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バイデンが始めようとしている「第2の冷戦」も下には全面核戦争が隠されている(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/21/kokusai30/msg/498.html
投稿者 赤かぶ 日時 2021 年 4 月 26 日 01:53:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

バイデンが始めようとしている「第2の冷戦」も下には全面核戦争が隠されている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104260000/
2021.04.26 櫻井ジャーナル

 ジョー・バイデンがアメリカ大統領に就任してから「第2の冷戦」に突入すると言う人が増えたようだが、「第1の冷戦」とは何だったのだろうか。

 その始まりは1946年3月にウィンストン・チャーチルがアメリカのフルトンで行った「鉄のカーテン演説」だと考えられている。バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたる「鉄のカーテン」が存在していると語った。この「カーテン」はイギリスが属す地域とソ連の影響下にある地域を分けているというわけである。

 チャーチルは第2次世界大戦で日本が降伏する前からソ連を殲滅しようとしていた。フランクリン・ルーズベルト米大統領は1945年4月に急死するが、その翌月にドイツは降伏する。その直後にチャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令した。

 そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」だ。1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるという内容だった。この作戦が実行されなかったのは参謀本部が拒否したからだと言われている。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 ドイツが降伏したのは1945年5月だが、ドイツ軍の主力がスターリングラードで降伏した1943年1月に敗北は決定的だった。ドイツ軍がソ連への軍事侵略を開始したのは1941年6月のこと。その際に約300万人が投入され、西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人だった。こうした不自然な振り分けはアドルフ・ヒトラーの命令によるもので、彼は西から攻めてこないここと知っていたのではないかと推測する人もいる。

 スターリングラーでのドイツ軍敗北に慌てたイギリスとアメリカはその年の5月に協議、両国軍は1943年7月にシチリア島へ上陸している。第2次世界大戦中、西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、レジスタンスだけだったが、その主力はコミュニスト。そこでシチリア島でもコミュニストが強く、アメリカ軍はコミュニスト対策として犯罪組織と手を組んだ。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 スターリングラードでドイツ軍が敗北した後、ナチスの幹部はアメリカの戦時情報機関OSSの幹部としてスイスにいたウォール街の弁護士、アレン・ダレスと接触している。これはルーズベルト大統領に無断だった。

 ダレスたちはナチスの元高官や協力者をラテン・アメリカへ逃がすためにラットラインを作り、大戦後、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇い入れる。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。そもそもナチスを資金面から支えていたのイギリスやアメリカの巨大金融資本、つまりシティやウォール街だ。

 そうした中、ダレスたちにとっては好都合なことに、反ファシストのルーズベルトが急死、チャーチルはソ連への奇襲攻撃も目論んだわけである。

 1940年代の前半、アメリカとイギリスは原子爆弾の製造を目的とする「マンハッタン計画」が進められていた。1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功している。この日程はポツダム会談が始まる前日に行いたいというハリー・トルーマンの求めで決められていた。

 この成功を受けてトルーマンは原爆を実戦で使用することを許可。7月26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が、9日には長崎へプルトニウム型原爆がそれぞれ投下された。1945年末までに広島では約14万人、長崎では7万4000人程度が死亡したと言われているが、晩発性の放射線障害による犠牲者を含めれば数字はさらに膨らむ。

 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 日本の降伏を早めるために広島と長崎へ原爆を投下したわけではなく、ドイツ軍がソ連に攻め込んでいた最中にイギリスとアメリカはソ連に対する核攻撃の準備を始めたということになる。ドイツ軍が優勢だった時に米英両国軍が動かなかったのは必然だった。

 ポツダム宣言が発表された1945年7月26日にチャーチルは下野、そして「鉄のカーテン演説」を行ったのだが、1947年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​​。

 ソ連を核兵器で壊滅させたいというチャーチルの思いはその後も消えない。彼は1951年4月に自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、​ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とす​と言って脅そうと考えているとしていた。このことを示す文書が発見されている。その半年後にチャーチルは首相へ返り咲く。

 アメリカにも核攻撃を望む人がいた。例えば1945年8月末にローリス・ノースタッド少将はグルーブス少将に対し、ソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出。9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計している。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出した。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945)

 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告には、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすと書かれている。1952年11月には初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てる。1957年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 水爆実験は1953年8月にソ連も成功させたが、放射性物質の分析から技術的にはソ連が上だということが後に判明する。それでもアメリカ支配層が先制核攻撃に積極的だった理由は核弾頭の数とその運搬手段で圧倒しているという判断があったからだ。

 核弾頭をターゲットまで運ぶためには戦略爆撃機かICBM(大陸間弾道ミサイル)が必要なのだが、1959年の時点でソ連は事実上、このタイプのミサイルを保有していなかった。アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。​​彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てた

 アメリカの核攻撃計画をソ連もつかんでいたはず。ソ連はICBMの問題をアメリカの近くに中距離ミサイルは配備するという方法で解決しようとした。ソ連はキューバへ中距離ミサイルを持ち込んだのだ。この動きは1962年10月に発覚する。

 アメリカの軍や情報機関の好戦派は即時攻撃をジョン・F・ケネディ大統領に要求したが、大統領は話し合いで解決する道を選び、成功させた。1963年後半に予定した先制核攻撃計画でもケネディ大統領は大きな障害になる。その障害が取り除かれたのは1963年11月22日のことだ。大統領がダラスで暗殺されたのだ。暗殺の直後、CIAはソ連やキューバが黒幕だとする偽情報を流したが、米ソ開戦には至らなかった。

 冷戦は新しい戦争ではなく、ナチスが敗れたソ連との戦いの新しいステージにすぎない。ナチスが登場する前のドイツはソ連と友好的な関係にあった。ロシアの十月革命以降、ソ連と戦ってきたのはイギリスにほかならない。

 その冷戦は核戦争の動きを覆い隠していたが、実際はいつ熱戦になっても不思議ではなかった。核戦争を始めようとしていたのはイギリスやアメリカ。日本ではアメリカの核兵器について「核の傘」と表現するが、これは根本的に間違っている。「核の槍」なのである。

 ところで、ケネディ大統領に再任を拒否された好戦派で新イギリス貴族のライマン・レムニッツァーは1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めている。沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、武装したアメリカ兵を動員した暴力的な土地接収が行われていた。いわゆる「銃剣とブルドーザー」による接収だ。沖縄の軍事基地かは核攻撃の準備だったと言える。


 

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コメント
1. 2021年4月26日 05:36:58 : Ft5PhGZaus : eVhpVlpSams1eTY=[953] 報告
 アメリカの後には常にイギリス。
 世界の冷戦構造を捻くり出したのもイギリス。
 イギリスは遠く離れたアジア支配に失敗した。日本と戦ったアメリカが実質上にほんを抱え込み、アジア支配に乗り出したが、ベトナム船の敗北で中国に屈し、中国をアヘン支配したイギリスはまだ持ってその「旨味」を忘れられない。中国に生産を委ね、フアンドによる資本支配で満足していたアメリカは治せ国のヘッポコ生産体制に行き詰まり、全国産化を目指すが不器用な出来の生産物は足枷。結局、中国の息のかかった生産国に頼らざるをほえない。
 「ものを自ら作る」ことをやめた国は衰え、それを挽回するには「戦争構造」が必要だが、軍事力まで上を行かれては困ったものだ。耄碌ーアルツハイマーのバイデンじやあ無理だ。「長征」を覚悟している中国に撫でさすられて「屈服むするのみ。流れは当初の威勢の良さに比べてね縋り付くような「猫撫で声」が聞かれ始めたことだ。
2. 赤かぶ[129017] kNSCqYLU 2021年4月26日 08:41:34 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[27795] 報告

3. 2021年4月26日 16:37:34 : Nf2PcZ7ZZc : Z2E4eW1QcUxVaFU=[334] 報告
今回は「米国vs中国・ロシア」で、米国側も「トランプ陣営か否か」で分裂中。米軍はまともに動けない。
冷戦なんて構図以前に、米国内で民衆が騒ぎはじめて、バイデン達ディープステイトの手先達は、処刑台への道をゆっくり歩いている状況だ。トランプ暗殺ができれば別だが、多分もうムリだろう。

そもそも「共産主義」なんて、世界中で「壮大な失敗だった」という結論に達しているから問題にもならない。ロシアは完全に捨てた。中国も内心では辞めたがっている。(というか実質辞めている。あとは面子と看板の問題だけ)みんなお金大好きだ。

なので今回は、思想的な対立構造はない。どちらもお金大好き資本主義だ。強いていうなら、金と権力を手放す事への恐怖で発狂している連中が、雲の上にいるだけの話。力を失い、雲の上に立つ資格を失えば、待っているのは墜死だろうけど。

4. 2021年4月26日 22:51:04 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[1470] 報告
ソ連のキューバは、アメリカの日本に違いない
ロシアは日本の核保有について度々触れている

もしロシアに日本から核ミサイルが飛んで来た場合
ロシアはすぐさまアメリカに報復すべきなのか、日本に撃つしかないのか
悩ましい問題だろう

そうなる前に、米露中から日本に対して先制攻撃しておくことが重要だろう
朝鮮神道の狂った国は予測不能だから

5. 2021年4月28日 00:07:36 : 8ZOfzsUjXw : SmpsVDRtem00WS4=[1190] 報告
チャーチルが 主導してきた 冷戦を

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