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2023年2月27日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/233414
東京電力福島第一原発事故の影響で、今も帰還困難区域のままで人が住めない福島県浪江町南津島の伝統芸能「田植踊たうえおどり」を継承しようと、東北学院大(仙台市)の学生らが奮闘している。26日、同県二本松市で初めて学生だけの田植踊を披露した。避難で地域住民がばらばらになり、存続の危機にある伝統芸能が多い中、地元出身の女子学生の熱意が継承を後押しした。(片山夏子)
<津島地区と田植踊> 津島地区の南津島、下津島、上津島、赤宇木あこうぎの4地域でそれぞれ口伝で継承され、五穀豊穣ほうじょうを願う。200年以上の歴史があり、住民が激減した江戸時代の「天明の飢饉ききん」後に盛んになったとされる。毎年2月に祝い事などがある家々を回り、踊られてきた。福島県の重要無形民俗文化財。南津島を含む津島地区の一部に指定された「特定復興再生拠点区域」は、3月中にも避難指示が解除される予定だが、大半は帰還困難区域のままとなる。
「今年ゃ世の中 穂に穂が下がる なんちゅういえ」
会場いっぱいに五穀豊穣を願う田植踊の唄が響く。裾の短い着物を着た学生ら16人が、輪になって腰を低くかがめて踊った。昨年4月から2年生が授業の一環で学び、ビデオを見て練習したり、夏合宿で地元の踊り手に手取り足取り指導してもらった。
◆住民が離散して人が足りず
継承のきっかけになったのは、8歳まで南津島で育ち、原発事故で避難した東北学院大2年の今野実永みのぶさん(20)の「何とかして残したい」という思いだった。
実永さんが田植踊を始めたのは2018年、中学3年生のときだった。南津島郷土芸術保存会が踊りを記録するため、東日本大震災後初めて踊りを披露したときに参加した。伝統的に踊り手は男性と決まっていたが、避難で住民は離散。人が足りず、父から踊り手として誘われた。
「事故前に兄が踊っていてうらやましかった。避難後、津島の人たちに会える唯一の場が踊りの練習だった。地域みんなが知り合いで、支え合って子どもを見守る津島に帰りたくてしょうがなかった」
踊った後、数年ぶりに田植踊を見た南津島の人たちに泣きながら「ありがとう」と感謝され、つないできた人たちの思いを消してはならないと感じた。
田植踊は先祖代々口伝えで継承されてきた。楽譜や教本はない。踊り継がれなければ無くなってしまう。何とか残す方法を探りたいと、実永さんは民俗学を学ぶため、東北学院大に進学して金子祥之准教授(38)に相談。保存会に継承を願い出た。
◆「やるなら今」女性や地域外の人にも
保存会の三瓶さんぺい専次郎会長(74)は悩んだ。「女性や津島以外の人を入れ、継承させていいのか」と不安と抵抗を感じた。でも避難でいつ帰れるか分からず、住民だけで継承するのは難しい。踊りを知る人もほとんどが高齢者だ。「やるなら今しかない」とみんなで決めた。保存会の会員は避難先から駆けつけ、熱のこもった指導を重ねた。「ありがたい」「涙が出るぐらいうれしい」。会員から学生への感謝の声があふれた。
継承の授業は今後も続く。「卒業生も含め、本気で関わりたい人で継承し、地元の人たちだけで踊れるようになったら、南津島の人たちにお返ししたい。私自身、将来、津島に帰りたいと思っている」と実永さんは笑顔を見せた。
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