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出だしは遅れたが、アメリカ軍は予定通りアフガニスタンへの空爆を開始
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108310000/
2021.08.31 櫻井ジャーナル
タリバーンがカブールを制圧する際、アメリカ軍はCIAが拠点にしていた「イーグル基地」を破壊したという。CIAはタリバーンがカブールを包囲するまでに30日から90日を要すると見通していたのだが、装置や書類などを持ち出す余裕がなかったのかもしれない。基地を残し、タリバーンに使われることも嫌ったようだ。
しかし、アフガニスタンからCIAが引き上げるわけではない。CIAのエージェントやアメリカ軍の特殊部隊員は残り、傭兵を含む1万6000名以上の「民間契約者」も留まる。アメリカ軍の特殊部隊は歴史的に軍本体よりCIAとの関係が強い。
1939年9月にイギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告、41年6月にドイツはソ連に対する奇襲攻撃を始める。「バルバロッサ作戦」だが、この作戦でドイツはソ連攻撃に310万人を投入、西側には約90万人だけを残した。西側からの攻撃を考慮しない非常識な作戦はアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。実際、西側の国々はドイツ軍と戦わない。事実上、レジスタンスだけが戦っていた。その主力はコミュニストだ。1940年9月から41年5月までドイツ軍はイギリスを空爆しているが、これはバルバロッサ作戦の準備を隠すための陽動作戦だろう。
当初、イギリスのウィンストン・チャーチル政権やウォール街のアレン・ダレスたちはドイツが圧勝すると予測、静観していた。ドイツ軍は1941年7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。ドイツだけでなく、イギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたという。
しかし、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入するものの、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的で、日本の負けは決まった。
この敗北に慌てたイギリスはアメリカとその年の5月に協議、両国軍は1943年7月にシチリア島へ上陸している。シチリア島でもコミュニストが住民に支持されていたため、アメリカ軍はコミュニスト対策として犯罪組織と手を組んだ。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。
1943年の後半にアメリカとイギリスの情報機関はレジスタンス対策のため、特殊部隊を組織した。「ジェドバラ」だ。フランスでの作戦が一段落すると、隊員の多くは東南アジアへ移動して日本軍と戦う。
大戦が終了するとジェドバラは解体されるが、人脈は消えない。一部は軍の特殊部隊になり、一部は極秘の破壊工作部隊OPCになる。この極秘機関は1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレス副長官としてCIAへ乗り込んできた。このOPC人脈が中心になり、破壊工作を担当する計画局が設置された。1970年代に計画局の存在が議会の調査で明らかにされると、名称を作戦局へ変更、2005年10月にはNCS(国家秘密局)になり、15年3月には再び作戦局へ名称を変更する。
大戦後、要米諸国は植民地の再支配を目論み、アメリカやイギリスは中国をコミュニストの手から取り戻し、ソ連を殲滅する作戦を始動させる。フランスはベトナムで戦争を始めた。
しかし、ベトナムでフランス軍は1954年5月にディエンビエンフーで敗北、その直前の54年1月にジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてアレン・ダレスが率いるCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。この段階でアメリカの「ベトナム戦争」は始まっている。この軍事介入を終わらせようとしたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
CIAは特殊部隊と手を組み、1964年2月から北ベトナムに対する破壊工作をスタートさせる。そして同年8月にトンキン湾事件を引き起こして本格的な軍事介入を開始、67年から住民を皆殺しにする「フェニックス・プログラム」を始動させた。抵抗の基盤になる共同体の破壊が目的だったとも言われている。
1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落で、ウィリアム・カリー大尉が率いる小隊が住民を虐殺した。アメリカ軍によると犠牲者の数はミライ地区だけで347名、ベトナム側の主張ではミライ地区とミケ地区を合わせて504名だという。この虐殺はフェニックス・プログラムの一環だった。
カリー大尉の小隊は第23歩兵師団に所属していたが、この師団に後の国務長官もいた。コリン・パウエルだ。1968年7月に少佐としてベトナム入りしているが、2004年5月にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、その師団がソンミ村で住民を虐殺したことを認め、自分も現場へ入ったと語っている。パウエルは「上官が聞きたくない情報」をもみ消すことが役目だったという。
このフェニックス・プログラムと似た作戦をアメリカはアフガニスタンで展開中だと言われている。CIAと特殊部隊で編成された「オメガ・プログラム」だ。その下でKPF(ホウスト保護軍)や前体制のNDS(国家保安局)が活動していると見られている。バラク・オバマ政権が作り上げたダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)の一派で、西側のメディアからはISIS-K(ホラーサーン)と呼ばれている武装勢力もCIAの手先として活動している可能性がある。
今後、ISIS-Kがどのような役割を演じるかは明確でないが、CIAと米軍特殊部隊はタリバン政権を倒し、アフガニスタン周辺を戦乱で破壊しようとするだろう。それに対してタリバーンはCIAのネットワークを摘発している。タリバーンとCIAの戦いだ。
アメリカはISIS-Kの攻撃を口実としてアフガニスタンにミサイルを撃ち込み始めた。タリバーンの動きが速く、アメリカは出遅れたものの、ドローンを使った攻撃は予定通りのはずだ。シリアなどではアル・カイダ系武装集団やダーイッシュでなく、市民を殺し、インフラを破壊してきた。ロシア、中国、イランなどによるアフガニスタンの再建を阻止することも重要な目的だろう。
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