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生物化学兵器を開発してきた人脈が指揮するCOVID-19の「感染対策」の信頼度
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104170000/
2021.04.17 櫻井ジャーナル
アメリカで生物化学兵器の研究が始まるのはUSBWL(陸軍生物兵器研究所)がキャンプ・デトリック(後のフォート・デトリック)に創設された1943年のことだが、研究開発が本格化するのは第2次世界大戦の後だ。日本やドイツから生物化学兵器に関する資料がアメリカへ引き渡され、日独の研究員と手を組んだのである。
日本では1933年に軍医学校が生物化学兵器の研究開発を始めるが、その背後には東京帝国大学や京都帝国大学の医学部が存在していた。日本の医学界が研究開発の頂点にいたとも言える。
正確なデータを得るため、日本では生体実験が組織的に実施された。生体実験の犠牲になったのは主に中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人。こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んだ。
生体実験を実施するため、軍の内部に特別な部隊が占領地である中国で編成される。当初は加茂部隊や東郷部隊と呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。第731部隊の隊長は1936年から42年、そして45年3月から敗戦までが石井四郎、その間、42年から45年2月までを北野政次が務めた。
1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。
石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。1947年にはキャンプ・デトリックからノーバート・フェルという研究者がやって来るが、この頃からアメリカ軍は第731部隊の幹部たちと協力関係に入る。
尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。
1950年6月に朝鮮戦争が勃発する。その頃、アメリカで細菌戦プログラムの中心的存在だったのはジェームズ・サイモンズ准将。その指揮下にあった406部隊は病原体の媒介昆虫に関する研究用の「倉庫」と見なされていたが、1951年当時、309名のうち107名が日本人だったとされている。
1952年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官が議会で行った証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。
朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立されたが、北野政次が顧問に就任するなど、この会社は第731部隊と深い関係がある。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになる。現在は田辺三菱製薬の一部だ。
第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名された。
大戦後、日本の生物化学兵器人脈が協力してきたフォート・デトリックの研究者はアフリカでも研究を続けている。2010年頃からギニア、リベリア、シエラレオネの周辺で研究していた。
その地域、つまりギニア、リベリア、シエラレオネで2013年12月からエボラ出血熱が広がりはじめ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染が拡大し、大きな騒動になった。2014年7月にはシエラレオネの健康公衆衛生省がテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。
生物兵器の専門家として知られているイリノイ大学のフランシス・ボイル教授の説明によると、テュレーン大学やCDC(疾病管理センター)が西アフリカで運営していた研究所では生物兵器を研究していたが、同じ場所にフォート・デトリックのUSAMRIID(アメリカ陸軍感染症医学研究所)の研究者もいた。
エボラは1976年8月にザイール(現在のコンゴ)で初めて確認されているが、エイズと同じように病気の始まりが明確でない。1976年の前は気づかれなかっただけなのか、病気自体がなかったのかは不明だ。
その直後、1980年代の前半からエボラを引き起こすウイルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで進められた。その中心にいた科学者はウーター・ベイソンだが、アメリカ、イギリス、スイス、フランス、イスラエル、イラク、リビアといった国々からも資金が出ていたとされている。CIAとは特に緊密な関係なったとする噂もある。このベイソンが1985年に生物兵器を専門とするイギリス人研究者デイビッド・ケリーと会っていたことは本ブログでも書いた通り。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたが、それから間もない9月18日から炭疽菌の付着した手紙が送られ、5名が死亡し、約20名が病気になっている。そうした手紙を送りつけられた人びとの中には、トム・ダシュル上院議員とパトリック・リーヒー上院議員も含まれていた。
攻撃の直後、アメリカ議会には憲法の機能を停止させる「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が提出されていた。大半の議員は法律案を読まずに賛成したが、ダシュル議員とリーヒー議員はこの法律に疑問を持ち、反対している。ところが手紙を受け取った後、両議員は法案に賛成するようになった。この法律のモデルになった対テロリズム法案を1995年に提出したのは自分だとジョー・バイデン大統領は自慢している。
後に炭疽菌の出所はフォート・デトリックだということが突き止められ、ある研究者が容疑者だとされたが、その人物は何も語らないまま「自殺」している。この研究者が犯人ではないと考える人も少なくない。
こうした生物兵器に関する歴史を振り返ると、COVID-19騒動の見え方も変わるだろう。
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