http://www.asyura2.com/21/cult31/msg/485.html
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[3069]米中(べいちゅう)関係 の 今後の重要な会談だった。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2021-03-31 00:51:26
http://snsi.jp/bbs/page/1/
副島隆彦です。 今日は、2021年3月30日(水)です。
コロナウイルスとワクチン の話は、どこに行ったのか? 今は、日本ではワクチンを医療従事者に打っている段階で、これから、「静かに、静かに」一般国民にも打ち始めているのか。
打ちたい(接種したい)人は打つ。打ちたくない人は、用心深く、打たない。副作用( side effect サイド・エフェクト )が、どんどん出て、コワイ、コワイが、広がれば、金持ちの、保守の人間たちが、一番、ワクチンを嫌(いや)がるだろう。 コロナワクチンの問題 は、ワクチン肯定派=政府側 対 反政府(反権力)の 問題ではない。 保守の側だけでの問題だ。
貧乏な老人たちは、たった2千円なのだから(あるいは無料)、どんどん打つだろう。そして、「自分の体が一番、大事」で、臆病者(注意深い、と言う意味)の保守と、金持ち層が、 一番、打ちたがらないだろう。 だから笑い話だ。
私、副島隆彦の見方(みかた)では、「世界圧力」(ディープ・ステイト)が、日本政府(菅政権)に、ギュウギュウと命令するので、日本人もワクチンを接種させられる。菅首相たちも、実にイヤそうな顔をして、嫌々(いやいや)ながら、「国民、全員、接種して下さい」と言っている。本当にイヤそうに言っている。
そして副作用(サイド・エフェクト。副反応?笑い)の 病人がたくさん出たら、またバンバン、叩(たた)かれるのは、自分たち政府と、厚労省と、国立感染症研究所の「ワクチン推進派」の医者たちだ。このことを菅首相たちは、分っているから、皆、白けて、浮かぬ顔をしている。日本人全部で、この「世界圧力」に耐えているということだ。だから「こんなワクチンなんか、要らない。全部捨てろ」と、言うだけの度胸の有る責任者が、出てくればいいのだ。
金融セミナーの参加者からの質問で私が当日、答えなかったものに、今、どんどん、私の即答の答えを、送っている。
以下に載せるのは、米中(べいちゅう)関係、どころか、これからの世界政治にとって、非常に重要な、内容なので、以下の評論文を、全文、転載する。
書いた人は、遠藤誉(えんどうほまれ)女史で、筑波大学の名誉教授の、偉いおば様である(80歳?)。
私は、この人のことを、自分の中国本の最新刊の『アメリカの争乱に動揺しながらも 中国の世界支配は進む』(ビジネス社刊)の 中で、中国の、最先端の、 半導体、 量子暗号通信、 核兵器開発 の それこそ、世界最先端の学者たちの、もの凄い勢いを、遠藤誉女史の 大著(たいちょ)、『中国製造 2025の衝撃』を、徹底的に、読み込んで、その重要性を、書いて、詳しく説明した。
遠藤女史からは、何も言ってこない。 そして、世界基準の学者であり、中国語で考えることも出来る彼女が、以下に、私が、全部、転載するとおり、大変、重要な 解説文を書いている。 この文を、皆さん、しっかり、じっくり読みなさい。
他の、日本国内で、流通している、最新の米中会談 (3月18,19日。アラスカ州のアンカレッジで)への解説記事は、すべて、下(くだ)らない。何を書いているのか、書いている新聞記者たち(会談の現場に行った者たち)自身が、分っていない。以下の 遠藤解説文を、読めば、全部分る。だから、遠藤女史には失礼だが、その全文を、勝手に、以下に、私、副島隆彦が、貼り付ける。
ひと言で言えば、「中国、つ(強)えー」、「中国は、これからは、もう黙らない。打たれっぱなしではない」「中国が、世界に向かって、自分の方が、アメリカよりも、もう、上だ。自分の方が、もう強い。世界中の多くの国々が、中国の言うことを聞く」と、宣言している。 日本人は全員、この文を読んで、本気で、考えた方がいい。決して、むずかしくない。
だが、世界を動かしている 政治家たちの 政治言論、というのを、読み慣れていない人たちには、理解できない。それはそれで仕方がない。それでも、ここの
学問道場に集まっている人たちは、読んで考えることが出来るだろう。
副島隆彦記
(転載貼り付け始め)
「米中アラスカ会談――露わになった習近平の対米戦略 」
2021年3/22(月) 遠藤誉(えんどうほまれ)筆 ヤフーの 評論の欄
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20210322-00228687/
米中外交トップ会談冒頭で激しい応酬があったが、米中ともに「満足」という結論に達した。背後には、今年が中国共産党建党100周年と、屈辱の北京議定書(ぎていしょ、プロトコール)120周年 に当たるため、習近平の野望と周到な戦略がある。
◆異常な中国側の長時間反論
3月18日から19日にかけてアラスカのアンカレッジで開催された米中外交トップによる会談に、アメリカ側からは(トニー・)ブリンケン国務長官と(ジェイク・)サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)が出席し、中国側からは楊潔チ中共中央政治局委員(兼中央外事工作委員会弁公室主任)と王毅(おうき)外相(国務委員)が出席した。
冒頭、各自2分間ずつほど話して、それから記者は退場することになっていた。
最初に話したのはホスト国アメリカの(トニー・)ブリンケンである。
彼は「新疆ウイグル・香港・台湾・(対米)サイバー攻撃および(アメリカの)同盟国に対する経済的強圧など、中国の行動に対する我々の深い懸念についても話し合いたい」と攻撃の口火を切った。時間は2分半ほど。米側通訳を入れると6分ほどになった。次にサリバンが「世界中の同盟国や友好国から懸念を聞いている」と、「対中包囲網」を示唆した。
さて、対する中国側の反論。
もちろん先に口を開いたのは楊潔チだ。これがなんと、延々20分 近くも続いたのである。正確に計れば16分半くらいだが、途中で通訳を入れることなく、まるで全人代か党大会におけるスピーチのように、中国建国時の歴史まで話し始めた。
「今年は第14回五ヵ年計画を発表したばかりだが、中国の五ヵ年計画は1952年に始まり・・・」と、ゆったりした口調で話し出したので、「何ごとか?」と逆に画面にクギ付けになった。
しかし助走段階が終わると、だんだん語調に力が入り、凄まじい反論を展開し始めて、通訳の入る余地がなかった。
16分ほど過ぎたあたりで中国側の通訳が「通訳しましょうか」と言うと楊潔チは「その必要があるのかい?」と聞き返した(公用語は中国語で十分ではないか、を示唆)。通訳が「いや、やっぱり・・・」と返すと「ならテストしようか」と笑い返し、中国側が英語に通訳した。
次に王毅(おうき)が4分ほど話し、本来なら4人各自が「冒頭の挨拶」をしたら記者たちが出ていくことになっていたが、ブリンケンが記者たちの退場を止めた。言われっぱなしの状態で報道されるのは困ると思ったのだろう。
ブリンケン、サリバンが二度目の発言をしたところで記者が退場しようとすると、今度は中国側が止めて、さらに楊潔チ、王毅の発言になった。
公けの場で激しい反論の応酬を見せたのは、前代未聞であったかもしれない。何よりも中国がアメリカに対してここまで面と向かって反論をぶちまけたのは、歴史的にも珍しいことではないだろうか。
それは米中の力が拮抗してきたことを意味し、後述するように習近平が周到に作り上げた作戦であることが読み取れるので、楊潔チと王毅の二度にわたる反論の趣旨(大意)を、順不同でいくつか拾い上げて略記する。
楊潔チ:
1.アメリカには上から目線で偉そうに中国にものを言う資格はない。中国はその手には乗らない。中国と交渉したければ、相互尊重の基礎を守れ。
2.中国の首を絞めようとすれば、結局は自分の首を絞めることになるということを歴史が証明している。われわれが西洋人から受けた苦しみは少なかったとでも言うのか?われわれが外国から包囲された期間は、これでも短かったとでも言うのか?何をされようと中国は立ち直ってきた。
3.中国共産党の指導と中国政治制度は中国人民の支持を得ている。中国の社会制度を改変しようとする如何なる試みも徒労に終わる。
4.習近平は「米中は衝突せず、対抗せず、互いに尊重し、ウインウインとなるべき協力していこうと」と言い、バイデン大統領も電話会談でそのことに賛同した。このたびの中米ハイレベル戦略対話(=外交トップ会談)は、習近平とバイデンが約束した電話会談の内容を具現化するために挙行されたものだ。
5.アメリカにはアメリカの民主があるだろうが、中国には中国の民主がある。中国は国連を中心とした国際システムの中で全人類共通の価値を追い求めているのであり、アメリカが決める価値観が国際的な価値観だと思うな。
アメリカの言い分が国際世論だとも思うな(筆者注:韓国がアメリカとの「2+2」会談で中国を名指しするのを嫌がったことも指しているのだろう)。
アメリカが決めた秩序が国際秩序ではなく、国連が決めた秩序が国際秩序だ。アメリカが決めたルールが世界のルールだとは思わない国が地球上には数多くある。
6.アメリカは常に武力に訴えて世界各地で戦争を引き起こし世界に不安と混乱をもたらしている。世界の秩序を乱しているのはアメリカだ。人権問題に関してもアメリカが抱えている人種差別問題はここ数年の話ではない。
アメリカが解決しなければならないのは自国の人権問題であり、先ずは自国の問題を先に解決しろ。自国内の人権問題をごまかすために中国の人権問題に対して目を向けさせ四の五の言うのはお門違いだ。自国をきちんと管理してからものを言え。
7.台湾、香港、新疆(ウイグル)は分割できない中国の領土であり、中国の内政に干渉するようなことは絶対に許さない。
王毅:
1.客が遠路アラスカまでやって来るその前の日に、香港関係者に制裁を加えるというのは、客を迎える礼儀に反するのではないか。
2.客に会う前に他の国々と申し合わせて中国を威嚇しようとしたのなら、計算間違いだ。そのようなことで譲歩するような中国ではない。
3.あなた方が訪問した国々が中国に脅威を感じていると言っているとおっしゃるが、果たして彼らが脅威を感じているのか、それともアメリカの主観的な憶測なのかはわからない。少なくとも中国と意見交換する前に中国にレッテルを張るのは公正だとは思わない。
◆会談後、米中ともに「満足」と発表
会談終了後、米中はそれぞれ記者発表したが、双方とも「一致しない点はあるものの、率直に意見交換できたことは良かった」という趣旨のことを述べている。
中国側からあそこまでの明け透けな反論を受けながら、アメリカ側はなぜ「率直でよかった」と言ったのだろうか。
それは楊潔チ発言の4で書いたように、何と言ってもバイデンが習近平と電話会談をした時に「米中は衝突せず、対抗せず、互いに相手を尊重する」と誓っているからだろう。
このことは2月12日付けのコラム<米中首脳電話会談を読み解く――なぜ「とっておきの」春節大晦日に?>に書いた通りだ。また2月8日のコラム<バイデン政権の本音か? 米中電話会談、「一つの中国」原則に関する米中発表の食い違い>に書いたように、
ブリンケン自身、楊潔チとの電話会談では「一つの中国」原則を守ると誓っている。つまり、台湾問題には口出しをしないという意味だ。
二人とも中国側に言質(げんち)をとられているので、非公開の場所ではブリンケンは譲歩しただろうことが考えられる。
◆予めCCTVが崔天凱・駐米大使を取材
アメリカが香港関係者24人に対して制裁を発表したのはアメリカ時間の3月16日のことだ。
それを受けて3月17日に中国の中央テレビ局CCTVが崔天凱(さいてんがい)・駐米大使を取材している。
普段は穏やかな崔天凱が、ここでは色を成してアメリカを非難し、楊潔チと王毅の反論を予感させる厳しい抗議と「中国をバカにするのではない」という趣旨の発言までしている。まるでアラスカ会談の序奏曲かと思わせる組み合わせだ。
ということは中国の外交トップ3人が共同して同じ勢いと方向性で動いているので、これは明らかに習近平の指示の下で全ては仕組まれていると考えるべきだろう。
「これまでの中国とは思うなよ」という、習近平の対米姿勢が如実に表れているということだ。
◆「中国共産党建党100周年」と「辛丑(しんちゅう)条約120周年」
その証拠に、3月19日の中国共産党機関紙「人民日報」の微博(weibo)に「二つの辛丑年の対比」というタイトルで1901年の北京議定書(辛丑条約)と今年2021年の中国共産党建党100周年における米中アラスカ会議の写真が対比して掲載された。
念のため以下に転載する。
人民日報の微博に掲載された写真
(副島隆彦注記。あとで、この写真、2枚をここに貼ります)
辛丑(かのと・うし)というのは干支(えと)の一つで、60年に一回巡ってくる。この60年を中国語で「甲子」と称するので、1901年から数えると、「二つの甲子」を乗り越えたことになる。
この写真は中国大陸のネットを駆け巡り、至るところに転載されている。
数多くのコメントが示すように、この写真は「今の中国は昔の中国ではない」ということを意味している。
2021年1月11日の中央党校におけるスピーチで、習近平は「時機はわれわれの側にある」と自信満々だ。今年7月1日が中国共産党建党100周年記念となる。
1901年には義和団(の乱)と、清王朝(西太后と光緒帝)が八ヵ国聯合(副島隆彦割り込み、注記。この8各国の中国への侵略国に、日本も入っている。「北京の55日」という映画になっている) から天文学的数値の賠償を求められ、清朝滅亡へとつながった 屈辱的な北京議定書を締結した。中国語ではこの年の干支にちなんで辛丑(しんちゅう)条約と呼ばれる。
習近平の父・習仲勲(しゅうちゅうくん)の祖父母は、1885年に河南省から陝西省富平(フーピン)に移り住んだのだが、貧乏で暮らしが成り立たないほどだった。
ところが1900年、義和団の乱を受けて結成された八ヵ国聯合から逃れるため、西安に落ち延びてきた西太后(せいたいごう)と光緒帝(こうしょてい)を護衛するために(来た)、北京の軍隊にいた習仲勲の叔父が富平に立ち寄り、銀貨数十両を祖母に渡して行った。
それにより習仲勲はようやく生き延びたようなものなので、習近平にとって辛丑条約は身近にあった、父親に直接関係した事件だったに相違ない。
「中華民族の偉大なる復興」には、この意味も込められていると解釈される。
あの李鴻章(りこうしょう)の時代とは違う。
中華民族は、あの屈辱の歴史から立ち直り、必ず「偉大なる復興」を成し遂げてやる。 まるで習近平の声が聞こえてくるようだ。
その意味で崔天凱・楊潔チ・王毅の外交トップをアラスカ(アンカレッジ)に行かせた。(3月18,19日の)アラスカ(アンカレッジ)会談における中国側の反論は、この写真にあるように、まさに「今の中国はあの時の中国ではない」というシグナルをアメリカに送っているものと解釈することができる。
楊潔チが2の反論で「(副島隆彦注記。欧米列強による中国占領、支配は、)これでも少なかったとでも言うのか?」「短かったとでも言うのか?」という言葉を発した時、彼は手先と唇にグッと力を入れ、歯を噛み締めるような表情をした。
習近平はアメリカに対して必ず強気に出始める。そのとき試されるのは日本の姿勢だ。習近平国賓招聘をまだ「中止する」と言えない日本。中止する必要はないと言い張る二階幹事長が絶対的力を持っている日本の政権与党。このようなパワーバランスが転換しようとしている時でもなお中国の顔色を窺うのか。
あの時の八ヵ国聯合の中の一国であった日本が今どう出るかで、東アジアの趨勢は決まっていくだろう。日本はそれでいいのか。覚悟を問いたい。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このように、遠藤誉の大変すばらしい評論文である。これを読むと、最新の米中関係と世界政治が分るでしょう。 米中の 世界の2大国(スーパーパウワ)は、こういう激論をしている。あとは、自分で、この米中会談への他の新聞記事を読んでください。どうせ、それらの記事は何を書いているのか訳が分らない。
遠藤誉女史は、12歳まで、中国(旧満州)で、過したので、中国語が完璧に出来る。その他の詳しいことは、ここでは書かない。
遠藤女史は、 筑波大学で教えて、長年、ずっと、強固に反共保守、反(はん)中国共産党の立場だ。中国共産党を打倒すべきだ、という政治的な立場だ。
ところが、この数年、どう考えても、彼女は、「中国がさらに大成長して、勝つ」と考えている。 彼女の脳(頭)は、どう考えても、中国人の脳だ。
あの李香蘭(りこうらん。山口=大鷹淑子 よしこ。昔「3時のあなた」の司会で出ていた)と同じように、2つの国民文化で、頭が割れているのだろう。山口淑子(李香蘭)は、死に間際に、「私は、本当は、中国人なのよ」と、狂ったように泣き叫んだ、という。 こういう話は、私は、別に書いた。
ポリティカル・クリオール論だ。ふたつの国民文化(カルチャア)が、頭に入って苦しむ。
雅子様の脳が、小さい頃からの外国暮らしで、「自分が何国人か、分らない」という、エリート階級(特権階級)の子供たちに見られる、特有の悲しい現象である。雅子様の苦しみは、小さい頃に、日本の、同級の同年齢の女たちと、一緒に遊んで、ゲラゲラ笑って過すという時期を、持っていない 。
その為に、雅子皇后は、自分が、何人か分らない。どこの文化に所属するのかが曖昧だ。何語でしゃべっても、ボーッとしてどれも上手でない。自己同一障害(アイデンティ・クライシス identity crisis )を起こすのだ。これが、「雅子皇后の 頭のご病気問題」だ。分るか。このことも、私は、すでに、10年前に、評論文で書いた。
もう、このことで、天皇家(皇室)への、不敬(ふけい)で、私と出版社を、攻撃してくる右翼たちも、いない。みんなジジイになって死んでしまったようだ。
遠藤女史は、ずっと、反(はん)中国共産党 で、反(はん)習近平である。習近平には、個人的な憎しみを持っているのではないか、と訝(いぶか)しがられる程の激しい書き方をする。そして、自分こそは、習近平の日本国への正式の国賓招待、反対 を、一番、率先して、ずっと書いて来た。それなのに、この文だ。 最後の、取って付けたような、「日本はそれでいいのか。覚悟を問いたい。」だ。誉(ほまれ)ちゃん、よ、何を書くか。全部、自分の問題だろ。
遠藤女史の頭の中の、分裂症の苦しみを、私は、じっと横から見ている。
この他に、日本国民に、しっかりと、私、副島隆彦から、教えておきます。
台湾(国府政府)は、1971年10月25日に、国連総会の決議で、追放決議されたのだ。同時に、中国が招待された。同時に、5大国(常任理事国、パーマネント・メンバー)になった。
台湾は、即座に、「国連からの脱退宣言」を出して脱退した。「追放されたのではない。脱退した」と、今も、公式に言っている。
日本国内の言論人も新聞記者も、誰も、この大きな事実を書こうとしない。みんなで、知らん顔をして、「中国が攻めてくる。さあ、どうする」と言うような書き方をする。まさか、そんな。私、副島隆彦がウソを書いている、と、思うなら、各自、自分で、台湾史や、歴史年表とかで調べなさい。
この1971年の7月9日に、キッシンジャーが、秘密で中国に飛んで、周恩来、毛沢東と会談した。そして、翌年、1972年2月21日に、ニクソン大統領が訪中した。 その前提が、「1つの中国」だ。即ち、「台湾は、中国の領土の一部である( 台湾は国ではない)」を、アメリカ合衆国が認めた。それ以来、この「1つの中国」は、アメリカ始め、世界中の決定事項だ。この決議事項を無視した、言論は、世界言論にならない。バカ右翼の低(てい)知能の言論だ。
だから、台湾独立論(台独、たいどく)など有り得ない。存在できない。台湾は、近い将来、必ず、中国の省の1つの台湾省になるのだ。
この大きな事実を認めないで、グズグズ、訳(わけ)のわからないことを、言い合っている。この日本国内の、日本国民への洗脳(せんのう)言論は、愚か者を通り越して、愚劣である。これ以上、何か、私、副島隆彦にぐずぐずと、訳の分からないことで反論するなら、私は、張り倒すぞ。この反共右翼の、バカどもめが。
お前たちが、私、副島隆彦と、論争して、勝てると思っているのか。誰でもいいから、有識者が、出てこい。
こういう場面では、学問道場の会員で、あまり頭のよくない者たちは、出てくるな。余計なことを書くな。しっかり勉強しなさい。私、副島隆彦の本を、もっと、しっかり読みなさい。お前たちは、私が、この13年間に書いた、14冊の中国本を、一冊も読んでいないだろう。お前たちも、少しは、反省しなさい。
遠藤誉女史の上記の文にも、はっきりと、「ブリンケン(国務長官)自身、楊潔チとの電話会談では「一つの中国」原則を守ると誓っている。つまり、台湾問題には(アメリカは)口出しをしないという意味だ」 と書いている。
こういう基本の知識も無しに、台湾、尖閣、香港問題で、利いた風なことを言う者は、私、副島隆彦が、張り倒す。
香港も、中国の領土である。香港は、イギリスが中国から奪い取って、イギリスの植民地にされた地域だ。そして、1997年7月1日に、イギリスから中国に返還された。香港は中国の一部だ。
だから、香港独立論(港独、こうどく)も有り得ない。それを、主張している、「民主派の議員たち」とか、「民主活動家」というのは、イギリスとアメリカの情報部に、扇動されて、操られている
、愚か者たちだ。
香港の人権活動家たちが、中国政府に虐(いじ)められて、弾圧されて可哀想、などど、世界基準の知識を知らないで、舐めたことを言う者たちは、自分の愚かさを知れ。自分は、いつも、正義の側の、正しい人、か? 馬鹿どもめが。
台湾の民主化運動の活動家の代表だった、若い3人組の、ネイサン・ロー(デモクラチスト党、党首)も、ジョシュア・ウオンも、アグネス・チョウ(周庭、しゅうてい)も、皆、CIAと英国MI6の回し者だ。 香港の人たちも皆、このことを、知っている。
可憐でかわいらしいアグネス・チョウ(周庭、しゅうてい)が、上手な日本語で、「日本の皆さん、私たちを助けてください」と、言ったので、それで、一も二もなく、香港問題に関心のある日本人は、「アグネス、かわいそう」になった。だが、だからと言って、何かをするわけでもない。
もっとよく、大きな事情、真実を知っている者たちは、簡単に自分の頭が動くことはない。
今から182年前の、1839年から43年までの、アヘン戦争(オピアム・ウオー Opium Waw )で、イギリス(大英帝国)が、どんなに卑劣に、中国に戦争を仕掛けて、そして、清朝(しんちょう、大清=だいしん=帝国)を屈服させて、その後、長く、100年間、欧米列強(ヨーロピアン・パウワズ European Powers )が、中国を分割し、占領し、痛めつけたことか。
日本は、このアヘン戦争の、25年後に、イギリスに屈服して、「隠れた」属国支配を受けた。それが、日本の1860年代の、幕末、明治維新の動乱だ。大きく、はっきりと、このように理解せよ。 日本の当時の、知識人たち(蘭学者を中心に。公儀隠密たちも)は、中国が白人たち(毛唐=けとう=ども)に、どのように、占領、支配されてゆくかを、脅(おび)えながら、、中国からの情報を得て、細かく、よーく知っていた。
その時の、尊王攘夷派 (ここで、副島隆彦注記。✕尊皇 と書くなよ。そんな字はない! 当時も今も無い。無いものは無い )の、上の者たちで、指導者たちが、裏から、コソコソと、イギリスの手先になって行った。下っ端の、過激派の攘夷主義たちだけが、無惨に殺されていった。「広く、世界の大勢を知れ」とか何とか、言われて、ということになっている。バカどもめが。
本当は、公武合体(こうぶがったい)派が、正しかったのだ。御門(みかど、天子、天皇)と、将軍が、団結して、まず、日本国内の国力を付けることが優先だ、と考えた。この考えが正しい。
ところが、何と、家茂(いえもち)将軍を、1866年7月20日に、大坂城で毒殺し、続いて、その5カ月後の、12月25日には、 孝明(こうめい)天皇(とその息子、睦仁も)を、暗殺した。誰が、だから、イギリスの手先になった者たちが、だ。
公武合体派だったはずの、公家(くげ)だった岩倉具視(いわくらともみ)が、転向して、薩長の、大転向した、秘密の開国(ひみつかいこく)派に合流した。それと、大納言家(だいなごんけ、藤原貴族の筆頭)だった、中山忠能(なかやまただよし)が、孝明天皇を、ヒ素で毒殺したのだ。
その次に、能なしで、バカ息子だった、知恵遅れの 睦仁(むつひと)をさっさと殺した。母親の、中山慶子(なかやまよしこ)も、自分の息子だったのに、殺害に同意した。
そして、長州(今の山口県)の南の、岩国のそばの、田布施(たぶせ)から連れてきた、元気な少年(16歳)の、大室寅之祐(おおむろとらのすけ)にすり替えた。このことばっかり、歴史好きたちは、、この30年間、ワーワー議論して、今では、この明治天皇=大室寅之祐だ論は、巷(ちまた)の、歴史好き人間たちの間では、多数派、主流派になった。
南朝(なんちょう)正統論を唱える、右翼言論人たちの間でも多数派だ。だが、日本の体制派は、それでは困るのだ。本当に困る。右翼たちまで、大室寅之祐すり替え説になってしまったから(笑い)。
だが、私、副島隆彦は、そんな「次期天皇を大室寅之祐にすり替えた」問題なんかよりも、もっと、10倍は、重要な、家茂将軍、孝明天皇暗殺問題の、方を、ずっと真剣に、考えてきたのだ。
このことは、私は、今から24年前に書いた、自分の「決定版 属国日本論」(PHP研究所から、2019年10月に復刊した)の第三部、幕末・明治期論 (P221から)で、ゴモゴモ書いた。それを、24年振りに、今、再訪(さいほう。revisit リビジット) して、再考しようと考えた。。
孝明天皇暗殺説を、唱えて、ずっと、ひとりで頑張っていた、石井孝(いしいたかし)の本を、今から復活させて、日本国内に真実を大きく広める。
石井孝は、東大の国史(こくし。東大だけは、他のすべての大学と違って、日本史学科と言わない。国史学科という。威張っている)を出て、東大の史料編纂所(しりょうへんさんじょ)に10年も居たのに、言ってはならない、書いてならない真実を書いたために、東大から追われて、大阪大学教授 で終わった。幕末、維新期の日本史学の、権威は、石井孝なのだ。皆、このことを、業界人は、認めている。
それなのに、石井孝 が、あまりにはっきりと、孝明天皇暗殺説を、ずっと書いて主張したので、体制派(東大史料編纂所と、宮内庁書陵部=しょりょうぶ=)は、困り果てて、それで、石井孝を、排斥した。さらには、新手の、原口清という、気色の悪いのを、1989年に、出してきて、「いや、孝明天皇は、やっぱり、天然痘で死んだんですよ」と、ウソの上塗りを、し始めた。晩年の、石井孝は、これに怒りの反撃をしている。
石井孝の霊魂に誓って、私、副島隆彦が、大きな真実を、今から、追撃戦で、復活させる。
続けざまに、1866(慶應2)年に、日本の最高権力者2人である、天皇と将軍を、殺しておいて、それで、この日本史にとっての最重要の、大事件を、一切無視して、よくもまあ、覆い隠して、避けて通って、幕末、維新の歴史の本が、歴史小説家も、歴史学者たちも、あれこれ、バカなことを山ほど書けるものだな。そういう捏造の日本史本を、たくさん、たくさーん、書いて、よくも、それで、業界が、よく成り立つものだな。NHKの大河ドラマもだ。お前ら、いい加減にしろよ。
このあと、昭和になって、アホ、頓馬の、日本国 は、イギリスとアメリカに、嗾(けしか)けられて、騙されて中国侵略(日中戦争)を、さんざん、やらされた。それが昭和の戦争だ。昭和天皇は、「ああ、私は、バカだった。欧米白人たちに、まんまと私はダマされたのだ」と気づいて、深く反省して、敗戦後は、占領国アメリカが作った座敷牢(ざしきろう)に、自ら入った。
そして昭和天皇 (本当は、山縣有朋の子。このことも言ってはいけないことになっている。今から、私が、ほじくり返す)は、「ただひたすら、日本国の平和のために祈る。もう、ダマされての戦争なんか、するものではない 」と、一貫して、平和の祈りの姿勢を貫いた。だから、日本国民が、天皇の戦争責任をブツブツ言いながらも、天皇と皇室を認めて、支持した。昭和天皇は、平和がなによりを、自分の子供や、孫にしっかり教えた。その嫁たちにも。
だから、昭和天皇は、靖国神社に、あの「戦犯たち16柱の合祀(ごうし)事件」で腹を立てて、「私は、もう靖国を参拝しない」、「そんなことを私が認めたら、世界を敵に回すことになる」と重々、分って、昭和天皇は、ストライキを敢行した。 このことも、私は自分の本にした。反共、バカ右翼、ども。大きな真実が分ったか。私、副島隆彦にケンカを売って、この件でも、私に勝てると思うか。掛かってこい。
だから、上記の文でも、遠藤誉女史が、観察して書いているとおり、
「 楊潔チが、2 の反論で「( 欧米列強による中国占領、支配は、)これでも少なかったとでも言うのか?」「短かったとでも言うのか?」という言葉を発した時、彼は手先と唇にグッと力を入れ、歯を噛み締めるような表情をした。」 なのである。
だから、日本人を代表して、私、副島隆彦が、この楊ケツチに、倣(なら)って、「欧米白人ども。お前たちの日本支配は、少なかったとでも言うのか? 短かったと言うのか」、と、「属国日本論」を書いた、私だからこそ、中国人と共に、「手先と唇にグッと力を入れ、歯を噛み締める」。
だから、最後の結論は、「アジア人どうし、戦わず」だ。「もう2度と、欧米白人どもに騙(だま)されての戦争はしない」だ。分ったか。
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