https://dot.asahi.com/wa/2022012600018.html?page=1 「死」とは何か 脳死状態で約20年生存した人の脳はどうなっていた? 2022/01/28 19:00 米国のTKと呼ばれる男性は4歳で脳死と診断されたが、2004年に亡くなるまで21年間にわたって生存した。身長は150センチ、体重は60キロとなり、髭が生えるなど第二次性徴も現れた。死後、脳を解剖したところほとんどが溶けて液状化しており、残った脳幹部分も石灰化していた。 小松氏が解説する。 「脳がそんな状態になっても、TKは成長して生き続けたのです。後に米国は大統領委員会の公式論理の誤りを認めています。脳死者の体に触れれば温もりがあり、脈も取れます。脳死は専門医にしか判断できず、肝心の遺族は死から遠ざけられてしまう。従来の『3徴候』による判断基準で大きな問題はなく、墨守するべきだと考えます」 (本誌・亀井洋志) https://dot.asahi.com/wa/2022012600024.html?page=1 52年間「夢日記」をつける横尾忠則「昼の人生と夜の人生、楽しみは2倍」 シン・老人のナイショ話 2022/01/29 16:00 横尾忠則 筆者:横尾忠則 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、夢について。
* * * ある時、伊達政宗が僕の夢枕に立ちました。宮城県の仙台の近くにある秋保温泉の旅館に泊った夜です。旅館に面して名取川が流れています。川の両岸には深い樹木や巨石が川面にせり出すように見事な渓谷を形づくっていました。僕は川の中央の水面に立っています。頭上には赤い鉄製のアーチ型の橋が渡されています。その時、川の下流から黒い影のような物が水面を飛ぶように駆けてくるのが見えました。それが段々僕の方に向かって近づいてくるのです。見ると、それは黒い馬に乗った黒ずくめの鎧兜に身を固めた武士でした。馬が蹴散らした水しぶきがバサッと僕の顔に飛び散って馬は止りました。馬上の武士の目と僕の目が合いましたが、兜の下の顔は黒い眼帯をした独眼でした。 僕は思わず、「お前は一体何者だ?」と問おうとした瞬間、武士は「ダテマサムネ」と名乗りを上げました。夢はそこで終ってしまいました。 翌朝旅館の女将にこの夢の話をすると、彼女は驚いた顔をして、「伊達政宗はここの湯を好んでよく来られたという記録が残っています。400年前の話です」と語った。何の縁もゆかりもない伊達政宗がどうして僕の夢枕に立ったのかは不明です。 もうひとつ、次はブラジルのパンタナールという本州がスッポリ入るほどの大湿原帯に旅行した時の話です。粗末なバンガロー風の平屋のホテルに泊った時です。深夜遅く、部屋に通されるなり、僕はベッドにもぐろうとしました。と、その時です。ベッドの上あたりに、黄と赤の縞模様のニット帽をかぶった頬(ほほ)のこけた茶褐色の肌の老人の顔が浮かんでいました。 次の瞬間、その老人が僕の意識に語りかけてきました。「ようこそ、私達の土地へ。あなたを歓迎いたします。私はこの土地にかつて住んでいた精霊です。あなたの旅行中の安全を私達はお護りすることをお約束します」と丁寧な言葉で僕の意識に語りかけたかと思うと、次の瞬間フッと消えてしまいました。「怖い」という感覚は全くなかった。むしろ不思議な多幸感に守られて、この夜はグッスリ眠れました。翌日地元の博物館を訪ね、本当にこの土地にインディオが居住していたかどうかを調べました。そして、そこで昨夜の精霊と同じようなニット帽をかぶっている男達の古い写真を見つけました。 伊達政宗にしてもインディオの精霊にしても、共通するのは、僕の旅先で遭遇した人達です。このような体験は内外の旅先でも、何度か遭遇しています。いつか「私だけの遠野物語」みたいな本を書いてもいいかなと思うのですが、きっと相手にされないでしょうね。 現在、神戸の横尾忠則現代美術館で「恐怖の館」展が開催中です。そこに前記の伊達政宗とインディオの精霊の出現の絵を描いた作品も展示されています。 と、ここまで書いた時、担編の鮎川さんが神戸まで行って開催中の「恐怖の館」展を見て来たと話されました。そしてその夜、夢を見られました。鮎川さんが展覧会場でご覧になった僕の「夢の邂逅」と題する絵の中に描いた伊達政宗が夢の中で鮎川さんに「大丈夫、大丈夫」と声を掛けたというのです。何か気になっていることがあったのですかね。夢をツールに伊達政宗が僕の絵を介して鮎川さんと僕を結びつけました。こういう非現実的な「夢のような」話にこそ現実の豊かさがあると思うんですが。 僕は52年間、ずっと夢日記を書いていて、2冊の夢日記を出版しています。僕にとって夢は夜の現実です。昼間の顕在意識と夜の潜在意識が統合されて、自分という人間が存在しているのです。人生はフィクションとノンフィクションが分け難くひとつに結びついて、死をゴールに生きています。 ロマン主義者にとっては夢も死の一部です。神秘主義では眠っている間に肉体からエーテル体が離脱して死後の世界を訪れるといいます。そこで死者と会って、エーテル体が肉体と共に待機していたアストラル体と合体して目が覚めるのです。死後探訪の体験は目覚めと同時に忘れます。だけどわれわれは知らないままに死後の世界を経験しているのです。 僕は夢を絵にしたのは、今日話した伊達政宗とインディオの精霊の2点だけです。でも他の作品にも無意識に夢が絵に関与して創造を助けてくれているような気がします。肉眼で見えないものを描くというのが芸術行為だとすれば、夢は僕の作品に大きい働きをしてくれています。昼の人生と夜の人生の二つの人生を生きているという認識を持つことで、僕は人生を二倍楽しんでいるような気がします。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰 ※週刊朝日 2022年2月4日号
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