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ダイアナ妃、その死に関して新事実が浮上/フィガロ
Culture 2017.08.22
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「僕の望みは、母が僕をとっても誇りに思うこと。僕には母から受け継いだものがたくさんある。母が行っただろうことを、僕もたくさんしている」とハリー王子は2016年5月に「ピープル」誌のコラムに語っている。(ハイグローヴ、1986年7月18日)photo:Abaca
ダイアナ妃が亡くなった夜に乗っていた車は、事故車だった
ダイアナ妃の死から20年近く経って、新たな材料が見つかった。1997年8月31日、ウェールズ公妃ダイアナは、パリ、アルマ橋下のトンネル内で起きた交通事故で命を落とした。車には、ダイアナ妃の当時の恋人ドディ・アルファイドが同乗しており、同じくこの衝突事故で亡くなっている。
あの忌まわしい自動車事故についての新情報を提供してくれるのは、『ダイアナの死:驚きの新事実』と題された、5月30日にフランスのテレビ局M6で放映される新作ドキュメンタリーだ。番組の主な根拠となったのは、ジャン=ミッシェル・カラデック著『誰がダイアナ妃を殺したのか』である。
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廃棄されるはずだった車
M6で取り上げられたジャン=ミシェル・カラデックの著作によると、ダイアナ妃の死について調査する際、警察はある点を見逃していたらしい。彼女が乗っていた車の経歴だ。ドキュメンタリーによると、ドディ・アルファイドとダイアナ妃を乗せたメルセデスは、事故車だったという。1994年、つまり、ダイアナ妃の死亡事故の3年ほど前に、その車は別の衝突事故を起こしている。
車を調べた 保険会社によれば、自動車は修理不能で、廃棄されることになっていた。しかし、物事はしかるべき道筋を辿らない。修理業者に渡った後、自動車はエトワル・リムジン社に売却されているのだ。それがすなわち、ドディ・アルファイドとダイアナ妃の車を手配した会社だったというわけだ。
そして、ふたりは不運にも、路上に戻るはずのなかった危険な車に当たってしまった。リッツの警備長で、事故の夜運転手をつとめ、やはり1997年8月31日に亡くなったアンリ・ポールは、ハンドルを制御し切れなくなり、そのまま車はトンネルの柱に激突したのだという。
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「ウィリアムと僕は、人生をふたつに分けることができる。父と母が現実に側にいた幸せな年月。そしていま、母が亡くなってからの10年」。母の没後10年の機会にハリー王子が胸を詰まらせて語ったスピーチ。
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