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2023年10月20日 07時36分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/284822
戊辰戦争の五稜郭の戦いで旧幕府軍に付いたフランス人男性の1人が150年前、日本人女性との間に一人息子を残し、横浜で34年の生涯を閉じた。墓参のため、今月初めてフランスから来日した親族は日本にいるかもしれない子孫を捜し求め、情報提供を呼び掛ける。(神谷円香)
横浜外国人墓地(横浜市中区)に眠る男性は、フランス南東部モンテリマール出身のエティエンヌ・オーギュスト・プラディエ(1839〜73)。フランス陸軍で活動した後の1865年ごろに来日し、当初は横浜の外国人居留地の商社で働いていたと、日本で日仏交流史を研究するフランス出身のクリスチャン・ポラックさん(73)は語る。
五稜郭の戦いでは10人のフランス人が旧幕府軍に加わったとされ、そのうちの1人として記録されているプラディエは、その後も日本にとどまり、ウメという女性と結婚。71年には息子のルイが生まれたという。
ルイは父親の死後、ウメの再婚に伴って小沢弁蔵という日本名になり、自身の結婚後は名字を藤江に変えた。横浜にあったフランス領事館に勤め、フランスにいる父方の家族に手紙や写真を送っていたものの、訪仏して面会することはなかったという。
プラディエの兄のひ孫であるセシル・ヴァライエさん(83)は幼いころから、家族がプラディエやルイ、ルイの子どもらについて語り、受け取った手紙や写真を代々保管していることを聞かされていた。夫、3人の息子たちと初めて日本を訪れ、墓参できたことを「感動とともに肩の荷を下ろした気持ちでいっぱい」と表現。異国の地で亡くなった曽祖叔父について「短い人生をどのように送ったのか。子孫が分からないのも残念。いたら会いたい」と語った。
プラディエに関する資料はほとんどなく、40年以上前の雑誌でルイの孫らが取り上げられたのを最後に、子孫の手掛かりも途絶えているという。ポラックさんは2年前、今回来日した親族らが情報を求めていると知り、あらためて調べ始めたが、詳細は把握できていないのが実情だ。「先祖がフランス人と知らないまま、子孫は日本で暮らしているかもしれない。情報を寄せてもらえたら」と話す。
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