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自宅で息を引き取ったラムズフェルドの血とカネにまみれた人生(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107060000/
2021.07.06 櫻井ジャーナル
ジョージ・W・ブッシュ政権でも国防長官に就任したドナルド・ラムズフェルドはネオコンの戦略家であるアンドリュー・マーシャルの助言に基づき、中国を脅威だと叫ぶ。1991年12月にソ連というライバルが消滅、その後に潜在的なライバルと見なされた中国が新たなターゲットになったわけである。これは1992年2月に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンと符合している。
ラムズフェルドは2001年12月に統合参謀本部の作戦部長だったグレゴリー・ニューボルド将軍をオフィスに呼びつけ、イラク侵攻作戦について報告させた。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)
ネオコンが偽情報を流していることは、軍の上層部も認識、ニューボルドも後にイラク侵攻作戦に反対し、退役に追い込まれる。このほかにも統合参謀本部にはイラク攻撃に反対する軍人はすくなくなかったと言われている。イラク侵攻作戦を開始する前、エリック・シンセキ陸軍参謀総長が議会でラムズフェルドの戦略を批判、グレグ・ニューボルド海兵隊中将も2002年10月に統合参謀本部の作戦部長を辞している。そのほかアンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将もラムズフェルド長官を批判している。
CIAの内部でもイラクの大量破壊兵器に関する情報が信頼できないことは早い段階から認識され、イラク侵攻に疑問を持つ人もいただろう。そこでイラク攻撃をCIAの内部に浸透させる作業も行われた。例えば、2002年11月に中東全域のCIA支局長がロンドンに集められ、CIAのIOG(イラク作戦グループ)は参加者に対し、戦争は決定済みであり、嫌なら辞めろと脅したという。(James Risen, “State of War,” Free Press, 2006)
こうしたことが行われていたとなれば、「大量破壊兵器」に関する情報が信頼できないとする情報はコリン・パウエル国務長官の耳にも入っていただろうが、パウエルは2003年2月に国連でフセイン政権が間違いなく生物兵器を開発、生産能力もあると主張した。
国連でパウエルがプレゼンテーションした9日後、UNMOVIC(国際連合監視検証査察委員会)のハンス・ブリックス委員長とIAEA(国際原子力機関)のモハメド・エルバラダイ事務局長が同じ場所に登場、調査は継続中で、大量破壊兵器の存在を示す証拠は見つかっていないと発言している。これを聞いたパウエルは激怒したというが、勿論、イラクに大量破壊兵器は存在しなかった。
そもそもイラクでアメリカ政府が何をしようとしているかをパウエルは知っていたはずだと1991年から98年までUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターは書いている。パウエルは1989年から93年まで、軍のトップである統合参謀本部議長を務めていた。
2003年のイラク侵攻は1991年に行われた湾岸戦争の続編。湾岸戦争でジョージ・H・W・ブッシュ大統領がフセインを排除しなかったため、ネオコンは激怒、ウォルフォウィツはイラク、シリア、イランを壊滅させると口にしている。
1991年にパウエルはリッターが所属していたUNSCOMを情報収集の道具として使うため、アメリカ軍のエリート部隊員をCIAの特別行動部門へ編入することを止めさせたという。
パウエルは統合参謀本部議長としてCIAのIOGが存在していることを認識していただけでなく、フセインを排除するためにCIAがミサイルに関する間違った情報を主張していたことも知っていた。パウエルはベトナム戦争時代、権力者にとって都合の悪い事実を隠蔽することで出世したと言われている人物だ。パウエルとラムズフェルドは仲間だと言えるだろう。
ラムズフェルドはフォード政権で国防長官を務めた後、1977年から85年にかけてGDシアーレという医薬品会社の経営に携わっている。当時、この会社は経営状況が悪化していて新薬で苦境を脱しようと目論んでいたが、その薬をFDA(食品医薬品局)は認可しない。薬品の検査報告が偽造されていた疑いがあったのだ。悪性腫瘍を良性と偽り、死んだラットを生きていることにしていたという。そんなときにラムズフェルドは経営者として迎え入れられたのである。
FDAは検察に対してGDシアーレの違法行為を伝えたが、FDAの規定が曖昧だという理由で不起訴になった。この件を担当した検事はジョージ・H・W・ブッシュ政権で運輸長官に就任したサム・スキナーだ。
この会社は人工甘味料でもFDAと対立していた。この物質は脳に病変を起こすとワシントン大学医学部のジョン・オルニー博士が証明、安全だと主張する会社側と対立する。
1980年9月に問題の甘味料を許可しない評決が出たが、この年の大統領選挙でロナルド・レーガンがジミー・カーターの再選を阻止した直後にFDAの局長は解任され、政権発足後の4月には新しい局長としてアーサー・ハル・ヘイズが就任。ヘイズは1981年7月、問題の人工甘味料を認可した。
ラムズフェルドは1997年から2001年までギリアド・サイエンシズという医薬品メーカーの会長を務めていた。2009年1月から10年8月にかけて「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」が流行した時、インフルエンザの特効薬としてタミフルが宣伝されたが、その薬を開発したのがギリアドだ。タミフルの評判は芳しくなく、需要が伸びない。そうした状況の中、2005年にアメリカの国防総省はタミフルを備蓄する目的で10億ドル以上の予算を計上、日本も大量に買っている。その時の国防長官はラムズフェルドだ。
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