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2021年7月12日 17時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116138?rct=world
日露戦争や社会主義革命が続いた20世紀初め、ロシア極東で布教に取り組んだ三重県四日市市の仏教僧、太田覚眠かくみんが注目を浴びている。ソ連の独裁者スターリンに会った印象を名古屋新聞(中日新聞の前身の1つ)に寄稿するなど、ジャーナリズムでの活躍が顕著だ。ソ連誕生という世界史の大事件は、異能の宗教家の目にどう映ったのか。(ウラジオストクで、小柳悠志)
日本で浦潮うらじおと呼ばれたロシア極東の港町ウラジオストク。旧日本人街で近代的な商業施設から路地に入ると、一転して古い民家が並ぶ。はためく洗濯物が下町情緒を漂わせている。
「かつて、この建物の正面に菊の御紋が飾られていた」とロシア極東連邦大学のゾーヤ・モルグン教授が指さした。ここには浄土真宗本願寺派の布教所(後の浦潮本願寺)と浦潮日本人小学校が入居していたという。
覚眠がウラジオストクに渡った1900年代初め、浦潮小学校で校長をしていたのが与良松三郎。後に名古屋新聞の社長となる教育者兼ロシア語通訳だ。覚眠は与良とともにロシア分析にいそしみ、名古屋新聞で数多くの記事を発表することになった。
約30年にわたるロシア滞在で覚眠が気づいたのが、権力の一極集中を生むロシア民衆の精神的な土壌だ。
ロシア革命後のレーニンに対する民衆の熱狂的な支持を「レーニン宗」と呼び、名古屋新聞でも「国民はレーニンを神様同然に見て、レーニンの一言一行が聖書のごとく尊ばれている」と解説した。宗教を否定する社会主義で、逆に指導者の神格化が進む矛盾を早くから見抜いていた。
モルグン教授は「社会主義を宗教と捉える視点も、ロシア人が強い指導者を求める傾向に着目する点も、的を射ている」と語る。
覚眠はモスクワでスターリンと会った時の印象も名古屋新聞に寄せている。秘書にねじ込み、スターリンと数分の面談を許された際、覚眠が「この国がレーニン、カリーニン(ソ連初期の革命家)、スターリンと3代続けて統領が『イン』と韻を踏んでいる」と語ると、スターリンは喜色満面となり「あなたの名前カクミンも『イン』で終わる」と冗談で応じたという。
この逸話は元愛知産業大非常勤講師の松本郁子さん(41)が京都大大学院在籍中、中日新聞社に保管されていた新聞から発見。日ロで脚光を浴びるようになり、一昨年にはロシア紙「極東ベドモスチ」でも紹介された。
覚眠はロシア報道の先駆け的な存在。民衆の声を集めつつ、クレムリン(指導部)の序列を観測する手法は現在でも多くのメディアが踏襲している。
覚眠は人道主義者としても知られる。日露戦争の勃発後、内陸で置き去りになった貧困層の邦人を救おうと現地に赴き、欧州経由で数百人を脱出させることに成功した。日本軍の従軍布教も行った。
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