★阿修羅♪ > 近代史6 > 689.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/689.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 29 日 17:57:56: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 20世紀の作曲家 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 27 日 23:28:53)

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)

いわずと知れた大指揮者。なぜか曲がどれも長い。一流とはいえない才能に加えて曲の長さが、無駄に敷居を上げているのだが、逆に挑戦心を駆り立てているところもある。

交響曲

交響曲第1番ロ短調 (1941年)

交響曲第2番ホ短調 (1945〜47年)
3.5点
感動的な巨編として一聴の価値がある。一流作曲家では聴かないようないまいちなフレーズも多いのだが。

交響曲第3番嬰ハ短調 (1947年〜54年)


その他の作品

ヴァイオリン・ソナタ1番

ヴァイオリン・ソナタ2番

ピアノ五重奏曲

ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, ドイツ語: [ˈvɪlhɛlm ˈfʊɐ̯tvɛŋlɐ], 1886年1月25日 ベルリン - 1954年11月30日 バーデン=バーデン)は、ドイツの指揮者、作曲家。伴奏ピアニストとしての演奏も行った。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を1922年から1945年まで、終身指揮者を1947年から1954年まで務め、20世紀前半を代表する指揮者のひとりとされている。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ音楽の本流を得意とした。一般には後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承した演奏とされ[1]、作曲家としても後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承したことから、ライバルのトスカニーニと対極に位置づけられることもあるが、「堅固な構築性をそなえた演奏を『ロマン主義的演奏』というだけで片付けてしまうのは軽率」とする見解もあり[2]、またフルトヴェングラー自身は「後期ロマン主義者」と看做されることを極度に嫌い、「私はロマン主義者でも古典主義者でもない」と語ったともいわれる[3]。

音楽評論家の吉田秀和はフルトヴェングラーについて、「濃厚な官能性と、高い精神性と、その両方が一つに溶け合った魅力でもって、聴き手を強烈な陶酔にまきこんだ」[4]「(ベートーヴェンが)これらの音楽に封じ込めていた観念と情念が生き返ってくるのがきこえる」[5]と評している。

現在でもCDが続々と発売され、放送録音、海賊録音の発掘も多く、真偽論争となったレコードも少なくない。

妹メーリットは、哲学者マックス・シェーラーの妻。甥ベルンハルトと妻エリーザベトの連れ子カトリーンの間の娘のマリア・フルトヴェングラーは女優で医師。

音が出る前から指揮棒の先が細かく震え始め、アインザッツが非常にわかりにくいその独特の指揮法[6]から、日本ではフルトヴェングラーをもじって「振ると面食らう」などと評され、「フルヴェン」の愛称で親しまれている。


略年譜

伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2019年6月)

AEG工場での歓喜力行団コンサートを指揮するフルトヴェングラー(1942年)
1886年 ベルリンにて誕生。正式な洗礼名はグスタフ・ハインリヒ・エルンスト・マルティン・ヴィルヘルム(Gustav Heinrich Ernst Martin Wilhelm)。父は考古学者アドルフ。
1894年 父アドルフがミュンヘン大学の教授に任命され、ミュンヘンに転居。
1898年 高校を退学し、以後、ルートヴィヒ・クルツィウス、ヴァルター・リーツラーを家庭教師として勉強を続ける。
1901年 マックス・フォン・シリングスから作曲を学び始める。
1906年 カイム管弦楽団(現在のミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)を指揮しデビュー。デビュー・コンサートのプログラムは、ベートーヴェン「献堂式序曲」、自作のアダージョ、ブルックナー交響曲第九番[7]。同年チューリヒ歌劇場の第三指揮者となる。
1909年 シュトラスブルク歌劇場の第三指揮者となり、ハンス・プフィッツナーと交わる。
1911年 リューベックの音楽監督となる。リューベック在任中に、ハンブルクで活動していたアルトゥール・ニキシュと交わる。
1915年 マンハイムの音楽監督となる。
1920年 音楽学者ハインリヒ・シェンカーと親しく交わる。
1922年 同年死去したアルトゥール・ニキシュの後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団およびベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。
1927年 フェリックス・ワインガルトナーの後継としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。
1931年 バイロイト祝祭劇場にはじめて出演し、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』を指揮。
1933年 ベルリン国立歌劇場でワーグナーの「マイスタージンガー」を指揮した際、首相ヒトラーと握手している写真を撮影される。9月15日、ヘルマン・ゲーリングの指令により、プロイセン枢密顧問官に就任。同年11月15日には帝国音楽院副総裁に就任。
1934年 ヒンデミット事件によりナチス政府と対立。12月5日、ベルリン・フィル音楽監督、ベルリン国立歌劇場音楽監督、プロイセン枢密顧問官および帝国音楽院副総裁を辞任。
1935年 客演指揮者としてベルリン・フィルに復帰。
1936年 ニューヨーク・フィルの次期音楽監督にトスカニーニから指名されるが、ナチスの妨害により破談。
1938年 ドイツのオーストリア併合後、ナチスによるウィーン・フィル解散を阻止。
1939年 第二次世界大戦が勃発するがドイツに残る。国内のユダヤ人音楽家を庇護。
1945年
2月 ウィーン・フィルの定期演奏会後にスイスへ亡命(彼を嫌うナチス高官ハインリヒ・ヒムラーから逮捕命令を出されていた)。
5月 戦時中のナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受ける。
1947年 「非ナチ化」裁判の無罪判決をうけ、音楽界に復帰。ベルリン・フィルの終身指揮者に。
1948年 シカゴ交響楽団の常任指揮者就任の要請を受けるが、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ミルシテイン、ピアティゴルスキー、ハイフェッツを含むユダヤ系音楽家たちからの抗議により破談。
1951年 バイロイト音楽祭再開記念演奏会でベートーヴェンの交響曲第9番を指揮(7月29日)。
1954年 肺炎により死去。68歳。
2013年3月5日 妻エリーザベト、102歳で死去。日本のフルトヴェングラー・センターの名誉会長を務めていた。

主な初演作品
バルトーク/ピアノ協奏曲第1番 - ピアノ:バルトーク、劇場管弦楽団(Theater Orchestra) 1927年7月1日 フランクフルト
シェーンベルク/管弦楽のための変奏曲作品31 - ベルリン・フィル 1928年12月2日 ベルリン
プフィッツナー/楽劇『こころ(Das Herz)』 ベルリン国立歌劇場 1931年11月12日 ベルリン[9]
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第5番 - 作曲者のピアノ、ベルリン・フィル 1932年10月30日 ベルリン。
オネゲル/交響的運動第3番 - ベルリン・フィル 1933年3月26日 ベルリン
ヒンデミット/交響曲『画家マティス』 - ベルリン・フィル 1934年3月11日 ベルリン
プフィッツナー/小交響曲 ト短調 作品44 - ベルリン・フィル 1939年11月17日 ハンブルク
リヒャルト・シュトラウス/『4つの最後の歌』 - ソプラノ:キルステン・フラグスタート、フィルハーモニア管弦楽団 1950年5月22日 ロンドン(初演時、あるいは直前のドレス・リハーサルによるとされる録音が現存している)


作曲家として

ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスを尊敬していたフルトヴェングラーは、自身を作曲家であるとみなしていた。ブルックナーらに匹敵する長大な作品が多く、3つの交響曲、交響的協奏曲、ピアノ五重奏曲は演奏に1時間以上を要する。

現状、作曲家としてのフルトヴェングラーやその作品群が評価されているとは言い難いが、演奏や録音の機会は増えつつある。それらはフルトヴェングラー自身の自演をはじめ、彼とゆかりの深かった演奏家、影響を受けた演奏家によるものが多く、ヨーゼフ・カイルベルト、オイゲン・ヨッフム、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ラファエル・クーベリック、ロリン・マゼール、ダニエル・バレンボイム、朝比奈隆などの著名な指揮者も含まれる。また、アルフレート・ヴァルターとゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒトが交響曲全集を完成させている。

交響曲
交響的楽章 ニ長調
交響的楽章 ロ短調
交響曲第1番 ロ短調 (1941年)
交響曲第2番 ホ短調 (1945〜47年)
自身の指揮でオーケストラの異なる5種類の録音が残されている。
交響曲第3番 嬰ハ短調 (1947年〜54年)


管弦楽曲
序曲 変ホ長調
ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲 ロ短調
エトヴィン・フィッシャーとの自作自演の録音が存在する。


室内楽曲
ピアノ五重奏曲 ハ長調
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 <1937年、フーゴ―・コールベルクが初演>
ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 <1940年、ゲオルク・クーレンカンプが初演>
2つの幻想曲(ピアノ作品)


声楽曲
テ・デウム イ長調
いくつかの歌曲

主要な著作
フルトヴェングラーは評論、文筆活動にも積極的で、著作物も多く残している。

音と言葉(独: Ton und Wort)
フルトヴェングラーの主著で、フルトヴェングラーが各方面の雑誌に載せた論文や講演会での講演をまとめたもので、没後の1956年、ドイツのブロックハウス社(ドイツ語版)から上梓された。主要論文「ヴァーグナー問題〜ニーチェ風の随想」をはじめ、現代の音楽、社会に対する鋭い慧眼と哲学的考察を持って書かれた論考32編が収められている。中には有名な「ヒンデミット事件」も含まれている。日本語訳は芦津丈夫訳で白水社から出版されており、1996年には新装版も出版された。

音楽ノート(遺稿集)(独: Vermächtnis)
フルトヴェングラーの没後に残された最終的な推敲を経ていない論考をまとめた本。最終的な推敲を経ていないとはいえ、ほぼ完全な形でまとまったものがほとんどである。特に、「音と言葉」には見られない指揮者自身の役割、フルトヴェングラーの指揮に対する考え方を率直に示した論考も含まれ、極めて貴重である。同時にフルトヴェングラーが自身のカレンダーに記していた覚書も「カレンダーより」として収められている。フルトヴェングラー没後の1956年にこれもドイツのブロックハウス社から出版された。日本語版も同様に芦津丈夫の訳で白水社から出版されている。また、1996年の新装版では、従来版で割愛されていた青年期の論考1編も新たに収められた。

その他にもヴァルター・アーベントロートとの対談が収められた「音楽を語る」などがある。フランク・ティース編纂の書簡集も日本語訳が白水社から出版されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 2021年9月29日 17:59:01 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[26] 報告
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1886年1月25日 - 1954年11月30日) 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/118.html

フルトヴェングラー _ ベートーヴェン名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/162.html

作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?_宇野功芳 樂に寄す
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html

ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html

Wilhelm Furtwängler site by shin-p
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/

Kenichi Yamagishi's Web Site
http://classic.music.coocan.jp/index.htm

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史6掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史6掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史6掲示板  
次へ