http://www.worldfolksong.com/songbook/usa/thousand-winds.html 千の風になって ルーツはアメリカの詩「Do not stand at my grave and weep」 「私のお墓の前で泣かないでください」の歌い出しで知られる『千の風になって』は、アメリカ発祥の詩『Do not stand at my grave and weep』に、小説家の新井満が日本語での訳詩を付け自ら作曲した日本の歌。 朝日新聞の『天声人語』で掲載され話題となっていった。日本語のタイトルは、原詩の3行目『I am a thousand winds that blow』の邦訳から付けられた。 原曲のルーツは? この詩のルーツについては諸説あるが、アメリカ合衆国メリーランド州ボルティモアの主婦メアリー・フライ(Mary Elizabeth Frye/1905-2004)の作とする説が最も有力。 母を亡くして落ち込んでいた友人マーガレットのために茶色の紙袋にしたためた。彼女の家族の友達が詩をはがきに印刷して人々に送り、広く知られるようになったとされている。 歌詞自体にも様々なバージョンが存在する。 【試聴】千の風になって 【試聴】Do not stand at my grave and weep 歌詞・日本語訳(意訳) Do not stand at my grave and weep I am not there; I do not sleep. I am a thousand winds that blow, I am the diamond glints on snow, I am the sun on ripened grain, I am the gentle autumn rain. 私の墓の前で泣かないでほしい 私はそこにはいない 眠ってはいない 私はそよ吹く千の風 雪上のダイヤモンドの煌めき 穀物に降り注ぐ太陽 優しき秋の雨 When you awaken in the morning's hush I am the swift uplifting rush Of quiet birds in circling flight. I am the soft starlight at night. Do not stand at my grave and cry, I am not there; I did not die. 朝の静寂の中 貴方が目覚める時は 私は天高く舞い上がり 空から静かに貴方を見守る 夜には星になって貴方を優しく照らす 私の墓の前で泣かないでほしい 私はそこにはいない 死んでなどいないのだから 「哀しみのソレアード」とメロディーがそっくり? 「哀しみのソレアード」の邦題で知られるイタリア発のインストルメンタル「ソレアード(SOLEADO)」のメロディーが、この新井満作曲「千の風になって」のメロディーと非常に良く似ているとの声がブログ等で少なからず上がっているようだ。 「千の風になって」の歌詞は元々アメリカで広まっていた英語の歌詞の日本語訳だが、仮にメロディーもイタリア産の「ソレアード」が転用されていたとしたら、非常に国際色豊かな和洋折衷の邦楽ということになるだろうか(もはや邦楽ではない?)。 関連ページ アメリカ民謡・童謡 有名な曲 『大きな古時計』、『森のくまさん』、『線路はつづくよどこまでも』など、有名なアメリカ民謡・童謡特集 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14241366459
MORGENさん カテゴリマスター 2021/4/6 16:00 1回答 千の風になってという曲どうも曲の構成が気になります。 私のお墓の前で泣かないでください。 そこに私はいません。 千の風になって−−−−− 秋には光になって−−−−− 冬には雪になって−−−−− 小鳥になって−−−−− 夜は星になってあなたを見守る。 私のお墓の前で泣かないでください。 そこに私はいません。 原詩はこのような構成のABA形式です。 Bの部分の冒頭の「千の風になって」をAに組み込んだ形です。 それだとBの部分ではどのような形で千の風になって吹き渡っているかを歌わないとしっくり来ません。 千の風になってと言っておきながら光になって雪になってと繋がり、色々な姿になっているのかと納得しかけていると又千の風になってとそれが繰り返えされます。 なんとも奇妙な曲になっています。 この曲を最初に聴いたときそういう感じは持ちませんでしたか? https://youtu.be/yTx9V7TrOwM キャスリン・ジェンキンスの歌うイギリスバージョンの「千の風になって」 原詩の区切りどおりの構成で作曲されています。 補足 私はもちろん原詩を知りませんでした。 だからこそ奇妙だと思ったのです。 原詩はシングルCDについていました。 それを見てなるほどそういうことかと理解できました。 原詩は千の風になってが題名ではありません。 秋川のは原詩の第2節の最初の千の風になっての一行までを第一節としてそれをメインテーマにし題名にしたということです。 区切りをずらしただけです。 だから第2節に違和感があり第3節で千の風になって吹き渡っているが繰り返されて終わるのにまた違和感を持ちます。 ベストアンサー
t_t********さん 2021/4/8 8:59 >この曲を最初に聴いたときそういう感じは持ちませんでしたか? 私含め、大半の日本人は秋川雅史さんの歌で知ったでしょうから、そもそも原詩の存在すら知らない人の方が多いでしょうね。 私はこの歌をよく演奏しましたので、原詩の存在は知っていましたが、原詩と新井版を比較はしたことがありません。よって原詩と比べての違和感は感じようがありません。 で、新井版単体で歌詞をどう評価するか、ですが。 ・秋に光になる ・冬は雪になる ・朝は鳥になる ・夜は星になる 具体的に示されているのはこの4つですよね。その上で「千の風になる」と。 つまりはその4つも「千」の中に含まれる、と私は解釈してます。よって違和感は感じません。 原詩と新井版は全く別物と考えて良いです。フォークソング風にするため1番1番を短く構成しているのでしょう。それに対しURLの方のアレンジはゴスペルのような感じです。 それぞれ良いと思います。 t_t********さん 2021/4/8 11:11 詩というのは歌にする事を念頭に書かれた「歌詞」とは違いますから、歌にする時に改変されるのは何ら珍しい事ではありません。
というか、そうでなければ成り立ちません。 音楽には楽節というのがありますから、特に原詩の一部を繰り返したり、別の部分に挿入するというのは大変よくある手法です。 ……ということをご理解いただいた上で、なお奇妙と思うのであれば、それはもう個人の嗜好ですので仕方ないと思います。
|