https://www.myotsuuji.info/%E5%A4%A7%E6%9C%AC-%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A8-%E6%95%99%E5%9B%A3/ 日蓮正宗 妙通寺 ※ ご注意「冨士大石寺顕正会」「日蓮正宗正信会」という宗教団体は「日蓮正宗」や「大石寺」とは無関係です。 https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/soka-j.html 創価学会との関係について 日蓮正宗は、平成3年(1991)11月、日蓮正宗の教義・信条に従わない創価学会を破門し、信徒組織を法華講に統一しました。 ◇大本の教義への疑問点 ▼大本は、開祖・出口なおに「艮(うしとら)の金神」が神がかったとして立教した教団です。しかし、“神がかり”は、現代の精神医学では「憑依(ひょうえ)妄想(もうそう)」といい、人間の主体性が失われて起こる精神分裂症の一種とされています。 11人もの子供を産み、そのうち3人に先立たれ、また夫も失った最困窮生活。「なお」は悲しさ、さみしさ、将来への不安にうちひしがれ、頼る者も無く、心細い生活を送っていくなかで、気の毒にも神経的におかしくなって妄想を抱くようになったのでしょう。 彼女の悲惨な境遇には同情しますが、それと新宗教設立とは別問題です。まさに、一人の人間の妄想を基とする宗教に、人々を普遍的・根源的に救済する力が具わっているとは到底考えられません。
▼大本教団は、「霊主体従」といって、霊界こそが実体界であり、目に見える現界は霊界の移写であると主張します。しかし仏教では、死後の生命は法界に冥伏し、前世の因果を感じながら縁によってまた生ずると説き、因果を無視した霊界や霊魂の存在を徹底的に否定しています。「原因があって結果が生ずる」という道理に基づいた仏教の教えと、夢見物語や妄想で思いついた霊界の話と、どちらに人生を委ねるのか。おのずと答えは明らかといえましょう。 ▼大本教団では、神意を伝えるものが“お筆先”とし、その開祖なおの最初の筆先を明治25年のものとしています。しかし大正8年5月、「京都日出新聞」に掲載された京都府警の調査報告書によると、警察が捜索した際、不思議にも、「明治25年のお筆先」そのものの現物は発見されなかったといいます。 その点を出口王仁三郎に尋問すると、彼は、次のように答えたといいます。 「筆先の原稿を作るときに、年月日と組み立て等を、開祖なおに訪ねながら、書いたのであるから、誌上の稿になったものと同じお筆先は、実際にはありません」 と。このように教団の根本経典となっている「大本神諭」は、神の言葉を出口なお、無意識の中で伝えたというものではなく、出口なおと王仁三郎が相談しながら、話し合って原稿を書き上げたものだった、ということです。まったく、霊界だの、筆先だの、インチキであることを、警察署で自白してしまった、ということなのです。 ▼胎教の必要性を問われた王仁三郎は、 「必要やとも。妊娠したら、すぐ妊婦の部屋はきれいにして、きれいな絵を掛けておくと、きれいな子が出来る(中略)妊娠中に妊婦が火事を見ると本当にアザが出来る。だから妊娠中には火事を見るなと言うのや」(大本本部祭務部編) と答えています。 「火事を見たら、子供にアザができる」などと、あまりにも因果を無視した発言をする人が作り上げた新興宗教に、一人の人間を苦悩の根源から救っていく力など具わらないことは明白です。 上記文章は、『諸宗破折ガイド』(大石寺発行)の文章の一部を筆者が訂正したものです。
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