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アメリカやイギリスのジャーナリズムも、とうにくたばっている
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2021.12.12 櫻井ジャーナル
むのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言したという。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)
この指摘に同意しても、「日本のNHKは駄目だが、イギリスのBBCは素晴らしい」、「朝日新聞は駄目だが、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは素晴らしい」と言う人もいる。が、イギリスやアメリカでも「ジャーナリズムはとうにくたばった」のである。
アメリカに「言論の自由」があるとする根拠として、ワシントン・ポストが「ウォーターゲート事件」を暴いた話を持ち出す人もいる。その事件の取材はボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインというふたりの若手記者が中心になって行われた。
ウッドワードは記者になる直前に海軍の情報将校だった人物で、トーマス・モーラー海軍作戦部長(後に統合参謀本部議長)とアレキサンダー・ヘイグとの連絡係を務めていた。そこで1969年から70年までホワイトハウスに出入りしている。当時、ヘイグはヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官の軍事顧問だ。そのウッドワードをワシントン・ポストのポール・イグナチウス社長がメディアの世界へ導いた。(Russ Baker, “Family of Secrets”, Bloomsbury, 2009)イグナチウスは1969年まで海軍長官を務めていた。
ウッドワードの上司になるベンジャミン・ブラドリーは大戦中、海軍情報部に所属していた人物。ブラドリーが再婚したアントワネット・ピノチョトの姉、マリーはCIAの幹部だったコード・メイヤーと結婚している。離婚後、ジョン・F・ケネディと親密な関係になった。ブラドリーはパリのアメリカ大使館で働いていたこともあるが、その際にアレン・ダレスの側近で秘密工作に関わっていたジェームズ・アングルトンに協力している。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
こうした背景を持つウッドワードだが、記者としては素人。そこで取材はバーンスタインが中心になって行われた。そのバーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。
その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
デボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』もCIAによるメディア支配の一端を明らかにしている。彼女によると、第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃にアメリカでは「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトがスタートしている。
そのプロジェクトを指揮していたのは4人で、第2次世界大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979)
CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらない。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。
彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていた。
しかし、それでも1970年代まではメディアを支配するネットワークの隙間で気骨ある記者が活動することはできた。CIAの秘密工作や戦争犯罪を暴く記事も書かれている。
例えば、1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のとミケ集落において引き起こされ、村民が虐殺されている。アメリカ軍によると、犠牲になった村民の数はミライだけで347人、ベトナム側の主張ではミライとミケを合わせて504人だされている。この虐殺はCIAが実行していた秘密工作「フェニックス・プログラム」の一環として実行されたと言われている。
そのCIAの秘密工作を偵察ヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉が介入、虐殺を止めさせてしまった。トンプソンを含む兵士がこの虐殺を議員に伝えているが、動きは鈍かった。虐殺を目にしたはずの従軍記者や従軍カメラマンは報道していない。それにもかかわらず表面化したのは、兵士の告発を耳にしたシーモア・ハーシュが書いた記事をAPが配信してからだ。ベトナムやラテン・アメリカにおけるCIAの破壊や殺戮、あるいは麻薬取引が表面化すると、アメリカのイメージは悪化した。
1982年9月になると、レバノンのパレスチナ難民キャンプのサブラとシャティーラで虐殺事件が引き起こされ。ベイルートのキリスト教勢力、ファランジスト党のメンバーが実行したのだが、その黒幕はイスラエル。ファランジスト党の武装勢力はイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧、その際に数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと言われている。
この事件によってイスラエルのイメージは大きく低下、イギリスの労働党は親イスラエルから親パレスチナへ軸が移動した。そうした動きを危惧したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。それがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)だが、この特徴は少なからぬ編集者や記者も参加していたことにある。メディア支配を強めたと言える。
私的権力のメディア支配が徹底される一方、インターネットで情報を発信する人びとが登場、さらに内部告発を支援するウィキリークスが登場する。現在、インターネットの検閲が強化され、ウィキリークスのジュリアン・アッサンジが逮捕、拘束され、彼を暗殺しようとしたアメリカ政府へ引き渡されようとしている。
アメリカやEUの私的権力は自由や民主主義を否定している。アメリカは「自由で民主的な正義の国」を目指して誕生、悪さをしているのは個人や特定の組織だという考え方は正しくない。妄想、あるいは信仰であるが、アメリカの現実を直視すると自分の「立ち位置」が崩れてしまうと恐れている人もいるようだ。
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