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(回答先: 最美の音楽は何か? _ グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 03 日 20:58:52)
ゲオルク・フィリップ・テレマン『ターフェルムジーク』
GP Telemann Tafelmusik Overture, Quartet & Concerto, N. Harnoncourt 1/4
Lentement - Vite - Lentement - Ouverture et Suite in E minor
1. Production. Ouvertüre und Suite in E minor 0:00
1. Production. Quartett in G major 28:09
1. Production. Concerto in A major 42:57
Nikolaus Harnoncourt and Concentus musicus Wien
テレマン:ターフェルムジーク(全曲)
ニコラウス・アーノンクール (アーティスト, 指揮)
アーノンクール(ニコラウス) (指揮)
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス (演奏)
ダーフィト・ライヒェンベルク (演奏)
マリー・ヴォルフ (演奏)
ミラン・トゥルコビッチ (演奏)
アリス・アーノンクール (演奏)
エーリヒ・ヘーバルト (演奏)
Glockenspiel
5つ星のうち5.0 スタンダードなターフェルムジーク
86年と88年の録音。アーノンクールのバロックの管弦楽・器楽のまとまった録音では最新のものである。
いわゆるターフェルムジーク(ムジーク・ド・ターブル)の全曲録音には、LP時代にヴェンツィンガー盤とブリュッヘン盤(これはモダン楽器使用)、CD初期にムジカ・アンティカ・ケルン盤、比較的最近のものに18世紀カメラータ盤とアーノンクール盤があるが、最近の二つが双璧というべき出来栄えである(この評価は私だけでなく、多くの日本の音楽評論家と共通するものなので、安心して購入してください)。
アーノンクールのバロック演奏について、ひとつ断りしておく。彼はウィーン交響楽団のチェリストとして、プロ音楽家のキャリアをスタートしている。彼の入団試験にはカラヤンが立ち会っているし、クラウスやクレンペラーなど多くの名指揮者のもとで「普通のクラシック」を演奏していた。古楽器運動の旗手であった彼は、バロックアンサンブルという形態の創始者のように見られているが、それは全くの誤解である。彼が理想においているのは、あくまでも一人の音楽的個性によって強固に統制され、そして統括者の音楽的個性・精神が深く刻印された演奏である。コンツェトゥス・ムジクスとの演奏も、戦前からの大指揮者と通底するスタイル・精神性が反映されたものなのである。
90年代以降アーノンクールは、モーツアルトからブルックナーに到るレパートリーで、洗練され円熟した演奏を聴かせているが、その洗練・円熟が一番最初に聴き取れるCDは、多分このセットではないだろうか(たとえば第1楽章のト長調の四重奏曲の柔軟な表情は、意外なほど柔和・優雅である)。
しかし騙されてはいけない。昨年発売のマタイ受難曲でも同様であったが、目立たぬところに「如何にもアーノンクール」風な過激表現がちりばめられている。それら過激部分が、聴き手の鑑賞の中心的な部分の外側に退いているため、論争・反発を呼ばないだけなのである。アーノンクールは、演奏への彼の精神の刻印を抑制することなく、音楽の素の魅力を伝えることに注力しているようで、その意味で「洗練され円熟した演奏を聴かせている」のである。
もう1点、このCDの録音途中でコンツェトゥス・ムジクスのメンバーの世代交代が進み、メインは現在の若手メンバーによる演奏である。しかし一部に60年代からのメンバーの演奏もあり、第A集の四重奏曲とソロ・ソナタは旧世代によるものである。崇高、峻厳にして絶唱というべきか、彼らの音楽、古き音が聴けなくなったことに寂しさを覚えるのは筆者だけであろうか。
田中サムソン
5つ星のうち5.0 バロック器楽曲のフルコース
この演奏を初めて聴いたときの私の率直な感想は「なんと古雅な響きの音楽なのだろう」ということだ。それはJ.S.バッハが到達できなかった、ひとつの音楽の頂点を見た思いだった。
付点音符を基調とする序曲の冒頭。これはフランス(リュリが創始した)に生まれたものでありながら、それを超える優美さ荘厳さを兼ね備えている。この管弦楽組曲ひとつをとっても、この後にバッハの管弦楽組曲を聴くとどれもやせっぽちに聴こえる。
それに続く四重奏曲、協奏曲、トリオソナタ、ソロソナタ、終曲。すべてがバロックの時代に生まれ、そして発達していった形式であり、テレマンはドイツ、イタリア、フランス、そして当時まだ野蛮と見られていたポーランド、ボヘミアの音楽を自己の中に消化し見事に融合させてい!る。
この作品こそテレマンの最高傑作として称しても良いだろう。またさらに言えばすべてのバロック器楽曲の集大成といっても過言ではなかろう。フランス料理にたとえればまさにフルコースだ。
彼の親友のヘンデルはたびたびこの作品からテーマを借用しているので、協奏曲などでそっくりのフレーズが聴こえたら私に限らず思わず「ニヤッ」とすることでしょう。
さてアーノンクールの演奏は実に見事。それまでの彼の演奏は過剰になりがちと感じられるところもあったが、この作品では彼の演奏スタイルのもっとも見事なところを生かしきっている。それは対旋律の生かし方だ。
これはひょっとしたら最近は古典派、ロマン派へと演奏の場を移していったアーノンクール自身のバロックにおける集大成なのかもしれない。
弾十六
5つ星のうち5.0 実はアーノンクールの最高傑作
登場時にはメリハリを効かせ過ぎ、との批判があったアーノンクールですが、このテレマンはアクが抜けた素晴らしい演奏です。テレマンは、誰が演奏しても、そこそこ聴かせる、という稀有な作曲家なのですが、この演奏のレベルの高さは尋常ではありません。アーノンクール嫌いにも安心してお薦め出来る逸品です。
Glockenspiel
5つ星のうち5.0 「食卓の優雅」ではなく傑作への凄絶・厳粛な演奏 CMWの世代交代も象徴する
1986年と1988年、Casino Zägernitzでの録音。私の従来の手持ちは(おそらく)輸入盤CDにケース外に
日本語解説(八つ折り1枚モノ・楽曲解説;荒川恒子氏)を付けて発売したもの。
今回の発売では荒川氏の日本語解説がケース内のライナーノーツに移り原語のライナーノーツは無くなった。
また「マスター制作:杉本一家(JVCマスタリングセンター)」という記載が加わった。
新盤を44.1K 16Bitで取り込んでからdisk1のホ短調組曲を聴き始めて驚いた。記憶よりゴキゴキ・ギシギシな弾き方が目立つ。
輸入盤CDで聴いていたイメージと異なる。弦楽器のアタックが痛いほど激しくて、それがメリハリ、リズム感を生み出す。
これは後のハイドン・パリ交響曲、モーツアルトの少年期・青年期の交響曲そして三大交響曲、ベートーベン・第4・5番の録音と
同じ方向の強烈な表現である。
そこで輸入盤を同様にPCに取り込んで比較してみたところ、まず細部が微妙に違う。
輸入盤は空間にある種の「モヤのような共鳴、残響」があるが「杉本マスター」ではそれが激減している。
弦楽器の激しく特殊な運弓はCMWの美学の主軸なのだが、この新マスタリングで細かいところまでよく見え、
奏者に凄絶な表現をアーノンクールが求めていることが分かる。
ここで思い至ったのだが、このモヤについてLP時代からウィーン・コンツェントス・ムジクス(CMW)特有の「味わい」だと思って
いたのだが、実はCasino Zägernitzのホールトーンとマイクロフォンの相互作用で生まれたものではないか?
ひょっとすると生音としては耳に感知しにくい類いのモノだったかもしれない・・・
それが今回の杉本氏のマスタリングで「モヤが晴れ」、細部が良く見渡せるようになったのであろう。この変更は「英断」であり、
近年流行のアップサンプリング再生にも向いていると思う(88.2Khzで実験してみた)。
演奏について
多くの古楽アンサンブルは各奏者の名技・美音・個性を聴かせるが、CMWは指揮者:アーノンクールの解釈を聴かせる。
各奏者は彼の設定した枠内でしか個性を発揮できないから「モダンオーケストラのような献身」ともいえる。
たしかに結成以来のメンバーは個性的に見えるが、彼は画家が絵の具を使うように巧みにコントロール・配置した。
1990年代以降、CMWと指揮者は境界が見えなくなるほど一体化し、最終的にCMWは彼の「肉体と精神の延長」の境地に達した。
その萌芽は1970年代半ば以降に見られ(ビバルディの四季、ヘンデルの水上の音楽、テレマンのダルムシュタット管弦楽組曲など)、
この1986-1988年録音は「最後の境地」に至るプロセスである。この録音でアーノンクールは数曲を除きチェロを弾かず指揮に
専念しており、その効果なのか、演奏に込められたパッションが数段レベルアップした。
輸入盤の日本語解説の片隅には「このアルバムは、ユルク・シェフトラインとダーフィト・ライヘンベルクの想い出に捧げられた」
という記載があった。これはCMWの創設メンバー:オーボエ奏者のシェフトラインが1986年に、同じくオーボエのライヘンベルクが
1987年に亡くなったことに対する記述である。2人の死去で録音が中断し、再開したのが1988年ということらしい。
この録音プロジェクトの間にメンバーの世代交代が進み、トラベルソのシュタストニーがR.ヴォルフに、
シェフトラインの後任にはH-P.ヴェスターマンに交代し、指揮者の意図に沿った清々しく折り目正しい演奏ぶりになった。
アリス・アーノンクールがソロを弾くのはこれが最後ではないだろうか?脇には次代のコンサートマスター:E.ヘバルトが座っている。
結果から見ると、このメンバー交代でCMWはバロック音楽中心から古典派作品にシフトした体制になったといえる。
この4枚組には一部だが「旧世代の音」も残されている。第3集のオーボエソナタはシェフトラインのソロ、アーノンクールのチェロ、
タヘッツィのチェンバロという初期メンバーによる演奏だが、情感豊かでシェフトラインの絶唱というべき名演。
第2集のトリオでは3名にシュタストニーのトラベルソが加わる。古楽革命の4名の先達による演奏は
「過去に無いものを生み出そうとする気合いと情熱」が過多だが、実に味わい深い。
現代の古楽演奏では聴くことのできない境地。ロマンチックで素敵だ。
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