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イランに見透かされているバイデン政権の政策(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104070000/
2021.04.07 櫻井ジャーナル
NPT(核兵器不拡散条約)に基づいて作成されたJCPOA(包括的共同作業計画)からの離脱をドナルド・トランプ米大統領が宣言したのは2018年5月8日のことだった。新大統領のジョー・バイデンはこの交渉へ復帰しようとしているが、イラン側はアメリカと話し合う前提条件として「全制裁の解除」を求めている。
JCPOAが公表されたのは2015年7月。翌年の1月に発効している。その当時のアメリカ大統領はバラク・オバマだった。イランの交渉相手はフランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、中国、ロシア、いわゆるP5+1(安全保障理事会の常任理事国プラスドイツ)である。
JCPOAに参加したオバマ政権だが、中東の和平を望んでいたとは言えない。その頃、政権を好戦的な陣容へかえていたのだ。
まず2014年8月にDIAのマイケル・フリン局長を解任。オバマ政権のシリア政策はムスリム同胞団とサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を支援するもので危険だと2012年8月の時点でDIAは警告していた。その警告通り、2014年にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が登場し、その残虐さをアピールすることになる。
2015年に入ると、2月に国防長官は戦争に消極的だったチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月には統合参謀本部議長はジハード傭兵を危険だと考えていたマーチン・デンプシーが退任して好戦的なジョセフ・ダンフォードが新議長に就任した。
ムスリム同胞団とサラフィ主義者を中心とする戦闘集団による地上での攻撃だけでなく、シリアでもリビアと同じようにアメリカ/NATO軍による空からの攻撃を始めようとしていたのだろう。アメリカ/NATO軍が空から攻撃、地上ではジハード傭兵というコンビネーションだ。
このプランは2015年9月30日に潰れる。デンプシーが退任した5日後にロシア軍がシリア政府の要請で介入、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを敗走させ、その支配地域を縮小させたことでアメリカ/NATO軍による軍事介入は難しい状況になったのだ。そこでアメリカ、イギリス、フランスなどはクルドと手を組み、自国軍の地上部隊をシリアへ侵入させて軍事基地を建設しはじめた。軍事侵略以外のなにものでもない。
ロシア軍が介入する2カ月前、オバマ政権が自国軍にシリアを直接攻撃させようとしていた中、JCPOAは発表されたのである。シリア攻撃に集中するため、イランをJCPOAでおとなしくさせておこうということだろう。バイデン政権はシリアでの軍事作戦を活発化させている。
1980年代からアメリカのネオコン(シオニストの一派)はイラク、シリア、イランを殲滅する計画を立てていた。まずイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断してそれぞれを潰すというものだ。イスラエルを中心に中東を作り直そうとしているとも言える。
オバマ政権の動きはイランの国内情勢も影響しているだろう。2013年の6月にイランで行われた大統領選挙で勝ったハサン・ロウハーニはハシェミ・ラフサンジャニの側近だった人物で、西側の巨大資本にとって都合の良い人物だと見られていた。
2011年春にオバマ政権はリビアとシリアに対する侵略戦争を開始する。手先として使ったのがムスリム同胞団やサラフィ主義者を主力とするジハード傭兵。その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、戦力はシリアへ集中された。
ところが、シリアのバシャール・アル・アサド政権を転覆させられない。そこでオバマ政権は2013年に入るとシリア政府軍が化学兵器を使用していると宣伝し始める。(これについては本ブログで繰り返し書いてきたので、今回は割愛する。)
化学兵器の話が嘘だということは指摘され始めるが、それを圧倒するように西側の政府やメディアはシリア政府軍が使ったと宣伝、NATO軍によるシリア攻撃が決定的であるかのように伝えられはじめる。
そして9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射されるが、途中で海へ落下してしまう。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされた。
その後、イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、事前に警告はなく、この説明に説得力はない。ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。
その月の22日、シリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。
その2カ月後、イランとP5+1はジュネーブ暫定合意に達し、2015年のJCPOAにつながった。その頃、オバマ政権はシリアに対するアメリカ/NATO軍による直接的な攻撃を計画していた可能性が高い。(つづく)
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