはならず奔放さが感じられるのはコンドラシンとしては意外で、凝縮力も録音のせいかいい方に開放されておりちょっと聞きそれとわからない感もある。とにかくこの曲はハチャによく見られる赤銅色の「焼き付き」がなく、派手でもスマートで聞きやすい入門用の楽曲とすら言えるだろう。オルガンが通奏する半音階的なうねうねした動きにハチャの悪所が出ているとも言えそうだが、そちらに余り傾聴しなくてもすぐわかりやすいセクションが動き出すので問題無し。盤としては○程度か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」,○ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(DA:CDーR)1968/2/15LIVE,,アメリカのブラスは最強なのでファンファーレは鼓膜が破れる。金属的な強いステレオ録音で耳が辛いくらい派手な打音をぶちかますストコのやり方は苦笑しつつも正しい!とうなづかされる。指揮者オケ共にある特性としてどうしても民族色はなくなってしまうので、派手なだけのスペクタクルになっているのは仕方ないところだがそもそもそういう意図の即物的な曲なのだからこれは正解だ。ストコにしてはアーティキュレーションもしっかりつけられている。ただ凄絶な音の饗宴を楽しみましょう。史上最凶の演奏。オルガンまで入るとクラシックというよりプログレだ。民族音階もこの中ではまるで呪術的で、こりゃEL&Pです。ヴラヴォからファンファーレ付の指揮者のリコールまで収録。ショスタコの組曲に交響曲のあとこれを持ってこれるなんてシカゴだけ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」,○ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(scora)1947/12LIVE・CD初演記録と推定されるとのこと。とにかくハデハデでけたたましくやかましい。ペット何本あるのかわからないくらいやかましい。オルガンが入ってくるとちょっとこれはクラシカル・ミュージックではない気がしてくる。これはプログレの世界だ。独特の民謡音階がまたちょっと宇宙的なレトロ怪奇な味をくわえ、ハチャの特異性を強調する。たしかにこの作曲家にはユニークな才能があったのだ。ペット何本あるかと調べてみたら15本だった。やかましいはずだ。録音はかなりハスキーで浅い。ペロペロになっているところもあるが、音量がバカでかすぎて録音がつぶれたのだろう。スターリンの影が消え文化に一気に現代化の波が押し寄せたこのころ、温厚なおじいちゃんになってしまったプロコフィエフのお鉢を継ぐこのような曲を書いたハチャに感動。これはまさしくプロコフィエフ・バーバリズムの正統な継承者としての音楽であり、ロシア音楽史上希に見るはっちゃけた交響曲(しかも単一楽章)として後々まで語り継がれることだろう。なんて今言っても遅いか。第二次大戦戦勝記念日のためにかかれたファンファーレを主軸とした交響詩的作品です。ムラヴィンスキーもオケが違うとハデだなー。録音かなりマイナスで○。モノラル、拍手カット(余韻までカット。ロシアではよくあること)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:祝杯,○作曲家(歌・P)(supraphon)1950/4/27プラハ・CD,,三曲連続で録音されたもののようである。おそらく未発売ではないか。エレヴァンの春同様、ピアノはまあ聴ける、歌は達者。そんなところか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:組曲「仮面舞踏会」,○作曲家指揮プラハ放送交響楽団(supraphon)1955/9/21-22・CD,,LPで出ていたものと同じと思われる。やや演奏的には甘く楽器によっても出来不出来があるようにおもう。総じて管楽ソロは素晴らしい。ワルツ、夜想曲、マズルカ、ロマンス、ギャロップ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
http://ryookabayashi.sakura.ne.jp/2019/naha.html
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