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ふたつの世界大戦を挟んだ時期、中欧で計画されたインテルマリウム復活の意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202207030000/
2022.07.04 櫻井ジャーナル
ラトビアのリガで6月20から「三海洋イニシアチブ」の首脳会議が開かれ、ウクライナの加盟が事実上決まったようだ。名称に含まれる「三海洋」とはバルト海、アドリア海、黒海を指す。
この集まりは2015年にポーランドとクロアチアが主導して組織され、現在加盟している国はオーストリア、ブルガリア、クロアチア、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニア、スロバキア、スロベニア。そこにウクライナが加わるわけだが、その上にはアメリカとイギリスが存在している。
ウォロディミル・ゼレンスキーが大統領を務めているウクライナの現体制は2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権が仕掛けてクーデターによって作り出された。ウクライナの東部や南部、つまりロシア語を話し、ロシア正教の影響下にある地域を支持基盤にしていたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したのだ。
東部や南部の人びとはクーデター政権を拒否、南部のクリミアでは住民投票を経て人びとはロシアとの統合を選んだ。東部のドネツクでは自治を、ルガンスクは独立をそれぞれ住民投票で決めたが、クーデター政権が送り込んだ部隊と戦闘になり、戦争が続いている。オデッサではネオ・ナチの集団が反クーデター派の住民を虐殺、制圧してしまった。
ゼレンスキー政権はドネツクとルガンスク、つまりドンバスを制圧してロシア語系住民を「浄化」する作戦を3月から開始する予定だったことを示す文書がロシア軍によって回収されているが、このプランは成功しそうにない。
ある時期までドンバスを占領してきたウクライナ内務省の親衛隊は住宅地域に攻撃拠点を築き、住民を人質にしてロシア軍に対抗していたものの、戦況は圧倒的に不利だった。ここにきてウクライナ兵の離脱が目立っている。
ドイツの情報機関「BND(連邦情報局)」が分析しているように、このまま進むと、ゼレンスキー政権が送り込んだ部隊は7月いっぱいで抵抗を終えざるをえなくなり、ロシア軍は8月にドンバス全域を制圧できると見られている。
ジョージ・ソロスやネオコンはウクライナに対し、ロシア軍と戦い続けろと言っているが、ヘンリー・キッシンジャーはスイスのダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で、平和を実現するためにドンバスやクリミアを割譲するべきだと語っている。
そうした状況の中、ゼレンスキー大統領は「三海洋イニシアチブ」へ参加する意思を示し、事実上認められたわけだ。軍事的な抵抗をやめざるをえなくなることを見通しての布石だろう。
このイニシアティブは第1次世界大戦の後に始まった運動「インテルマリウム」の焼き直しである。バルト海と黒海にはさまれた地域ということでこのように名づけられたようだ。
これはポーランドで反ロシア運動を指揮していたユゼフ・ピウスツキが中心になって始められ、そのピウスツキは日露戦争が勃発した1904年に来日し、彼の運動に協力するよう、日本側を説得している。
ポーランドでは1925年に「プロメテウス同盟」という地下組織が編成され、ウクライナのナショナリストも参加したのだが、ポーランド主導の運動だったことから離反するウクライナの若者が増え、OUN(ウクライナ民族主義者機構)が組織された。
中央ヨーロッパには16世紀から18世紀にかけて「ポーランド・リトアニア連邦」が存在していたが、その領土が最大だった1600年当時の連邦をピウスツキは復活させようとしていたようだ。それがインテルマリウム。この地域はカトリックの信徒が多く、ローマ教皇庁の内部には中央ヨーロッパをカトリックで統一しようという動きがあり、インテルマリウムと一体化していく。
中央ヨーロッパを統一しようという動きでは、ブリュッセルを拠点としたPEU(汎ヨーロッパ連合)も関係してくる。この組織はオットー・フォン・ハプスブルクやリヒャルト・フォン・クーデンホーフ-カレルギーらによって1922年に創設され、メンバーにはウィンストン・チャーチルも含まれていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
チャーチルはイギリスの貴族を父に、アメリカの富豪を母に持つ人物で、ロスチャイルド家の強い影響下にあった。そのイギリスは19世紀にロシアを制圧するプロジェクトを始めている。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。
そうした戦略をまとめ、1904年に「歴史における地理的要件」というタイトルで発表したハルフォード・マッキンダーは地政学の父と呼ばれている。その後、アメリカやイギリスの戦略家はマッキンダーの戦略を踏襲してきた。その中にはジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もマッキンダーの理論に基づいている。インテルマリウムはマッキンダーの戦略に合致し、ロシアを制圧する上で重要な意味を持つ。
マッキンダーの理論はユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配、内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧するというもの。この戦略を成立するためにスエズ運河が大きな意味を持つことは言うまでもない。
この運河は1869年に完成、75年からイギリス系の会社が所有している。そのスエズ運河会社の支援を受け、1928年に創設されたのがムスリム同胞団だ。後にイギリスはイスラエルとサウジアラビアを建国、日本で薩摩や長州を支援して「明治維新」を成功させているが、これもイギリスの戦略に合致している。
インテルマリウムはポーランド人ナショナリストの妄想から始まったが、カトリック教会の思惑やイギリスやアメリカの戦略にも合う。米英にとって西ヨーロッパ、特にドイツ、フランス、イタリアは潜在的なライバル。20世紀にあったふたつの世界大戦はこの3カ国をライバルから潜在的ライバルへ引き摺り下ろすことになったが、復活する可能性はある。
第1次世界大戦が始まる直前、帝政ロシアでは支配層の内部が割れていた。帝国は大地主と産業資本家に支えられていたが、対立が生じていた。大地主がドイツとの戦争に反対していたのに対し、産業資本家は賛成していたのだ。
大地主側の象徴がグリゴリー・ラスプーチンであり、産業資本家側には有力貴族のフェリックス・ユスポフがいた。ユスポフ家はロマノフ家を上回る財力があるとも言われる貴族で、イギリス人を家庭教師として雇っていた。
その家庭教師の息子で、ユスポフ家の邸宅で生まれたステファン・アリーは成人してからイギリスの情報機関MI6のオフィサーになった。またフェリックスは後にイギリスのオックスフォード大学へ留学、そこで親友になったオズワルド・レイナーもMI6のオフィサーになる。
ラスプーチンが暗殺未遂事件で入院したこともあり、ロシアは参戦するが、ラスプーチンは戦争反対の意見を変えない。そうした中、イギリスはMI6のチームをロシアへ送り込んだが、その中心メンバーはアリーとレイナーだった。ラスプーチンを射殺したのはユスポフだと一般的には言われているが、殺害に使われた銃の口径などからレイナーが真犯人だとする説もある。
1917年3月の「二月革命」でロマノフ朝は崩壊、産業資本家を中心とする体制ができあがり、戦争は継続されることになった。それを嫌ったドイツは即時停戦を主張していた亡命中のウラジミル・レーニンに注目し、ボルシェビキの指導者を列車でモスクワへ運び、同年11月の「十月革命」につながる。こうした経緯があるため、ナチスが実権を握るまでソ連とドイツの関係は良好だった。米英の巨大金融資本がナチスのスポンサーだったということは本ブログで指摘してきた通りだ。
ソ連/ロシアとドイツが手を組むことを米英の支配層は嫌う。アメリカのジョー・バイデン政権が行っているロシアに対する「制裁」で最も大きなダメージを受けるのは西ヨーロッパだ。
ソ連/ロシアと西ヨーロッパを分断するインテルマリウムは米英の戦略に合致すると言える。インテルマリムに「三海洋イニシアチブ」という新しいタグをつけて復活させた意味は言うまでもないだろう。
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