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COVID-19ワクチンの犠牲者は増え続け、VAERSへの報告では6985名が死亡
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107020000/
2021.07.03 櫻井ジャーナル
アメリカのCDC(疾病予防管理センター)とFDA(食品医薬品局)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」を接種して間もなく死亡したと6月25日までに報告された人数は6985名に増えた。
アメリカ軍の調査でもmRNA(メッセンジャーRNA)技術を使ったファイザー製とモデルナ製の「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」が心筋炎を引き起こすという結果が出た。これらを含め、「COVID-19ワクチン」が深刻な副作用を引き起こすことは間違いないと言えるが、通常のワクチンと違い、被害者は法的に救済されないという。「ワクチン」推進派はその危険性を知っているのだろう。
アメリカにおける生物化学兵器の研究開発はフォート・デトリックを中心にして行われている。ここにUSBWL(陸軍生物兵器研究所)が創設されたのは1943年。当時はキャンプ・デトリックと呼ばれていた。第2次世界大戦後、ここへ生物化学兵器に関するドイツや日本の研究者が集められ、重要資料が持ち込まれる。
日本で生物化学兵器の研究開発が始まったのは1933年。軍医学校を中心に、東京帝国大学や京都帝国大学の医学部が協力、生体実験を実施するため、中国で特別な部隊が編成された。当初は加茂部隊や東郷部隊と呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。
第731部隊の隊長は1936年から42年、そして45年3月から敗戦までが石井四郎、その間、42年から45年2月までを北野政次が務めた。日本の敗戦が間近に迫ると第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰り、アメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになる。
しかし、その尋問は厳しいものでなく、尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなる。隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになった。
1946年にアメリカ軍の極東医療分隊に所属する「406医療一般研究所」が厚木基地からほど近い倉庫で活動を開始する。後に同部隊は東京都千代田区丸の内の三菱ビル内に本部を移し、朝鮮戦争の際には戦闘地域へ要員を派遣。1951年当時、406部隊には309名が所属し、そのうち107名は日本人だったという。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, "The United States And Biological Warfare", Indiana University Press, 1998)
1952年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に対して強硬に抗議、中国の国営通信社である新華社は、アメリカ軍が第731部隊の元部隊長、石井四郎や北野政次、また同部隊と姉妹関係にあった第100部隊の元部隊長、若松和次郎らに協力させて生物兵器を使ったと伝えた。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
捕虜となった約30名のアメリカ人パイロットが生物兵器を投下したと告白したが、パイロットたちは帰国した後に政府から国家反逆罪に問うと脅され、告白を取り消している。病原体には炭疽菌や腺ペストが含まれていたようだ。ウィリアム・コルビーは1970年代にCIA長官として議会で証言した際、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。(前掲書)
第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名された。
その間、1950年にアメリカ海軍はサンフランシスコ上空に細菌を散布、55年にはCIAがフロリダ州タンパ湾の周辺で生物戦の実験を行い、百日咳が急増、12名が死亡している。1956年と58年にアメリカ陸軍はジョージア州サバンナとフロリダ州エイボン・パークで黄熱ウイルスを持つ蚊で実地試験を実施、66年には陸軍の特殊部隊がニューヨーク市の地下鉄でバチルス(桿菌)を捲き、68年と69年にはCIAがワシントンにあるFDA(食品医薬品局)の上水道設備で飲料水へ毒物を入れる可能性を調べる実験を行った。
アメリカはキューバに対しても生物兵器を使ったと考えられている。キューバでは1981年にデング熱が流行したが、これはアメリカによる攻撃だったと見られているのだ。「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」に対して有効だと言われた薬のひとつ、インターフェロン・アルファ2bはキューバで研究が進められてきたが、デング熱に対しても使われて効果があったという。この薬は病原体を攻撃するのではなく、リンパ球を刺激、免疫力を高めるのだという。
これも繰り返し書いてきたが、1969年に国防総省国防研究技術局の副局長を務めていたドナルド・マッカーサーはアメリカ下院の歳出委員会で、伝染病からの感染を防ぐための免疫や治療のプロセスが対応困難な病原体が5年から10年の間、つまり1974年から79年の間に出現すると語っている。これはエイズの出現を予言する発言だとして世界的には話題になった。
フォート・デトリックの研究者はアフリカでも研究を続けている。例えば、2010年頃からギニア、リベリア、シエラレオネの周辺で研究、その地域では13年12月からエボラ出血熱が広がりはじめた。さらにナイジェリアからアメリカやヨーロッパへ伝染が拡大し、大きな騒動になったが、2014年7月にはシエラレオネの健康公衆衛生省はアメリカのテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。
生物兵器の専門家として知られているイリノイ大学のフランシス・ボイル教授の説明によると、テュレーン大学やCDC(疾病管理センター)が西アフリカで運営していた研究所では生物兵器を研究していたが、同じ場所にフォート・デトリックのUSAMRIID(アメリカ陸軍感染症医学研究所)の研究者もいた。
1980年代の前半からエボラを引き起こすウイルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで進められた。その中心にいた科学者はウーター・ベイソンだが、アメリカ、イギリス、スイス、フランス、イスラエル、イラク、リビアといった国々からも資金が出ていたとされている。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたが、それから間もない9月18日から炭疽菌の付着した手紙が送られ、5名が死亡し、約20名が病気になっている。そうした手紙を送りつけられた人びとの中には、トム・ダシュル上院議員とパトリック・リーヒー上院議員も含まれていた。
攻撃の直後、アメリカ議会には憲法の機能を停止させる「愛国者法USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が提出されていた。大半の議員は法律案を読まずに賛成したが、ダシュル議員とリーヒー議員はこの法律に疑問を持ち、反対している。手紙を受け取った後、両議員は法案に賛成するようになった。この法律のモデルになった対テロリズム法案を1995年に提出したのは自分だとジョー・バイデン大統領は自慢している。
後に炭疽菌の出所はフォート・デトリックだということが突き止められ、ある研究者が容疑者だとされたが、その人物は何も語らないまま「自殺」した。この研究者が犯人ではないと考える人も少なくない。
フォート・デトリックは現在でもアメリカにおける生物化学兵器開発の拠点だが、2019年夏、数カ月にわたって施設が閉鎖されたと伝えられている。廃液に絡む安全上の問題が発覚したことが原因のようだが、詳細は不明だ。
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