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サハラ砂漠以南の地域でCOVID-19の感染が拡大していない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104020001/
2021.04.02 櫻井ジャーナル
スーダンでワクチン由来ポリオの感染者が見つかったとWHO(世界保健機関)が発表したのは2020年9月1日のことだった。アフリカでは2016年以降、野生株のポリオ・ウイルスに感染した人は発見されていない。
それにもかかわらず、WHOはビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団の資金を得ながらワクチンを接種し続けてきた。財団から提供された金額は10年間で40億ドルに達するとされている。ポリオを発症させたワクチンの出所はこの財団だと伝えられている。
そのスーダンを含むサハラ砂漠以南の国々ではCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)の「感染者」、そしてこのウイルスによって死亡したとされている人の数は少ないことが注目されている。
そうした国にはセネガル、ケニア、ルワンダ、モザンビーク、マリ、ナイジェリア、ニジェール、ウガンダ、タンザニアなどが含まれ、100万人当たりの死亡者数が日本より少ない。その日本も世界的に見ると「感染者」も「死亡者」も圧倒的に少ない。サハラ砂漠以南の国で突出して多いのは南アフリカだ。
ヨーロッパやアメリカの植民地になり、略奪されてきたサハラ砂漠以南の国々は貧困を強いられ、衛生状態は良くない。そうした国々の人びとは「マルタ」にされていた可能性もある。
2013年12月からアフリカ西部のギニアでエボラ出血熱が広がりはじめ、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染、大きな騒動になった。その際にアメリカの研究者が注目されている。
アメリカにおける生物化学兵器開発の拠点、メリーランド州にあるフォート・デトリックの研究者とテュレーン大学の研究者が数年にわたり、ギニア、リベリア、シエラレオネの周辺で活動していたのである。感染が問題になり始めた2014年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。そうした声明を出す根拠があったということだろう。
9月13日、WHO(世界保健機関)の事務局長だったマーガレット・チャンはエボラ出血熱のアフリカ西部における流行がコントロール不能な状態になっていると語っている。チャンは香港出身で、中国とカナダの国籍を持つ。
9月16日にバラク・オバマ米大統領はナイジェリア、リベリア、シエラレオネへ3000名程度の部隊を派遣すると言い始める。「エボラとの戦争」だが、派兵には資源が絡んでいたとみられている。アフリカの西部に石油が存在していることは有名な話であり、シエラレオネは世界最大のダイヤモンド産出国だ。
エボラ出血熱が発見されたのは1976年。場所はザイール(後のコンゴ)。ウラニウムやダイヤモンドなど資源の宝庫で、かつてはベルギーの植民地だった。1960年2月に独立、6月の選挙でパトリス・ルムンバが初代首相に選ばれたが、アメリカの私的権力に従わず、民主化を目指すルムンバは危険だと判断された。
1960年8月にドワイト・アイゼンハワー米大統領はアレン・ダレスCIA長官に対してルムンバの排除、つまり暗殺を許可、現地のCIA支局長だったローレンス・デブリンがクーデターと暗殺の2本立て工作を開始する。結局、9月にモブツ・セセ・セコというアメリカ支配層に選ばれた人物がクーデターを成功させ、12月にルムンバは家族を助けようとして拘束されてしまう。
1961年にアメリカ大統領はジョン・F・ケネディに交代するが、就任式の3日前にルムンバは刑務所から引き出され、ベルギーのチャーター機で彼の敵が支配する地域へ運ばれて死刑を言い渡され、アメリカやベルギーの情報機関とつながっている集団に殴り殺された。ルムンバの移送をデブリンCIA支局長はケネディに知らせていなかった。1月26日にダレス長官はコンゴ情勢についてケネディ大統領に説明しているが、このときにもルムンバ殺害について触れない。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
エボラ出血熱が発見された後、1980年代の前半からこの病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘の研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで進められた。その中心にいた科学者がウーター・ベイソン。彼は1985年にイギリスでデイビッド・ケリーという研究者に会った。この研究者は兵器の査察官になり、アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃した直後、世間から注目されることになった。
先制攻撃を正当化するためにイギリスのトニー・ブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を2002年9月に作成、メディアに流し、この報告書をコリン・パウエル国務長官は絶賛した。
しかし、この報告書は大学院生の論文を無断引用した代物で、信頼できるものではなかった。しかもイギリス政府はイラクの脅威を強調するため、改竄する。
その改竄をBBCのアンドリュー・ギリガン記者は2003年5月にラジオ番組で明らかにし、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。ギリガンの情報源がイギリス国防省で生物兵器を担当していたデイビッド・ケリーだ。
ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に死亡する。公式発表では手首の傷からの大量出血や鎮痛剤の注入が原因で、自殺だとされているが、手首の傷は小さく、死に至るほど出血したとは考えにくい。
しかもケリーは右肘に障害があり、右手でブリーフケースを持ったりドアを開けたりすることができなかった。1991年12月に落馬、骨折したことが原因で、携帯していた折りたたみ式ナイフの刃を研ぐことも難しかったと言われている。手首を切ったとされるナイフからも、死体の横に転がっていた錠剤が入った瓶からもケリーの指紋は検出されていない。
また救急救命士によると、ケリーの左の手首には乾いた血がこびりついているだけで傷は見えなかったという。死体を発見した捜査官のグラハム・コーも大量の出血はなかったと証言している。自殺説への疑問を列挙していくときりがない。(Miles Goslett, “An Inconvenient Death,” Head of Zeus, 2018)
アメリカの戦略の中に生物化学兵器は組み込まれているわけで、サハラ砂漠以南の地域はその開発の犠牲になってきた。彼らはワクチンの胡散臭さを熟知している。
タンザニアのジョン・マグフリ大統領はCOVID-19騒動が始まると、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が信頼できるかどうかを確認しよう考え、山羊、モーター・オイル、パパイア、ウズラ、パラミツをラベルなしのサンプルとしてPCR検査させた。その結果、5つのサンプルのうち4つは陽性になったと発表。このマグフリ大統領は3月17日、「心臓病」で急死したとされている。
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