http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/123.html
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神隠しというのは村の権力者による殺人事件の事
世間には「犯罪とは都市で起こるものであり日本古来の農村地帯は牧歌的で秩序だっていて、近代の都市部とは違い平和で犯罪はなかった」という誤解があります。
しかし、そういう閉鎖された農村地帯とか地方コミュニュティーというのは実は陰鬱でおかしな犯罪の温床でもあったのです。
例えば、間引き、夜這い、村八分、村の権力者による暴行、強姦、犬神や狐憑き殺人のような迷信や因習に縛られた暴行事件、実は殺人事件であった神隠しなど犯罪行為はゴロゴロありました。
まあ村の女性がレイプ同然に暴行されてたり、村のある一家が村八分で酷い目に合わされたり、嬰児が大量に間引きで処理されても、お上には訴えられず表立った犯罪にはなりにくいということはありますけどね。
「昔は村や地元の秩序状態が犯罪にはなりにくい犯罪を誘引していた」が正解です。
ただ、夜這いについては現代では少々、誤解があり、まるで村の女性が村の男に有無を言わさずレイプされてしまうよう言われてますが、実際は当時の独身女性には貞操観念などなく、しかもセックスは最大の楽しみであり、村の女性たちは
「村の男が私を悦ばせにやってくる」と夜ワクワクして床についたそうです。
薩摩だったかの逸話に村の男が男色に耽り女性とのセックスをサボりだしたのに怒った女性たちが、男たちが集まって男色している所に殴りこんで乱闘になったという逸話すらあります。
「当時の村の女は夜這いによって無理矢理犯された哀れな性奴隷であった」
という現代の誤解は「女性が自分の意思でセックスを求めるわけがない」という歪んだ女性像から来ています。
第二に女性の側にちゃんと自分の体調や相手によっては拒否権があり、
もしも、それを破って強引な夜這いに及んだ男は村八分などの制裁を受けます。
つまり夜這いは「村の男女の性の捌け口であり最大の娯楽」という男女共に楽しめる平等なものでした。
しかし、これもあくまで過去の時代の話しで現代では夜這いは一般的風習にそぐわない単なる犯罪行為になってしまったのも事実です。 夜這いの習慣の名残は各地でトラブルを生みました。
例えば単なる旅行者の女性が村の若者に村の夜這いの習慣によって集団レイプされた事件とか南九州で東京から来ていた女性が地元の男に略奪婚の習慣で拉致されて、親子ともども「うちにもやっと嫁さんが来た」と泣いて喜んだ事件とか表立った騒ぎになった事件がいくつもありました。
あと名張毒ブドウ酒事件とか津山三十人殺しも動機は夜這いのもつれらしく、陰鬱な農村型犯罪です。
他に月ヶ瀬村の殺人や殺人事件とは思いにくいですが「便層で死んだ男」事件などもそのカテゴリでしょう。
http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/526459/
これが日本の農村の風俗
30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査したとき、飲み屋のママが「「毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る」」 とこぼしていた。徳山など西日本の閉ざされた村では、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。
女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。
当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。
夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。
やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。
できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/1805329.html
「夜這い」
筆者は若い頃から民俗学が大好きで、宮本恒一の熱狂的ファンを自認し、その真似事をしながら、山登りの途中、深い山奥の里を訪ねて、その土地の人と世間話をしながら、新しい民俗的発見をすることを楽しみにしていた。
かつて、揖斐川の上流に徳山郷 という平安以前に起源を持つ古い村があって、その奥に能郷白山や冠山という奥美濃山地(両白山地)の名峰があり、このあたりの山深い雰囲気に惹かれて何度も通った。今は無意味な形骸を晒すのみの巨大なダム底に沈んだ徳山の里は、筆者の足繁く通った1970年代には、いくつかの立派な集落があり、春から秋までは渓流釣りマニアでずいぶん賑わったものだ。
そのなかに、名古屋からUターン里帰りした中年女性の経営する小さな飲食店があった。そこでよく食事をして世間話に興じながら、おばちゃんに村の事情を聞いていたが、実におもしろい話がたくさんあった。
一番凄いと思った話は、近所の農家の中学生の娘が妊娠したことがあったが、その相手は祖父だったという。しかし、当時の徳山では、この程度は全然珍しいものでなく、ありふれていると言ったことの方を凄く感じた。
夜になると近所の若者が飲みにくるが、必ず店仕舞のときまでいて「やらせろ!」としつこく強要し、うっとおしくてかなわないという話や、この村では後家女性がいれば、婿入り前の若者たちの性教育係を務めるのが村の伝統的義務とされているというような話も驚かされた。
参考までに、昔の性事情を知らない若者たちに言っておくが、戦前の日本では、とりわけ西日本における古代弥生人の末裔たちの里にあっては、国家によって定められた一夫一婦制結婚形態というのはタテマエに過ぎず、それが厳格に守られた事実は存在しない。つまり適当なものであった、というより、民衆レベルでは自由な乱交が当たりまえであって、生まれた子供が自分の子供である必要はなかった。
というと、ほとんどの若者たちが「ウソー!」と驚くに違いないが、これが真実なのだ。例えば一番典型的だった中国山陽地方の集落では、一つの集落で、結婚まで処女を保つ娘は皆無だった。初潮が始まると、親が赤飯を炊いて近所の若者宅に配る。それが「おいで」の合図となる。その日から娘は離れの座敷に寝泊まりするのである。
これは、山陽地方(西日本の古い農家といってもいい)の古い農家の作りを見れば分かる。必ず夜這いのための娘の泊まり部屋が設けられていたはずだ。古い民俗家屋展示を見るときは、昔のこうした光景を見るのだ。すべての構造に歴史の深い意味が隠されていると知ってほしい。
若者の男たち、ときには、なりすましの親父たちも、赤飯の出た家に夜這いをかけて、初々しい少女を抱いて性欲を満足させたわけで、これなら風俗性産業が必要なはずがない。昔だって男たちに強烈な性欲があった。それが、どのように処理されていたか? 考えながら、赤線・性産業の由来・必要性を考えるのだ。
夜這いの結果、もちろん子供ができてしまうわけだが、生まれた子供が誰の子であっても、事実上関係ない。子供の父親を指名する権利は娘にあった。別に実の父親である必要はなかった。夜這いをかけた誰かの内、一番好きな男を父親に指名するのである。これが、やられる側の娘の権利であった。
夜這いを拒否することは、男にとって大きな屈辱だった。そんなことをすれば後々まで男に恨まれて「八つ墓事件」のような事態が起きかねない。津山殺戮事件の裏には、こんな背景も考える必要がある。
父親を特定することが意味を持つのは、子供たちに受け継がせるべき財産・権力のある有力者に限られていて、持たざる民衆にあっては、受け継がせるべきものもなく、名もない我が子種を残す必要もなく、したがって、女房が誰の子を産もうと、どうでもよいことなのである。
生まれた子供は「みんなの子供」であった。集落全体が一つの大家族だったのだ。みんなで助け合って暮らし、みんなで子供を育てたのであって、小さな男女の家族単位など、権力が押しつけたタテマエ形式にすぎなかった。
タテマエとしての結婚家族制度は、明治国家成立以降、政権が租税・徴兵目的の戸籍制度整備のために、それを強要したのである。
それは権力・財産を作った男性の子供を特定するための制度であった。それは名主・武家・商家・有力者などの権力・財産を「自分の子供に受け継がせたい」インテリ上流階級にのみ意味のあることであり、このために女性を婚姻制度、貞操に束縛したのである。
農民をはじめ一般大衆にとっては、束縛の多い不自由な一夫一婦制など何の意味もなく、たとえ配偶者がいても、誰とでも寝るのが当然であり、生まれた子供は「みんなの子供」であって、集落全体(大家族)で慈しんで育てたのである。
このようにして、かつての日本では夜這いに見られるような自由な性風俗に満ちていた。「集落全体が大家族」という考え方で助け合い社会が成立していて、夫を失った後家は、若者たちの性教育係になり、冒頭の飲食店のオバサンも、徳山の若者たちから、そのように見られていたわけで、決して徳山の若衆が性的変態だったわけではない。
そうした自由な性風俗は1960年あたりを境にして、急速に失われていった。その後、読者が知っているように、女性に貞操観念が求められるようになった理由は、世の中全体が豊かになり、個人が財産を蓄積する時代がやってきたことによるのである。
豊かになれば財産を「自分の子供」に相続させたくなる利己主義が芽生えるのである。「自分子供」を特定するために、誰の子かはっきりさせる必要があり、女性の自由な性を抑圧し、貞操観念に閉じこめる必要があった。
http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10590234.html
1.名無し 2013年07月31日 14:47
この村に限らず村落なんて村八分で人を阻害して楽しむ集団だよ。
東京都でも桧原村とかはまだ普通だけど日原鍾乳洞があるあたりは悲惨なイジメの巣窟だよ。
いつ殺人が起きてもおかしくないし、実際に人殺しがあっても村中で隠ぺいして何もなかったかのように処理するので今まで警察沙汰になったことがないけどこのケースは違ったんだね。
出身者が言うんだから間違いない。
8.名無し 2013年07月31日 18:01
疎外されたと簡単に言うけど小さい村での疎外って恐ろしい孤独を意味するんだよ
俺たちのようにその気になれば一人で生きていけるというような都会の面影はない
悪い事に権力者が必ず変な思想をもっていて主観でとんでもない依怙贔屓をする
「しきたり」という言葉を聞いたことがあると思う。この「しきたり」というのは村では憲法よりも絶対的な力をもっていて、それに背くと拷問や虐待が待っている。
今回の犯人はその「しきたり」を破っただけなのだと思う。ただ逆ギレして相手を殺した。
村側が人殺しをした場合は口裏を合わせて死体を隠すが、今回は村側が被害者なので警察を介入させたってことだよ。
15.名無し 2013年08月01日 05:15
田舎は良い = 間違った幻想
イジメで結束をはかるのは、集団心理そのもの。
「イジメはいけません」と言っている大人がイジメてるんだからイジメが無くなる訳がない。村の隠蔽体質は未解決事件に深く関わっているんじゃないだろうか。
21.名無し 2013年08月01日 18:35
田舎のじみん支持者は本当に意地悪だし、きたない手を躊躇なく使うよ。
選挙でお金ばらまくとか、対立候補の悪い噂のビラとかは余裕。
山口なんて、どんだけ思い上がったじい様、婆様がいるか想像しただけで怖い。
http://amaebi.net/archives/2077600.html
▲△▽▼
5.名無し 2013年08月01日
2chで東京都の奥多摩にある鍾乳洞付近の村落の出身者で自分や自分の家族が遭わされてきた村八分の恐怖について詳細に語ってた。
まるで南北戦争前のアメリカの黒人のような扱いだわ。
畑は無残に荒らされ、娘はレイプされ、二男はたぶん殺されて行方不明。
村人全員が口裏を合わせて嘘の供述するから警察なんて何の役にもたたない。
韓国を小さくして村レベルにすると、そっくりそのまま同じイメージになる。
日本人としては絶対に許し難い行為だよな。
9.名無し 2013年08月01日
同和を甘く見ない方がいいよ。人殺しなんてなんとも思っちゃいない。
12.名無し 2013年08月01日
トリックの映画に出てきた村人を連想してしまった。
確かに人殺しなんてなんとも思っていない連中だった。
フィクションだとばかり思っていたが実際にあるんだな。
15.名無し 2013年08月01日
閉鎖的な田舎なら余所者は村八分にされるなんて珍しくないぞ
優しそうな婆さんが平気で若者に嫌がらせしてるなんて田舎じゃよく聞く話
今でも大昔の風俗に縛られてる村もあるらしいし
15年くらい前に山奥の村で大地主に若い女の子が監禁されてるって事件あったじゃん
女の子がむらの風習に従わなかったから母親も同意したとか言うやつ
山奥の田舎はマジで昭和どころか江戸時代の世界だよ
あんなことするのは全部韓国人とか思ってるお花畑野郎もいるみたいだけど
http://amaebi.net/archives/2078052.html
日原鍾乳洞殺人事件
暑さを避けるために、奥多摩にある日原鍾乳洞へ行って来ました。
思った以上に涼しいっていうか、むしろ寒いっ!
外の気温は30度を超えているのに、洞窟内の温度計をみたら8度くらいしかなかったです。おまけに中は足場が悪くてジメジメしてて、異常に急勾配な階段がたくさんあって、心体ともにヒヤヒヤしました。
ドラクエのダンジョン気分を満喫して、上機嫌で外に出ると、出口付近にこんな看板が……。
「この付近で20〜40歳くらいの女性の手足首、バリバリになった太くて長く黒い髪の毛が発見されました。不審者を見かけたかたはご連絡ください」
すっかりへこんで奥多摩をあとにしました。髪の毛の描写が生々しすぎます。
日原街道脇崖下女性死体損壊・遺棄事件 :警視庁
あなたの周りで、いなくなった人はいませんか?
西多摩郡奥多摩町の日原川沿いにおいて
右手首・左手首・左足首〜3月11日
右前腕部 〜3月12日
がバラバラの状態で発見されるという事件が発生しました。
発見月日 平成15年3月11日(火) 12日(水)
発生場所 東京都西多摩郡奥多摩町日原街道脇崖下
情報提供 日原街道(日原トンネル東側付近)の道路上に車を止め不審な行動をしていた人・車両を目撃された方はどんな些細なことでも結構です。 情報をお寄せください。
警視庁青梅警察署捜査本部
直 通 0428−21−1496
署代表 0428−22−0110 (内線6514〜6)
- 楢山節考 中川隆 2021/8/02 17:40:01
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