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(回答先: コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 28 日 16:53:31)
リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893 - 1918)
20世紀の作曲家で、ここまで心に強く訴えるもののある作曲家を私は知らない。私の知る限り女性作曲家の中でももっとも優れているし、それどころか20世紀になってから活躍した作曲家の中でももっとも優れた作曲家の一人だと思う。
カンタータ<ファウストとエレーヌ>Faust et Hélène(1913年)
3.5点
前半はオーケストレーションが簡素すぎるきらいはあるものの、ゆったりとした美しい叙情に身をひたす楽しみがある。ワーグナーのようであり広大で空気感のある甘美な音楽である。後半はプッチーニのように情熱的でロマンティックを突き詰めた甘美さの音楽になる。このようにオペラ的な劇的さを30分に詰め込んだ作品であり、どちらもエンターテイメント的な楽しみを感じさせる。長く生きればフランスを代表するオペラ作曲家になれただろうと思わせる。
交響詩<哀しみの夜にD'un soir triste>(1917年〜18年)
2.8点
間奏的な曲。大きく盛り上がらず、重厚で重たい夜の雰囲気だけをずっと奏でて終わる。先を期待させるも、大きな変化や天才的な閃きを見せずに終わる。雰囲気は好きだがこれだけで10分は長い。
ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための<春の朝にD'un matin de printemps>(1917年〜18年)
3.0点
ドビュッシーの作品のようだ。印象派的な音の使い方の美しさが魅力の小品。4分とは思えないほど、みっちりと展開が詰まっている。巨匠的とまでは若書き感の残る作品だが、その新鮮で溌剌としたところが魅力である。
(ヴァイオリンと)ピアノのための<夜想曲 ヘ長調><行列 ホ長調>
3.5点
伴奏のピアノもヴァイオリンの旋律も非常に美しい。特別なことをしていないようであるが、小品として強く引き込まれる。色彩感と夜の雰囲気と楽器を豊かに歌わせる展開力が優れているからだろう。何度も聴きたくなってしまう。
ピアノ曲<暗い庭から>
詩篇 第24番(1916年)
詩篇 第130番(1910年〜17年)
4.0点
ブルックナーのように重厚で力強く、熱い信心の心を圧倒的な質量の音の重さでもって表現している。展開力、世界観の 圧倒性には感服するしかない。女性か男性かという次元でなく、20代前半とは到底信じられない恐るべき深さをもった楽曲である。不安げな冒頭、後半の感情の盛り上がり、はるか深い闇の中からうごめくように這い出てくる魂たち。人類の悲しみの歴史と業をも背負ったかのようだ。この次元に若くして到達したのは病弱な身体に宿った精神ゆえとしか説明がつかない。
古い仏陀の祈り
3.3点
同じ動機を繰り返すため、途中からしつこく感じてしまった。とはいえ古い仏陀の祈りという題名の表象する音世界を非常に絶妙に表現できていて、驚くべき表現力と思う。神秘的だが、東洋的な柔らかさと世界をオーラのように包み込むような感じと、何千年も昔の世界から時空を超えて伝わってくる感じがよい。
ピエ・イエズ(1918年)
3.8点
天才作曲家の24歳にして病床で口述筆記された絶筆という前提知識を持って聴くと、あまりにも天国的に美しくて、心臓が止まりそうになる。冒頭の歌が始まった瞬間に時が止まったかのようになり、この音楽の世界に入り込む。なんという美しい音楽だろうか。半音階的な伴奏の進行や絶妙な転調を繰り返して、祈りながら天の彼方へと飛び去って行く魂のような音楽を聴かせてくれる。
リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893年8月21日 - 1918年3月15日)は、フランスの作曲家。
生涯
音楽一家に生まれる。祖父フレデリックはチェリストで、祖母ジュリエットは歌手。父エルネストはオペラ作曲家で、パリ音楽院でローマ大賞音楽部門に輝いた経歴を持つ。のち母校で声楽教師を務めた。母ライサは旧姓ムィシェツカヤといい、ロシアの公爵令嬢だった。結婚するまでエルネストとはパリ音楽院で師弟関係にあった。著名な音楽教師ナディア・ブーランジェはリリの姉である。
ブーランジェ夫妻の子供のうち健康で長寿を保ったのは第2子ナディアだけで、長女は生後まもなく急死、リリ自身も臓器に障害があって医師に短命を予告されていた。にもかかわらず2歳で神童ぶりを発揮し、家族によって英才教育をほどこされた。語学力と並んで楽器の演奏能力、とりわけ初見演奏に秀で、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ハープを得意とした。
4歳の時から姉にくっつきパリ音楽院の講座にもぐり込み、音楽の知識を吸収。長じてリリ自身も正式の学生となり、オルガンをルイ・ヴィエルヌに師事しながら、音楽理論と作曲を最初は姉ナディアに、次いでポール・ヴィダルやジョルジュ・コサード、フォーレに学ぶ。フォーレはブーランジェ姉妹の父で同僚のエルネストと親しく、リリのことを幼児期から可愛がり、歌曲の楽譜をブーランジェ家に持ち込んでは、リリに演奏させていたという。1899年にエルネストが他界してからは、フォーレはブーランジェ姉妹にとって、父親代わりの役目も果たしていたようだ。
1913年にカンタータ『ファウストとエレーヌ』(Faust et Hélène)でローマ大賞を受賞した。これは、4度の受験の末に断念した、姉ナディアの苦渋と屈辱をリリが代わって雪いだ面もあり、一方ナディアも妹の力作を手引きしたようである。
リリ・ブーランジェの作品は、色彩的な和声と楽器法、歌詞への巧みな曲付けで名高い。また、幼くして老齢の父親の死を体験し、自らも常に死の影に脅かされていたことから、喪失感や不安、悲哀の感情も彼女の作品を特徴づけている。彼女の作品には、フォーレやドビュッシーへの理解が見受けられ、彼女の独創的な作品は、少なくともアルテュール・オネゲルに影響を及ぼした。
免疫系が冒される気管支肺炎を2歳で発症したのに始まり、ついには腸結核(現在では「クローン病」と呼ばれる)を併発して24歳で若い命を散らすまで、リリの生活と活動は宿痾に苛まれ続けた。
旅行を愛し、ローマ大賞受賞後にイタリアでいくつかの作品を完成させたほどだったが、健康の衰えのために帰国を余儀なくされた(一説には、リリの看護と世話のために付添い人が同行することを、留学先の施設管理者が理解しなかったためといわれる)。帰国後は、病身をなげうって、第一次世界大戦に従軍するフランス人兵士を支援するため、姉ナディアとともに文字通りに砕身粉骨した。
リリは最晩年も未完成の作品を仕上げるのに尽力したため、音楽的にみのり豊かな時期を迎えることができた。しかし、一生のうちの大半を費やした、メーテルランク原作のオペラ『マレーヌ姫』は完成させることができなかった。リリはアルカションで絶筆の「ピエ・イェズ」を口伝筆記で完成させた後、昏倒して永眠した。亡骸はパリのモンマルトル墓地に埋葬されている。
フルート奏者林リリ子(作曲家林光の従姉)の名はブーランジェにちなんでおり、さらにフラウト・トラヴェルソ奏者の前田りり子は林の名にあやかっていると言われる。
フランスの天文学者ヴェニアミン・ジェコフスキーが1927年に発見した小惑星リリトは、ブーランジェの名前にちなんで命名された。
主要作品
カンタータ『ファウストとエレーヌ』(Faust et Hélène) (1913年)
交響詩『哀しみの夜に』(D'un soir triste)(1917年 - 1918年)
ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための『春の朝に』(D'un matin de printemps)(1917年 - 1918年)
(ヴァイオリンと)ピアノのための『夜想曲 ヘ長調』『行列 ホ長調』
ピアノ曲『暗い庭から』
詩篇 第24番(1916年)
詩篇 第130番(1910年 - 1917年)
古い仏陀の祈り
ピエ・イエズ(1918年)
(フランシス・ジャムの「悲しみ」による)連作歌曲集『空の晴れ間』(1913年)
※この曲名は原題 "Clairières dans le ciel" にリリ・ブーランジェがこめた意図をどう理解すべきかが難題で、訳名づくりにあたっては、さまざまな解釈が試みられている。ここでは書籍の訳に従うが、オンライン上では「空のひらけたところ」というやや天文学めいた訳が流布するようになっているほか、「雲の切れ目」とする音楽学者もいる。
その他の歌曲・合唱曲
- リリ・ブーランジェ ピエ・イエズ 中川隆 2021/10/01 00:23:17
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