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外交努力で戦争を回避することはできないのか…ゼレンスキーには3年間の時間があった/高野孟・日刊ゲンダイ
公開日:2022/07/07 06:00 更新日:2022/07/07 06:00
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/307875
この3年、ウクライナのゼレンスキー大統領(中)は、ドネツク・ルガンスク両州に適切な自治制度を作り出せなかった(左はショルツ独首相、右はマクロン仏大統領)/(C)ゲッティ=共同
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毎日新聞6月29日付「記者の目」欄で同紙カイロ支局の真野森作記者が、先輩である伊藤智永専門編集委員の4日付の論考「ゼレンスキー氏は英雄か」に噛み付いているが、私の見立てでは真野が●、伊藤が○である。
伊藤は、ゼレンスキーが戦争を止める外交努力を怠り、それゆえにこれだけの戦争被害を出したことへの政治責任を免れないと指摘した。それに対して真野は「露政府はだまし討ちで全面侵攻を始めた。最後通告のない奇襲を外交でどう止められただろうか」と反論しているが、これは事実を知らぬ者の妄言である。
2013年11月にキーウで始まった市民デモは、米国官民の公然たる支援でたちまち武装反乱に発展、14年2月親露派の大統領が追放され、5月に親米派のポロシェンコ大統領が就いた。この急激な展開で、ウクライナが一気にNATO加盟にまで突き進むのではないかと恐れたロシアは、元々はロシア領であり露黒海艦隊の母港セバストーポリをも抱えるクリミアについては即刻、露領に編入した。この時、ウクライナ東部のロシア系市民の比重の大きいドネツクとルガンスクの2州でもロシアへの併合を求める動きが高まったが、プーチンはそれを許さず、あくまでもウクライナ国家の内で一定の自治を実現すべきとして、14年9月にウクライナ、ロシア、両州の4者による「ミンスク議定書」を結び、さらに翌年には仏独も入った「ミンスク議定書2」を結んだ。
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