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今回の危機がこれに当てはまるかどうか、分かりませんが、イスラエルには、イスラエルの戦争は、イスラエル経済の悪化と連動してゐると考える分析が有る様です。
広河隆一氏の記事「ダイヤモンド・シンジケート狙われたニッポン」(DAYS JAPAN(1988年12月号:82〜101ページ))の一節を御紹介します。
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1982年、私はレバノンにいた。この年9月、怒涛のようなイスラエル軍がレバノンに押し寄せ、約2万人の死者を出すレバノン戦争が始まった。私は今も、目の前を撤退していくPLO軍、それを泣きながら見送るパレスチナ・キャンプの住民、そしてそれから2週間後に起こった虐殺事件を忘れることはできない。
それ以来、私には一つの疑問がつきまとった。それは82年のレバノン戦争はなぜ起こったのか、ということである。
イスラエルは当初、自国外交官がパレスチナ人に襲撃されたため、と言っていた。しかしそれではこの戦争をはるか前から準備していたことが説明つかない。次にイスラエルは自国北部(ガリラヤ地方)がPLOに砲撃され、犠牲者が多く出たため、と述べた。しかし戦争開始までの1年間は、ガリラヤ地方がもっとも平穏だった時期なのである。
それではなぜイスラエルは戦争をしなければならなかったのか。当時は圧倒的な外交的、政治的成功を勝ち得ていたPLOを、本当の脅威になる前に、たたき潰す必要があった。しかしそれだけでは理由にならないように思えた。
「イスラエルが戦争を起こすのは、国内的事情があるときだ」と、昔イスラエルの友人が言っていたのを思い出した。67年の戦争のとき、その大きな原因として、彼は人民の減少、経済援助の減少、ドイツからの賠償金の終結、失業者の増加、国民の海外移住などをあげた。不満のほこ先をかわす必要もあったという。実際、戦争のあと、これらの問題はかなり解決したのだ。
80年から81年にかけて、イスラエルの経済状況が非常に悪化していたことを、やがて私は知った。なぜだか分からなかった。そのうちダイヤという言葉が耳に入った。当時イスラエルにとって武器に次いで外貨獲得源だったダイヤ加工業が、重大な危機に瀕していたというのだ。
「ダイヤがレバノン侵攻の直接の理由だとは思えないのですが・・・・・当時イスラエル経済は悲惨な諸問題を抱えていて、それから何とか逃れようとしていました」
とエプスティン氏は言う。(西岡注:エプスティン氏は、ダイヤモンド・シンジケートの研究で知られるジャーナリスト。)
「その経済危機の主な原因がダイヤとはいえないのですか」と私は聞いた。
「まあ主要な原因の一つともいえるでしょうね。イスラエルのインフレも、ダイヤのせいで銀行が危機に陥り、通貨の下落をひき起こしたということでしょう」
「なぜそんなことが起こったのですか」
「デ・ビアスはイスラエルのやり方が気に入らなかったのです。それで支配下にあったイスラエルの銀行に圧力をかけたのです」とエプスティンは言う。
(広河隆一(写真・文)鈴木雄二(写真)「ダイヤモンド・シンジケート狙われたニッポン」(DAYS JAPAN(1988年12月号:82〜101ページ))92ページ)
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