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ヌランド国務次官がロシアを緊急訪問しなければならなかった理由は何か?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110140000/
2021.10.14 櫻井ジャーナル
2019年からロシアへの入国が禁止されていたビクトリア・ヌランド米国務次官が10月11日にモスクワを訪問した。この訪問を実現するためにアメリカ政府は「制裁」リストからロシア外交官を外したという。
それだけのことをしてジョー・バイデン政権はヌランドをロシアへ送り込んだのだが、セルゲイ・ラブロフ外相やウラジミル・プーチン大統領とは会談できなかったと言われている。それでもロシア政府と接触しなければならない理由があったのだろう。
バラク・オバマ政権は2013年から14年にかけてウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒すためにクーデターを仕掛けたが、この工作で中心的な役割を果たしたのは国務次官補を務めていたヌランド、ホワイトハウスで指揮していたのは副大統領だったジョー・バイデンだと言われている。
ヤヌコビッチ政権の打倒を目指すクーデターが始まるのは2013年11月。首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始められ、12月になると集会への参加者は50万人に達したと言われている。
この混乱をEUは話し合いで解決しようとしていたが、暴力を使おうとしていたヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットと電話で話している際、「EUなんかくそくらえ」と口にした。
ヤヌコビッチは2014年2月22日に排除されるが、2月4日にこの音声はインターネットで公表されている。その会話の中でヌランドはクーデター政権の閣僚人事について指示、彼女はアルセニー・ヤツェニュクを強く推していた。実際、クーデター後にヤツェニュクが首相に就任している。
クーデターの際、多くの人が広場で狙撃されたが、狙撃したのはクーデター派だったことは本ブログでも繰り返し書いてきた。2月25日にキエフ入りして現場を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったイギリス人のキャサリン・アシュトンへそのように報告している。2017年11月にはイタリアの放送局が狙撃手の証言を放送、パエトの報告を裏づけた。狙撃の指揮者はクーデター派の幹部だったアンドレイ・パルビーだ。
ヌランドをはじめとするネオコンはウクライナの大統領を排除することには成功した。新体制ではネオナチが大きな影響力を持ち、今では破綻状態。クーデター政権はロシアからEUへ天然ガスを運ぶパイプラインをコントロールすることで儲けようとしたのかもしれないが、迂回ルートが作られて思惑は外れた。ウクライナもエネルギー危機に巻き込まれている。
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