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最美の音楽は何か? _ ヨハネス・ブラームス『交響曲 第2番 ニ長調 作品73』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/592.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 05 日 07:31:59: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 最美の音楽は何か? _ ヨハネス・ブラームス『ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15』 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 01 日 13:57:24)

ヨハネス・ブラームス『交響曲 第2番 ニ長調 作品73』


Brahms, Sinfonie Nr.2, Knappertsbusch, 1959(pseudo-stereo)



Wiener Philharmoniker,
Hans Knappertsbusch(1959)
pseudo-stereo




Brahms Symphony No.2 in D Op.73 - Knappertsbusch (Live in Dresden, 1959)



Conductor: Hans Knappertsbusch
Dresdner Staatskapelle
27 November 1959




Brahms - Symphony No.2 Knappertsbusch Munchener



ハンス・クナッパーツブッシュ指揮  ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1956年
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-16588] koaQ7Jey 2021年9月05日 07:52:26 : FDWt7ypm4M : MW5mNThYUFZaaXc=[6] 報告
フルトヴェングラー


【高音質復刻】Furtwängler & VPO - Brahms: Sym.No.2 (1945.1.28)




























Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler

Vienna, Grosser Saal, Musikverein, 28 January 1945 ( Andante )







Brahms - Symphony No 2 - Furtwängler, LPO (1948)











London Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Decca studio recording, Kingsway Hall London, 20-25 March 1948






Brahms - Symphony No 2 - Furtwängler, BPO (1952)


















Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Live recording: 7 May 1952, Deutsches Museum, Munich





フルトヴェングラー / ブラームス 第二交響曲(追跡#22)解説:徳岡直樹




ウィーン(第三帝国)脱出前夜という切羽詰まった状況の中で演奏された1945年1月28日の演奏会録音、珍しく(唯一)ロンドンフィルを指揮したデッカ録音、1952年5月ベルリンフィルを指揮したミュンヘンでのライブと、三つの演奏が残るフルトヴェングラー指揮のブラームス交響曲第二番。それぞれの演奏の魅力と、歴史的背景の関わりを聴く(解説:徳岡直樹)。

1945年1月28日 ウィーンフィル 
https://www.youtube.com/watch?v=W4DTnkTQnGg&t=0s

1948年3月 ロンドンフィル 
https://www.youtube.com/watch?v=ofynTGM6CBE

1952年5月7日 ベルリンフィル 
https://www.youtube.com/watch?v=0gbAZPp6eSw&t=0s




フルトヴェングラー 解説:徳岡直樹(追跡演奏解析) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLrmI36pmKLDzhvHvkfl5_BH5cKEmETwwC
2. 中川隆[-16587] koaQ7Jey 2021年9月05日 08:27:43 : FDWt7ypm4M : MW5mNThYUFZaaXc=[7] 報告
ワルター


Brahms Symphony No.2 op.73 - Bruno Walter - NBC - 1940




Live 17.02.1940 - NBC








Brahms - Symphony No.2  Walter Berliner




ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 op.73
ブルーノ・ワルター指揮  ベルリン・フィルハーモニー  1950年9月25日



Bruno Walter Berlin Philharmonie (25 September, 1950)




Mozart - Symphony No. 40 in G minor, K.550
(00:00:00) 1. Molto Allegro
(00:06:24) 2. Andante
(00:14:40) 3. Menuetto- Allegretto
(00:19:13) 4. Finale- Allegro Assai


Brahms - Symphony No.2 in D Major, Op.73
(00:24:18) 1. Allegro Non Troppo
(00:38:47) 2. Adagio Non Troppo
(00:49:15) 3. Allegretto Grazioso
(00:54:41) 4. Allegro Con Spirito

Bruno Walter
Berlin Philharmonie
25 September, 1950









Brahms - Symphony No 2 - Walter, PSONY (1951)




Philharmonic-Symphony Orchestra of New York conducted by Bruno Walter
Recorded: 28 January 1951, Carnegie Hall, New York








Brahms - Symphony n°2 - New York / Walter









New York Philharmonic
Bruno Walter
Studio recording, New York, 28.XII.1953





Brahms: Symphony No. 2, Walter & ColumbiaSO (1960)


















Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra

Rec. 11, 14, 16 January 1960, at American Legion Hall, in Hollywood [Columbia]





Bruno Walter The Maestro the Man (vaimusic.com) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aztB7E1Wjbs


Bruno Walter conducts Brahms: Symphony No. 2 in D, Op. 73. 4th movement: Allegro con spirito (Rehearsal segment)

the legendary Maestro Bruno Walter rehearses Brahm's Symphony No. 2 with the Vancouver International Festival Orchestral, and discusses his art with music critic Albert Goldberg.
3. 中川隆[-16586] koaQ7Jey 2021年9月05日 08:33:35 : FDWt7ypm4M : MW5mNThYUFZaaXc=[8] 報告
ムラヴィンスキー


Brahms - Symphony n°2 - Leningrad / Mravinsky Vienna 1978




Leningrad Philharmonic Orchestra
Yevgeny Mravinsky
Live recording, Vienna, 12.VI.1978






Brahms Symphony No 2 1978年録音




エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー





Brahms - Symphony No 2 in D major, Op 73 - Mravinsky




Leningrad Philharmonic Orchestra
Evgeny Mravinsky, conductor

Recorded live, September 1977





Brahms, Symphony No.2 in D, Op.73 / Evgeny Mravinsky



Evgeny Mravinsky, piano
Leningrad Philharmonic Orchestra
( Melodiya )
4. 中川隆[-16543] koaQ7Jey 2021年9月07日 06:39:38 : r5z45lvW9w : b2RKcGJ1YVo0ZE0=[15] 報告
シューリヒト


Brahms Symphony No.2 Carl Schuricht 1966

















カール・シューリヒト 指揮  
シュトゥットガルト放送交響楽団
1966年3月16日







Brahms Symphony No.2 in D major,Op.73(Schuricht VPO 1953)




Carl Schuricht
Vienna Philharmonic Orchestra
June 1953, Vienna
5. 2022年1月24日 05:08:18 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[8] 報告
ブラームス交響曲第2番に挑戦
2015 MAR 30 11:11:56 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/30/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac2%e7%95%aa%e3%81%ab%e6%8c%91%e6%88%a6/


現在ブログのためにブラームス交響曲第2番の聴き比べをしていますが、記憶に頼って書いているわけではなく、書こうと思ったものは全曲いちいち聴きかえしています。いまやっと31種類の演奏についてコメントを書き終えたところなので、全曲を31回聴いたということです。

どんな音楽でも短期間に立て続けに31回聴けば飽きると思うのですが、やってみて驚くのはそういうことが全然ありません。それは僕が2番が大好きだということがあるのでしょうが、やっぱり曲が良くできているということに尽きるのではないでしょうか。

所有している2番は86 種類あり、LP、カセット、CD、SACDと異なるフォーマットで重複して持っている19枚を入れると105枚あります。実演はこれまで7回聴いており、重要な指揮者の解釈はほとんど耳にしたように思います。

この週末はピアノリダクションの楽譜で第1、2楽章を初めて通して弾いてみました。左手は和音だけにしたり難しい所は右手だけにする等いい加減ではありますが、耳だけではわかっていなかったことを発見でき勉強になりました。この曲は構造的にも和声的にも対位法的にも、本当に名曲なんですね。

趣向を変えてラヴェルのト長調ピアノ協奏曲の第2楽章も。一人ピアノだと中間の所は音が抜けますが最初と最後は一人でも充分で、これを弾くのは無上の喜びです。中間の複調的な所はバイオリン・ソナタにそっくりだなと、これも弾いてみて初めて気がついたことです。

あとひとつ、ベートーベンの悲愴ソナタの第2楽章。弾いているとベートーベンのバスや目立たない中声部の音の選び方のセンスの良さに気づきます。巨匠とか楽聖とかではなく、耳がいい、センスがいい人というイメージができます。

ブラームスの譜面は難しくていままで敬遠気味でしたが、2番を機にすこしチャレンジしてみようかなと思います。

指揮者は演奏する曲のスコアをまずピアノで弾かなくてはいけません。次に、それを科学的な眼で研究するのです。それを人生の中で時間をかけてすることで、解釈はおのずと、地面から泉がわくようにしみ出てくるのです。

リッカルド・ムーティ
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/30/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac2%e7%95%aa%e3%81%ab%e6%8c%91%e6%88%a6/

6. 2022年1月24日 05:09:15 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[9] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)
2015 MAR 24 0:00:43 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/24/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9/


オーストリアのザルツカンマーグートは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台です。バート・イシュルはヨハン・シュトラウスお気に入りの温泉地であり、トラウン湖畔のグムンデンはブラームスが1890年 から6年間、シューベルトは1825年から2年間暮らしました。どちらもスイス時代の夏休みに車で旅行しましたが、息をのむほど美しい所です。

交響曲第2番ニ長調作品73はヴェルター湖畔のペルチャハで着想され、クララ・シューマンの家があったドイツはバーデンバーデンのリヒテンタールで完成されました。そこで彼が借りていた高台の家の風情はまことに好みであり、拙宅はそれに似せました。彼が好んだ避暑地はどれも非常に好きで、単に景勝地として美しいという以上に趣味に合うものを感じます。彼の音楽に深く共鳴するのは、そういう底流があるかもしれないと思っております。

以下、前回に書きました通り、2番の録音で印象にある物につきコメントします。順不同であり、どれがお薦めというわけでもありません。(総合点)は1〜5点で、自分が仮に2番を初めて聞くとしたならこれだというのが5点、そうではないのが1点です。

エヴゲニ・スヴェトラーノフ/ U.S.S.R.国立アカデミー交響楽団

20502672645381982年、ソ連時代のオケがどういう音がしたかはドイツものでわかる。冒頭ホルンの音がロシアで、トランペットも弦に混じらない。コーダのホルンソロ、ヴィヴラートのかかった特異な音!テンポは恰幅が良くフレーズはごつごつと武骨で第2主題の弦のフレージングも念を押すようだ。第2楽章は遅いテンポでねばるが、各セクションが融和せず鳴りっぱなし。第3楽章のアンサンブルはどこか洗練されずコーダのそっけなさも妙だ。終楽章も遅めのテンポで最後まで通しだんだん白熱する鋼鉄のような質感。最後のトロンボーンの和音を切らずに引き伸ばすのはびっくりするが、総じて大変に面白い。曲を知り尽くした通向きの演奏だ。(総合点 : 2)

ハンス・スワロフスキー / 南ドイツフィルハーモニー管弦楽団

147テンポは模範的で楷書体の演奏だ。木管は古いドイツ風でフルートはうまいがオーボエ以下は落ちる。弦は少人数でヴィヴラートが大きくピッチが合わず下手だ。しかし、録音がオンでありオペラのピットのオケがブラームスのシンフォニーをやっているようなあり得ない風情が僕には貴重で、この全集は珍重している。アバド、メータ、ヤンソンス、尾高忠明の指揮の先生スワロフスキーの頑固で理屈っぽく四角四面の指揮もブラームスのそういう一面を投射している。スヴェトラーノフもそうだが終楽章コーダが狂乱の場みたいにならないのがいい。通向き。(総合点 : 3)

ラファエル・クーベリック / バイエルン放送交響楽団

こ934れぞブラームスという音であり表現である。湿度があって練れた弦のブレンド、これがあって第1、4楽章の第2主題は生きるのだ。第2楽章のチェロを聴いてほしい。特にうまいわけではない、このうねりだ。これ全オーケストラに伝播して「うまみ」や「コク」を醸し出す。ホルン、フルート、トロンボーンは自己主張をちゃんとしながら浮き上がらず、ティンパニのアクセントは決然と打ち込まれる。熟練の指揮だ。第3楽章のオーボエの歌!ここはこれでなくては。終楽章は見事なテンポで進み合奏は彫りが深い。良い装置で聴くと理想的な音で心からの満足感が得られるだろう。名録音であり、万人向け、ファーストチョイス向けである。(総合点 : 5)

カール・シューリヒト / シュトゥットガルト放送交響楽団(16 March 1966、ライブ)

ARC-2_5シューリヒトというドイツの名指揮者の指揮の細部を悪くないステレオ録音で味わえるライブ。アルプスを望むような悠揚迫らざる開始だがテンポは終始生き物のように動く。コーダのホルンが素晴らしい。第2楽章のチェロの音色は森のように暗くホルンの木漏れ日の和声がほのかに射すが、ここはテンポはあまり伸縮せず淡々とすすむのが良い。第3楽章はオーボエが上質でなく落ちる。終楽章はかなり遅めのテンポに聞こえるがスコアを見ると4分音符を4つ振りするアレグロだからこれが正しいのだろう。最近の指揮者は2分音符2つ振りのテンポが多いうえに、コーダはアッチェレランドまでかける不届き者がいる。ブラームスの本旨と程遠いといえよう。傾聴に値する演奏だ。通向き。(総合点 : 3)

ゲオルグ・ショルティ / シカゴ交響楽団

947このオケは実演も録音もだがうまい割に出だしが不調なことが多い(ここでもヴァイオリンの音程が良くない)。次第にエンジンがかかりショルティ流のエッジとリズムのばねが効いてくる。1,4番はそれがうまく作用しても2番は違うだろうと思うのだが、聴き通すと納得してしまう。管楽器がどれもうまいのだ。もうこの技量は他オケと雲泥の差である。第3楽章のオーボエやホルンを聴いてほしい。だから全奏に透明感がありこういうブラームスもありかなと思ってしまう。終楽章は最速クラスで僕は上記のようにこれを支持しないが、若造の思いつきテンポと違い、第2主題の減速なども堂に入っていてショルティらしい堅固な造形と一体化しているうえにオケの圧倒的な力でねじ伏せられて感動してしまう。コーダ第401小節の第1トロンボーンの下降音型など、普通のテンポですら危ないオケが続出でここでトチられると非常に興ざめになるのだが、この快速テンポで難なく吹いてしまう!シカゴ響恐るべしだ。終止和音のタメと古来ゆかしい減速。ショルティさん参りました。セカンドチョイスだが是非一聴をお薦めしたい。(総合点 : 4)

ピエール・モントゥー / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

4988005845733ブラームスを敬愛していたモントゥーだが正規盤は2番だけ2種類あって、もうひとつロンドン響盤があるが第1楽章コーダのホルン独奏を聴いていただきたい。ロンドンのオケにこんな音は出ない。第2楽章のチェロ、これもそう。ヴァイオリンもオーボエも自然にブラームス語でしゃべっている。モントゥーは何も変わったことをしていないがこれがブラームスでしょということ、それで気難しいVPOがちゃんとついていってる。というよりVPOペースでコトが進んだ観の部分もあるが、テンポについては概ね穏当であり、終楽章コーダは加速していない。見識である。現場は認めてるのにDecca経営陣が彼をフランス屋と決めつけて全曲録音しなかったのが惜しい。持っていたい1枚。(総合点 : 4)

(補遺・21 july 17)

ピエール・モントゥー / サンフランシスコ管弦楽団(1951)

マイクが楽器に近接して管の生音が目立ち主旋律よりオーボエの対旋律が浮き出す。バランスが悪いうえ、音程の甘い弦楽器がクリアに拾えていてアンサンブルはかなり荒っぽいときている。ブラームスのリアライゼーションには誠にふさわしくなく、オケそのものの技術レベルも低い。モントゥーはかなり熱くなっておりVPO盤とは全くの別物。こちらが本音かもしれないがせめてBSOとやってほしかった。SFSO盤は2種あるらしいがこれしか聞いておらずマニアには珍重されるが何がいいかわからない。Mov4のテンポ、第2主題への減速はあまりなく常に突っ走る。コーダはティンパニがずれたりしながら突進し、軽微ながら最後の最後で加速してしまっており、やはりVPO盤はVPOの演奏だったかとも思う。。(総合点 : 2)

ピエール・モントゥー / ロンドン交響楽団

第1楽章に提示部の繰り返しがあり20分もかかるから全体のバランスとしてどうかとも思うが、第二主題のテンポを落とし句読点を刻む万感こもるフレージング(VPO盤にはない)、弦の内声部の強調、終結に向けてのテンポの伸縮(ホルンソロに入る直前!)などを聴くとこの曲への指揮者の耽溺を知ることになる。モントゥー(1875−1964)最晩年1962年の録音であり、ブラームスのスコアに想いを刻印するには伝統に縛られたVPOよりLPOが好適だった(技術も上だ)と想像する。終楽章に至るまで自然体の素晴らしい2番であり、モントゥーが敬愛したブラームスが自分の培ってきたそれとそんなに違わないことを知って伝統というものの重みを再確認する。終楽章コーダに興奮をあおるアッチェレランドのような無用のものはかけないのはもちろんである。

ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (7 May 1952、ライブ)

フルトヴェングラーと聞くとすべて神憑りの名演奏と信じている人が多い日本という国は世界でも稀有な国家である。これはその迷信を解くいい例だろう。第1楽章の第1主題、45年のVPO盤は第2主題に入る前(第50小節)に突然に意味不明のアッチェレランドがかかって凍りつくが、ここでは第59小節のfに向けて徐々に加速する(48年のロンドンSO盤はその中間)。僕はその(彼としては最大限に抑えた)加速でも違和感を覚える。第134小節のつんざくトランペット、その先のポルタメント、227小節の地獄落ちのごときffは僕の趣味とは程遠い。終楽章は第1主題がどんどん速くなっていき、再現部も同じ羽目になって第2主題は快速になってしまう。これでは深みや滋味など雲散霧消である。そしてコーダに向けてはティンパニが暴れまくる。大変な名演である1番そのままの流儀の2番というユニークなアプローチは敬意を表するが、解釈のスタンスとして僕はまったく賛同することができない。初聴して絶句してから2度と聞いておらず、今回本稿のために2度目にチャレンジしたがもう聴くことはないだろう。好事家向け。(総合点 : 1)

シャルル・ミュンシュ / ボストン交響楽団

200x200_P2_G5360403W良いテンポで始まる。なんていい曲が始まったんだろうと。弦が極めて上質で録音も本当に素晴らしい。このオケは高性能でありながら米国で最も欧州的な音色を持ち金管はフランス的な軽さもある。ミュンシュのリズムはスタッカート気味にはずみ、推進力に加勢する。それが活きた彼の1,4番は実に男らしいブラームスで僕は好きだが2番は第2楽章の呼吸だけは浅く深みに欠けるきらいがある。終楽章は速めだが羽目は外れず、オケが鳴りきっている。ミュンシュは爆演指揮者だと思われているが、コーダは興奮を加えながらもアッチェレランドなしであるのにご留意いただきたい。そんな安物ではないのだ。トランペットが明るすぎるのが唯一欠点だ。セカンドチョイス。(総合点 : 3)

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

200x200_P2_G3281644W第1楽章は弦と木管のフレージングに細かな配慮があるのに耳がいく。まったく一筋縄でいかない指揮者だ。加速、減速があるがシューリヒト同様に意味を感じ不自然さがない。オーボエが目立つなどDGやフィリップスの感性ではないEMIの音で細部の分解能が高めの録音はあまりブラームス的ではないが、不思議なバランスで様になってしまうのは指揮の力だ。テンポも表情も違和感なく、立派な2番を聴いたという感興だけ残る。一度は聴いておきたい名演。(総合点 : 4)

(補遺、3月28日)

カール・シューリヒト / NDR交響楽団

71eDJ5ZFR-L._SL1261_1953年1月8日、ハンブルグでのライブ。Urania(イタリア盤)の音は意外に良い。演奏は上記シュトゥットガルト盤よりあっさりして速めで、これほどもたれない2番も希少だ。では淡泊かというとテンポの動きが即興と思われるほど自在であって表情は濃いから良いブラームスを聴いた充実感が残る。薄味だがうまみの芳醇な出汁という所で、指揮者の至芸だ。オケは充分にうまく、良く反応していて聴かせる。適度な速さでティンパニを効かせた終楽章は特に素晴らしく、これほどテンポを自由に操ってきたシューリヒトがコーダでほとんどアッチェレランドをかけないというのをぜひお聴きいただきたい。僕が何故それにこだわっているか。これぞこのスコアに対する良識と敬意であり、それを選択する趣味の良さの問題であって、こういうことは人に教わるというより人間そのものだから争えないものであると思うからだ。僕はこのCDを聴くのが喜びだ。(総合点:4.5)

カール・シューリヒト / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

41p31a3pW5L._SS28053年、ムジークフェラインでの録音でこれがシューリヒトの正規盤とされ定評がある。しかし申しわけないが僕には何が良いのかさっぱりわからない。第1楽章は主部が加速したと思うとブレーキがかかり、ヴァイオリンにポルタメントがかかる。こういうのはウィーン風と喜ぶ人もいるようだが僕はブラームスの本質に資するものとぜんぜん思わない。和音は音程が悪く興ざめである。第2楽章の冒頭チェロセクションは不揃いで実にヘタ、第2主題も同様であり内声部に回っても音程もフレージングもいい加減だ。棒がテンポをあおるとアンサンブルはライブかと思うほど雑になる。この楽章は楽器の録音のバランスも悪く正規盤としては相当低レベルな部類と言わざるを得ない。第3楽章はVPOの木管の魅力で救われるが弦はかなりひどい。終楽章はヴァイオリンの雑なのに閉口で、第2主題の弦の安っぽい音は救い難い。コーダのテンポの扱いは順当に思う。指揮はNDR盤とそう大きくは変わらないが、とにかくオケが今ならアマチュアなみであって到底もう一度聴きたいとは思わない。これがウィーン・フィルとクレジットされていなかったらこの世評はなかったのではないか。こういうのをプラシーボ効果というのであって、未開地の人に歯磨き粉を薬だと教えて飲ますと本当に風邪が治ってしまうあれだ。この演奏で幸せになれるい人が多いならあれこれ書くこともないが、僕は常に本音でいたい。(総合点:1.5)

(補遺・シカゴ響のうまさについて、16年1月18日)

「もうこの技量は他オケと雲泥の差である」と本文に書きました。全盛期末期のフィラデルフィア管を2年間定期会員として聴いた僕が「うまい」と驚くオケはもう世の中にほぼ皆無なのです。ところがこのビデオで冒頭のトランペットにいきなり耳がくぎづけになった。ムソルグスキー(ラヴェル編)「展覧会の絵」です。

いや、すごい、この金管、木管・・・。弦も半端でないのに格落ちに聞こえてしまうではないですか。ライナー時代にレベルアップしましたが、ショルティの耳でしょう。85年2月にロンドンのロイヤル・フェスティバルホールでチャイコフスキー4番を聴きましたが終楽章の物凄さは言葉もなし(この演奏会はDVDになってます)。そして、このバルトークだ。技量においてこれを上回るものは、まず、もう出てこないでしょう。最後の減速もなく、まったくもって素晴らしい。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/24/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9/


7. 2022年1月24日 05:10:06 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[10] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(2)
2015 MAR 25 1:01:35 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/25/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89/


ハンス・クナッパーツブッシュ / ドレスデン国立管弦楽団(27 Nov 1959、ライブ)

871同指揮者ではミュンヘンPO盤(56年)、VPO盤(59年)も持っているがこのDSK盤(仏TAHRA)が音に深みがありオケにコクもある。第1楽章のテンポは意外に普通で展開部でティンパニを強打して頂点を築き、終結のホルンは感動的。第2楽章もオケの美しさが活きる。第3楽章のPrestoはずいぶん遅く田園風景を各駅停車で眺めるよう。終楽章の入りはさらに遅く主部はティンパニがくさびを打ち込む物々しさで何だこれはとびっくりするが、オケは納得して熱い不思議な演奏である。コーダに入るとほんの少しテンポが上がり、また下がる。まったく特異な演奏だが彼のシューベルトのグレートを楽しめる人には面白いだろう。(総合点 : 2)

ジョン・バルビローリ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

Cover 2僕のCDは右のRoyal Classics盤。EMIのVPO録音はDeccaの艶と華に欠ける。第2楽章中間部と第3楽章はVPOの管の魅力が聞こえるが、いつくしむような解釈はわかるが指揮者が目論んだほどオケが反応していない感じがあり時に微温的にきこえる。終楽章再現部ではフォルテでトランペットが派手に音をはずしておりスタジオ録音なのに杜撰だ。コーダも安全運転でオケがちっとも熱くない。世評の非常に高い全集だがどれも僕にはピンとこない。(総合点: 2)

湯浅卓夫 / 大阪センチュリー交響楽団(3 Nov 2005、ライブ)

793第1楽章の弦がやや薄いのはVPOの後に聴いてしまうと分が悪いが管はとても良いピッチで鳴っており聴き劣りがしないのはライブという条件を考えると大変立派だ。ホルンが好演でブラームスらしい彩りを添える。第2楽章もホルンと木管とのアンサンブルは秀逸、第3楽章Allegretto、Prestoのテンポも快適である。終楽章は腰が重い快速でティンパニのアクセントを効かし第2主題の歌わせ方も満足、コーダのトロンボーンもまったく危なげなしだ。素晴らしい。湯浅の解釈は彫の深さを感じ、良いブラームスを聴いたという手ごたえが残る。(総合点 : 4)

アルトゥーロ・トスカニーニ / フィルハーモニア管弦楽団 (29 Sep 1952、ライブ)

710inwxsbvL__SL1059_このロンドンライブも世界中で伝説の名演と語り尽くされたものだ。しかし僕の結論はトスカニーニもフルトヴェングラーと同じぐらい2番には向いていなかったということだ。第1楽章に漲る緊張感は先を期待させるが第2楽章が速すぎる。Adagio non troppo でこれはないだろう。第3楽章中間部はPrestoだからこれでいいがどうも全体にせかせかした印象を受ける。終楽章は大変なエネルギーを噴射しつつ突っ走る。会場は熱狂しているし、これが好きだった時期もあるがずいぶんと昔のことという気がする。(総合点 : 2)

ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団

819lqKBwIDL__SL1500_僕のCDは89年にロンドンで買ったJohn McClure盤(右)でこれは音がいい。第1楽章の第1主題が展開してゆくのびやかなフレージング、第2主題の素晴らしい呼吸。本物のブラームスを聴いている実感がある。最後の和音の素晴らしいブレンドなどプロ中のプロと感じ入る。第2楽章のチェロの歌の見事さ!深いロマンの森に分け入っていく心地よさ。第3楽章のAllegretto はまさにgrazioso だ。終楽章のテンポはこれだろう、これならあまり急ブレーキを踏まずに第2主題に移行できる。すべての楽器がバランス良く鳴って血が通っており、ワルターの意志で強力にコントロールされているが自然に聞こえるという大変に高度な指揮がなされている。ファーストチョイスに選びたい名解釈、名演奏である。(総合点 : 5)

ウイリアム・スタインバーグ / ピッツバーグ交響楽団

steinbergスタインバーグ(1899−1978)はクララ・シューマンのピアノの孫弟子で、ケルンでクレンペラーが助手に選びNYではトスカニーニがNBC響の稽古をさせた人物である。このブログに書いたマーラー「巨人」がこのスタインバーグの指揮だった(米国放浪記(7))が、亡くなる9か月前だったことになる。オーマンディーと同い年で19世紀生まれの人というのが感無量。右のCDは88年ごろロンドンで購入。冒頭は木管のピッチがいま一つ。弦も固いがこれは残念ながら録音のせいだ。第1楽章はこれぞ2番というまことに良いテンポである。トスカニーニばりに筋肉質で第3楽章のアンサンブルは緊密だ。終楽章は速めで無用のアッチェレランドなど一切の虚飾を排したストレートな解釈。ちなみにこのCDに入っている4番はさらに素晴らしい名演である。玄人向きだが一聴をお薦めしたい。(総合点 : 3.5)

81I1VllIqGL__SX425_

(補遺、16年2月12日)

まったく同じ音源による全集が右のMemoriesで出ており、これのほうが音が良い。LPはもともとCommandレーベルでのイシューだったが、61-62年のピッツバーグ(ソルジャーズ・アンド・セイラーズ・ホール)での録音は当時の最先端技術である35mm磁気テープで行われ演奏のクラリティを忠実にとらえている(はず)。このブラームス2番とラフマニノフ交響曲第2番がCommandへのデビュー(May 1/2, 1961に両曲を録音している) でありブラームス2番は1962年のグラミー賞クラシック部門にノミネートされている。4番が大変な名演であり、これを所有する価値は大いにある。

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー / ハレ管弦楽団

bra2フィラデルフィアでブルックナー8番に感動し楽屋へ行って会話までしたMr.S(この指揮者の略称)のブラームス。87年頃にロンドンでワクワクして買った思い出のCDだ(右)。第1楽章は遅めだが意味深く実に素晴らしい。音楽のひだに添ったダイナミクスの振幅が大きく、弱音はデリケートでフォルテのティンパニの打ち込みは心に響く。第2楽章のチェロもいいなあ、これぞブラームスだ。第3楽章、音程がいい、彼の指揮を聴くといつも作曲家の耳を感じる。ミネソタO.を振ったVoxのラヴェルやストラヴィンスキーのピッチの良さときたらブーレーズより上なほどであり、ここのハレO.も同様なのがお分かりいただけるだろうか。最後のトロンボーンが下手なので0.5点減点するがファーストチョイスでもOKと思う。悲劇的序曲の濃い表現もぜひ聴いていただきたい。(総合点 : 5)

(補遺、3月29日)

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

R-1514545-1299855271.jpeg52年録音で日にち記載がないのでスタジオ録音と思われ、こちらが正規盤ということになっている(らしい、そういうことはよく知らない)。第1楽章第2主題のぶつ切れのフレージングが不似合に思う。f は気合が入るがブラームスの本質と無縁の頑張りと思う。コーダの重要な場面でホルンがよく入っておらずがさつな弦が勝った音も、録音スタッフがブラームスを心得ていない。第2楽章、速すぎでありヴァイオリンのヴィヴラートが過剰でうるさい。シューリヒトのVPO盤のように音程がおかしくないのは一抹の救いだが。終楽章アレグロはコン・スピリトを地で行くが、このオケは非常にうまいはずでありそれをトスカニーニが振っていてこれかというレベルに留まる。硬派の2番であり叙情的な部分では常に不満であるのだからアレグロでずば抜けないと感動はうすい。ハイティンクの稿に書いたがコーダは@の最後でタメを作ってサスペンディッド・コードに敬意を表する(疑似終止)が、それを補おうとAでスコアにない安っぽい加速をしない。こういう楽譜の読みがトスカニーニのトスカニーニたるゆえんなのである。しかし、総じた印象として彼が2番に向いているとは思わない。(総合点:1.5)

(補遺、11 June17)

シャルル・ミュンシュ / フランス国立管弦楽団 (16 Nov 1965 ライブ)

パリのシャンゼリゼ劇場でのステレオ録音。僕のは88年にロンドンで買った右のディスク・モンターニュ盤で音はいい。第1楽章は管がフランスの音色とヴィヴラートで音程が良くないが、ティンパニを強打した骨太の表現にミュンシュの声もきこえ弦のレガートの色も濃いなど尋常の気合いではなく、だんだん引き込まれる。第2楽章はテンポが動くが自然の脈動と感じる。第3楽章は速めだが表情は深い。終楽章。アレグロで棒があおっているのでアンサンブルが雑になるがミュンシュの指揮というのはそれが持ち味である。再現部の第2主題はいいテンポで入り、そこからコーダまで一気呵成の一筆書きだ。もちろんアッチェレランドがかかるが、この一流の芸に異を唱える気にはならない。終結は大時代的な急ブレーキがかかり最後の音が長く長く伸び、こらえきれず聴衆の拍手がかぶる。こんな演奏はもう体験できないだろう。歴史ドラマだ。(総合点:4)

(補遺、21 July 17)

ジェームズ・レヴァイン / シカゴ交響楽団

まだレヴェイン30台前半の演奏で、そんな小僧がブラームス?と、この全集は日本の評論家に無視されたと記憶する。しかし、彼らと違いCSOのプロたちは小僧の才能を鋭く見抜いている。このオケが真面目にやればどうなるかは若かりし小澤の春の祭典やトーゥランガリラでわかる。指揮者は何歳であれ、音楽評論家ではなくオケをその気にさせるかが勝負だ。第2,3楽章のデリケートなニュアンスも老成の感すらあり録音もそれにうまくフォーカスする録り方で大変好感が持てる。数年後にCSOはショルティと全集を録るがそれはあくまでショルティのブラームスであり、このレヴァイン盤は(微妙にアンサンブルの齟齬があり、あまり入念に練習した感はないものの)その見事な生命力と柔軟性で独自の美質を誇る。終楽章第2主題への減速など堂にいったもの、コーダは微塵も安物のアッチェレランドなどせず。本質追求型の大物の指揮だ。(総合点:4)

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/25/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89/

8. 2022年1月24日 05:11:02 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[11] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(3)
2015 MAR 27 1:01:07 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/27/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%93%ef%bc%89/


ハンス・シュミット・イッセルシュテット / 北ドイツ放送交響楽団

110第1楽章は微妙に速めのテンポでコクのある表現だ。本物の手触りがある。オケは弦がトップクラスとは言えないが自然体で立派なブラームスになってしまうという風情。第2楽章ももたれずテンポは曲想に添って自在に変化する。第3楽章のオーボエは歌うというより何か主張している。終楽章もトスカニーニのように速いが無機的な響きにならない。筋肉質で武骨に聞こえるが第2主題に絶妙なギアチェンジなど細かい芸が見え隠れしている。コーダはやや加速して熱く締めくくる。オケは素晴らしい集中力で弾ききっており破綻は一切なし。録音がややくぐもっているのが実に惜しく0.5減点するが、これは純正北ドイツ流かつ達人の一筆書きの勢いある誠に立派な2番である。厳しい男性的なブラームスとしては最右翼の演奏だろう。(総合点 : 4.5)

カルロ・マリア・ジュリーニ / ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

510冒頭のゆったりしたテンポからジュリーニの世界に引き込まれる。全楽章にわたるこの特異な遅さについていけるかどうかで好悪が分かれるだろう。晩年のジュリーニはロンドンやアムスで何度も実演に接したが、バッハもロッシーニもフランクもそういうテンポでなくては語れないことを語る指揮者であったしそれをVPOがやらせてくれる指揮者は当時数人しかいなかっただろうと思う。細部にまで考え抜かれ神経が通った演奏は満足をくれるがそのアプローチが最も成功したのは4番であり、この2番は個人的には求める物とちがう。(総合点 : 3)

ホルスト・シュタイン / バンベルグ交響楽団 (July 1997、ライブ)

51hxQfCYaZL95年にフランクフルトでこのコンビのベートーベン「田園」とブラームスピアノ協奏曲第2番(ルドルフ・ブッフビンダーpf)を聴いて大変感動した。郊外にあるヘキストの体育館みたいなホールで日本人は僕しかいなかったかと思うほどドイツの奥座敷みたいな所。そんな中でブラームスを聴く幸せは人生格別の思い出のひとつになた。このKochの全集も地味だがあのときの音がしている。何も肩ひじ張らない、ドイツ地方都市の普段着のブラームスはこういうものだと思って聴いていただきたい。2番のコーダでこんなにゆったりと慈しみ、興奮をあおらないのは見識だ。これをベルリンPOやシカゴSOの名技やらデモーニッシュな指揮者の切る見栄に欠けると批判するのは簡単だが、逆にそういう演奏のほうがよく出会えるのだ。(総合点 : 4)

エンリケ・バティス / メキシコ国立交響楽団

429シュタインとは対照的な速さ。湿気のないラテン的な音。指揮は実にメリハリに富み、旋律をじっくり歌うというよりリズミックな音型をすべてスタッカート気味に処理するというブラームス演奏においてあまり意味を感じないことに力点が置かれ、句読点を切った早口言葉にきこえる。と思えば意外なところで内声部が浮き出たりする変幻自在さを持ちあわせ先が読めない。第2楽章冒頭チェロ旋律はもうModeratoの別な曲だ。普通は9分ほどかかる終楽章が上記のシュタインは10分半と最遅クラスで、一方このバティスは7分台と超快速のショルティよりさらに1分近く速いというウルトラぶりである。初めての人にこれとシュタインを連続して聞かせたら同じ曲と思わないだろう。クラシックの面白さだ。マニア向き。(総合点 : 1)

ヤッシャ・ホーレンシュタイン / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(8 Sep 1966、ライブ)

SOMMCD037モントルー音楽祭のライブ。ホーレンシュタインはロシア系ユダヤ人で現代音楽に強く、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草(特に第24条)に関わったベアテ・シロタ・ゴードンは彼の姪である。チェコPOは主席アンチェルの指揮のようには好調ではない。ホルンソロがこのオケ特有の音で第2楽章のヴィオラ、チェロとの絡みは美しい。指揮者のブラームス演奏への適性は感じるがなにせオケが不調で終楽章コーダの第一トロンボーンはよれよれだ。(総合点 : 1.5)

エーリッヒ・ラインスドルフ / ボストン交響楽団

leinsdorf客演が好評だったスタインバーグをBSO理事会はミュンシュの後任として音楽監督に据えるつもりだったが、レコード会社のRCAがリストのトップに持っていたラインスドルフを押し込んだのだった。そうでなければこれはスタインバーグのCDになっていただろう。しかしこれは前任者ミュンシュをさらに正統派にしたような名演でオケがウィーン・フィルだったら歴史的名盤ものだったのだからRCAの独断には感謝しなくてはならない。BSOも大変見事な演奏をしておりまったく文句はつけようがない。カセットを留学中に愛聴したせいもあり耳に焼きついて僕の2番の原型を形成している演奏の一つで、右のCDは89年にロンドンで買って夢中で聴いたもの。ラインスドルフは最晩年にNYでブルックナーの3番を聴いた(NYPO)がワルターの弟子であり独墺ものは実に素晴らしい。ベートーベンとブラームスは広く聴かれてほしい。(総合点 : 5)

クルト・ザンデルリンク / ドレスデン国立管弦楽団

sanderling2番の滋味あふれる表現は何度聴いても飽きず、いつまでも聴いていたい。DSKの木質の管弦のブレンドはブラームスに実にふさわしく、全楽章が理想的なテンポで揺るぎのない堅固な構成を見せる。この全集の1番がLP(独オイロディスク)で出たのが僕の高校の頃で、当時の日本の評論家に凡庸な指揮だと酷評されたのを記憶している。そうではないからこの録音が欧米で長く生き残っているのであって、何か奇天烈な個性がないと無能という評価はまったく音楽の本質と遠いものだ。ザンデルリンクは96年にチューリッヒでシューベルト9番の名演を聴いたが、やはりこういう語り口で感動的だった。ドイツ人がドイツ語でやったブラームスがどんなものか、まずそれを熟知するのがブラームスを味わう第一歩と思う。(総合点 : 5)

キリル・コンドラシン / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (29 Nov 1975、ライブ)

51S6Wz7A4ZL__SL500_僕のCD(右)は93年にドイツで買ったもの。指揮者晩年のアムス・ライブ・シリーズで全部が格別に素晴らしく、全部買っておいた判断に感謝している。2番は全体に速めで第2楽章などそっけなく聞こえるが、語るべきは語っている真打の落語のようなもの。コンドラシンがN響を振ったビデオを見ると特異な魔性を感じる男前の風貌で、ださいロシアの田舎もんのイメージが覆った。ACOをここまで自在に歌わせコントロールする磁力は納得だ。並録のシベリウス5番がこれまた魅力的でこのCDは大事にしている。セカンドチョイスとしてぜひ一聴してみて欲しい。(総合点 : 4)

(補遺、2月28日)

ダニエル・バレンボイム / シカゴ交響楽団

51NWRQBNYBLこのコンビの2番はフランクフルトのアルテ・オーパーで聴いたがあまり印象がない。これで聴き直すと、重量級だ。第1、4楽章第2主題はCSOの弓の圧の強い弦の合奏、このたっぷりした歌はききもの。第1楽章コーダ前のホルンソロのpp、そこからの滑らかな起伏は逸品だ。2番で非常に重要な金管アンサンブルも敢然とするところなし。うまい。第2楽章は彼のロマン的な表現がはまっており名演である。しかし終楽章のコーダの加速がいらないのだ。トロンボーンのソロなど全演奏でも特筆ものなのだが、どうしても趣味に合わない。(総合点:3.5)

(補遺、3月28日)

カルロ・マリア・ジュリーニ / ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

51XCKSqLWZL79年12月11日、ドロシー・チャンドラー・パビリオンでのライブ。アンサンブルは荒っぽく、録音も高音がやせて弦が薄い。テンポのアップダウンが少ないのは上記盤VPOと同じだがライブのせいかこちらは熱気がある。同じオケでのDG録音はこれの約1年後になるがここから練り上げていったということだろう。ジュリーニ節は既に健在だがいかんせん音が悪い。終楽章コーダは大人の扱いで加速は少ないがティンパニが1発多くたたいたり最後は楽譜と違うので気になってしまう。(総合点:2)

(補遺、2018年8月26日)

サイモン・ラトル / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

youtubeのビデオですが、あまりに素晴らしいので。この第1楽章の出だし、すぐに惹きこまれ心がふるえる。深い呼吸は最高に素晴らしい。これぞ2番だ!第2楽章も弦も楽器奏者たちの歌ごころを引きだしてあまりなく第3楽章が室内楽アンサンブルのよう。指揮者は奏者たちの呼吸を合わせているだけだからだろう、終楽章第2主題への減速が実に自然だ。展開部最後の深い霧。堂々たるインテンポの終結。BPO音楽監督就任2年後である。ラトルを選んだ理由がわかる。(総合点:5+)

ヨーゼフ・クリップス / チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

1960年5〜6月 、トーンハレ (チューリッヒ)の録音。オケは好調で技術も音程も良く、弦が主体のアンサンブルが中心だが木管とVa、Vcの内声が希少なほどくっきりと聞こえ、しかしバランスを損なわない録音のセンスも良し。クリップスは活躍の場がウィーンで王道。昔は微温的と評されていたが、我々世代がこれぞブラームスと安心、納得する音楽をやってくれる。終楽章コーダだけが僕の賛同しかねる部分だが、これが好きな方はおられるだろう。(総合点:3)

カルロ・マリア・ジュリーニ / ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

ジュリーニがLAPOとドイツ・グラモフォンに録音したベートーベン(5)、シューマン(3)、ドヴォルザーク(9)は評価が高く(9)、特にブラームス(1,2)は垂涎だった。ジュリーニ一流の遅めのテンポ。濃厚な時を刻んだ2番の第1楽章はブラームスの後期ロマン派的側面を意識させるのはいいが総じてVPO盤に書いたことになる。オケの魅力は落ち、fではバックの金管(特にホルンはうるさい)、ティンパニが弦とは浮いて聞こえるバランスもあまりブラームスには好ましくない。終楽章コーダはトランペットの信号音のところで速くなるが(VPO盤も)全く賛同できない(総合点:2)。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/27/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%93%ef%bc%89/

9. 2022年1月24日 05:11:49 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[12] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(4)
2015 APR 2 22:22:57 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/02/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%94%ef%bc%89/

クリストフ・フォン・ドホナーニ / クリーヴランド管弦楽団

51raZ580e4L__SX425_ドホナーニの祖父でハンガリーの作曲家エルンスト・フォン・ドホナーニはバルトークの同窓生で、自作をブラームスに称賛された人だ。また兄のクラウスはSPD(ドイツ社会民主党)の政治家で、ブラームスの生地ハンブルグの市長だ。彼のブラームスが筋金入り正統派であることに何の不思議もない。ロンドンでこのコンビのマーラー5番を聴いたが、音のクリスタルな透明度では同じ頃に同じロイヤル・フェスティバルホールで聴いたショルティとシカゴ響を上回る気がした。この2番のピュアトーンも格別だ。遅い部分もまったくもたれずすがすがしいほど。速い部分のきびきびした弦のアーティキュレーションと管のタンギングの縦線の合い方も名人級だ。速めでエネルギッシュな終楽章が一切安っぽくならず上質感を保ったまま最高の興奮を与えてくれる。こういうのを高級品という。(総合点 : 5)

ジャン・バプティスト・マリ / コンセール・ラムルー管弦楽団

mariフランス人にブラームスがどう聞こえているか?このCDはその回答として最高に面白い珍品だ。60年にパリのサレ・プレイエルにて録音。冒頭のホルンが薄く軽めのフランス管で期待が高まるが、コーダのソロはここまでいくと何が始まったのかと唖然とするしかない音で鳴る。トロンボーンは実に音程がいい加減で日本の学生オケでも低レベルな部類。金管アンサンブルは各楽器ばらばらに聞こえ、ティンパニのリズムは垢抜けない。弦は多少ましだが終楽章でトランペットが入れる合いの手が浮き出て祭りのお囃子(はやし)みたいになって吹きだしてしまう。第2主題も何ともいえず奇妙だ。大真面目にやってるだけに実に興味深い。並録のアルト・ラプソディのエレーヌ・ブーヴィエ(メッツォ)もどうも違う。大学祝典序曲の金管のコラール風の部分はエキゾティズムに溢れる。しかし、どうしてどうしてこのオケはドビッシーの「夜想曲」「海」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」「ピアノ協奏曲ト長調」を初演した由緒ある団体なのだ。まあフランス人にシュバイン・ハクセ(ドイツ料理、豚のすね肉ロースト)食べろといってもきっと無理なんだろう。曲をよく知っている利点は、それをプリズムとしていろんなものの微妙な差異を投影して分析できることだ。それにしても文化の違いというのはどうしようもない。これを聴くと独仏が混じりあうなんて千年たってもないだろうし、やっぱりユーロは破たんするしかないんだろうと思ってしまう。(総合点 : 0.5)

カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

IMG_9557a1975年、ベーム80歳のスタジオ録音で、この全集が出てLPで聴いた時の興奮はよく覚えている。ちょうどVPOと来日して話題でもあった。1番は名盤の誉れ高いBPO盤があるが、こちらは「VPOでやるブラームス」という意識を感じた。BPOのハガネのように硬質で緊張感が支配する世界ではなく、アルペンホルンが響くザルツ・カンマーグートの自然ののどかさを包含したアプローチだ。そしてこの2番は後者の路線でVPOの美質を最も活かした演奏と思う。第2楽章のゆったりした深い情感、第3楽章の絶妙なリタルダンド、ハンス・フォン・ビューローが「ブラームスの田園交響曲」と呼んだ意味が分かる気がするがこのテンポと歌はVPOでなくてはもたないだろう。終楽章もあわてず急がず4分音符4つ振りのテンポで、僕はこれがしっくりとくる。この速度のままコーダで音楽を加熱させられるかどうか?それが指揮者の腕であり、オケを野放図に走らせてもそうなるわけではない。再現部の前でテンポはかなり落ち、そこからコーダまでの高め方は実にうまい。奏者が真っ赤になって熱くなっている感じはないが、音楽の方はちゃんと高まっていく。VPOの音を活かす、それは奏者がウィーン流の自然の摂理で出す音を引き出すことであって奏者たちも求める音楽になる。ベームでなければ退屈で凡庸と言われかねないアプローチがかえってオケをのせている。このオケをドライブするには腕力でねじ伏せるかこれしかないと思うが、晩年のベームにして為せる熟練の業であったと思う。2番鑑賞のマストアイテムだ。(総合点 : 5)

レナード・バーンスタイン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

41KH1BPB9WL97年のニューイヤー・コンサートの後にウィーンフィルのヴィオラ・セクションの人たちと同じテーブルで食事したが、バーンスタインを異口同音にほめていた。それはマーラーだけの話であったが、この2番はブラームスでもそうだったんじゃないかと思わせる好演だ。ベーム盤ではやや弾かされているような部分にも自発性を感じる。バーンスタインのリハーサルに立ち会ってみて、オケを乗せるのがうまいのに感心したがそれは学生オケでもVPOでも等しく効果を発揮したと思われ、ベームやカラヤンとは違う要求にオケが嬉々として付いていったのかなと思う場面もある。ややアンサンブルに精度を欠く部分があり、終楽章コーダへの持ち込みはベームの方が一枚上だ。(総合点 : 4 )

朝比奈隆 / 大阪フィルハーモニー交響楽団

zaP2_J2025041W「オーケストラ、それは我なり」(中丸 美繪著)によると朝比奈はフルトヴェングラーに会って「スコアは原典版を使いなさい」と薫陶をうけたと語ったそうだが、それはAKBに握手してもらったファンみたいなものだったろうと推察する。京大卒で阪急電鉄のサラリーマンだった彼はドイツの巨匠に憧れる偉大なるアマチュアだった。誤解を恐れずいえば朝比奈の指揮は芝居であり、音大で教育されたら恥ずかしくてできないような「ドイツ巨匠風」の演技ができた。ちなみにドイツ人でもそんな人はおらず、朝比奈の演奏がドイツで懐かしがられたという話も僕はドイツに3年住んで聞いたことがない。ところが今はティーレマンという若手が出てきてドイツで高く評価されているではないか。彼がウィーンフィルでベートーベンを振ったライブを聴いたがあれは復古調路線であって、それなら朝比奈の方が先輩だったといってもいい。「ブラームスはセンチメンタルで多情多感」、「大衆小説、メロドラマ的な要素がある」と語った朝比奈に僕は賛成だ。彼もそういう資質の人だったかもしれず、ブラームスに向いていたと思う。同じメロドラマでもこれは老いらくの恋であり、渡辺淳一の世界だ。ブラームスという人にはそういう面があり、交響曲の2番、3番はそれが色濃く出た曲だ。僕は朝比奈のおっかけではないからこのポニーキャニオン盤しか知らないが第1楽章は名演で、彼の憧れの人フルトヴェングラーよりいい。クラリネットが上質でない、弦のアンサンブルはアバウトなど欠点も多いが、そういうこととは違う次元に価値観をおいた演奏様式だからそれも美質とすら思わされてしまう。作曲家と気質の合ったアマチュアが演奏したものは気質の合わないプロの演奏よりしっくりくるということはあるのだということを教えてくれる。彼の「ドイツ巨匠風」はここまでやれば立派な芸であり、ブラームスが欧州でロマンティックに解釈されていた時代の空気を伝え、そういう演奏を聴いて育った僕より上の日本のクラシックファンの琴線に触れる。僕は彼の「オヤジを泣かせるブラームス」を高く評価している。(総合点 : 4.5)

ルドルフ・ケンペ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

kempe2ケンペは好きな指揮者でありこれが大学時代76年3月に出てきたときは大いに期待して1番(LP)を買ったが、がっかりだったという印象が残ってしまっている。演奏はMPOのアンサンブルが特に上質ではないが、それよりなにより録音のせいだ。弦が薄いのは致命的であり、トゥッティは各セクションのブレンドが不満、ホールトーンもいまひとつ。ブラームス録音において必要なものをこれほど外してしまうセンスのなさは残念。1番で戦意喪失してしまったので2−4番を買ったのは89年、ロンドンからの一時帰国時になった。ところがこのCD(テイチク)がまただめなのだ。この全集とは不幸な出会いになってしまったが、ケンペが2番を録音したのは1975年12月12、13,15日で1976年5月12日に彼は亡くなったからラストメッセージなのだ。3番など大変な名演と思われ(不味い録音から推察するしかないのだ)、損失である。点数は録音を考慮。(総合点 : 3)

ジョージ・セル / クリーヴランド管弦楽団

szell brahms右は1985年に買った全集CD。ロンドンでCDが出始めのころでデンオンのプレーヤーを購入して新しいフォーマットの音にワクワクしていたころを思い出す。前年までいた米国ではアパート住まいで大きな音が出せずに欲求不満が貯まっていたものだからロンドンのタウンハウスでこれらを聴くのは楽しかった。セルの指揮はオケを自由に走らせたという感じの部分が皆無でピアノ演奏を想起させる。ピアノはそうでなければ弾けないようにすべてはアンダー・コントロールでありそこが好悪の分かれ目だろう。朝比奈と完全に対極にあるプロ中のプロの芸であり、アンサンブルの精妙さは格別である。しかしホルンの鳴らし方が時としてあざとく人工的に感じられることがあり、そのために僕は彼のドヴォルザークは好きでない。この2番にもややそれを感じ、第3楽章などのテンポの緩急にあまり同意できない。(総合点 : 2)

(補遺、2月28日)

小澤征爾 / サイトウ・キネン・オーケストラ

329このコンビのLDで聴いた4番にはたいそう感動した。小澤さんは僕がアメリカにいた82〜84年頃よくBSOでブラームスの交響曲をやっていて、FM放送をカセットに録音してある。ただそれらは彼の良さが充分出ているとは思わなかった。この2番はSKOの透明感のある管と棒に反応の良い弦セクションがプラスになり、オランダのホールトーンがブレンドした名演となっている。第1楽章は文句なし。緩徐楽章も高雅な室内楽のようだ。終楽章のティンパニも効いている。問題のコーダだが小澤さんは「@のみ派」だ。ABCのアッチェレランドは微塵もない(参照: ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8))。指揮者の譜読みの見識と品格であり、安っぽい興奮を煽る輩とは一線を画している。伊達に米国でトップに登りつめたわけではないのはしかるべき理由があったのだろうと思う。(総合点:4.5)

(補遺、3月27日)

ルドルフ・ケンぺ / バンベルグ交響楽団

91a015e4d36f7ddda9c99ce7aff212ec鄙びたホルン、くすんだ弦。バンベルグSOの素朴で古色蒼然の味が効いていて第1楽章は格別の暖かみがある。木管の音色もピッチも素晴らしいのである。僕はこれのLPを77年6月、大学3年の時に買い魅せられてしまい、のちに右のCDも買った。こういうオーケストラの音色を愛でる文化は世界的にほぼ消滅したように思う。いわば猫も杓子も食事はマクドナルドでOKの時代だ。ストラヴィンスキーを古楽器でやりました?コカコーラが「クラシック」と銘打ったのとおんなじだ。あほらしい。人類の耳がどんどん子供になってる。終楽章、アレグロに入るや指揮がほんの少しテンポを上げるとアンサンブルががさつになるなど高性能オケではないのが如実だ。しかしブラームスにそんなものが必要だろうか?この手作りの惣菜のような味は捨てがたい。コーダの加速の扱いもきわめて穏当で大人の演奏である。トロンボーンも危なげない。録音もまずまずで、ケンぺを聴くならこっちだろう。(総合点:4)

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/02/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%94%ef%bc%89/

10. 2022年1月24日 05:12:43 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[13] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(5)
2015 APR 5 5:05:29 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/05/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%95%ef%bc%89/


セルジュ・チェリビダッケ / シュトゥットガルト放送交響楽団

celi今は亡き石丸電気クラシック売り場。大学時代まで僕のLPはほとんどそこで買った。海外で16年過ごす間も帰国の度に秋葉原へ嬉々として足を向けた。今やアキバは別世界でもう行くこともないだろう。帰国して2000−03年あたりに石丸にはAUDIORというレーベルの海賊版と思しきチェリビダッケがたくさんあり、ぜんぶ買ってしまった。その一枚がこれだ。このシリーズ、録音がややフォーカスに欠けてエッジが甘いのだがそれが不思議なものでドイツものにはおいしい効果をもたらしてくれ、けっこう僕の宝物になってしまっている。この2番は1975年4月11日ライヴと思われる(確証なし)がただ者ではない。第1楽章、弦のフレージングに聴き慣れない読みがあったりするが、彼としてはオーソドックスな解釈。ただコーダ前の弦の合奏部分はロマン的な耽溺をみせる。第2楽章は後半、第1ヴァイオリンが1拍を6分割する旋律以後の遅さは類例なく、8分の12以降、ブラームスがマニアックな書法で書きこんだリズムを解析するように解きほぐす。それが音楽的に必要かどうかは異論もあるが、丸めて言ってしまうと理系的、科学者的な眼を感じる。彼のリハーサルを見ていて感じたことでもある。彼はルーマニア人だが隣りのハンガリー、旧ユーゴにもこういう乾いた原理主義的な眼力と熱くて男っぽいエネルギーを併せ持った感じの人がいる。ショルティがそうだし、違う業界だがサッカー全日本代表監督をしたイビチャ・オシムがそうだ。オシムは名門サラエヴォ大学理数学部数学科で大学に残らないかと言われた秀才で、それでも中退してプロサッカー選手になってしまった熱い男だ。僕は彼の原理主義的で明晰なサッカー語録の大ファンだ。終楽章でチェリビダッケの男っぽい熱さが前面に出てきて、オケは全力で弾き、最後は加速して加熱する。この譜読みは僕は頭では反対なのだがなにせこのエネルギッシュで内から湧き上がる推進力には抗しがたいものがある。ブラヴォー!彼の指揮はなんとなくパルスというか気質が合うのだ。このCDはもう手に入らないだろうが異盤があるかもしれない。ベートーベン8番も非常に面白く、両曲をよくご存じの方には一聴をお薦めしたい。今回聴きなおして印象に残った一枚だ。(総合点 : 4)

ギュンター・ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団 (9,10,11 July 1996、ライブ)

414HG72XJ1Lヴァントはクナッパーツブッシュ、H・シュタインと同郷(ヴッパータール)の出身。彼が晩年に来日した時の称賛の受け方はベームと似ており、ドイツ好き親父のAKB後継者といった存在だった。しかし彼の指揮は音楽の構造的、建築的な特性を明らかにする傾向が強い。「正しいテンポの決定は指揮者の仕事の基本」と語った彼の信条はベームとは違う。ましてフルトヴェングラーやクナや朝比奈とは全く別物であり、ヴェーベルンを振っても互換性のあるアプローチであった。これらを「ドイツ的」と、ドイツ語に訳しようのない日本語でくくってしまうアバウトな文系的精神には僕は到底ついていけない。この2番は非常に立派な演奏であり、どこをとっても違和感なく模範的なスコアの読み方と思う。初めて聴く人にはいいかもしれない。ヴァントは直球とカーブしか投げずフォークは邪道と切り捨てたマサカリ投法の村田 兆治に通ずる。そこは好きだがこの2番は僕にとってはインテンポで入る終楽章コーダ(これは正しい)がちっとも熱くならないなどロマンの香りや情熱などブラームスの人間くささにわき目もふらないのがもどかしい。村田は晩年フォークで鳴らす大転身をしたがヴァントは死ぬまでそのままの頑固寿司の親父だった。彼はベートーベンの方が向いていると思う。(総合点 : 4)

ヴィトルド・ロヴィツキ / ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団

ロヴィツキポーランドの地場オケ、地場オペラは音楽的レベルが高い。2006年に上野で国立ワルシャワ室内オペラのモーツァルト(ドン・ジョバンニ、フィガロ、魔笛、レクイエム)を片っ端から聴いたが生き生きとした音楽が実に楽しかった。WPOというオケはショパンコンクールの伴奏オケみたいに思ってる人もいるが、その国でトップのオケだ。これを97年にルツェルン音楽祭でカジミエシュ・コルトの指揮で聴いたが、はっきりいってうまくはないのだが中欧の田舎くさい音色と奏者各人の自発性に感心した。この2番もそういう音だ。初めから指揮は熱を帯びており、ごつごつと武骨でワンフレーズごとにヨイショという感じのフレージングセンスはあんまり好きではないが主張は強い。弦のアンサンブルはどこか雑然としてトゥッティがなんとなく暑苦しいが自然に合って音楽になってしまうという塩梅だ。62年の録音はマイクがオンであり、1、4番にはいいが2、3番には適性がない。(総合点 : 2)

リッカルド・ムーティ / フィラデルフィア管弦楽団

phcp-1686_jNj_extralarge88年録音。僕のいた82−4年にはやらなかった。ロンドンで買ったこのCDはそれが悔しいほどの名演だった。このオケの管のうまさはここでも絶品ですばらしいピッチだ。弦のアーティキュレーションも見事に統一されアンサンブルに透明感と気品があることでは最上位の演奏である。音楽の起伏と生気もまったく理想的と言え、フォルテのメリハリも至極納得である。中間楽章のロマンの息吹も入念に描かれ、テンポが落ちても人工的な感じがない。アレグロの部分の縦線の合い方はオケ演奏の規範というべきレベルなのに、それをひけらかして終楽章コーダを安っぽくアッチェレランドなどしない。難しい第1トロンボーンは余裕すら漂わせる。上質の音楽を上質の演奏家がやれば自然に感動がやってくるというもの。イタリア人がアメリカのオケを振ったブラームスなんてという偏見をお持ちの方にぜひ聴いてほしい。ファーストチョイスにも自信を持ってお薦めできる。(総合点 : 5)

カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

640チェコフィルはワシントンDCでドヴォルザークの8番を聴いたが、ヴィオラ、チェロのセクションがまったく特別なビロードの手触りのまろやかな音がしていたのは今も記憶に生々しく残っている。8番の冒頭はそれを念頭に書いた音だろう。それはブラームスにも向いているが、67年プラハ芸術家の家での録音はやや硬いのが残念。当時のホルンの音も個性的でドイツよりもソ連に近いのはあまり好まない。マッチョで筋肉質のブラームスはセルを思わせる直截的なもので、ロマン的なふくらみは薄く僕の趣味とは相いれない。彼は1番の方が向いていたと思う。(総合点 : 3)

ウォルフガング・サヴァリッシュ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

サヴァリッシュ ブラームスヨッフムと同様にEMIが大指揮者の晩年のブラームス全集を振らせたのはLPOだった。マーラーのテンシュテットもそうだった。このオケは便利屋っぽいがそういう仕事でもそれなりに本気で燃えた演奏を残している。第1楽章はティンパニを強く打ちこみ弦は歌い、ウィーン風の表現意欲が見える。第2楽章、弦の旋律を支える木管とホルンの暗めの和声のブレンド。これこそブラームスだ。ここも弦が歌う。第3楽章も英語のオケにドイツ語を喋らせる感じだがLPOがちゃんとついていく。終楽章はちょっと指揮者の意図より重量感に欠け燃焼不足ではないか。良い演奏だが、良いだけにこれがベートーベン全集と同じくACOとであったらと思ってしまう。(総合点 : 4)

ウォルフガング・サヴァリッシュ / ウィーン交響楽団

1959年録音。古き良きウィーンの音に何も足さず何も引かずだが、かような飾り気のないサバリッシュの音楽に当時の日本の評論家は冷淡だった。今回25枚組のDeccaの名盤集を買ってこれを聴いたが、第2楽章コーダの暗雲のようなティンパニには主張があり、感興こめて歌う木管は耳を捉えるではないか。終楽章のテンポも王道のゆるぎなさであり見事。僕が違和感を覚えるものは一切なかった。良いブラームスというしかないが、こういうものを個性がないと評するなら個性を売らんかなのビジネスに毒されているだろう。2番が好きな人でこれがつまらないというのは鑑賞環境が良くないのかどうか、ともあれ僕は想定できない。(総合点 : 4.5)

エマニュエル・クリヴィヌ / バンベルグ交響楽団

1526825フランス人がドイツのオケを指揮した異色の全集。93年のデンオンの制作。このオケはフランクフルト時代にH・シュタインで聴いたが弦が東欧風の古風な音色を持っており、彼が録音したシューベルトの交響曲の初期(1,2番)に最良の音が刻まれている。この2番は曲のロマンティックな側面を掘り起こした非常にユニークな演奏で、第1楽章からオケの音が柔らかく湿度を含み音楽の作り方も常に鋭角、唐突を避け丸みを帯びる。第2楽章のチェロの旋律が異例なほど情緒をこめて朗々と歌われ、粘り気のあるホルンと弦がこってりと絡まって後期ロマン派風のエロティックですらある世界を作る様は他では体験できないオンリーワン。第3楽章は一転軽やかで木管が実に美しい。やや速めの終楽章は冒頭トゥッティでヴァイオリンが脱兎のごとく出てしまいアンサンブルに乱れが生じてハッとするがやがてこのオケの本来のコクのある合奏力が発揮され音楽は見事に走る。第2主題を経てテンポは微妙に動き、けっしてあっけらかんとゴールに向けて駆け込む単調な棒ではなく再現部前はロマンの森に再び彷徨いこむ。再現部第2主題の歌い方、続くアレグロの目の立った合奏と金管の立体感あるからみなどオトナの耳をそばだてさせる味付けであり、最後のトロンボーン一音一音まで指揮者の神経が回っているのがわかる。これは通しかわからない京料理の隠れ家の名店みたいなもので、クリヴィヌがドイツでも特にしっとりと古雅な音色を残しているバンベルグ響を得てこれをやったのは非常に意味があると思う。(総合点 : 4.5)

(補遺、2月29日)

ロジャー・ノリントン / ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ

img_0古楽器演奏のブラームスである。第1・4楽章ホルン主題と第2主題の「歌わなさ」、管楽器のテヌートのなさ、第2楽章主題を奏するチェロの室内楽のような佇まい、対位法の見通しの良さ(管に比して弦が少ない、これはブラームス時代のオケの標準)、第3楽章の速度と管のフレージング(非ロマン的、古典的)、速めの終楽章は@での加速に加えてAの後半でさらに加速(私見では誤り)が特徴。1877年のハンス・リヒターの演奏時間(最初の繰り返しを含めて43分)に近い(42分)この演奏は示唆に富む試みと評価するが、演奏としての感銘度は特に高くはない。(総合点: 3)

フェリックス・ワインガルトナー / ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

ウィーンフィルの指揮者でありヨーゼフ・クリップスの師匠だったワインガルトナーはブラームス交響曲全集を録音した史上二人目の人だ(初はストコフスキー)。最晩年の1940年に録音した2番はスコアに指示のない恣意は一切排除した速めのテンポで、フルトヴェングラーとは実に対極的だ。終楽章などこの快速であればコーダでアッチェレランドなどかけようもない。現代の耳にはもう少し感情の起伏が欲しいが、作曲家でもあった彼の読みは今の演奏ルーティーンであるところも多々あり流石と思う。(総合点: 3)

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11. 2022年1月24日 05:13:43 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[14] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)
2015 APR 10 2:02:31 am by 東 賢太郎
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オトマール・スイトナー / ベルリン国立歌劇場管弦楽団

suitnerベルリンはブランデンブルグ門を少し入ったウンター・デン・リンデンにシュターツ・オーパー(国立歌劇場)がある。ドイツ赴任中ここでワーグナーをよく聴いたが、まことにドイツ風情の古風な味わい、つまり東独時代の音色が残っているオケであり至福の時を味わった。この2番はそのオケの美質が良く出ている。繰り返しのある第1楽章は指揮者の曲への愛情に満ちている。ベルリン・イエスキリスト教会の残響の中、木管が浮き出ず古雅なホルンが茫洋と弦と溶け合って薄明の中をまどろむような第2楽章の風情がすばらしく、第3楽章のオーボエのチャーミングなこと、クラリネットの木質の響きなど何物にも代えがたい。残念でならないのは終楽章で、開始部と主部のテンポの落差はどういう譜読みなのか意味不明でひっかかる。僕が住んでいたころのドイツのオケの日常的なコンサートはこんなものだったとはいえアンサンブルの質もやや落ちる。コーダのアッチェレランドはまったく賛同しがたい。(総合点 : 3、1−3楽章のみ5)

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

karajan21983年、カラヤン最後の全集の2番。右は87年にロンドンで買ったCDで「made in West Germany」とある今や歴史的一品だ。ロンドンはロイヤル・フェスティバルホールで聴いた彼の第1交響曲はBPOの低弦の威力に度肝を抜かれたが、この2番は中声部(ヴィオラ、チェロ)に力点を置いている風に聞こえる。しかしやはりホルン、トロンボーンのfは威圧的に響きティンパニも雄弁で、音楽の劇性に訴えるアプローチだ。中声部の力点もオケの自然な美質の発露というよりも、計算して作られた素材としてカラヤンの信じる劇性表現のための素材として組み込まれているという性質の印象をどうしてもうける。第3楽章の木管のうまさ、アンサンブルのピッチの良さなど超がつく一級品で、このコンビの実力が伊達でなかったことが証明される側面もある。終楽章はトゥッティで木管が聞こえ過ぎるなどミキシングもどことなく人工的。コーダの第1トロンボーンはBPOと思えぬ恥ずかしい出来だ。パリで当時ピカイチの3つ星だったアラン・デュカスで食した?万円のフレンチ、たしかに美味しいんだけど「美味しいフレンチ」というコンセプトで煙に巻かれた感なきにしもあらずの食後感と似たものを覚える演奏だ。(総合点 : 3)

オイゲン・ヨッフム / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

R-4321125-1384029374-3577_jpeg第1楽章、第2主題に持っていくやや速めのテンポが自然で実に良い。この「自然で」という風情がなかなか出るものではない。展開部も速めで重みや巨匠的風格は後退するが交響曲としての骨格を明示した表現で僕は好きだ。彼の指揮はフィラデルフィアとロンドンでベートーベンの7番を2回聴いたが、正に同じアプローチで素晴らしかった。第2楽章は一転、森のような深い音色と情感のこもった歌だ。テンポは刻々と微妙に動くが音楽の脈絡と遊離せず、コーダは止まりそうなまでに沈静する。これがツボにはまっていて良いのだ。第3楽章は普通だ。アンサンブルはあまり整っておらず、ぎちぎちとリハーサルで詰めた感じではない大らかさがあるが、実演でもそういう奏者の音楽性まかせの遊びの余地ある指揮だったように思う。終楽章もやや速めのテンポで開始。カラヤンと対照的に低音をゴリゴリ出さないので風通しが良く、軽量級に聞こえるが曲のエッセンスは語り尽くしているという真打の芸だ。76年録音でBPOやVPOは使えないEMIはLPOを使ったわけだが、オケが棒に納得してヨッフム晩年の記録を刻もうという意欲を感じる。最後の加速だけ余計だが全体のライブ的な流れの中では許容しよう。(総合点 : 4.5)

ヨーゼフ・カイルベルト / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

083無人島に持っていくブラームスの2番をどうしても1枚だけ選べといわれれば僕はこれにとどめをさすことになる。理想的なテンポ、堅固な造形、いぶし銀の音色、絶品のフレージング、飾りのない表情、精緻な楽器のバランス、どれをとっても最高であり、安手なポーズや虚飾など目もくれない。人工調味料の味つけなど微塵もない老舗の名品、渋めの名優の大石内蔵助みたいなもの。どこをとっても押しても引いても揺るぎのない確固たる信念に満ちた表現であり、場当たり的でオケ任せな部分は皆無。第2楽章の絶妙な間、呼吸の深さなどこれをしのぐものは考えられない。終楽章の鋼鉄のような重みと質感のあるトゥッティのアレグロのアンサンブルと第2主題の仄かで柔和な光をたたえたレガートの歌の対比など、これぞブラームスであると特筆大書したい。この録音がバンベルグSOやハンブルグPOではなくBPOで行われたことを音楽の神様に感謝したい。コーダのテンポはこうでなくてはいけないという決定的なものだ。本当に素晴らしい!何度聴いても心からの感動をいただける最高のブラームス2番である。(総合点 : 5+)

ダニエル・ ライスキン / ライン州立フィルハーモニー管弦楽団

209サンクトペテルブルク生まれの全く知らない若手指揮者だがなかなか正統派のブラームスだ。アバドやプレヴィンがデビューしたての頃、我が国の評論家は若僧あつかいしてブラームスなんかやろうものなら10年早いぐらいの勢いでこきおろしていた印象がある。こっちがそういうトシになって1970年生まれの指揮をきいている。ねばらないブラームスで、ライブでもあり弦など目が粗いしオケも一流とは言い難い。第2、3楽章は僕には速いしコクに欠ける。終楽章はやや速めの部類でリズムと強弱にメリハリをつけるのが小気味良く快調で、こういう表現が好きな人はいるだろう。(総合点 : 3)

マリン・オルソップ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

MI0001110199女が指揮したブラームス?そんなもん聞けるか!とは僕のオヤジ世代のドイツ硬派の反応(想像だが)で女性の皆さん申しわけございません。そういう時代でした。昔はオケは男の牙城、まして指揮者が女性となると陸軍大将に女性が就任したようなもの(ちょっと大袈裟か・・・)。米国人オルソップは史上初めてブラームス交響曲全集を録音した女性である。それは壮挙だがしかし音楽にジェンダーはない。鳴る音楽以外にそれを生みだす人のパーソナルデータなど僕にはどうでもいいのである。第1楽章はよく統率され整った演奏で最も好感を覚えるがテンポやフレージングはやや常套的だ。中間の2楽章は特に何もなし。きれいではあるが夢幻や隠避の滓は含まれていない。終楽章第2主題の減速は人工的でブラームスの陰のある憧れがきこえず、内的な熱さを伴わないコーダへ向けての加速は何度も書くが賛同はできない。(総合点 : 3)

イシュトヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

uccd7207-m-01-dl73年にケルテスはテルアヴィヴにて遊泳中に高波にさらわれ溺死した。43歳。20世紀クラシック界の最大の損失の一つと思う。この2番は64年に35歳の彼がVPOを振ったもの。67年にLSOとの録音もあり(新世界と同じパターンだ)、亡くなる直前にブラームス全集をVPOと録音中で2番は再録音予定だったが果たされなかった。未完で残ったハイドン変奏曲の最後の変奏はVPOの総意で指揮者なしで録音された。やや弦の音が固いが第1楽章の陰影が濃い。VPOはオーストリアのオケだがウィーンという都市は東欧のコスモポリタンでハンガリー、チェコの影響も強い。VPOに愛されたハンガリー人の彼は名門オケからドイツの四角四面に縛られないエスニックな喜びを解き放つことができる人材だったように思う。逆にそれができるから愛されたのかもしれない。2番には1,4番と違いそれが活きる要素があるのは終楽章の若々しい爆発、音を割るホルン、立体感のある音楽のうねりをきけばわかる。すばらしく熱してelectrifyingなコーダ!30代にしてVPOとそんな蜜月関係を築けた者はカラヤン、ベームらを含めても誰もいない。彼が2番を再録していたら?そしてもし今生きていれば86才、さらにVPOを振ってこれを聴かせてくれたらどんなすごい音楽になったろう?返す返すも20世紀クラシック界の最大の損失の一つである。(総合点 : 4)

(補遺、2月15日)

オイゲン・ヨッフム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

17581年、カール・ベームが急逝した後の定期演奏会でのライブ(ムジークフェライン)。ヨッフムはVPOを4回しか指揮していないが、この2番は素晴らしい。第1楽章はオーケストラに自由に弾かせながら知情意のバランス良くまとめ上げ、テンポにはうねりを与え、追悼演奏ということもあったのか、第2楽章コーダ、第3楽章の緩徐部で深い情念を語っている。終楽章は合奏に乱れやティンパニの先走りがあるが棒がオケにまかせて勢いを引き出す風だったかもしれない。コーダのテンポは納得いく。(総合点:4)

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

zaP2_G5378398W1963年録音。第1楽章、さすがBPOという音だ。このオーケストラのドライブ力は見事。 第2楽章は室内楽のようで弦を深い呼吸で歌わせるがヴァイオリン高音部がやや美感に欠ける。第3楽章は平凡。終楽章は大層な勢いとパワーで開始、コーダは二分音符の減速は浅く、ヴァイオリンの高音の頂点でややブレーキを踏み、Aの前半とCでほんの微妙に加速と芸が細かいが、ほぼ王道を行っていると評することができる。若いころからカラヤンは大物の証明を刻んでいる。(総合点:3.5)

(補遺、3月29日)

ヨゼフ・カイルベルト / バイエルン放送交響楽団

41QC791D6HL66年12月8日、ミュンヘンのヘルクレス・ザールでのライブ。上記BPO盤と同様に、心の底から僕を説きふせる何かのある解釈。2番はこうなんですよと言われれば降参するしかない。カイルベルトとハイティンクが無意識にベンチマークになっているかもしれず辛口評価になった演奏はそれから距離があるということか。オケは一流感には乏しいがツボにはまった音が鳴っていて、最低限の技術と正確な音程さえあればそれ以上の何がいるかとさえ思わせる。終楽章はコーダに向けて音楽が熱してくるのがライブで、微妙だが一貫してアッチェレランドがかかる。ここは禁欲的に行って欲しかった。(総合点:4)

(補遺、21 July 17)

クルト/ザンデルリンク / ベルリン交響楽団

1971−72年の第1回に続く2回目の全集。1990年にベルリン・イエス・キリスト教会での録音である。第1楽章のスローテンポはちょっとつらい。コーダの夕陽は心にしみてくるが。中間2楽章も黄昏の表情を湛える。終楽章すら遅く始まり、第2主題はもちろんさらに減速するし展開部の最後は止まりそうになる。コーダは入りでやや加速して(それでも異例に遅い)そのままインテンポで終わる。それはいいが、全体に僕にはよくわからない。非常に特異な2番である。80才になったらいいと思うかもしれないが。(総合点 : 2.5)

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/10/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%96%ef%bc%89/

12. 2022年1月24日 05:14:33 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[15] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)
2015 APR 12 14:14:33 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/12/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%97%ef%bc%89/


フリッツ・ブッシュ / デンマーク国立放送交響楽団

31EEA5VE93L1690年創立のマイニンゲン宮廷楽団の指揮者には1880年にハンス・フォン・ビューロー,85年にリヒャルト・シュトラウス、86年にフリッツ・シュタインバッハが就く。そして85年10月にこのオケが初演した曲がある。それがブラームスの交響曲第4番であり、そこでオケに入ってトライアングルをたたいたのがリヒャルト・シュトラウスだった。シュタインバッハはブラームスと親交が深く彼をマイニンゲンに招き、彼の作品によるザクセン=マイニンゲン地方音楽祭を立ち上げた名高いブラームス指揮者であった。後年そのシュタインバッハがケルン音楽院で指揮法の教授になった時の生徒がハンス・クナッパーツブッシュとフリッツ・ブッシュである。この二人のブラームス2番が聴けるというのは幸運なことだが、両者は違う。クナは自分のブラームスは先生のまねだと言ったらしいがバイロイトに行ってワーグナー指揮者として名を成した芸風の人であり一概には信じ難い。両者はテンポからして異なり、ブッシュの終楽章は7分55秒と最速クラスだ。モーツァルトを得意とした彼のフィガロやドン・ジョバンニの芸風を持ってきた2番と言えそうだが、はて、こっちもこれが直伝かというと迷う。かたや4番を聴くと両者には通じ合うものがあるのだが・・・。そこに関してはやはりブラームスと親しく、演奏会で自分の代わりに第2協奏曲を弾かないかと誘われ(断った)、この交響曲2番の作曲者指揮によるライプチヒ初演を聴き、どれかはわからないがブラームス臨席の演奏会で彼の交響曲を指揮し少なくとも解釈にクレームはつかなかったという逸話を持つマックス・フィードラーの終楽章を信頼すべきだろう。これは驚いたことに四つ振りのやや遅めのテンポで始まり、全奏で速くなる。以後もテンポはよく動きとても流動的だ。ピアノ協奏曲2番をブラームスはとても情熱的に激しく弾きテンポはよく動いたという証言をどこかで読んだ記憶もあり、ほぼ同時期の44歳の作品である第2交響曲も同様の解釈が正解なのかもしれない。フィードラーの演奏を聴いていて僕はふとこれは蒸気機関車から見た光景か?と思ってしまった。彼はエジソンの蓄音機に録音を試みたように機械やニューテクノロジーに並々ならぬ関心を示しており、イタリアやペルチャッハへもSLで行った筈なのである。このブッシュ盤はSLどころか快速電車だが。このCD、モーツァルトの「リンツ」はやはり快速、メンデルスゾーンの「イタリア」冒頭主題は歌いまくる。ドイツ語圏音楽の解釈を考古学的に探ってみたい僕には非常に貴重な音源である。(総合点 : 4)

リボール・ペシェク / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 

pesekぺシェックはチェコPOの常任も務めた同国の名指揮者である。右のCDは89年ごろロンドンで買ってもう忘れていたもの。今回のきき比べの試みがなければもう聴くことはなかったかもしれないが、このクオリティの高さは新発見だった。冒頭より実に細やかな神経の通った音がする。木管の音程の良さも一級品だ。指揮者の耳の良さがすぐわかる。オケの各声部のテクスチャーも透明感があり第1楽章は文句なしだ。第2楽章のチェロも秀逸で、それに重なる絶妙のピッチのフルートなどそれだけで耳がくぎづけになるし第3楽章の木管アンサンブルは音楽性のかたまり。欲を言えば弦の質が木管の域にはないがこれだけ良い音がすると弦も含めて全員が耳を澄ましてお互いを聴き合うしかないのだろう、上質の室内楽を聴くようだ。こういうところが指揮者の腕前なのである。終楽章は常識的なテンポで始まり再現部のまえで落とす。第2主題の歌ごころも素晴らしく、コーダへの道のりでティンパニをはっきりと鳴らし強いインパクトを与えながら熱していく。個性はどこといってないかもしれないが少しも小手先の感じがない立派なブラームスだ。i-tunesで900円の廉価盤となっており経済的にもファーストチョイスに推したい。(総合点 : 5)

小林研一郎 / ハンガリー国立管弦楽団

kobaken1996年5月19日にアムステルダムで小林先生と仲間でゴルフをやった。接待でなく遊びであり真剣勝負させていただいたが大変にお強く完敗した。終わったホールの僕のスコアから2打目に使ったアイアンの番手までよくご覧になっていて完璧にいい当てられるのは驚いた。頭脳も身体能力も人心掌握力も常人ではない。100余人のプロ集団を指揮台で率いる人kobaken1はこうなのだと思い知った。このCDはその時にいただいたもので、僕の好きな4番の冒頭をサインと一緒に書いて下さった宝物だ。第1楽章はゆったりした歩みで第2主題の入りには一瞬の間をとる。第2楽章のドイツの暗い森を思わせる雰囲気やチェロの表情はブラームスそのものであり、重めのホルンの音色がぴったりで木管のピッチも非常に良い。ヴァイオリンの入りをそっと息をひそめるなどデリケートな味わいにあふれるが後半の激する部分では低弦を強調しており、このロマンに満ちながらも尋常ならざる緊張感も秘める表現は幻想交響曲の第3楽章に通じるものを感じる。この楽章の解釈は秀逸だと思う。第3楽章の田園風景は管弦のまろやかなブレンドが見事である。終楽章は一転速めのテンポをとりオケは深みある音で見事に棒に反応している。いいオケだ。第2主題への減速は自然でありこういう呼吸の上手さを聴くとついあのゴルフ場での卓越した距離感の寄せを思い出してしまう。再現部の第2主題も同様だがコーダ前の減速から例のトロンボーン下降に向けてやや加速し、コーダにさらに加速する部分、僕の趣味として合わないのはここだけだ。今の先生はさらに円熟されているだろう、是非実演で聴いてみたい。(総合点 : 4.5)

ヴァ−ツラフ・ノイマン / フィルハーモニア管弦楽団

CL-12031900499年に香港で買い、ダルでつまらないという印象しかなく2度と聴かなかったCD。これがなかなかいいじゃないかと思うようになっているというのはトシを取ったということだろうか。とにかく牛歩のごとく遅い。コバケンさんのように何か起きる予感を秘めた遅さではなく、老人が道端の草花を愛でながらゆっくり散歩するようでそれに44歳の僕は辟易してしまった。2番に何を見るか?当時はロマンとパッションだったし、やはりこれを書いた時に44歳だったブラームス自身もそうだったかもしれないとフィードラーの演奏から思う。今はこれいい曲なんでじっくり味わわせてよねという要求の方が勝っている。そして69歳のノイマンの目に共感している。老成した指揮者がやりたがるのはむしろ4番だろうが、もう70の声をきけば2番のブラームスも4番のブラームスもないのかもしれない。64歳までしか生きなかった作曲者自身の知らない世界だろうか。そういう男がやった2番は、終楽章コーダで加速しないのだ。当時の僕はそれがないのでダメだった。青かったなあと思う。(総合点: 4)

ニコラス・アーノンクール / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (96年、ライブ)

39997年7月にアーノンクールはヨーロッパ室内Oとチューリッヒ・トーンハレでブラームス全曲をやった。僕は1,2番を聴いた。1番はノリが良かったが2番はあまり共感しなかった記憶がある。当時はすでに古楽器の泰斗がヴェルディをやってしまう時代だったがブラームス界への進出も意外だった。このBPOとの2番、弦やオーボエソロのフレージング等にクリティカルにスコアを読んだ痕跡があるのはイメージ通りだが、とにかくハートが熱い。なるほどけっこうであり、ライブもそうだったしそういう気質でないと椿姫など振らないだろうが、それが部分部分でショートテンパー気味に感じられてしまう。ブラームスというのはそういう小手先のミクロの熱の集積で暖まっていく音楽ではなく、あくまで大河のごとき流れが底流にあって徐々に聴き手の内面にある情をかきたてながら気がついたら体の芯から暖まっていて2~3時間は冷めないというものだと僕は思う。元気に爆発する劇的な終楽章など3分で冷めてしまう。H先生、とても見事ですが気が合いませんねと言うしかない。(総合点 : 2)

エヴゲニ・ムラヴィンスキー / レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 (13June 1978、ウィーンでのライブ)

muraこのLPはオケの音像が遠目で録音レベルも低く冴えない。しかし高音を上げ低音は絞り、最大音量に近づけるとムジークフェラインの中央よりやや後ろの席あたりの音に近づく。これが実際にどんな音だったかはこのホールの音の記憶から推察するしかないが、第1楽章の終結へ向かう部分の弱音などさぞインパクトがあっただろう。このコンビの音量の振幅というのはエネルギー、カロリーの増減を伴うことで物理的なものを超越しており、他の演奏とは一線を画する印象的なものと思う。ここもppに近い静寂と緊張感から終楽章の解放に至るまでのドラマを演じるが細部が良くわからないのが惜しい。コーダは少しくアッチェレランドがかかるが音楽の情動が許容するぎりぎり範囲内のものであり、会場で聴いたらさぞ感動しただろう。ホルン、トロンボーン、オーボエの音色にやや違和感を感じることを置けば傾聴に値する2番と思う。(総合点 : 3)

マレク・ヤノフスキ / ロイヤル・リバプールフィルハーモニー管弦楽団

janowski87年ごろロンドン時代に買ったLP。第1楽章はゆったりした大河の様な流れで提示部の繰り返しもあり、ブラームスにたっぷりとひたることができる。LPの音は木質で大変すばらしい。第2楽章も同様で弦のやや湿度を帯びた音が好ましい。第3楽章はさらに同曲で最も遅い部類であり、精神をいやすヒーリング効果すら感じる。そして終楽章だが、常識的なテンポであったのがコーダに至ってものすごいアクセルが踏まれ脱兎のごとくゴールへ飛び込むことになる。それさえなければ大人のブラームスであったろうに惜しい。(総合点 : 3)

(補遺、3月23日)

フリッツ・ライナー / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

71GEq7yT-ML._SL1442_1960年3月12日のライブ(放送録音か)。楽器の生音をよく拾ったモノラル録音であり鑑賞には耐える。強奏するホルンの音が重め、オーボエなど木管の色気がないなどNYPOがドイツ系の音だったことがうかがえる。解釈は至極まっとうで文句なし。ただ第3楽章の弦のアンサンブルなどライナーのCSOとの演奏の水準にはなく荒い。ロマンの息吹もやや不満だ。このディスクの白眉は終楽章。ティンパニを強打したエネルギー満点の主部は見事で、コーダに至る前からすでに加速(こういう手があったんだ、脱帽!)、コーダは@で加速、Aで常識の範囲内でやや加速で納得感あり。ところがBの前半で(編集のミスか?)1小節落ちていて大変ずっこける。ということで好事家向けであることは否めまないが僕には感心するものがある演奏。ちなみにこのCD、余禄のピッツバーグSOとのハンガリー舞曲がすばらしい。(総合点:2)

(補遺、11 June17)

ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団 (5 Jan1967、ライブ)

クロアチアのVIRTUOSOレーベルから出たセル&クリーヴランド管弦楽団〜1967-69未発表ライヴ集Vol.1の3枚組CDでゼルキンのPC1番と交響曲4番と組まれている。セヴェランスホールでのステレオ録音で放送用だろうか、悪くはないがややドライだ。第1楽章提示部を繰り返すのは珍しい。ライブにおいてもセルらしくコントロールされるが金管にミスがありこのオケも万能ではないことがわかる。正規録音のほうにも書いたが、僕はロマン派楽曲でのセルのホルンの扱い方が苦手であり、ここでも大いにそれがあるため引いてしまう。中間楽章は僕の欲しいロマンはあまりない。終楽章は巨大な室内楽の如き立派なアンサンブルであるが、だから何だというところ。彼のベートーベンは最高の敬意を払うがブラームスはだめだ。(総合点:2)

(補遺、2018年8月25日)

アンタール・ドラティ / ロンドン交響楽団

Mercury Living Presence (The Collector’s Edition-3)より。シリーズ共通の近接したマイクで弦の内声部が聞こえすぎる感なきにしもあらず。しかしLSOの細部にアラがあるわけもなく、この演奏の風格は抗いがたい。19世紀から脈々と受け継がれた伝統を一切外すことなく、ドラティ一流の筋肉質なアンサンブルでまとめた2番。僕は1986年にロンドンでドラティがロイヤル・フィルを振った交響曲1番とPC1番を聴いたが同質のものだった。終楽章コーダはどうかと思って聴いたが、ドラティがチープなアッチェレランドなどするはずもなく、杞憂であった(総合点:4)。

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13. 2022年1月24日 05:15:24 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[16] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)
2015 APR 14 3:03:58 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/14/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%98%ef%bc%89/


ブラームス2番の聴き比べ、これで8稿目になります。

今回は趣向を変えましょう。ブラームスの2番について述べるのにこのレコードについてふれなければ自分史という観点で背任になってしまう、そのぐらい僕に決定的な影響を与えたのがこのベルナルド・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のLPでした。haitink

大学に入った年75年にこれが新譜で出たさいに音楽評論家の大木正興さんが激賞したのがこれとチャイコフスキー5番だったのをよく覚えています。当時僕はレコード芸術誌の大木さんの文章を熟読していて、ドイツ的なるもの、本質的、精神的(形而上)なるものへの肯定とショーマンシップ、表層的、商業的なるものへの蔑視という価値観に深く共鳴していました。

どうしてこのレコードに興味を持ったかといいますと、単に大木さんが誉めたからではありません。それまで大木さんはハイティンクをぼろかすに貶(けな)していた急先鋒だったからなのです。その君子豹変ぶりが意外で、一体どうしたんだという興味から聴いてみようとなり、これとチャイコフスキー5番をすぐ買いました。

果たして、スピーカーから流れ出た音楽はそんな経緯はどうあれ僕の耳に問答無用で心地よく、それまで聴いていたワルター/コロンビアSOよりも良く、これこそが俺の好みなんだと確信しました。そうしてハイティンクを聴きこんだ結果、僕にとってブラームスの2番とはまぎれもなくこれとなったのです。

これがそうして刷り込まれた演奏だということは、それから40年の歳月を経てもう自分の中で自覚できなくなっています。しかし、今回のきき比べをするうちに「終楽章コーダのアッチェレランド」の問題がどうしてもひっかかってきます。僕はどうもそこでの加速が蛇蝎のように嫌いなのです。それがこのハイティンク盤と深くかかわっていることは後述しましょう。

スコアにaccelerandoと書いてないという原典主義的な理由ではなく、とにかく蛇蝎より蜘蛛より嫌いである、これはもう生理的なものです。困ったことにこれが曲全体のフィナーレなものですから、これをやられてしまうといくらそこまでいいぞと思っていても感動が台無しになるのです。9回裏ツーアウトから逆転サヨナラホームランを食らうようなものですね。

今回書いてきたものでそれがいかに多いかお分かりいただけますでしょうか。だから僕は2番のコンサートは敬遠しています。サヨナラ負けの可能性多いですし指揮者に先に「かけます?」なんてきけませんしね。アバドとアルブレヒトだけでした、良かったの。

それがコーダのどこのことか?加速できる可能性のある個所は4つあります。第1ヴァイオリンのパートで見てみましょう。

まずここです・・・@(pからsfまで)

bra2 4

次にここです・・・A(cresc .からffの前まで)

bra2 5

ここでトロンボーンの下降が入ります。そして次にここ・・・B

bra2 2

ちなみにこれが最後に来るトランペットのパートです・・・C

bra2 3

@のフレーズは4-5小節の3つの二分音符でテンポにブレーキがかかることがほとんどです。だから6小節目のpの「入り」は遅く、そして最後の最後であるCはほとんどの場合、@の入りよりは速いのです。

ということは@ABCのどれかで加速しなくてはなりません。

まず@です。4-5小節の3つの二分音符にアクセント記号(> )がついていて各音を重く強い音で弾く指示なのでテンポを落して行われるのは自然です。最後のsfに向けて今度は増音(クレッシェンド)していく過程で漸強、漸弱(< >)の呼吸を3回はさんで興奮が高まり、それはVnの音高がオクターヴ高くなる最後の4小節で最高潮に達します。

この過程で落としたテンポを速くしていく、これは弦を重く弾く奏法の物理的原則によって速度が落ちたものを@の1-3小節までの速いテンポに復元する行為であって、ここにaccelerando(アッチェレランド)と書いてなくても加速が行われることは、二分音符に rallentando (徐々に遅く)と書いてないのに遅くなったことの裏返しです。

ちなみにハイティンクは二分音符でやや多めに減速していますから、インテンポ派の指揮者のなかでは@の加速も必然として多めで、それは最後の4小節で来ます。しかしそれが最高潮に達する音楽の摂理とあいまって外面的には感じられずに興奮を高める効果を上げているのが見事です。

そして問題のAです。ここで加速するとなるとそれはテンポの回復ではなく本当のアッチェレランドであり、スコアにそう書いてないことは意味を持つと思います。それに対して、cresc.とあるので@と同じだから音量増加イコール速度増加でいいだろうということか、ここで加速する人がいます。

マックス・フィードラーもフリッツ・ブッシュもハイティンクと同じ@のみ(やや振幅は小さい)であり、Aの加速は僕は間違った解釈であると思っています。ベーム、トスカニーニ、ショルティ、ヴァント、アバド、ミュンシュ、ケルテスも@のみです。ムーティも@のみで、スカラ座Oとのビデオを見るとAで弦が興奮して走らないように手で制止してます。見識ですね。

クナッパーツブッシュ(ドレスデン・シュターツカペレ盤)は楽章冒頭から4つ振りで遅く異例ですが、@を準備するトゥッティ部分で加速するというのがまた異例で、他の演奏の記憶からここから終結に向けてさらに速くなる予測がよぎりますが、そうならない。その加速は@の二分音符での減速で完全に打ち消され、そこの停止感が強調されるのです。そして最後の4小節への音高上昇の興奮とともにほんの少しの加速をしますが、最後のa音に伴うsuspended 4th→A7をカデンツとしてまた減速。そしてトランペットを強奏してAの最初の4小節のフォルテの意味を際立たせ、Aのクレッシェンドで微小な加速がありますがほぼ無しに等しく、つまり堂々たるインテンポでティンパニを強打して終わります。実に深い読みであり、ブラームスの直伝の解釈をうかがわせる可能性のある演奏として注目します。

一方、フルトヴェングラーは二分音符の減速がほとんどなくスタート地点のpから速い上に、まず@で加速、そしてAでさらに加速、Bまで二分休符で前のめってCになだれこむという3段ロケット方式で、とうてい僕には耐えられませんしブラームスも認容しなかったろうと信じます。

バーンスタインは奇妙で旧盤(NYPO)もVPO盤も@は最後に減速!し、Aで加速しますが僅少でそのままゴールインします。これをVPOにさせられるのは彼ぐらいでしょう。ケンペは@がなくてAだけであり、これは全く賛同できません。Bだけというのはクレンペラーです。@Cもほんの少しありますがAでやってないのは見識です。

珍しい派としてはCというのがあって朝比奈/大フィルは@がなくAでやってBがなくさらにCの前でやる。ミュンシュは@−BはなくCだけという希少派です。べイヌムが@とCであり、先輩の影響かオケの伝統かハイティンクもほんの微妙ですがCでかけています。

ティーレマンは@だけですが一気に超快速に持っていってしまうのでABCがいらないという作戦です。@は二分音符前のテンポに回復するのが音楽の摂理であり人工的というしかありません。カルロス・クライバーは@+A派ですが減速が少なかった分だけ加速も少なく済んでます。ワルター/NYPO、ムラヴィンスキー東京ライブは明確に@+Aです。後者はオケがとても下手で高いカネを払った人が気の毒です。

カラヤン/BPOは減速が少なく、そのぶん@Aの加速もほとんどないインテンポ派であり、堂々たる王者の風格といえましょう。カラヤンを表面的と評する人が多かったですが、そういう人がだいたい信奉するフルトヴェングラーの方がよほど表面的と思います。カラヤンをさらに遅くしたのがチェリビダッケです(スコアどおり減速なし)。それで終わりまで持っていくのは凄味すらあります。

以上まとめますと、このシリーズで僕が終楽章のコーダにいちゃもんをつけているのはAの加速だということです。なぜならAの背景ではオーボエ、クラリネット、トロンボーン、チューバによる素晴らしい劇的な和声のドラマが展開しているのです。それなのに加速で興奮をあおってその効果を減殺するなどもってのほか。ここのインテンポはマストです。

書いている時にその判断基準はなかったのですが、「@のみ派」のベーム、トスカニーニ、ショルティ、ヴァント、アバド、ミュンシュ、ケルテスに概ね好意的なことを記しているのはいま思うとその大減点がないからと思われます(こういうことは自分でもあとから分析してわかるというものです)。

そして、冒頭に戻りますが、その趣味ができたのはハイティンク盤を聴きこんだからです。それにより曲だけでなくコンセルトヘボウというオケとホールの音響の魅力まで覚えたので、僕のクラシック音楽のテーストに甚大な影響があったはずです。こういうことも自分ではわからない。あとになってこうやって検証して、傍証を得て、初めて推察ができるという性質のものです。

だから初心者の方に申し上げたいのは、もし真剣にクラシックと一生つき合っていこうという志をお立てならば「最初に曲を覚える演奏は大事だよ」ということです。それが無意識のうちに「おふくろの味」になってしまうからです。僕はこのハイティンクの2番でブラームス入門、コンセルトヘボウ入門を果たしましたが、演奏のクオリティの高さ、品格、音質、どれをとっても今もってまぎれもなくベストの選択でした。それは大木正興さんというその道をきわめた達人がおられ、何も考えずに彼に従った、まあ僕にしては例外的に素直だったこと、それが人生でラッキーだったと思います。

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僕のブラームス入門に追い打ちをかけて決定的な影響があったのはフルトヴェングラー指揮の交響曲第1番だったのですが、その神と仰いだ指揮者が2番ではご覧のとおりぼろかすに書くしかないというのも不思議なところです。しかし大木さんのような専門家でも、ハイティンクの評価は180度変わりました。自分の耳に正直であるという虚飾のない姿勢は立派ですし、音楽鑑賞に限らず万事そうあるべきと勉強になったものです。ちなみに1,3,4番では僕はハイティンク盤をここまで信奉しているわけではありません。

ハイティンクの2番を今聴くとシューマンの3番の稿に書いたことがそのまま当てはまります。彼はこの後に別なオケ(BSO、LSO)でも同曲を録音しましたが、ブラームスに最もふさわしいPhilips録音があの名ホールでACOの真髄をとらえたこれ以上にいいとはどうしても思えず未だに浮気する気も起きません。僕にはこれとカイルベルト盤とが双璧であります。(総合点 : 5+)

ちなみに、ライブのエアチェックなので本文ではご紹介しませんでしたが以上書いたことをほぼ完ぺきに満たすアポロ的均整をもったマックス・ルドルフ指揮ナショナル交響楽団の演奏をご紹介します。この演奏は僕がウォートンスクールに留学中にフィラデルフィアのWFLNで放送されたもので、そこでしか聴けなかった超レアものです。ルドルフは4番は商業録音がありますが2番はありません。このライブのオンエアは1984年ですが演奏がこの年だった保証はありません。当時なけなしの金で買った安物のカセットで録音したもので音は良くないし、30年も倉庫で眠っていたテープなので固有の音揺れがありますが、僕にとっては値千金で隅々まで記憶しているの思い出深い演奏です(ちなみにMov4コーダにフルートの残念なミスがあります)。

P.S.

「バーンスタインの@の終結での減速」について

僕の推測ですが、最後の二分音符(a)についているA7sus4というコードに対する反応なのではないかと考えています。Ddurのドミナントのsuspended 4th→A7というカデンツと彼は解釈しているのではないかということです。だからここは減速したわけではなく、和声構造からくる帰結としての「終結」なのかなと(追記:後に分かったが、上記のとおり、これはブラームス直伝のクナッパーツブッシュに前例があります)。

たしかにそう見るとブラームスがここにフルート、オーボエ、第4ホルン、ヴィオラでd→ cisを書きこんだのは、そこでsfで鳴っているaの音価のなかでドミナントへの解決を強調し、次のトニックへのD→Tのカデンツの安定感、回帰感を際立たせるためと見ることも可能なように思います。ここに加速してつっこんでくるとaの音価が短くてそれは得られにくいと僕も思います。

このことはバーンスタインと話してみたかったですね。彼はエモーショナルな感性が勝った音楽家のように思われていますし、実際に話してみてそういう側面が見えたのは事実ですが、僕は彼の指揮を聴くといつも作曲家としての目線と理性のほうを強く感じます。

この部分はその一例で、感性による思いつきでそうしているのではなく、ロジカルにスコアを読んでるなと感じます。そしてブラームスのような微細に緻密に細部にこだわる人が意味なくサスペンディッドのコードを書きこんだはずはないとも感じるのです。

ちなみにトスカニーニは@を多少の加速をしながらa音に突入しますが、4拍目のトランペットのa音をタメを作って強く長めに吹かせることで「疑似終結感」を出すという高等技術でブラームスの書いたサスペンディッド・コードへの義理を果たしています。なんとなく罪悪感があったんでしょうか(笑)とても面白い。

そこで終結感を出すとAの加速でそれを取り戻したくなるでしょう。Aの加速はそういう誘惑に負けた人の妥協策にきこえる場合もあります。しかし、トスカニーニはそれを全くしませんしバーンスタインもほんのわずかです。

それは上述のように大事な転調の場面で(だからコーダで鳴り続けのD、Tをたたくティンパニがここだけは沈黙する)テンポ変化という非常に劇薬的効果のある余計なことを同時にしたくないという、いちいち言わなくても了解される演奏家の良心みたいなものではないでしょうか。こういう人たちはプロ中のプロだなと思います。

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14. 2022年1月24日 05:16:20 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[17] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)
2015 APR 23 23:23:38 pm by 東 賢太郎
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ブラームス2番の聴き比べ、これで9稿目、最終回になります。

エドリアン・ボールト / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

MI000105685987年ごろロンドンでLP全集を買ったが、あんまり印象はよろしくなかった。その理由はこうしてハイティンクの後にきいてみるとわかる。ACOに比べてしまうとオケに全然魅力がない。いま聴き直すとボールトの曲への愛情とオケへのグリップがわかるし、速めのテンポですいすい行く枯淡の境地は男らしくて好ましいのだがヴァイオリン、チェロのパート音程の不揃いがどうしても気になる。第3楽章の中間部のアンサンブルも雑だ。要はLPOの弦が下手くそであって、それではいいブラームスになりようもない。ボールトにはウイーン・フィルを指揮して欲しかった。バルビローリよりずっといい全集になっていただろう。(総合点 : 3)

クラウディオ・アバド / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

51GTk5DBhXL95年3月10日、フランクフルトのアルテ・オーパーでドイツ銀行の創立125年記念式典が行われノムラ・ドイツ社長として招かれた。もうあれから20年になるのか・・・。昨日のように覚えているが、コール首相と頭取がスピーチし、式の掉尾を飾るべく舞台に現れたのがアバドとベルリン・フィルであったから究極の贅沢だった。ドイツ赴任の幸運をかみしめたがその2か月後にチューリッヒに異動になりこれがドイツへのお別れにもなってしまった。その演目がブラームスの2番であった。選んだのがアバドなのかドイツ銀行の企画室なのか、なんとも素敵な選曲ではないか。それはうららかな春の息吹のように始まり、堂々たる巨人の歩みのコーダで閉じた。アッチェレランドせず最後の和音を長く響かせたのもこのCDと同じだ。この演奏、どうしても私情が入ってしまう。内容をあれこれするのは控えたい。

エドゥアルド・べイヌム / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

697べイヌムは後輩ハイティンクより筋肉質で曲の核心に切り込む指揮をした。それがよくわかるのはブルックナーだがこのブラームス全集も例外でない。1番が有名だが2番も一切無駄のない見事なものでこれがベートーベンにつながる音楽だということを明確にしている。第1楽章の展開部の起伏は本当に素晴らしい。その分中間楽章のロマン性はやや後退するがACOの管楽器の純音楽的な美は捨てがたい。終楽章はやや弦のアンサンブルが弱いが主張は強い。(総合点 : 3)

エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団

4109041128怖いもの見たさ?で買ったCDだ(06年、写真とは違うジャケット)。ところが冒頭のテンポは普通で木管もホルンも違和感なく、オーボエが「おふらんす」な以外はマリ盤のように絶句するものはひとつもない。弦はLPOといい勝負。アンセルメが連れて来日したSROはレコードより下手だったという説が流れたが、この2番をきく限りレコードでも下手だ。トロンボーンの和音は危なく、第2楽章は今の日本の大学オケ未満だ。ハイドン変奏曲の木管のユニゾンの音程などプロとは信じられないほどひどいもので、チェリビダッケやセルのような指揮者だったらその場で奏者を解雇したんじゃないかというレベルだ。アンセルメがそういうのを許容する人だったのか部下がかわいかったのかその程度のスタンスで制作された録音だったのか。終楽章はそこそこ速めで入るがコーダはトロンボーンがとちらない安全なテンポに抑えたのかなという感じもある。アンセルメは同じDeccaにも起用されたモントゥーを強くライバル視していたそうだが、ドイツものを振るのはその意味でも大事だったのだろう。(総合点 : 1.5)

ネーメ・ヤルヴィ / モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(22Apr1966、ライブ)

jarvi父ヤルヴィの若かりし頃のモスクワ音楽院での録音。98年ごろ香港で買ったCDだ。共産時代にソ連でブラームスがどう鳴っていたかを知る興味深い音源だが、ホルンの音色を除けば下記のオイストラフ盤ほど違和感はなく、ティンパニを強打してメリハリをつけるなど若さを感じる部分はあるが、 オケのコントロールは万全で辣腕であったことがわかる。MPOの弦は独特の光沢があって優秀だが管のピッチは第3楽章など不安定である。かなり硬派だが中間楽章のロマンも欠いていない。(総合点 : 3)

ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団

ormandyこのコンビのブラームスというとのっけから馬鹿にしてる人もおられるだろう。僕のCD(写真)は97年にスイスで買ったオランダプレスで悪くなく、2年間このオケを眼前できいて耳に焼きついている特徴がよく確認できる。特に松脂が飛ぶ強靭な弓使いによる弦の驚異的合奏力だ。このオケは管の華麗さばかりが著名だが、当時の弦は巨大な室内楽という印象だった。ブルックナー8番を振り終えたスクロヴァチェフスキーを楽屋に訪ねたらやはり弦の強さと優秀さを強調していて意外に思ったのを覚えている。第1楽章第2主題や第2楽章チェロセクションの大きなうねりの歌、第3楽章のフレージングはブラームスの節度を超える観もあるが大方の聴き手の先入観を覆すだろう。オーマンディーが2番に何を見ていたかを雄弁に物語る。終楽章のテンポもやや遅めの部類で弦合奏優位であり、ブラームス演奏においてまったく正攻法である。トランペットの音色がやや明るいものの管楽器全体の技術的安定度は盤石で、ラストの第1トロンボーンの上手さなど敬服するしかない。コーダまでほぼインテンポであり、安っぽいアッチェレランドの誘惑など一顧だにしていないまことに堂々たる立派なブラームスである。(総合点 : 4.5)

ユージン・オーマンディ / サンフランシスコ交響楽団

こちらは僕が米国留学中にフィラデルフィアのFM放送を1984年4月11日にカセット録音したもの。オーマンディーはこの翌年3月に亡くなったから最晩年の貴重な音源となってしまった。このコンサートは前半にドビッシーの「牧神」と「海」が演奏され、それらも名演でyoutubeにアップロードしてあるのでお聴きいただきたい。これをフィラデルフィアでやってほしかったが、アカデミー・オブ・ミュージックの音響では演奏はこうはならなかっただろう。SFSOの本拠Davies Symphony Hallのほうがずっとましであり、そこでこの録音が残ったのは僕を含め後世のクラシックファンには福音になったのではないだろうか。悠揚迫らざる大河のようなテンポが揺るぎなく、オーマンディーの人柄がにじみ出るような優しく温かいブラームスだ。それにふさわしい2番を選んだのも彼らしく、枯れてはいない幸福な老境を思わせる。コーダについても上記正規盤のコメントそのままが当てはまる、世俗の甘さやチープな興奮などまったく目もくれぬ骨太の堂々たる終結だ。CBSのキンキンドンシャリの録音で日本では彼は色モノ、ショーマンのようにイメージづくりされてしまったがとんでもない、スコアの本質を最高のバランスで提示する本格派のシェフ、マエストロであった。

エドゥアルド・リンデンバーグ / 北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団

809274987969僕の記憶違いでなければこの演奏は70年代に廉価盤(テイチクのLP?)で銀色のジャケットで市場に出ていた。食指が動いたがカネがない時で逡巡していたら廃盤になってしまい悔しかった思い出がある。03年にCDを見つけ勇躍して聴いてみるといかにもドイツの地方都市のホールで日常にやっている雰囲気の演奏だ。個人的にはノスタルジックな気持ちにひたれるが、こういうのがいいかどうか言葉がみつからない。オケははっきりいって二流であり、指揮も垢抜けず大まか。アンサンブルの細部に神経が行ったなと思う瞬間はほぼ皆無であり鳴りっぱなしの声部も多い。千円廉価盤には後になってどうしてという名演があったものだが、これは見事にそれなりだ。しかし食べ物もB級、時にはC級グルメである僕はこういうのが嫌いでない。ベトナムの屋台でおばちゃんに具は全部入れてねと注文して出てくるアバウトなフォーを食べてる感じだ。(総合点 : 1)

クルト・マズア / ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

mazurロンドン時代に買ったオランダ・フィリップス盤(LP)で、弦楽器の音が格別に素晴らしい。CDは知らないがヴァイオリンのG線、ヴィオラ、チェロのハイトーンが織りなす中声部のくすんだ響きの魅力はあらゆる2番録音でも最高クラスである。このコンビでフランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった。これぞブラームスの音であり、ひたるともうそれだけで他に何がいるかと思ってしまう。マズアの解釈は凡庸で前回のノイマン同様一般の評判を取り得るものではないが、僕は逆に何もしていないのでオケの魅力だけを堪能できることに感謝だ。終楽章も遅めのテンポで進みながら最後だけあおる、こういうのは全く余計だがそこまでに十分楽しんでいるので無視しよう。(総合点 : 3)

ゲルト・アルブレヒト / ハンブルグ国立フィルハーモニー管弦楽団 (Jan97、ライブ)

albrechtアルブレヒトがVPOを振ったシューマン2番のライブが78年ごろFMで放送され、これが大変な名演で衝撃を受けた。カセットに録音して何度も聴き、同曲にのめりこんでしまった。05年3月13日には彼が読響を振ったブラームス2番を芸劇で聴いたがそれも筋肉質でメリハリがあり、あのシューマンの質感をそなえた名演であった。このCDはスイスで97年に買ったもの。ハンブルグのライブ音源で録音のせいか弦がやや薄いが低音を若干補強すればブラームスにふさわしい音が聴ける。演奏の勢いはアルブレヒトのものだ。コーダの安直な興奮を誘うテンポの問題もなく、ストレートで硬派のブラームスが堪能できる。(総合点: 4)

ダヴィッド・オイストラフ / ソビエト国立交響楽団 (20Dec68、ライブ)

oistrakh大ヴァイオリニストの指揮。ホルン、オーボエ、トランペット、トロンボーンがロシア丸出しの音色で異色であり、特にホルンは第1楽章の最後のソロなどこれでブラームスといわれると厳しい領域にある。第2楽章のヴァイオリンのヴィヴラートは妖艶なほど過激だ。彼の作品への愛情はよくわかったが、お国によって愛情表現というものは甚だしく違うものだ。同じロシアのオケでやったヤルヴィと比べるとオケはばらばらで素人の指揮であり、まったく楽しめないが終楽章のテンポ設定はまともで面目躍如という所だ。(総合点 : 1)

トーヴェ・レンスコウ、ロドルフォ・ラムビアス (ピアノ)

71Y3SV-giZL__SY450_ブラームスによる2台ピアノ版とあるが終楽章に弾かれていない3連符があり、正確なところはよくわからない。スコアを見ながらじっくり聴いた。住みなれた我が家の建築時の精密な図面を見るようだ。これをさらに自分で弾いてみた二手版と比べてみる(これはさすがに録音がない)。家の梁など骨格ができ、基礎工事が済んだ状態が二手版。それにガラス窓や内外壁やフローリングが施され家らしくなったのがこれだ。そしてこれに家具や壁紙や空調などが完備し、オシャレなシャンデリアが入ったものが管弦楽の完成版というところだ。2台ピアノ版で充分「住める」という印象で、ブラームスの図面は実にmeticulousに書かれているものだから、彼がどこに重点を置いて「基礎工事」を「住宅」に、「住居」を「邸宅」に仕上げたかがよくわかる。ベートーベンの交響曲は基礎工事で充分に住め、そこから一気に邸宅に仕上がった観があるが、ブラームスは「住宅」にしたこと自体で大きな付加価値が加わっており、その段階で豪邸として売りにだしていいぐらい完成度も高い。このことは彼の作曲プロセスと楽器編成の選択の関係という重要なテーマの解明にヒントを与えるものだ。このCDは演奏として特にどうということはないが、スコアをプロフェッショナルに音化しているということで充分に聴く価値があると思う。マニア向け。(総合点 : 3)

エピローグ

以上、いかがでしたでしょう?フリッチャイ/VPO盤とカルロス・クライバー/BPO盤についてはすでに別稿に書いておりますので、それを含めてブラームス交響曲第2番について僕の想いや思い出をまじえ64種類のCDにつき拙文を陳列させていただきました。これで僕が持ってる2番の半分強というところですが最近の若い指揮者のはあんまりもってません。

埃にまみれた40年来のLPやCDを眺めてみると、我ながらずいぶんと酔狂なものでカネにもならんことを長年やってきたものだと思います。でもカネにまつわる商売をしてますとカネにならんことをどれだけマジメにやれたかが人生大事な気がしていまして、ますますこういう無価値なことを思いっきりやってやろうとむくむくとファイトがわいて来ます。

64回たてつづけに聴いたおかげで2番という曲がちょっとはわかりかけてきました。でも今回なにより驚いているのは、聞けば聞くほどますますこの曲をいとおしく感じている自分がいるということでした。よくわかりました。自分がいかにブラームスが好きかということ、そして、本物というものは飽きるということがないのだということをです。ブラームスの2番にブラヴォー!

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/04/23/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%99%ef%bc%89/

15. 2022年1月24日 05:17:23 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[18] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(10)
2019 FEB 9 12:12:17 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/02/09/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%89/


本シリーズは(9)でいったん終了しましたが、さらに書き加えるべき演奏がありますので追加いたします。

マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団

ムラヴィンスキーの弟子であるこの指揮者の力量を知ったのはオスロPOとの春の祭典のCDとラフマニノフの交響曲だ。ソ連出身だがウィーンでスワロフスキーにも学び、BRSOとコンセルトヘボウ管のポストについており独欧系の指揮は正攻法だ。BRSOもブラームスに好適なオケだがクーベリック盤、カイルベルト盤しかなく貴重。この2番はミュンヘンで聴いたままのやや暖色系で馥郁とした音を歌に活かした王道の解釈。コーダは微妙に加速するが内側から白熱する感動に添ったと感じられ、それが最後の和音を大きめに溜めて完全終止感を出すクラシックな終結は納得できる(総合点:4.5)。

ジョン・エリオット・ガーディナー / オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティック

時代楽器による演奏らしいがオケの厚みがなく響きが薄い。時代考証による音色で変わった味をつけたいのはチャレンジとして結構だしブラームスの時代はこうだったのかもしれないが、我々はよりふさわしい充実した厚い響きを知ってしまっており作曲者も聴けばそっちを選んだろうと思う。Mov1第1主題のトゥッティなど変速などに意味不明のものが頻出しついていくのに一苦労だ。新味を解釈でも狙ったのかもしれないがなんら本質的なことではなく、説得力はかけらも感じない(総合点:1)。

ヘルベルト・ブロムシュテット / NDRエルプ・フィルハーモニー管弦楽団

この指揮者はドヴォルザーク8番のLP(DSK)で知って感動したが、以来レコードはシベリウスのSym全集以外はあまりぱっとした印象がなく、ライブもN響定期で何度か接したが一度もいいと思ったことがない。ところがこの2番のビデオを見てわけがわからなくなった。文句のつけようのないドイツ純正の堂々たる2番ではないか!オケとホールの音響というTPOで指揮者はこうも変わってしまうのか。緩徐楽章は雲間から弱い日差しが見え隠れするようなドイツの森そのもの、そこを歩く人の心の陰影。ブロムシュテットは完全を期する厳格な人だろう、N響の時はこうではなかったがオケを信頼してしまえばジュリーニと同じくキューを仕切るタイプでなく表情一つで雄弁にそれを伝える。終楽章コーダのほんの少しの加速は心臓の心拍数が僅少に上がる程度で生理的に自然で慎ましい興奮をそそる。ホルンのお姉さんがうまく、オケの各所からブラームスのエキスのような音が滴ってくるドイツ語の素晴らしいブラームスだ。残念ながらこういう音は日本のオケとホールからは絶対に出ない。これに毎週のように浸っていたフランクフルトの3年を思い出して幸せな気分になれた。ブロムシュテットさん、楽員たちのハートから自発的なブラームスへの敬意を引き出しましたね、それを心から愛する作曲者の地元ハンブルグの聴衆にまっすぐに伝わった。感動的な記録です。お元気なうちにこのコンビで全曲録音を残すべきだろうと切に思う(総合評価:5+)

ジョン・バルビローリ / バイエルン放送交響楽団

VPOとのEMIによる全集にも書いたことだが、この指揮者がブラームスに何を感じ何をやろうとしたのか僕には皆目理解不能だ。珍重するのはこれを滋味深いと評する日本人と英国のバルビローリマニアぐらいだろう。元から遅いMov2だけがなんとか耐えられたがMov4”Allegro con spirito“ をどう読むとこんなに遅くなるんだ。BRSOがもたれて再現部直前のObがつんのめっているがごもっともである。異星人のブラームスとしか思えない(総合点:0.5)

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/02/09/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%89/

16. 2022年1月24日 05:18:23 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[19] 報告
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(11)
2021 AUG 17 14:14:32 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2021/08/17/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%91%ef%bc%89/


ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1959)

このライブ演奏はカラヤン51才のものだ。3年前(1956年)にフルトヴェングラーの後を襲ってベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任し、この前年にディオールのトップ・モデルだった3人目の妻エリエッテと結婚している。同年にウィーン・フィルと来日公演を行い、フィルハーモニア管と2番をEMIに録音、数年後にDGにBPOとの最初のブラームス交響曲集を録音する。人生の絶頂時であったことは想像に難くなく、オーケストラが新しいシェフに全幅の信頼で渾身の妙技を見せている。しかも素晴らしいことにフルトヴェングラー時代のBPOの音がする。Mov1は大きなうねりを作るが大仰な作為はまったくなく、なにより歌に満ちているのが最高だ。コーダの弦の高揚は誠に魅力的。Mov2でも弦の表情が濃く音楽は深く呼吸しテンポも呼応する。ポルタメントもかかるが自然で有機的。木管はfl、obの歌が印象的で超一流のオケの音を出している。この楽章は非常に秀逸。Mov3でも木管が活き、ブラームスの語法を骨の髄まで知り尽くした音楽家たちの合奏の喜びが伝わってくる。Mov4はこれでなくてはという素晴らしいテンポで始まる。再現部の第2主題の減速は命懸けで、その弦のコクの濃さはどうだ。コーダはギアチェンジの所でいっときの溜めを作り、熱を加えながら一気に走り抜ける。この解釈は生涯変わることなく、カラヤンという指揮者の音楽性の証明。これを会場で聴いたならその感動は、僕が94年にベルリンで聴いたカルロス・クライバーの4番に匹敵しただろうと想像する(総合点:5)。

リヴィウ国立フィルハーモニック交響楽団

ウクライナの西部の都市リヴィヴの国際指揮者ワークショップ。リヴィヴはポーランドの国境に近くロシアより西欧文化圏の一部だ。8人の指揮者(学生かプロの卵か?)がブラームスの交響曲4つを楽章を割り振って指揮。このビデオは2,4番である。ウクライナ最古のオケはプロフェッショナルに振った通り弾いている感じであり、なかでは4番のMov1チェン氏、Mov4レディンガー氏は中々であった。耳の肥えた本稿の読者の皆様には一興と思う。終わって見れば何やら尋常でないものが聳え立っていたという感興が残る。ブラームスは神だ。

アンドレス・オロスコ=エストラーダ / フランクフルト放送交響楽団

音楽の抑揚が曲想、分節ごとに変転し、第1楽章は歌わせようとすればするほど違和感がある。展開部のテンポのギアチェンジもなくもがなで音楽の本筋に入りこめない。木管も野放図に歌って管弦の音色の統一感に指揮者はまったく意を用いていない。第2楽章の弦のぶつぶつ切れるフレージングは興ざめで、トロンボーンの伴奏が漫然と鳴っていてうるさい。第3楽章は速めのテンポは結構だが主旋律も伴奏もぶつぶつ切れるフレージングなのはいったい何なのか、不可思議というしかなくこれほどレガートを感じない演奏も珍しい。終楽章のテンポは良い。リズムのエッジを効かせて進むのも悪くないが、ティンパニが無意味な爆音を轟かせてみたり、音色のコクがないために p の部分で音楽にすきま風が吹いており、弦の合奏は粗くどう見ても入念の練習を積んだと思えない。棒がドイツ的感性でないためオケが遊離しているのを何とか指揮技術でまとめましたという感じで、音楽が内側からこんこんと湧き出るエネルギーで燃えることがなく、コーダはオケのほうが馬なりにアッチェレランドして安物の空疎な盛り上げで終わる。こういうのを抑えるのが指揮者の仕事なのであって、上掲のカラヤンと比べるだけで失礼だが、雲泥の差である。プロっぽい外形を意味のない個性でアピールしようという指揮者に放送局のオケがそれなりにお仕事でつき合いましたという演奏で、上掲のワークショップのほうがよほど面白い。この指揮者がブラームスを振る意味がどこにあるのかさっぱり理解できないし、こんなものを愛でているドイツの聴衆も放送局も大丈夫だろうかと心配になる(総合点:0.5)。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2021/08/17/%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%b9%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%92%e7%95%aa%e3%81%ae%e8%81%b4%e3%81%8d%e6%af%94%e3%81%b9%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%91%ef%bc%89/

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